2015年10月01日
2055年10月3日「近未来のわが街高崎」1
2055年10月3日「近未来のわが街高崎」1

首都圏で問題となっている里山開発において、特に墓地造成のために貴重な自然が失われる例が目立つ。一方で地方では、里山は放置され荒廃が進む。この由々しき事態に居ても立ってもいられなくなり、「樹木葬」の取り組みを始めた。これは、墓石代わりに木を植え、その周りに納骨するだけの記念樹型集合墓ではない。荒れた里山に墓地としての許可を取り、手を入れ、整備する。墓標として植えるのは、その地域、環境にふさわしい花木だ。樹木葬墓地は、地域の自然を後世に残していくための墓地という新しい葬送の形の提案であるとともに、里山の生物多様性の保全・再生の手法として大きな可能性を見出した。
今年の6月にもうひとり家族が増えた。
6人目の孫は女の子。お父さんに似ているのかな(笑)。
そして僕のいない「わが街高崎」も・・・・・・
また書き直さないといけない(;´д`)
麟太郎は従兄弟、太一兄貴の呼びかけで久しぶりに高崎の祖父母の墓参りをした。
高崎は2年ぶりだった。母さんの米寿の同窓会とかで、その付き添いに弟、宙の家族と妻、洋子と長男の一人、長女、莉乃と一緒に。
NEWS-PACKET
今日はATOM-EXで新宿から札幌行きのノースラインに乗って・・・・・・
新宿駅でNEWS-PACKETのチップを買ったけどそれを読む間もなく12分ジャストで高崎についた。
子どものころ・・・・・と言っても小学2、3年の頃だったろうか、あの頃は新幹線Maxとかいって東京駅からえらく時間がかかった記憶があった。
もっとも、そのMaxの中のKIOSCでの買い物が楽しみでよく父にねだったもんだった。
Maxといえば、太一兄貴があの頃そのMaxにはまっていて・・・・・
そうだ、叔母が言うには小さい頃はオモチャのMaxをいつどこへ行く時も片時も離さず持ち歩いていたという。
そんな太一兄貴、Max狂のせいなのか、「三つ子の魂百」までなのか、40まで2040年に民営JRから国有JRになったATOMのキャプテンをしていた。
今はチーフコンダクターとかで乗客の世話係だとか。
そういえば、どこの駅でもやたらと駅員が多い。全てが自動化されて、子どもの頃にあった改札も今はない、MAGに乗る時と降りる時にIDをポートに充てるだけ・・・・・
それに、昔あった指定席とかグリーンとかもない。とにかくリニアなので動力コストはほとんどゼロ、原発と同じようなもので一度稼働させたら止めることができない。
つまり、超高速で動かすよりもブレーキをかける方に相当のコストかかるとかの話を聞いたことがある。
久々の高崎駅だった・・・・・
「へえ、変われば変わるもんだなあ」
麟太郎はそうつぶやきまだゴチャゴチャしていた子どもの頃よく来た高崎駅を思い出していた。
あの賑やかだった街並みはすっかり消え、見渡す限りが森のようで、その中に10階ほどの建物がいくつかニョキッと姿を見せているだけだった。
自動車もほとんど走っていない。走っているのはコミューターと、アナログの自転車だけ。
そのコミューターだが高崎駅をハブにして敷設されたリニアレールを滑るようにして東西南北に走っていた。
そうそう、高崎駅っていっても、昔のそれではない。今、幹線リニアは全て高深度、ホームはどこの駅も地下10階ほどにある。
だから駅の真上は広大な公園でその公園の中心が「コミューター・ハブ」と、10キロ以上の地域を結ぶリニアモノレールの駅。
それがこの高崎にはかつての上越線、両毛線、信越線、高崎線、八高線、そして上信線に沿って広がっている。
なんでもその昔、「0番線」とか言っていた上信線は20年前、JRの国有化と同時に解散し、国有JR の下、本当の意味の「上信」、上州と信州を結ぶ路線で、中信の松本まで開通していた。
まあ、リニアモノなので松本までは3回のトランスファーで2時間チョイかかるとか言っていたが、つまり観光路線って言うことだろう。
で、その甲斐あってというか、富岡、下仁田方面が相当観光開発されたとかがいつかのNEWS-PACKETで特集していた。
「オーッ、麟太郎、しばらく・・・・・・まあ、しばらくって言っても半年ぶりくらいか。チイちゃんのお見舞いに行ったときだから。
どうだ、チイちゃん元気か、そうそうゾウさんも?」
太一兄貴は相変わらず僕の母さんとオヤジのことを「チイちゃん」、「ゾウさん」って呼んでいる。
そういえば、物心ついてだったが「なんか変?」て思ったことがわが一族にはあった。
