2016年04月25日
昭和42年「こまっちゃうナ」と「ブルーシャトウ」な時代
昭和42年「こまっちゃうナ」と「ブルーシャトウ」な時代

今も昔も変わらない・・・・・
しかし物欲は限界に来ている。
それは“夢のように”ほしいものは何でもそろっている。
僕の末娘もクリスマスプレゼントの夢は“プレステ3”とかの新製品だ(笑)。
去年はニンテンドーの“DS2”とかいう、年齢脳をテストする大人も楽しめるとか言うやつ。
「パパもやったら!」
「冗談言うな!そんなゲーム器に俺の脳を験されてどうする!!」
そういうそばで優が、
「やだぁーーーー!あたしの脳48歳だって!!」
僕らの時代は“クリスマスプレゼント”なんていう習慣はなかった。
精々がお正月のお年玉で模型を買うとか本を買うとか・・・・・
僕は親戚中で一番年下だったのでお年玉はけっこう集まった。
そんなお年玉で小学校5年の時たしか欲しくてたまらなかったのが“HOゲージ”のものだったがこれは高価で手が出なかった。
そこで“Oゲージ”の線路幅のの広いたしか交流のトランスを使うやつ・・・・・・
父親も鉄道員だったので、その模型には流石文句は言わなかった(笑)。
でもそれも小学校6年の正月まで・・・・・・
中学生になった僕はとうとう世紀の大発見をしてしまった。それが“音楽”と“ギター”。
8歳年上の東京の従兄弟にはじめて連れて行ってもらった“新宿アシベ”。そこで見た“音楽”はテレビの中そのもの。
今でも鮮明に憶えている、“ジャッキー吉川とブルーコメッツ”をバックに歌う“尾藤イサオ”。
未だその頃はギターは“三原綱木”で、そのコンボバンドに釘付けになってしまった。
それ以来、春休み、夏休み、冬休みには澁谷の従兄弟の家に入り浸り、その従兄弟にせがんでは“新宿アシベ”、“池袋ドラム”通い。
15歳の時には“エレキギター”を手にしていた・・・・・
因みに初めてのエレキギターは7800円の・・・・・それでも当時高卒の初任給が7000円の時代。
音楽センターのアルバイトが一回100円の時代。
そんな時代に今でいう脱サラだろうか、青年実業家がはじめた“関東ヨーグルトン”のアルバイト。
その給料が破格で、一ヶ月4千円・・・・・昭和40年の話である。
今の若者に夢がない、夢がもてない・・・・・そんなことはない。
みんな何がしかの夢を持って一生懸命生きている。
ミュージシャンになる夢、海外に雄飛し活躍する夢。
こんなに社会が堕落しているにもかかわらずだ。
親殺し、子殺し・・・・・引きこもりだのニートだの・・・・・・
そんなことは昔から多かれ少なかれあった。
僕らが20代の頃には“コインロッカーベビー”なんていうのも流行った。
荒れる中学校。暴走族・・・・・丁度その頃の時代。
何も変わっていない。
それなのに“改革”だという・・・・・・
なにが改革だ!
本当に改革されるべきは政治、官僚の世界ではないのか。
国民は必死に生きている。“恥じる”をモットーに懸命に生きている。
“恥じる”を知らない、政官財が“改革”とはチャンチャラ可笑しい限りである(笑)。
昭和42年「こまっちゃうナ」と「ブルーシャトウ」な時代

今も昔も変わらない・・・・・
しかし物欲は限界に来ている。
それは“夢のように”ほしいものは何でもそろっている。
僕の末娘もクリスマスプレゼントの夢は“プレステ3”とかの新製品だ(笑)。
去年はニンテンドーの“DS2”とかいう、年齢脳をテストする大人も楽しめるとか言うやつ。
「パパもやったら!」
「冗談言うな!そんなゲーム器に俺の脳を験されてどうする!!」
そういうそばで優が、
「やだぁーーーー!あたしの脳48歳だって!!」
僕らの時代は“クリスマスプレゼント”なんていう習慣はなかった。
精々がお正月のお年玉で模型を買うとか本を買うとか・・・・・
僕は親戚中で一番年下だったのでお年玉はけっこう集まった。
そんなお年玉で小学校5年の時たしか欲しくてたまらなかったのが“HOゲージ”のものだったがこれは高価で手が出なかった。
そこで“Oゲージ”の線路幅のの広いたしか交流のトランスを使うやつ・・・・・・
父親も鉄道員だったので、その模型には流石文句は言わなかった(笑)。
でもそれも小学校6年の正月まで・・・・・・
中学生になった僕はとうとう世紀の大発見をしてしまった。それが“音楽”と“ギター”。
8歳年上の東京の従兄弟にはじめて連れて行ってもらった“新宿アシベ”。そこで見た“音楽”はテレビの中そのもの。
今でも鮮明に憶えている、“ジャッキー吉川とブルーコメッツ”をバックに歌う“尾藤イサオ”。
未だその頃はギターは“三原綱木”で、そのコンボバンドに釘付けになってしまった。
それ以来、春休み、夏休み、冬休みには澁谷の従兄弟の家に入り浸り、その従兄弟にせがんでは“新宿アシベ”、“池袋ドラム”通い。
15歳の時には“エレキギター”を手にしていた・・・・・
因みに初めてのエレキギターは7800円の・・・・・それでも当時高卒の初任給が7000円の時代。
音楽センターのアルバイトが一回100円の時代。
そんな時代に今でいう脱サラだろうか、青年実業家がはじめた“関東ヨーグルトン”のアルバイト。
その給料が破格で、一ヶ月4千円・・・・・昭和40年の話である。
今の若者に夢がない、夢がもてない・・・・・そんなことはない。
みんな何がしかの夢を持って一生懸命生きている。
ミュージシャンになる夢、海外に雄飛し活躍する夢。
こんなに社会が堕落しているにもかかわらずだ。
親殺し、子殺し・・・・・引きこもりだのニートだの・・・・・・
そんなことは昔から多かれ少なかれあった。
僕らが20代の頃には“コインロッカーベビー”なんていうのも流行った。
荒れる中学校。暴走族・・・・・丁度その頃の時代。
何も変わっていない。
それなのに“改革”だという・・・・・・
なにが改革だ!
本当に改革されるべきは政治、官僚の世界ではないのか。
国民は必死に生きている。“恥じる”をモットーに懸命に生きている。
“恥じる”を知らない、政官財が“改革”とはチャンチャラ可笑しい限りである(笑)。
昭和42年「こまっちゃうナ」と「ブルーシャトウ」な時代
Posted by 昭和24歳
at 00:14
│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。