2013年07月25日
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!(2)
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!(2)
一昨日の飲み会に参加の竹内先輩・・・・・
竹内先輩は昭和17年生まれ、午年。
東京芸大では「山口薫ゼミ」一期生、確か一浪して入ったとか。
高校の先輩でもああったその「山口薫」にはいろんな意味で可愛がられたそうだ。
「酒で死ぬんなら本望」
それが1968年、59歳で逝去された昭和を代表する洋画家「山口薫教授」の口癖だったとか。
旧群馬郡箕郷町(現・高崎市)出身「瞬間を描け!!」が、恩師のお言葉だったとか。
その「竹内先輩」、今のところ画家としては名を立て身を立てとまでは行っていないが。
「絵描きなんて星の数ほどいる、食えてる人間なんて数万分の一」
そう言って豪快に笑う竹内先輩画伯。
アトリエには無数の油が、それも、どれもこれもが100号クラスが所狭しと。
「こんなもんじゃあない、倉庫がわりに一軒借りてるんだ」
自宅、アトリエも結構な広さだが部屋という部屋は行き場のない「作品」が占領する。
そのアトリエは「高崎護国神社」の鳥居のすぐ脇の「いかにも」といった様は潜り木戸の向こうに数本の立木、
そして無造作に敷かれた石畳をゆくとその玄関脇には灯篭と、鹿威しが。
時々知人に頼まれてその「アトリエ」をご案内する。
その意味では著名ではないが紛れもない画家、その人生を全うする竹内先輩。
実は僕は「画」というものには全く造詣がない、いや全くないというわけではないのだが、
「東京芸大山口薫ゼミ」出身の絵描きの絵画にはまさに猫に小判で、時にはその画伯に嫌な顔をされる。
二年ほど前、竹内先輩と木曽路を歩いた。なんでも先輩、現在は「ウルシ細工」を勉強中とか。
そこで、芸大時代よりお世話になっている木曽上松の木工職人を訪ねて一路、上信越高速を塩尻まで。
なんでも、その木工職人、今も芸大には材料を卸しているんだとか。
帰り道、「松本城」をちょいと見学しての日帰りだったが、先輩の運転する車中でも会話は一冊の本になるほどのそれだった。
実は、芸大を出てもそのほとんどが教職の道に就くか、万分の一で、
「東京芸大」だったり「大阪芸大」だったりの教授の席に、多くの画家志望が絵画教室とかで糊口をしのぐ。
「そら、私にも教員の誘いはあったが、全部断った」
がしかし、そこは生活優先、ましてや昭和40年代の画家、素浪人では生活はそう穏やかではなかったようだ。
そんなこんなで、その頃は小学校の代用教員だったんだろうか、高崎市立倉賀野中学校の3年、4年と何故か担任したんだとか・・・・・
じつは、なんとそこに生徒でいたのが夭逝した天才画家といわれた「山田かまち」が先輩の教え子だった。
その「山田かまち」の才能をいち早く高崎の画壇に記し、そうこうするうちに「山田かまち」は竹内先輩を師と仰ぎ、
高校生の時にエレキで感電死するまで、竹内先輩とは交流、その「山田かまち」の死に際しても最初に立ち会ったとか。
そればかりではない、その「山田かまち」の同級生にいたのが、今では伝説のロックバンド「BOØWY」の。
「氷室京介」と「松井常松」のその二人、それもまた担任だったんだとか。
それから4,5年して今度は今、NHK、大河ドラマ「八重の桜」でお馴染みの「新島襄」ゆかりである、
「新島学園」の美術教師を要請され、その時の生徒が同じく「BOØWY」の「布袋寅泰」その人。
まあ、ロックバンドで素行の優れなかった布袋寅泰は高校3年で退学処分になったらしいんだが。
その時親身になって相談に乗り、「退学処分撤回」を学校に掛け合ったのが「竹内先輩」。
そんなこんなで、一昨々年の「布袋寅泰」代々木体育館コンサートでは招待され、僕の娘にも「布袋寅泰」のサインを。
とにかく、不思議な、というか、ある意味豪傑な竹内先輩である。
もちろん、酒はめっぽう強いし、既に古希というのに毎週、東京銀座の囲碁クラブへ通ったり、
時にいろいろな「シンポジウム」お誘いが、この土曜日も「郷土歴史」に関するそれに呼ばれて。
「君も行かないかねぇ、交通費、日当が8万円ほど入るよ」
まあ、諸般の事情で「年金」は微々たるものとかだが、それなりの所得はあるようです。
「この間ね、私の絵を買いたいという人がつてを頼ってきたんだよ。で、120号の絵が気に入ったと言って、ぜひ売ってくれって言うので、三本指を出したらそれっきり返事が来ない。まあ、絵を買うのに“負けろ”はないからなぁ、三本指、300万円なのか、3000万円なのか、3億なのか・・・・・私は3億のつもりだったけど」
そう言って、「ガハハッハーーーッ」と豪快に笑った、竹内先輩。
そうそう、その竹内先輩の作品が思わぬところにあるとか
「DOWAホールディングス」、吉川廣和会長の会長室。
「吉川がさぁ、お前の絵でも飾るか、って言うから一枚くれちゃったよ」
なんでも、高校時代の同級生なんだとか。
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!(2)