なにかといえば、それはこれから墓参りする祖父母なんだが太一兄貴もマナ姉、マヒロ姉も、その祖父母のことを「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばずに「パパ、ママ」って呼んでいた。
まあ、僕もつられてというかつい「パパ、ママ」って呼んじゃっていたんだけど、困ったと言えば、小学校の頃の運動会で来ていた祖父母に「パパ、ママ」って僕が言うもんだからみんなおかしな顔してみていた・・・・・
保育園のときなんか先生が「パパじゃあないでしょ、おじいちゃんでしょ」って言っても、「違うよ、パパだよ、おじいちゃんじゃあないもん」とかいって先生を困らせたらしい(笑)。
「で、麟太郎、オマエ、シアトルに行っちゃうんだって。おふくろが言ってたよ、チイちゃんからIPがあってそう言ってたって。
で、ゾウさんまだやってるんだって?もうすぐ80だってえのに元気だなあ」
「まあね。オヤジは壱岐で珈琲ショップの名物オヤジで、ピンピンしているよ。母さんもあのとおりのんびり屋だからすっかり壱岐のおばあちゃんになっちゃって・・・・・」
「そう。おふくろ、そんなIPしてたの、叔母さんに・・・・・・
まあ、来年になると思うけど、シアトルのヘッドにならないかって言う話なんだ。で、俺らの仕事って完全なディヴィジョン、事業部制、独立採算だから日本でやるよりあっちの方が正直楽なんだ。
一人は来年は大学卒業だし、莉乃も大学だろ・・・・・シアトルたって俺と洋子だけ。オヤジと母さんにも一緒に行かないかって言ったんだけど壱岐がいいって。それに、一人が壱岐に帰って漁師になるとか言いだして、オヤジ大喜びなんだ。
実は、壱岐のおじいちゃん、おばあちゃん二人の息子を島から出しちゃって、ホントはどっちか戻ってきてほしかったんだろうけど・・・・・
で、オヤジが壱岐に戻ったのはおじいちゃんとおばあちゃんが90過ぎてから、でも相当喜んだらしい。俺も帰ればもっと喜んだんだろうけどね。
で、そんなオヤジがもう80だよ。だから一人が壱岐に帰るって言ったらその喜び様はなかった。母さんもね。
で、母さん、一人に『壱岐で嫁探しは難しいから、それまでに誰け見つけろ』って言ったらしい」
「ウワーッ、チイちゃんらしいな!!」
「そうなんだ、母さんは天然だからね。万事塞翁が馬っていうか物事を悪く考えたことがない。
まあ、オヤジもそんなところあるかな。似た者夫婦って言うの、ああいうの・・・・・
で、定年と同時に、取締役とかっていう話もあったんだけど、会社、スパッと辞めて壱岐に帰っちゃったんだからすごいって言えばすごいけど。
なんでも、オヤジの珈琲が飲みたくてわざわざ壱岐までツアーで来る奇特なお客さんが結構いるらしいんだ。
今じゃあ壱岐の貴重な観光資源なんだってさ」
たしかに、人生に迷いがないっていうか、ゾウさんもチイちゃんも・・・・・
そういえば、麟太郎、チイちゃんにそっくりだ、とくに横顔、エクボが出来るところなんて。
で、こいつ、麟太郎もシアトルって言うことは「万事塞翁が馬」じゃねえの・・・・・
公園都市「たかさき」
「どうだっ、変わっただろ!!高崎・・・・・あんなにゴチャゴチャしていた駅前が、ほら森だよ。俺たちが生まれる前だったけど、すったもんだで建てられたっていう高崎市庁舎、21階だけどそろそろ寿命だってさ。だけど壊すに壊せない。莫大なカネをかけて補強に補強を重ねてるんだろうけど、それにしてもバカなことをしたもんだな。」
「東京の副都心だって同じさ。でもあれって1970年代だろ、もう80年以上になるけど、なんとか建ってるねぇ・・・・・
まあ、40階がゾロゾロだけど、壊せないよね。壊すとしたら、ほら、昔ニューヨークであったでしょ9.11とかみたいにテロに見せかけて爆破させるしかない。まあ、戦争で壊すっていう手もあったんだろうけどね」
「オイオイ、麟太郎、物騒なことを言うなよ!!」
「冗談だよ、冗談。それにしても高崎は変わったね・・・・・
あの頃の面影がどこにもない。で、昔街中に住んでいた人たちどこへ行っちゃったの?」
「あれは2010年頃だったろうか、まあその前の年、いや、2008年か・・・・・・俺ら子どもだったからわからなかったけど、そうさ、麟太郎、オマエが生まれた年だよ、平成20年10月、アメリカの金融マフィア、リーマンショックとかいってバタバタ銀行証券、保険会社が潰れた。
