2013年09月16日
台風上陸、カスリーン台風並み
台風上陸、カスリーン台風並み

昭和22年・・・・・
昭和24歳、まだ生まれてませ~ん(^^ゞ
せきから水あふれる=タンク周辺、大雨で―福島第1
東京電力は15日、福島第1原発で放射能汚染水の貯蔵タンクを囲むせき内にたまっていた水があふれ出たと発表した。台風18号接近に伴う大雨で急激に水かさが増したため。東電は「あふれたのは雨水」としているが、漏出した水に放射性物質が含まれていないか、調べている。
東電によると、せきはコンクリート製で高さ30センチ。同日午後1時10分ごろ、タンクを見回り中の同社社員が、4号機の山側にあるタンク群で水があふれているのを発見した。
タンクから高濃度汚染水が漏出した際は、せきの排水弁を開けたままにしていたため、汚染水が外部に流出した。東電はこれを受け、排水弁を閉じたが、せきの高さが足りないとの指摘も出ていた。
<引用:時事通信 9月15日(日)20時29分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130915-00000070-jij-soci
>漏出した水に放射性物質が含まれていないか、調べている。
アベちゃん、「完全にコントロール」って、
ホントに大丈夫なん???
関東甲信越“台風”上陸!!
気象庁は40年、50年に一後の猛烈な勢いの台風と。
昭和22年9月8日~17日と、時期も今頃で「960ヘクトパスカル」。
死者、行方不明者1920名、利根川、荒川の堤防決壊で葛飾区の下町一帯が水没・・・・・
まあ、当時の河川状況と今では比較にはならないが、相手は「自然」ですし、
人間の建造物なんてひとたまりもないのかも。
高崎もカスリーン台風じゃあないけど「烏川氾濫」で水没地域が。
とくに、烏川と鏑川の合流地点の田園地帯・・・・・
昭和24年8月31日関東地方上陸の「キティ台風」は甚大な被害をもたらしたと。
カミさんの実家がその烏川、鏑川合流地帯で、今では強靱な堤防があるから大丈夫だろうけど。
カミさん子供の頃、昭和30年代、納屋には「ボート」が天井にあったとか。
そういやぁ、僕らが子供の頃は高崎街中もしょっちゅう洪水が。
多分、下水道やなんかがぜんぜんで、床下浸水、床上浸水なんかも近所では時々。
で、嵐が来ると、まあ、戦後のことです・・・・・
どこの家もトタン屋根ですから雨漏りでバケツ、洗面器を持っててんやわんや。
親父が、梅雨の前にそんなトタン屋根にコールタを塗る。あれもく臭かったぁ(^^ゞ
で、停電なんてその時期しょっちゅう。
まだ、懐中電灯なんてそんなにある時代じゃあなかったから、そうなると・・・・・
ロウソクつけろだの消せだのと、決まって親父とオフクロの夫婦喧嘩が始まった(笑)。
まっ、一番難儀だったのは、当時は便所は全部汲み取り式だったから、
そら溢れたら、もう臭いのなんのって大変だった。
で、水が引けると、市役所のおじさんがリヤカーに発動噴霧器を載せて街中消毒。
今考えると、大変な時代だったんだなぁと、あれから50余年。
そんなわけで今日の台風、上陸とかなんだけど・・・・・
この群馬県西毛地域はそれ以来天災害にはあっていない。
まあ、山間地へゆくと土砂災害とかはあるものの街中はいたって安全地帯である。
雪も降らなきゃあ、大雨もない、ここんところ騒がれている、突風、竜巻被害もない。
今日の昼頃がピークかも、「瞬間風速40メートル」。
さて、どうなることやら、敬老の日(^^ゞ
台風上陸、カスリーン台風並み

昭和22年・・・・・
昭和24歳、まだ生まれてませ~ん(^^ゞ
せきから水あふれる=タンク周辺、大雨で―福島第1
東京電力は15日、福島第1原発で放射能汚染水の貯蔵タンクを囲むせき内にたまっていた水があふれ出たと発表した。台風18号接近に伴う大雨で急激に水かさが増したため。東電は「あふれたのは雨水」としているが、漏出した水に放射性物質が含まれていないか、調べている。
東電によると、せきはコンクリート製で高さ30センチ。同日午後1時10分ごろ、タンクを見回り中の同社社員が、4号機の山側にあるタンク群で水があふれているのを発見した。
タンクから高濃度汚染水が漏出した際は、せきの排水弁を開けたままにしていたため、汚染水が外部に流出した。東電はこれを受け、排水弁を閉じたが、せきの高さが足りないとの指摘も出ていた。
<引用:時事通信 9月15日(日)20時29分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130915-00000070-jij-soci
>漏出した水に放射性物質が含まれていないか、調べている。
アベちゃん、「完全にコントロール」って、
ホントに大丈夫なん???
関東甲信越“台風”上陸!!
気象庁は40年、50年に一後の猛烈な勢いの台風と。
昭和22年9月8日~17日と、時期も今頃で「960ヘクトパスカル」。
死者、行方不明者1920名、利根川、荒川の堤防決壊で葛飾区の下町一帯が水没・・・・・
まあ、当時の河川状況と今では比較にはならないが、相手は「自然」ですし、
人間の建造物なんてひとたまりもないのかも。
高崎もカスリーン台風じゃあないけど「烏川氾濫」で水没地域が。
とくに、烏川と鏑川の合流地点の田園地帯・・・・・
昭和24年8月31日関東地方上陸の「キティ台風」は甚大な被害をもたらしたと。
カミさんの実家がその烏川、鏑川合流地帯で、今では強靱な堤防があるから大丈夫だろうけど。
カミさん子供の頃、昭和30年代、納屋には「ボート」が天井にあったとか。
そういやぁ、僕らが子供の頃は高崎街中もしょっちゅう洪水が。
多分、下水道やなんかがぜんぜんで、床下浸水、床上浸水なんかも近所では時々。
で、嵐が来ると、まあ、戦後のことです・・・・・
どこの家もトタン屋根ですから雨漏りでバケツ、洗面器を持っててんやわんや。
親父が、梅雨の前にそんなトタン屋根にコールタを塗る。あれもく臭かったぁ(^^ゞ
で、停電なんてその時期しょっちゅう。
まだ、懐中電灯なんてそんなにある時代じゃあなかったから、そうなると・・・・・
ロウソクつけろだの消せだのと、決まって親父とオフクロの夫婦喧嘩が始まった(笑)。
まっ、一番難儀だったのは、当時は便所は全部汲み取り式だったから、
そら溢れたら、もう臭いのなんのって大変だった。
で、水が引けると、市役所のおじさんがリヤカーに発動噴霧器を載せて街中消毒。
今考えると、大変な時代だったんだなぁと、あれから50余年。
そんなわけで今日の台風、上陸とかなんだけど・・・・・
この群馬県西毛地域はそれ以来天災害にはあっていない。
まあ、山間地へゆくと土砂災害とかはあるものの街中はいたって安全地帯である。
雪も降らなきゃあ、大雨もない、ここんところ騒がれている、突風、竜巻被害もない。
今日の昼頃がピークかも、「瞬間風速40メートル」。
さて、どうなることやら、敬老の日(^^ゞ
台風上陸、カスリーン台風並み
Posted by 昭和24歳
at 07:53
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