2016年05月17日

【昭和42年】輝ける高崎の未来の今は

【昭和42年】輝ける高崎の未来の今は

【昭和42年】輝ける高崎の未来の今は

旭町立体交差開通。
高崎・前橋間バイパス開通。
和田橋開通。


昭和41年でしたね・・・・・

で、翌年昭和42年全国初の高崎卸商業団地完成。

来年、50周年です(祝!!)

高前バイパスの開通、そして高渋バイパス開通で付近一変しました。

それに国道354バイパス、対面通行箇所はあるものの太田、館林方面便利になりました。

で、昭和42年て言ったら高崎駅東口は工業地帯で東口駅舎出ると高崎競馬場が丸見え(笑)。

で、市内各方面への工業団地の造成でまず、市街地から工場がほとんど消えた・・・・・・

もちろん、354バイパス沿いの岩押、中居も田んぼの中でした。そしてその田んぼも消えた農業の終わりです。

まあ、都市計画なのか国土計画なのかは知らないけれど井上陽水の歌じゃないけど「東へ西へ」です。

おかげで旧市街地は「空家対策」とかで、ミスタードーナツが完成しました。

で、挙句が、昨日も書いたように「倉渕、榛名、吉井」移住大作戦とかです。昭和42年当時そんな事想像してたのかね都市計画。

今度、一度聞いてみたいですね、統計的に見てその昭和42年に今日ぼ「少子高齢化」に伴う旧市街地の「限界集落化」。

そういうことになることは、まあ、百年の計じゃあないにしても「50年」のスパンで予測不可能だったのか?

まあ、当時の責任者ご存命の方は少ないんでしょうけど、松浦幸雄前市長くらいでしょうか、6期24年のお勤めですから。

で、昭和51年当時から盛んに開発された東西南北の分譲住宅団地だけど今日、子どもの声が聞こえません。

それどころか、それこそ「空家対策」が喫緊の問題です(;´д`)

【昭和42年】輝ける高崎の未来の今は、なんだけど、あの活気づいていた旧市街地が「輝ける高崎」なんだが・・・・・

輝いてるのは駅前だけでした。

まあ、どうせ駅前イオンもパブリックセンターもコンベンションセンターも車で来て、当面交通渋滞です。

で、開催が危ぶまれている東京オリンピック2020年なんだけどホテルが不足してるからラブホを旅行業観光ホテルにだって。

そんなこと言ったら高崎だってどうするの、コンベンションセンター、芸術センター、スポーツアリーナです。

まあ、お客がきたらの話だけど磯部温泉、伊香保温泉シャトルでも出しますか?

で、両毛、上信越、八高線、上信電鉄、そっちのお客さんも狙ってるから前橋、富岡、藤岡、安中は終了です。

で、「輝ける高崎」なんだけど、旧市街地の空家対策に本格的に乗り出すって、それって旧市街地が「空家」だらけだぁら。

ちっとも輝いてないじゃないの「交流と創造 ~ 輝く高崎」だけど・・・・・・
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121701914/files/ty-shinsou.pdf#search='%E8%BC%9D%E3%81%91%E3%82%8B%EF%BC%93%EF%BC%97%E4%B8%87%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%8D'

【昭和42年】輝ける高崎の未来の今は



Posted by 昭和24歳  at 12:04 │Comments(0)

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