で、アメリカといえば20世紀、自動車産業発祥でアメリカのシンボルだったけどその08年の金融恐慌でGMが国有化、クライスラーとかが破綻した。
パパが話してたけど・・・・、パパって言ったって、アッチのパパだぞ、爺さんの方だ。それまではクライスラーは『アイアコッカ会長』とかで世界一とまで言われていたらしい。
それが、破綻、倒産だ。まあ、あの08年の出来事が多分新しい歴史の始まりだったんだろうな。
なにせ、オマエ、09年には、ほら、教科書にあったろ『人種差別国家』なんて、つまりアフリカ大陸からアフリカ人を狩るようにして連れてきて奴隷市場とか言ってアフリカ人を売買していた。そんなアメリカがどんな理由にせよ、白人至上主義国家とまで言われたアメリカがだ、アフリカ系『黒人大統領』を選んだ・・・・・
これは、コペルニックスどころではないある種革命だったんだ。」
「そうか・・・・・確かに東京も変わったよね。オリンピックするとか言ってたけど結局あれって、リオデジャネイロになったんでしょ。で、次の次、オリンピック広島だって言うし、まあ、兄貴、俺が47だよ。変わるよね、そりゃあ・・・・・」
そんなとりとめのない話で時間を遊んでいると、僕らのいるポートにアイボリーの胴体にオレンジのラインの入ったコミューターがスーッと横付され、音もなく開いたドアから相変わらず顔にしわの一つない叔母さんと太一兄貴の奥さんの裕美さん、そして今年高校生になったばかりの長男、健太と小6の二男、優太、小4の長女悠里が降りてきた。
「おお、おお、麟ちゃん久しぶりだねえ・・・・・
今日はよく来たねえ。シアトル行っちゃうんだって。一人君は壱岐に帰るんだってぇ、毎日のようにチイちゃんから電話がくるよ。楽しみでしょうがないんだね。よかったよかった。
そういえば、宙ちゃんはまだロンドンかい、プロデューサーとかって、叔母さんにはよくわかんないけど、みんな元気かい?
玲ネェも、なんだい、そのプロデューサーとかで還暦だって言うのにロンドンだとかニューヨークだとか、宙ちゃんとは時々会ってるみたいだけど・・・・・
いい気なもんだね、とうとう一人もんのままで(笑)。
ああ、ほらっ、太一、早く車もってきないとダメじゃないか、ほら、みんなを待たせちゃ・・・・・」
相変わらず叔母さんは太一兄貴を子ども扱いで、命令口調。でも太一兄貴もそれを嬉しそうに「ハイハイ」と、僕ら、みんなを見ながら聞いていた。
「おじいちゃんの店に寄ってから行くからね、あそこ。そうだね、マナもマヒロ、みんなおじいちゃんの店いに行っているはずだから、急がなくちゃね・・・・・」
そういって叔母さんは太一兄貴をせかすようにして腕を叩いた。
義姉の裕美さんが声を殺して笑っている・・・・・
地域通貨“GREEN BUCKS”
今は、車は自家用にしている人はいない。自家用車には高率な保有税がかかるからだ。その分、地方都市の公共の交通機関はかゆいところに手が届くほどに発達している。
コミューターがそれだ。WEB状に張り巡らされたリニアラインでほとんど「ドア・ツー・ドア」で利用できる。しかも乗車定員8人で、利用料金は5グリーンバックス。つまり一人でも8人でも5グリーンバックス。
そう、あの頃、2009年ころなら1000円ていうところだろうか・・・・・
市内10キロ四方どこまで行っても。もちろん75歳以上の高齢者が乗車する場合は付き添い含めて無料。
「ほら、来たよ、来たよ、太一が・・・・・・
さあさあみんな乗って、乗って、急がなくちゃあね。みんなが待ってるから。ホラ、ホラ、太一、急がなくちゃあ」
「昔はよく自動車でいろんなところ連れてってもらったね。母さんが運転してさ。あのころは車、家に2台もあって終いには僕も姉貴たちもで5台にもなった時が・・・・・
今はこうして、駅とかモールにはオンデマンドのカーパーク“METRO”があるからいつでも一回10グリーンバックスで利用できるから、しかも運転もほとんどGPSだから楽チンだし・・・・・
だから、母さん、急げっていっても場所、場所でスピード・リミッターかかってくるから無理なんだよ」
「まあまあ、不便になったもんだね、この時代にさ。あの頃は街中だって60キロ、70キロで走ってたんだからね」
「ええ、おばあちゃんスゴイ!!そんなスピード、目が回っちゃうよ僕」
二男の優太がそう言うと、
「まあまあ、優太は太一そっくりだね・・・・・・
あたしがちょっとでもスピードを出すと、『ママ、コワ~イ』とかいってしがみついてきたんだからね。おまえのパパは」
METROの中は大爆笑だ!!