一昨日の飲み会に参加の竹内先輩・・・・・
竹内先輩は昭和17年生まれ、午年。
東京芸大では「山口薫ゼミ」一期生、確か一浪して入ったとか。
高校の先輩でもああったその「山口薫」にはいろんな意味で可愛がられたそうだ。
「酒で死ぬんなら本望」
それが1968年、59歳で逝去された昭和を代表する洋画家「山口薫教授」の口癖だったとか。
旧群馬郡箕郷町(現・高崎市)出身「瞬間を描け!!」が、恩師のお言葉だったとか。
その「竹内先輩」、今のところ画家としては名を立て身を立てとまでは行っていないが。
「絵描きなんて星の数ほどいる、食えてる人間なんて数万分の一」
そう言って豪快に笑う竹内先輩画伯。
アトリエには無数の油が、それも、どれもこれもが100号クラスが所狭しと。
「こんなもんじゃあない、倉庫がわりに一軒借りてるんだ」
自宅、アトリエも結構な広さだが部屋という部屋は行き場のない「作品」が占領する。
そのアトリエは「高崎護国神社」の鳥居のすぐ脇の「いかにも」といった様は潜り木戸の向こうに数本の立木、
そして無造作に敷かれた石畳をゆくとその玄関脇には灯篭と、鹿威しが。
時々知人に頼まれてその「アトリエ」をご案内する。
その意味では著名ではないが紛れもない画家、その人生を全うする竹内先輩。
実は僕は「画」というものには全く造詣がない、いや全くないというわけではないのだが、
「東京芸大山口薫ゼミ」出身の絵描きの絵画にはまさに猫に小判で、時にはその画伯に嫌な顔をされる。
二年ほど前、竹内先輩と木曽路を歩いた。なんでも先輩、現在は「ウルシ細工」を勉強中とか。
そこで、芸大時代よりお世話になっている木曽上松の木工職人を訪ねて一路、上信越高速を塩尻まで。
なんでも、その木工職人、今も芸大には材料を卸しているんだとか。
帰り道、「松本城」をちょいと見学しての日帰りだったが、先輩の運転する車中でも会話は一冊の本になるほどのそれだった。
実は、芸大を出てもそのほとんどが教職の道に就くか、万分の一で、
「東京芸大」だったり「大阪芸大」だったりの教授の席に、多くの画家志望が絵画教室とかで糊口をしのぐ。
「そら、私にも教員の誘いはあったが、全部断った」
がしかし、そこは生活優先、ましてや昭和40年代の画家、素浪人では生活はそう穏やかではなかったようだ。
そんなこんなで、その頃は小学校の代用教員だったんだろうか、高崎市立倉賀野中学校の3年、4年と何故か担任したんだとか・・・・・
じつは、なんとそこに生徒でいたのが夭逝した天才画家といわれた「山田かまち」が先輩の教え子だった。
その「山田かまち」の才能をいち早く高崎の画壇に記し、そうこうするうちに「山田かまち」は竹内先輩を師と仰ぎ、
高校生の時にエレキで感電死するまで、竹内先輩とは交流、その「山田かまち」の死に際しても最初に立ち会ったとか。
そればかりではない、その「山田かまち」の同級生にいたのが、今では伝説のロックバンド「BOØWY」の。
「氷室京介」と「松井常松」のその二人、それもまた担任だったんだとか。
それから4,5年して今度は今、NHK、大河ドラマ「八重の桜」でお馴染みの「新島襄」ゆかりである、
「新島学園」の美術教師を要請され、その時の生徒が同じく「BOØWY」の「布袋寅泰」その人。
まあ、ロックバンドで素行の優れなかった布袋寅泰は高校3年で退学処分になったらしいんだが。
その時親身になって相談に乗り、「退学処分撤回」を学校に掛け合ったのが「竹内先輩」。
そんなこんなで、一昨々年の「布袋寅泰」代々木体育館コンサートでは招待され、僕の娘にも「布袋寅泰」のサインを。
とにかく、不思議な、というか、ある意味豪傑な竹内先輩である。
もちろん、酒はめっぽう強いし、既に古希というのに毎週、東京銀座の囲碁クラブへ通ったり、
時にいろいろな「シンポジウム」お誘いが、この土曜日も「郷土歴史」に関するそれに呼ばれて。
「君も行かないかねぇ、交通費、日当が8万円ほど入るよ」
まあ、諸般の事情で「年金」は微々たるものとかだが、それなりの所得はあるようです。
「この間ね、私の絵を買いたいという人がつてを頼ってきたんだよ。で、120号の絵が気に入ったと言って、ぜひ売ってくれって言うので、三本指を出したらそれっきり返事が来ない。まあ、絵を買うのに“負けろ”はないからなぁ、三本指、300万円なのか、3000万円なのか、3億なのか・・・・・私は3億のつもりだったけど」
そう言って、「ガハハッハーーーッ」と豪快に笑った、竹内先輩。
そうそう、その竹内先輩の作品が思わぬところにあるとか
「DOWAホールディングス」、吉川廣和会長の会長室。
「吉川がさぁ、お前の絵でも飾るか、って言うから一枚くれちゃったよ」
なんでも、高校時代の同級生なんだとか。
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!(2)
Posted by 昭和24歳
at 09:44
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