2013年08月31日
「ロック」な街、高崎!??
「ロック」な街、高崎!??
そもそも「ロック」って・・・・・
なんだぁ!??
安価でハイレベルな録音環境 高崎市がスタジオ概要発表 多胡邦夫さん運営
高崎市は29日、同市あら町に開設予定のレコーディングスタジオについて、事業概要を発表した。ハイレベルな録音環境を低価格で提供し、県内外のプロミュージシャンを呼び込み、プロ・アマ交流や若い才能の発掘も目指す。市民の見学やレコーディング体験の場も整備する。群馬交響楽団が誕生し、ミュージシャンの氷室京介さんらの出身地でもある市から新たなスターを生み、「音楽の町」として発信したい考えだ。
市が既存ビルの1、2階部分を改修し、必要な機材を整える。施設名は「TAGO STUDIO TAKASAKI」を予定し、来年1月の開設を目指す。運営責任者は同市出身の作曲家で音楽プロデューサー、多胡邦夫さん(39)が務める。多胡さんは、浜崎あゆみさんやAKB48、柴咲コウさんら多くの有名アーティストに楽曲を提供しており、今回のスタジオ整備のために昨年、都内から同市に転居した。
29日の記者会見で多胡さんは「同レベルのスタジオが都内では1日15万円程度だが、高崎への貢献度に応じて3万円以内に設定したい」と説明した。また、デモ音源を随時募集・審査し、レコード会社への橋渡し役を担うなど、プロを目指す若者たちの支援も表明。多胡さんは「地元から世界のスーパースターを生み出したい」と意気込みを見せた。
<引用:上毛新聞 2013年8月30日(金) AM 11:00>
ソース:http://www.jomo-news.co.jp/ns/6413777883003851/news.html
そもそも大衆音楽って「反体制」が基本・・・・・
そうでなければ、60年代、70年代の「反戦歌」のそれもなかった。
一説には「ジョン・レノン」の暗殺もその「体制」の仕業かも、とか、言われている。
「エルビス」だってそうだった。黒人音楽をベースにしたロカビリーは、
その始まりには「廃退的」だとして蔑まれ、いわゆる「保守層」からは忌避されていた。
その中には「放送禁止」となった楽曲も多数あったという・・・・・・
つまり、大衆によるひとつのプロテストとしての芸術は「体制批判」ということ。
そのころの「ボブ・ディラン」“風に吹かれて”なんてその典型だろう。
結局、「体制」に擁護されてた音楽では当然「体制批判」はできない・・・・・
その昔、ブームの頃の「吉田拓郎」も「井上陽水」もテレビには出ないと宣言していた。
つまり、「テレビ」はその「体制」の最たるプロパガンダ手段でだし、
当然あの時代、昭和40年代、そもそも「アングラ」とか「ゲリラ」とかの背景があったわけだし、
確かに、後半の「吉田拓郎」「井上陽水」、叙情的な楽曲に変わって行ったものの・・・・・
初期の頃のそれは、いわゆる「社会風刺」、当時の混沌とした「若者」を代弁した楽曲ぞろいだった。
まあ、「時代が変わった」と言ってしまえばそうだが、そのロック・・・・・・
基本は「アバンギャルド」であるべきだろうし、当然、年寄りなんかに分からなくていい。
僕の知人、昔の仲間に著名な作曲家がいるが、彼も「ふるさと」にはなんの感情もないと言い切る。
昭和40年代だ、ロン毛にボロボロのジーパンでエレキをかき鳴らしていたそんな彼に、
その「ふるさとの目」は突き刺さるように痛かったという、そして「ふるさと」を棄てる。
しかし、その冷たい「ふるさと」のおかげで今日の自分があるとも言うが。
20年前に某雑誌の対談で話をした高崎出身のあの「ベーシスト」もその時言っていた・・・・・
「社会は俺たちを蔑んでいた」
地元で火がついた時も、コンサート会場は貸してくれない、全て自前だったと。
まあ、「ロック」っていうのはそれでこそロックなんで、「軽音」なんちゃったら、てんでだ。
おそらく、擁護、保護された「ロック」じゃあ、その世代を揺り動かすボキャブラリーは生まれない。
話は飛躍するが「集団的自衛権」、そして憲法改正がなされたとき・・・・・
その体制に保護、培養された「ロック」に、はたして体制批判できるだろうか。
まあ、パトロン付きの「クラシック」のそれと比較してはむべもない話ではないか。
いずれにしても「高崎市」、行政が主体となってやるわけだろ?
そしたら、レンタルスタジオ、レコーディングスタジオでこれまで頑張ってきた、民間、
いわゆる「民業圧迫」にならないか?つまり、都市再開発とおんなじ感覚だろう。
民間は放置し「官主導」で政策的にやるって。
「上毛新聞」の記事は記事としてだが・・・・・・・
「ロック」な街、高崎!??