烏川、聖石橋を渡るとそこは観音山丘陵に沿って碁盤の目に整備された「居住ゾーン」が広がっていた。
そこの中心にあるショッピングモールのカフェで叔父さん、そしてマナ姉、マヒロ姉たと家族と待ち合わせていた。
「叔父さん、相変わらずたばこ吸ってるの?」
叔母さんに聞いてみた・・・・・・
「なんでだろうね、あんな気持ちの悪いもの。止められないんだね・・・・・
今、ひと箱いくらするんだい、えぇっ?
10グリーンじゃあないのかい。バカだね。昔なら2000円だよ、2000円!!
ああ、もったいないもったいない」
「でも、それで公共料金安くなってるし、困っている人も救われているし・・・・・
僕らも税金は高いけど、医療費も、教育費も無料だし、子どもたちにも月額で一人当たり150GB戻ってくるし、3人目の悠里にはプラス50GBだよ。
母さんたちだって、特区で住居費、食費、医療費、全て無料で年金だって、お小遣いだけど250GB給付される。250GBって言えば昔なら5万円で、働ける人は働いた分収入だよ。75歳以上高齢者は非課税。そっくり所得だから僕らよりもずっと楽なんじゃない」
「そうかいそうかい。じゃあおじいちゃんの煙草も世の中の役に立ってるんかい」
そう言って、叔母さんがMETROの運転をする太一兄貴を睨みながら笑った。
高齢者特区
2030年に市民運動の盛り上がりから「高齢者特区構想」が盛り上がり、2037年に「高齢者特別区域行政法」として国会を通過、翌2038年4月1日施行で、高崎市をトップに全国順次環境整備がスタートした。
高崎市の場合は観音山丘陵の国有、県、市有地を大規模開発し、高齢者居住ゾーンを中心に、保育園、病院、介護施設が建設され2040年に第一期工事完了させた。
概要は高齢者夫婦世帯750、単身高齢者1500世帯、重度要介護者500人分の医療介護施設棟を完成させ、併せて、24時間保育可能で、小児医療施設を併設させた5ヶ所、500名の園児の受け入れを可能とした保育園を完成させた。
現在2055年新年度においてはその総数は各分野とも3倍となっており、またその特区を囲むようにして現役世代、とくに子育て世代用の賃貸官営集合住宅が建設され、第一期700所帯分が2055年に完成し、今日現在二期目の、700世帯分が建設中だ。
そんな高齢者特区と、そこで暮らす高齢者のみなさんは僕らからしてみれば羨ましい限りだが、やがては僕らもその恩恵を受けることになる。
もちろん僕の両親もそこで生活しながら、父と母は特区外のモールで3か所のカフェを経営している。どうやら死ぬまでやりつづけるらしい。
もちろん営業が不可能になったとき、あるいは辞めたくなった時は行政にその事業清算の上、全ての権利を返上する。当人の意志で他者、あるいは親族に営業権を移譲することはできない。
その際は、これまでの経営者と行政が、営業権申請者を公募し、審査され営業権を譲渡されて経営することになる。
特区に居住選択すれば何もかも無料でしかも定額年金も給付され、仕事もできる。
しかし、毎年、税務申告をしなければならない。使わずに残したおカネは70%徴税される。もちろん目的をもった計画所得は控除される。たとえば海外旅行に行くとか、インテグラルフォトグラフィTVを買いたいとか、家具をそろえ直したいとか・・・・・
とにかくおカネは使わないと税金で取られちゃうから、孫には何でも買ってあげられるありがたいおじいちゃん、おばあちゃんだ。
もちろん、徴税された税金でも、その後必要が生じた場合は申請すれば、その証明さえあれば還付される。
ただし、万が一に当人に不幸があった場合は全て徴税される。つまり金融資産の相続は法律で禁じられている。
そして万が一の葬儀だが、特区は全て市民葬で家族には一切の負担はかからない。
「太一、ほら、大きいMETOROに替えないと、みんなが乗れないよ・・・・・
何人だい?、ええ、13人。そんなにもいるんかい。きっとママもパパもたまげるよ。
そうだ、ママとパパのところは『樹W-20XX‐0024』だったね・・・・・
大きくなったろうねぇ、パパとママの樹も」
叔父の経営するカフェの前に到着すると、叔母は太一兄貴にまたそう命令するように言いながら、タバコをくゆらしテラスで椅子にもたれる叔父に手を振った・・・・・
つづく
2055年10月3日「近未来のわが街高崎」1

