2013年10月28日
「レンタルフレンド」という現代の深層心理?
「レンタルフレンド」
という現代の深層心理?
人はひとりで生れ、ひとりで死んでゆく。恋人がいても、家族に囲れていても、しょせん孤独。群れていても、若くても、老いても孤独。ほんとうに自分が孤独だと感じたことがない人は、真に人も愛せない。孤独と向かい合い、飼い馴らし、新しい自分と出会える人だけが人生に輝く道を発見する。孤独を生ききるにはどうすればいいか。答えがこの本にある。
彼女・友人をレンタル、心を満たす 食事やおしゃべり…
【泗水康信】行きたい店があるけど、一人では心細い。誰かに話を聞いてほしい。でも、相手がいない。そんな人たちの心のすき間を埋めようと、「レンタルフレンド」と呼ばれるサービスが生まれている。
■11時間4万円超
9月8日、東京五輪の決定で日本中が沸いていた。
男性は北関東の自宅から車を都心に向けた。35歳、独身。月1回の「ささやかな楽しみ」が始まる。
午前11時、東京・原宿の洋服店前。待ち合わせはいつもこの場所、この時間だ。待っていた女性を連れて秋葉原へ。
自分がプロレス好きと知った女性が店を探してくれ、一緒に覆面マスクやTシャツを見て回る。恥ずかしくて名前は呼べない。それでも、気づくと身の回りの心配事を口にしていた。
「母ちゃんが入院しちゃって」
「そうなんですか、心配ですね」
昼ご飯はカレー。店を巡り、最後に寄った美術館を出ると、どしゃ降りの雨だった。女性がぬれないように傘を傾けた。
午後7時、お別れの時間。財布から取り出した3万1千円を渡して帰路に就いた。
この女性は「レンタルフレンド」。「女性だけの便利屋」として東日本を中心に展開する「クライアントパートナーズ」(本店・東京)のスタッフの一人だ。
男性が同社に電話をかけたのは昨年春。交際相手から一昨年、別れ話を切り出された。あきらめきれず、繰り返し電話をかけ、家を訪ねた。警察からも注意を受けた。「このままじゃ捕まる」。悩んでいたころテレビで同社を知った。
「サービスを利用し始めて変わった。ビリヤードやダーツも初めて経験し、公園でキャッチボールも。別れた相手を考える時間が減っていった」
朝6時半に起き、工場で機械と向かい合う。午後8時ごろ帰宅し、寝るだけ。人付き合いが苦手で、酒も飲めない。そんな日々に変化が生まれた。
横浜の観光地をめぐった時は11時間、一緒にいてもらった。支払いは4万円を超えた。
お金を払って相手をしてもらうことに最初は抵抗もあった。「でも、いろんな所に行って悩みを聞いてもらうと嫌なことを忘れられる。これでいいと思うようになった」。職場で「最近怒らないな」と言われるようになったという。
<引用:朝日新聞デジタル 10月27日(日)11時16分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131027-00000012-asahi-soci
>男性は北関東の自宅から車を都心に向けた。35歳、独身。月1回の「ささやかな楽しみ」が始まる。
高度な情報ツールの発達が人間を孤独にする。
というか、ボクら世代では感覚的に理解不能だが・・・・・・
ゲームに没頭する子ども、スマホに憑かれる若者たちのその姿。
その意味ではこれからの時代は自分を取り巻くその「情報氾濫」の中から、
自分にとって必要な「情報」は何か、不必要な「情報」は何か・・・・・
それを「選別」、「峻別」する能力が求められる。
つまり、「それ」ができないと、その情報の反乱「洪水」に埋没してしまい、
知らず知らずのうちに10年、20年、その時代に「漂流」してしまう。
結局、本来が「群れる」動物である人間の本能は他者との関わりを常に求めている・・・・・
僕らの時代がそうっだったし、あの僕らが青春時代だった昭和40年代は、
街のいたるところに、その「ステージ」があった。
それは、時代のニーズとして必然的に生まれた「喫茶店」ではなかったかと。
時には、他所からは「不良グループ」と思われた連中の溜まり場のそれ・・・・・
そして「清く貧しく美しく」の、そんなグループには「メダカの会」とかも、
東京あたりでは「若い根っこの会」とか言うそれも、マスコミを賑わした。
つまり、必然として婚期を迎え用とする男女が、意識するにしよ、しないにしよ、
「清く美しく」その「関係」を求め合い、「めでたしめでたし」ということに相成る。
現代の、いわゆる中高年令とか言われるみなさんが、そんな時代の主役であった・・・・・
>お金を払って相手をしてもらうことに最初は抵抗もあった。「でも、いろんな所に行って悩みを聞いてもらうと嫌なことを忘れられる。これでいいと思うようになった」。
たしかに、そういう市場が、そのニーズに「創造」されるのかもしれない。
しかし、ずっとそれを続けるのか、30代の若者(?)が・・・・・・
そして、その「レンタルフレンド」なんだが、それが「異性間」であるということに、
なぜか、それを求める、またはそれをビジネスとする男女に、そこに現代社会の歪を感じる。
ある意味、「カウンセリング」、ヒーリングのようなものなんだろうが・・・・・
ある種、「グレーゾーン」の危険性を孕んではいまいか。
求める側と、受け止める側の間に。まあ、そもそもそれが狙いというなら話はわかりやすいが。
「ガールフレンド代行業?」。男女の「友達関係」って微妙ですね・・・・・・
フェロモン。それは同時に。
「レンタルフレンド」
という現代の深層心理?
という現代の深層心理?