そもそも「ロック」って・・・・・
なんだぁ!??
安価でハイレベルな録音環境 高崎市がスタジオ概要発表 多胡邦夫さん運営
高崎市は29日、同市あら町に開設予定のレコーディングスタジオについて、事業概要を発表した。ハイレベルな録音環境を低価格で提供し、県内外のプロミュージシャンを呼び込み、プロ・アマ交流や若い才能の発掘も目指す。市民の見学やレコーディング体験の場も整備する。群馬交響楽団が誕生し、ミュージシャンの氷室京介さんらの出身地でもある市から新たなスターを生み、「音楽の町」として発信したい考えだ。
市が既存ビルの1、2階部分を改修し、必要な機材を整える。施設名は「TAGO STUDIO TAKASAKI」を予定し、来年1月の開設を目指す。運営責任者は同市出身の作曲家で音楽プロデューサー、多胡邦夫さん(39)が務める。多胡さんは、浜崎あゆみさんやAKB48、柴咲コウさんら多くの有名アーティストに楽曲を提供しており、今回のスタジオ整備のために昨年、都内から同市に転居した。
29日の記者会見で多胡さんは「同レベルのスタジオが都内では1日15万円程度だが、高崎への貢献度に応じて3万円以内に設定したい」と説明した。また、デモ音源を随時募集・審査し、レコード会社への橋渡し役を担うなど、プロを目指す若者たちの支援も表明。多胡さんは「地元から世界のスーパースターを生み出したい」と意気込みを見せた。
<引用:上毛新聞 2013年8月30日(金) AM 11:00>
ソース:http://www.jomo-news.co.jp/ns/6413777883003851/news.html
そもそも大衆音楽って「反体制」が基本・・・・・
そうでなければ、60年代、70年代の「反戦歌」のそれもなかった。
一説には「ジョン・レノン」の暗殺もその「体制」の仕業かも、とか、言われている。
「エルビス」だってそうだった。黒人音楽をベースにしたロカビリーは、
その始まりには「廃退的」だとして蔑まれ、いわゆる「保守層」からは忌避されていた。
その中には「放送禁止」となった楽曲も多数あったという・・・・・・
つまり、大衆によるひとつのプロテストとしての芸術は「体制批判」ということ。
そのころの「ボブ・ディラン」“風に吹かれて”なんてその典型だろう。
結局、「体制」に擁護されてた音楽では当然「体制批判」はできない・・・・・
その昔、ブームの頃の「吉田拓郎」も「井上陽水」もテレビには出ないと宣言していた。
つまり、「テレビ」はその「体制」の最たるプロパガンダ手段でだし、
当然あの時代、昭和40年代、そもそも「アングラ」とか「ゲリラ」とかの背景があったわけだし、
確かに、後半の「吉田拓郎」「井上陽水」、叙情的な楽曲に変わって行ったものの・・・・・
初期の頃のそれは、いわゆる「社会風刺」、当時の混沌とした「若者」を代弁した楽曲ぞろいだった。
まあ、「時代が変わった」と言ってしまえばそうだが、そのロック・・・・・・
基本は「アバンギャルド」であるべきだろうし、当然、年寄りなんかに分からなくていい。
僕の知人、昔の仲間に著名な作曲家がいるが、彼も「ふるさと」にはなんの感情もないと言い切る。
昭和40年代だ、ロン毛にボロボロのジーパンでエレキをかき鳴らしていたそんな彼に、
その「ふるさとの目」は突き刺さるように痛かったという、そして「ふるさと」を棄てる。
しかし、その冷たい「ふるさと」のおかげで今日の自分があるとも言うが。
20年前に某雑誌の対談で話をした高崎出身のあの「ベーシスト」もその時言っていた・・・・・
「社会は俺たちを蔑んでいた」
地元で火がついた時も、コンサート会場は貸してくれない、全て自前だったと。
まあ、「ロック」っていうのはそれでこそロックなんで、「軽音」なんちゃったら、てんでだ。
おそらく、擁護、保護された「ロック」じゃあ、その世代を揺り動かすボキャブラリーは生まれない。
話は飛躍するが「集団的自衛権」、そして憲法改正がなされたとき・・・・・
その体制に保護、培養された「ロック」に、はたして体制批判できるだろうか。
まあ、パトロン付きの「クラシック」のそれと比較してはむべもない話ではないか。
いずれにしても「高崎市」、行政が主体となってやるわけだろ?
そしたら、レンタルスタジオ、レコーディングスタジオでこれまで頑張ってきた、民間、
いわゆる「民業圧迫」にならないか?つまり、都市再開発とおんなじ感覚だろう。
民間は放置し「官主導」で政策的にやるって。
「上毛新聞」の記事は記事としてだが・・・・・・・
「ロック」な街、高崎!??
Posted by 昭和24歳
at 17:34
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