首都圏で問題となっている里山開発において、特に墓地造成のために貴重な自然が失われる例が目立つ。一方で地方では、里山は放置され荒廃が進む。この由々しき事態に居ても立ってもいられなくなり、「樹木葬」の取り組みを始めた。これは、墓石代わりに木を植え、その周りに納骨するだけの記念樹型集合墓ではない。荒れた里山に墓地としての許可を取り、手を入れ、整備する。墓標として植えるのは、その地域、環境にふさわしい花木だ。樹木葬墓地は、地域の自然を後世に残していくための墓地という新しい葬送の形の提案であるとともに、里山の生物多様性の保全・再生の手法として大きな可能性を見出した。
今年の6月にもうひとり家族が増えた。
6人目の孫は女の子。お父さんに似ているのかな(笑)。
そして僕のいない「わが街高崎」も・・・・・・
また書き直さないといけない(;´д`)
麟太郎は従兄弟、太一兄貴の呼びかけで久しぶりに高崎の祖父母の墓参りをした。
高崎は2年ぶりだった。母さんの米寿の同窓会とかで、その付き添いに弟、宙の家族と妻、洋子と長男の一人、長女、莉乃と一緒に。
NEWS-PACKET
今日はATOM-EXで新宿から札幌行きのノースラインに乗って・・・・・・
新宿駅でNEWS-PACKETのチップを買ったけどそれを読む間もなく12分ジャストで高崎についた。
子どものころ・・・・・と言っても小学2、3年の頃だったろうか、あの頃は新幹線Maxとかいって東京駅からえらく時間がかかった記憶があった。
もっとも、そのMaxの中のKIOSCでの買い物が楽しみでよく父にねだったもんだった。
Maxといえば、太一兄貴があの頃そのMaxにはまっていて・・・・・
そうだ、叔母が言うには小さい頃はオモチャのMaxをいつどこへ行く時も片時も離さず持ち歩いていたという。
そんな太一兄貴、Max狂のせいなのか、「三つ子の魂百」までなのか、40まで2040年に民営JRから国有JRになったATOMのキャプテンをしていた。
今はチーフコンダクターとかで乗客の世話係だとか。
そういえば、どこの駅でもやたらと駅員が多い。全てが自動化されて、子どもの頃にあった改札も今はない、MAGに乗る時と降りる時にIDをポートに充てるだけ・・・・・
それに、昔あった指定席とかグリーンとかもない。とにかくリニアなので動力コストはほとんどゼロ、原発と同じようなもので一度稼働させたら止めることができない。
つまり、超高速で動かすよりもブレーキをかける方に相当のコストかかるとかの話を聞いたことがある。
久々の高崎駅だった・・・・・
「へえ、変われば変わるもんだなあ」
麟太郎はそうつぶやきまだゴチャゴチャしていた子どもの頃よく来た高崎駅を思い出していた。
あの賑やかだった街並みはすっかり消え、見渡す限りが森のようで、その中に10階ほどの建物がいくつかニョキッと姿を見せているだけだった。
自動車もほとんど走っていない。走っているのはコミューターと、アナログの自転車だけ。
そのコミューターだが高崎駅をハブにして敷設されたリニアレールを滑るようにして東西南北に走っていた。
そうそう、高崎駅っていっても、昔のそれではない。今、幹線リニアは全て高深度、ホームはどこの駅も地下10階ほどにある。
だから駅の真上は広大な公園でその公園の中心が「コミューター・ハブ」と、10キロ以上の地域を結ぶリニアモノレールの駅。
それがこの高崎にはかつての上越線、両毛線、信越線、高崎線、八高線、そして上信線に沿って広がっている。
なんでもその昔、「0番線」とか言っていた上信線は20年前、JRの国有化と同時に解散し、国有JR の下、本当の意味の「上信」、上州と信州を結ぶ路線で、中信の松本まで開通していた。
まあ、リニアモノなので松本までは3回のトランスファーで2時間チョイかかるとか言っていたが、つまり観光路線って言うことだろう。
で、その甲斐あってというか、富岡、下仁田方面が相当観光開発されたとかがいつかのNEWS-PACKETで特集していた。
「オーッ、麟太郎、しばらく・・・・・・まあ、しばらくって言っても半年ぶりくらいか。チイちゃんのお見舞いに行ったときだから。
どうだ、チイちゃん元気か、そうそうゾウさんも?」
太一兄貴は相変わらず僕の母さんとオヤジのことを「チイちゃん」、「ゾウさん」って呼んでいる。
そういえば、物心ついてだったが「なんか変?」て思ったことがわが一族にはあった。
