2014年01月29日
【訃報】“花はどこへ行った”ピート・シーガーさん逝く
【訃報】“花はどこへ行った”
ピート・シーガーさん逝く

訃報:反戦歌作曲のピート・シーガーさん死去
1960年代に世界的にヒットした反戦ソング「花はどこへ行った」などで知られる米シンガー・ソングライター、ピート・シーガー10+件氏が27日、老衰のためニューヨークの病院で死去した。94歳だった。米メディアが伝えた。
「花はどこへ行った」はベトナム戦争への反対運動を、「ウィ・シャル・オーバーカム」は米公民権運動を象徴する歌となり、ボブ・ディランさんら多くのミュージシャンに大きな影響を与えたフォーク界の巨人。60年代前半にヒットした「天使のハンマー」や「花はどこへ行った」はピーター・ポール&マリーが歌い、日本でも人気が出た。(共同)
<引用:毎日新聞 2014年01月28日21時08分>
ソース:http://mainichi.jp/select/news/20140129k0000m030058000c.html
僕が初めてギターで弾き語りを覚えたのが・・・・・
「花はどこへ行った」
ケネディ大統領が昭和38年(1963年)暗殺され、その翌年、
ジョンソン大統領が昭和39年(1964年)ヴェトナム戦争へと。
以前にも書いたが、中学3年生の時隣の家に来ていた・・・・・・
当時、群大医学部生だった中島英雄先生の手ほどきで覚えたギターと歌。
それが「花はどこへ行った」という“反戦歌”だった。
「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。
最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で締められているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。
<出展:ja.wikipedia.org>
つまり、当時のアメリカが持ち出した、武力による和平工作・・・・・
「積極的平和」がそれなのか(笑)。
人種差別が色濃く、徴兵制が敷かれ、後々知ることだが、
僕ら世代のアメリカ青年が次々と戦場に送られ戦死。
アメリカ人の友人の中にも、そのヴェトナム戦争で未だ「フラッシュバック」の後遺症が。
しかし、殺らなければ殺られる。砕け散る脳みそ・・・・・
そして飛び散る内蔵。無意識に、「クスリ」を借りて乱射する。
それを命令するのが、自由の国というアメリカ合衆国政府。
それから20代になっていた僕らが東京でのバンド生活する中で多く見聞きしてきた、
僕らと同世代の「アメリカ兵」。横田、福生、厚木、そして横須賀・・・・・
毎日のようにその戦場で絶えた命「遺体」が横田基地に大きな輸送機で運ばれてくる。
ひと時の休暇で赤坂のクラブ、六本木のクラブで狂喜乱舞する兵士たち。
異様な、汗とドラッグ、たばこ(マリワナ)の匂いが、そこかしこに充満する。
その時代になると、もう「花はどこへ行った」は歌われなくなった・・・・・
歌っても、意味がなくなった。強大な国家権力の前では。
その代わりに、あの「ウッドストック」に象徴されたような「憑かれた」ロック。
クスリ、ドラッグに、酒に溺れ、その戦場で死なずとも同世代のミュージシャンが絶命していった。
そしてその全てが終わったとき・・・・・・
それが、「今だ」ということに気づくべきではないだろうか。
少し遅すぎたかもしれない、もう残された時間の限られた団塊世代には。
【訃報】“花はどこへ行った”
ピート・シーガーさん逝く
ピート・シーガーさん逝く

訃報:反戦歌作曲のピート・シーガーさん死去
1960年代に世界的にヒットした反戦ソング「花はどこへ行った」などで知られる米シンガー・ソングライター、ピート・シーガー10+件氏が27日、老衰のためニューヨークの病院で死去した。94歳だった。米メディアが伝えた。
「花はどこへ行った」はベトナム戦争への反対運動を、「ウィ・シャル・オーバーカム」は米公民権運動を象徴する歌となり、ボブ・ディランさんら多くのミュージシャンに大きな影響を与えたフォーク界の巨人。60年代前半にヒットした「天使のハンマー」や「花はどこへ行った」はピーター・ポール&マリーが歌い、日本でも人気が出た。(共同)
<引用:毎日新聞 2014年01月28日21時08分>
ソース:http://mainichi.jp/select/news/20140129k0000m030058000c.html
僕が初めてギターで弾き語りを覚えたのが・・・・・
「花はどこへ行った」
ケネディ大統領が昭和38年(1963年)暗殺され、その翌年、
ジョンソン大統領が昭和39年(1964年)ヴェトナム戦争へと。
以前にも書いたが、中学3年生の時隣の家に来ていた・・・・・・
当時、群大医学部生だった中島英雄先生の手ほどきで覚えたギターと歌。
それが「花はどこへ行った」という“反戦歌”だった。
「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。
最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で締められているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。
<出展:ja.wikipedia.org>
つまり、当時のアメリカが持ち出した、武力による和平工作・・・・・
「積極的平和」がそれなのか(笑)。
人種差別が色濃く、徴兵制が敷かれ、後々知ることだが、
僕ら世代のアメリカ青年が次々と戦場に送られ戦死。
アメリカ人の友人の中にも、そのヴェトナム戦争で未だ「フラッシュバック」の後遺症が。
しかし、殺らなければ殺られる。砕け散る脳みそ・・・・・
そして飛び散る内蔵。無意識に、「クスリ」を借りて乱射する。
それを命令するのが、自由の国というアメリカ合衆国政府。
それから20代になっていた僕らが東京でのバンド生活する中で多く見聞きしてきた、
僕らと同世代の「アメリカ兵」。横田、福生、厚木、そして横須賀・・・・・
毎日のようにその戦場で絶えた命「遺体」が横田基地に大きな輸送機で運ばれてくる。
ひと時の休暇で赤坂のクラブ、六本木のクラブで狂喜乱舞する兵士たち。
異様な、汗とドラッグ、たばこ(マリワナ)の匂いが、そこかしこに充満する。
その時代になると、もう「花はどこへ行った」は歌われなくなった・・・・・
歌っても、意味がなくなった。強大な国家権力の前では。
その代わりに、あの「ウッドストック」に象徴されたような「憑かれた」ロック。
クスリ、ドラッグに、酒に溺れ、その戦場で死なずとも同世代のミュージシャンが絶命していった。
そしてその全てが終わったとき・・・・・・
それが、「今だ」ということに気づくべきではないだろうか。
少し遅すぎたかもしれない、もう残された時間の限られた団塊世代には。
【訃報】“花はどこへ行った”
ピート・シーガーさん逝く
タグ :ベトナム戦争、ドラッグ、米兵
Posted by 昭和24歳
at 10:47
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