人はひとりで生れ、ひとりで死んでゆく。恋人がいても、家族に囲れていても、しょせん孤独。群れていても、若くても、老いても孤独。ほんとうに自分が孤独だと感じたことがない人は、真に人も愛せない。孤独と向かい合い、飼い馴らし、新しい自分と出会える人だけが人生に輝く道を発見する。孤独を生ききるにはどうすればいいか。答えがこの本にある。
彼女・友人をレンタル、心を満たす 食事やおしゃべり…
【泗水康信】行きたい店があるけど、一人では心細い。誰かに話を聞いてほしい。でも、相手がいない。そんな人たちの心のすき間を埋めようと、「レンタルフレンド」と呼ばれるサービスが生まれている。
■11時間4万円超
9月8日、東京五輪の決定で日本中が沸いていた。
男性は北関東の自宅から車を都心に向けた。35歳、独身。月1回の「ささやかな楽しみ」が始まる。
午前11時、東京・原宿の洋服店前。待ち合わせはいつもこの場所、この時間だ。待っていた女性を連れて秋葉原へ。
自分がプロレス好きと知った女性が店を探してくれ、一緒に覆面マスクやTシャツを見て回る。恥ずかしくて名前は呼べない。それでも、気づくと身の回りの心配事を口にしていた。
「母ちゃんが入院しちゃって」
「そうなんですか、心配ですね」
昼ご飯はカレー。店を巡り、最後に寄った美術館を出ると、どしゃ降りの雨だった。女性がぬれないように傘を傾けた。
午後7時、お別れの時間。財布から取り出した3万1千円を渡して帰路に就いた。
この女性は「レンタルフレンド」。「女性だけの便利屋」として東日本を中心に展開する「クライアントパートナーズ」(本店・東京)のスタッフの一人だ。
男性が同社に電話をかけたのは昨年春。交際相手から一昨年、別れ話を切り出された。あきらめきれず、繰り返し電話をかけ、家を訪ねた。警察からも注意を受けた。「このままじゃ捕まる」。悩んでいたころテレビで同社を知った。
「サービスを利用し始めて変わった。ビリヤードやダーツも初めて経験し、公園でキャッチボールも。別れた相手を考える時間が減っていった」
朝6時半に起き、工場で機械と向かい合う。午後8時ごろ帰宅し、寝るだけ。人付き合いが苦手で、酒も飲めない。そんな日々に変化が生まれた。
横浜の観光地をめぐった時は11時間、一緒にいてもらった。支払いは4万円を超えた。
お金を払って相手をしてもらうことに最初は抵抗もあった。「でも、いろんな所に行って悩みを聞いてもらうと嫌なことを忘れられる。これでいいと思うようになった」。職場で「最近怒らないな」と言われるようになったという。
<引用:朝日新聞デジタル 10月27日(日)11時16分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131027-00000012-asahi-soci
>男性は北関東の自宅から車を都心に向けた。35歳、独身。月1回の「ささやかな楽しみ」が始まる。
高度な情報ツールの発達が人間を孤独にする。
というか、ボクら世代では感覚的に理解不能だが・・・・・・
ゲームに没頭する子ども、スマホに憑かれる若者たちのその姿。
その意味ではこれからの時代は自分を取り巻くその「情報氾濫」の中から、
自分にとって必要な「情報」は何か、不必要な「情報」は何か・・・・・
それを「選別」、「峻別」する能力が求められる。
つまり、「それ」ができないと、その情報の反乱「洪水」に埋没してしまい、
知らず知らずのうちに10年、20年、その時代に「漂流」してしまう。
結局、本来が「群れる」動物である人間の本能は他者との関わりを常に求めている・・・・・
僕らの時代がそうっだったし、あの僕らが青春時代だった昭和40年代は、
街のいたるところに、その「ステージ」があった。
それは、時代のニーズとして必然的に生まれた「喫茶店」ではなかったかと。
時には、他所からは「不良グループ」と思われた連中の溜まり場のそれ・・・・・
そして「清く貧しく美しく」の、そんなグループには「メダカの会」とかも、
東京あたりでは「若い根っこの会」とか言うそれも、マスコミを賑わした。
つまり、必然として婚期を迎え用とする男女が、意識するにしよ、しないにしよ、
「清く美しく」その「関係」を求め合い、「めでたしめでたし」ということに相成る。
現代の、いわゆる中高年令とか言われるみなさんが、そんな時代の主役であった・・・・・
>お金を払って相手をしてもらうことに最初は抵抗もあった。「でも、いろんな所に行って悩みを聞いてもらうと嫌なことを忘れられる。これでいいと思うようになった」。
たしかに、そういう市場が、そのニーズに「創造」されるのかもしれない。
しかし、ずっとそれを続けるのか、30代の若者(?)が・・・・・・
そして、その「レンタルフレンド」なんだが、それが「異性間」であるということに、
なぜか、それを求める、またはそれをビジネスとする男女に、そこに現代社会の歪を感じる。
ある意味、「カウンセリング」、ヒーリングのようなものなんだろうが・・・・・
ある種、「グレーゾーン」の危険性を孕んではいまいか。
求める側と、受け止める側の間に。まあ、そもそもそれが狙いというなら話はわかりやすいが。
「ガールフレンド代行業?」。男女の「友達関係」って微妙ですね・・・・・・
フェロモン。それは同時に。
「レンタルフレンド」
という現代の深層心理?
Posted by 昭和24歳
at 06:33
│Comments(1)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
本来、人は切磋琢磨して恋人や親友を見つけるものでないでしょうか。
自分なりの結果、幸せの未来につながるとおもいます。大事なことには、時間がかかりますが利害関係ではない人との縁こそが、お金では買えない財産です。誠の恋人、親友関係によって
気づき・学びがあり、人は成長していくものだと思います。料金を払い、人をレンタルする事は、一時は満たされるかもしれませんが、後から、歪みが生じると思うのは私だけでしょうか?