なにかといえば、それはこれから墓参りする祖父母なんだが太一兄貴もマナ姉、マヒロ姉も、その祖父母のことを「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばずに「パパ、ママ」って呼んでいた。
まあ、僕もつられてというかつい「パパ、ママ」って呼んじゃっていたんだけど、困ったと言えば、小学校の頃の運動会で来ていた祖父母に「パパ、ママ」って僕が言うもんだからみんなおかしな顔してみていた・・・・・
保育園のときなんか先生が「パパじゃあないでしょ、おじいちゃんでしょ」って言っても、「違うよ、パパだよ、おじいちゃんじゃあないもん」とかいって先生を困らせたらしい(笑)。
「で、麟太郎、オマエ、シアトルに行っちゃうんだって。おふくろが言ってたよ、チイちゃんからIPがあってそう言ってたって。
で、ゾウさんまだやってるんだって?もうすぐ80だってえのに元気だなあ」
「まあね。オヤジは壱岐で珈琲ショップの名物オヤジで、ピンピンしているよ。母さんもあのとおりのんびり屋だからすっかり壱岐のおばあちゃんになっちゃって・・・・・」
「そう。おふくろ、そんなIPしてたの、叔母さんに・・・・・・
まあ、来年になると思うけど、シアトルのヘッドにならないかって言う話なんだ。で、俺らの仕事って完全なディヴィジョン、事業部制、独立採算だから日本でやるよりあっちの方が正直楽なんだ。
一人は来年は大学卒業だし、莉乃も大学だろ・・・・・シアトルたって俺と洋子だけ。オヤジと母さんにも一緒に行かないかって言ったんだけど壱岐がいいって。それに、一人が壱岐に帰って漁師になるとか言いだして、オヤジ大喜びなんだ。
実は、壱岐のおじいちゃん、おばあちゃん二人の息子を島から出しちゃって、ホントはどっちか戻ってきてほしかったんだろうけど・・・・・
で、オヤジが壱岐に戻ったのはおじいちゃんとおばあちゃんが90過ぎてから、でも相当喜んだらしい。俺も帰ればもっと喜んだんだろうけどね。
で、そんなオヤジがもう80だよ。だから一人が壱岐に帰るって言ったらその喜び様はなかった。母さんもね。
で、母さん、一人に『壱岐で嫁探しは難しいから、それまでに誰け見つけろ』って言ったらしい」
「ウワーッ、チイちゃんらしいな!!」
「そうなんだ、母さんは天然だからね。万事塞翁が馬っていうか物事を悪く考えたことがない。
まあ、オヤジもそんなところあるかな。似た者夫婦って言うの、ああいうの・・・・・
で、定年と同時に、取締役とかっていう話もあったんだけど、会社、スパッと辞めて壱岐に帰っちゃったんだからすごいって言えばすごいけど。
なんでも、オヤジの珈琲が飲みたくてわざわざ壱岐までツアーで来る奇特なお客さんが結構いるらしいんだ。
今じゃあ壱岐の貴重な観光資源なんだってさ」
たしかに、人生に迷いがないっていうか、ゾウさんもチイちゃんも・・・・・
そういえば、麟太郎、チイちゃんにそっくりだ、とくに横顔、エクボが出来るところなんて。
で、こいつ、麟太郎もシアトルって言うことは「万事塞翁が馬」じゃねえの・・・・・
公園都市「たかさき」
「どうだっ、変わっただろ!!高崎・・・・・あんなにゴチャゴチャしていた駅前が、ほら森だよ。俺たちが生まれる前だったけど、すったもんだで建てられたっていう高崎市庁舎、21階だけどそろそろ寿命だってさ。だけど壊すに壊せない。莫大なカネをかけて補強に補強を重ねてるんだろうけど、それにしてもバカなことをしたもんだな。」
「東京の副都心だって同じさ。でもあれって1970年代だろ、もう80年以上になるけど、なんとか建ってるねぇ・・・・・
まあ、40階がゾロゾロだけど、壊せないよね。壊すとしたら、ほら、昔ニューヨークであったでしょ9.11とかみたいにテロに見せかけて爆破させるしかない。まあ、戦争で壊すっていう手もあったんだろうけどね」
「オイオイ、麟太郎、物騒なことを言うなよ!!」
「冗談だよ、冗談。それにしても高崎は変わったね・・・・・
あの頃の面影がどこにもない。で、昔街中に住んでいた人たちどこへ行っちゃったの?」
「あれは2010年頃だったろうか、まあその前の年、いや、2008年か・・・・・・俺ら子どもだったからわからなかったけど、そうさ、麟太郎、オマエが生まれた年だよ、平成20年10月、アメリカの金融マフィア、リーマンショックとかいってバタバタ銀行証券、保険会社が潰れた。
で、アメリカといえば20世紀、自動車産業発祥でアメリカのシンボルだったけどその08年の金融恐慌でGMが国有化、クライスラーとかが破綻した。
パパが話してたけど・・・・、パパって言ったって、アッチのパパだぞ、爺さんの方だ。それまではクライスラーは『アイアコッカ会長』とかで世界一とまで言われていたらしい。
それが、破綻、倒産だ。まあ、あの08年の出来事が多分新しい歴史の始まりだったんだろうな。
なにせ、オマエ、09年には、ほら、教科書にあったろ『人種差別国家』なんて、つまりアフリカ大陸からアフリカ人を狩るようにして連れてきて奴隷市場とか言ってアフリカ人を売買していた。そんなアメリカがどんな理由にせよ、白人至上主義国家とまで言われたアメリカがだ、アフリカ系『黒人大統領』を選んだ・・・・・
これは、コペルニックスどころではないある種革命だったんだ。」
「そうか・・・・・確かに東京も変わったよね。オリンピックするとか言ってたけど結局あれって、リオデジャネイロになったんでしょ。で、次の次、オリンピック広島だって言うし、まあ、兄貴、俺が47だよ。変わるよね、そりゃあ・・・・・」
そんなとりとめのない話で時間を遊んでいると、僕らのいるポートにアイボリーの胴体にオレンジのラインの入ったコミューターがスーッと横付され、音もなく開いたドアから相変わらず顔にしわの一つない叔母さんと太一兄貴の奥さんの裕美さん、そして今年高校生になったばかりの長男、健太と小6の二男、優太、小4の長女悠里が降りてきた。
「おお、おお、麟ちゃん久しぶりだねえ・・・・・
今日はよく来たねえ。シアトル行っちゃうんだって。一人君は壱岐に帰るんだってぇ、毎日のようにチイちゃんから電話がくるよ。楽しみでしょうがないんだね。よかったよかった。
そういえば、宙ちゃんはまだロンドンかい、プロデューサーとかって、叔母さんにはよくわかんないけど、みんな元気かい?
玲ネェも、なんだい、そのプロデューサーとかで還暦だって言うのにロンドンだとかニューヨークだとか、宙ちゃんとは時々会ってるみたいだけど・・・・・
いい気なもんだね、とうとう一人もんのままで(笑)。
ああ、ほらっ、太一、早く車もってきないとダメじゃないか、ほら、みんなを待たせちゃ・・・・・」
相変わらず叔母さんは太一兄貴を子ども扱いで、命令口調。でも太一兄貴もそれを嬉しそうに「ハイハイ」と、僕ら、みんなを見ながら聞いていた。
「おじいちゃんの店に寄ってから行くからね、あそこ。そうだね、マナもマヒロ、みんなおじいちゃんの店いに行っているはずだから、急がなくちゃね・・・・・」
そういって叔母さんは太一兄貴をせかすようにして腕を叩いた。
義姉の裕美さんが声を殺して笑っている・・・・・
地域通貨“GREEN BUCKS”
今は、車は自家用にしている人はいない。自家用車には高率な保有税がかかるからだ。その分、地方都市の公共の交通機関はかゆいところに手が届くほどに発達している。
コミューターがそれだ。WEB状に張り巡らされたリニアラインでほとんど「ドア・ツー・ドア」で利用できる。しかも乗車定員8人で、利用料金は5グリーンバックス。つまり一人でも8人でも5グリーンバックス。
そう、あの頃、2009年ころなら1000円ていうところだろうか・・・・・
市内10キロ四方どこまで行っても。もちろん75歳以上の高齢者が乗車する場合は付き添い含めて無料。
「ほら、来たよ、来たよ、太一が・・・・・・
さあさあみんな乗って、乗って、急がなくちゃあね。みんなが待ってるから。ホラ、ホラ、太一、急がなくちゃあ」
「昔はよく自動車でいろんなところ連れてってもらったね。母さんが運転してさ。あのころは車、家に2台もあって終いには僕も姉貴たちもで5台にもなった時が・・・・・
今はこうして、駅とかモールにはオンデマンドのカーパーク“METRO”があるからいつでも一回10グリーンバックスで利用できるから、しかも運転もほとんどGPSだから楽チンだし・・・・・
だから、母さん、急げっていっても場所、場所でスピード・リミッターかかってくるから無理なんだよ」
「まあまあ、不便になったもんだね、この時代にさ。あの頃は街中だって60キロ、70キロで走ってたんだからね」
「ええ、おばあちゃんスゴイ!!そんなスピード、目が回っちゃうよ僕」
二男の優太がそう言うと、
「まあまあ、優太は太一そっくりだね・・・・・・
あたしがちょっとでもスピードを出すと、『ママ、コワ~イ』とかいってしがみついてきたんだからね。おまえのパパは」
METROの中は大爆笑だ!!
烏川、聖石橋を渡るとそこは観音山丘陵に沿って碁盤の目に整備された「居住ゾーン」が広がっていた。
そこの中心にあるショッピングモールのカフェで叔父さん、そしてマナ姉、マヒロ姉たと家族と待ち合わせていた。
「叔父さん、相変わらずたばこ吸ってるの?」
叔母さんに聞いてみた・・・・・・
「なんでだろうね、あんな気持ちの悪いもの。止められないんだね・・・・・
今、ひと箱いくらするんだい、えぇっ?
10グリーンじゃあないのかい。バカだね。昔なら2000円だよ、2000円!!
ああ、もったいないもったいない」
「でも、それで公共料金安くなってるし、困っている人も救われているし・・・・・
僕らも税金は高いけど、医療費も、教育費も無料だし、子どもたちにも月額で一人当たり150GB戻ってくるし、3人目の悠里にはプラス50GBだよ。
母さんたちだって、特区で住居費、食費、医療費、全て無料で年金だって、お小遣いだけど250GB給付される。250GBって言えば昔なら5万円で、働ける人は働いた分収入だよ。75歳以上高齢者は非課税。そっくり所得だから僕らよりもずっと楽なんじゃない」
「そうかいそうかい。じゃあおじいちゃんの煙草も世の中の役に立ってるんかい」
そう言って、叔母さんがMETROの運転をする太一兄貴を睨みながら笑った。
高齢者特区
2030年に市民運動の盛り上がりから「高齢者特区構想」が盛り上がり、2037年に「高齢者特別区域行政法」として国会を通過、翌2038年4月1日施行で、高崎市をトップに全国順次環境整備がスタートした。
高崎市の場合は観音山丘陵の国有、県、市有地を大規模開発し、高齢者居住ゾーンを中心に、保育園、病院、介護施設が建設され2040年に第一期工事完了させた。
概要は高齢者夫婦世帯750、単身高齢者1500世帯、重度要介護者500人分の医療介護施設棟を完成させ、併せて、24時間保育可能で、小児医療施設を併設させた5ヶ所、500名の園児の受け入れを可能とした保育園を完成させた。
現在2055年新年度においてはその総数は各分野とも3倍となっており、またその特区を囲むようにして現役世代、とくに子育て世代用の賃貸官営集合住宅が建設され、第一期700所帯分が2055年に完成し、今日現在二期目の、700世帯分が建設中だ。
そんな高齢者特区と、そこで暮らす高齢者のみなさんは僕らからしてみれば羨ましい限りだが、やがては僕らもその恩恵を受けることになる。
もちろん僕の両親もそこで生活しながら、父と母は特区外のモールで3か所のカフェを経営している。どうやら死ぬまでやりつづけるらしい。
もちろん営業が不可能になったとき、あるいは辞めたくなった時は行政にその事業清算の上、全ての権利を返上する。当人の意志で他者、あるいは親族に営業権を移譲することはできない。
その際は、これまでの経営者と行政が、営業権申請者を公募し、審査され営業権を譲渡されて経営することになる。
特区に居住選択すれば何もかも無料でしかも定額年金も給付され、仕事もできる。
しかし、毎年、税務申告をしなければならない。使わずに残したおカネは70%徴税される。もちろん目的をもった計画所得は控除される。たとえば海外旅行に行くとか、インテグラルフォトグラフィTVを買いたいとか、家具をそろえ直したいとか・・・・・
とにかくおカネは使わないと税金で取られちゃうから、孫には何でも買ってあげられるありがたいおじいちゃん、おばあちゃんだ。
もちろん、徴税された税金でも、その後必要が生じた場合は申請すれば、その証明さえあれば還付される。
ただし、万が一に当人に不幸があった場合は全て徴税される。つまり金融資産の相続は法律で禁じられている。
そして万が一の葬儀だが、特区は全て市民葬で家族には一切の負担はかからない。
「太一、ほら、大きいMETOROに替えないと、みんなが乗れないよ・・・・・
何人だい?、ええ、13人。そんなにもいるんかい。きっとママもパパもたまげるよ。
そうだ、ママとパパのところは『樹W-20XX‐0024』だったね・・・・・
大きくなったろうねぇ、パパとママの樹も」
叔父の経営するカフェの前に到着すると、叔母は太一兄貴にまたそう命令するように言いながら、タバコをくゆらしテラスで椅子にもたれる叔父に手を振った・・・・・
つづく
2055年10月3日「近未来のわが街高崎」1
Posted by 昭和24歳
at 13:58
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