2013年07月24日
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!
海鮮居酒屋 北海亭「生ビール祭り」
恒例の「飲み会」・・・・・
生ビールジョッキ一杯が5円はその北海亭、年一回の行事だった。
「そういう時代だったんだなぁ」
村上さんが周りを見渡して、自分に言い聞かせるように「そう」つぶやく。
5時半の予約だったがすでに満席状態、20席はあろうかと思われる4人かけに仕切られたテーブル席ではそれぞれの宴が始まっていた。
隣のテーブル席には還暦過ぎと思しき夫婦が刺身の舟盛りに舌づつみを打ちながら一杯5円の生ビールを忙しく干している。
村上先輩のその「つぶやき」に誘われて周りを見渡すと、席という席には高齢の紳士淑女も白髪とハゲ頭が百花繚乱。
「こういう時代なんですね」
「まあいいやな。空けろ空けろ、2時間の時間制限だぞ」
村上先輩、そう言うとグッグイっと一杯目のそれを飲み干した。
昭和13年茨城県取手の生まれ、いや、「生まれ」というよりは育ちだったと言ったほうが。
その時、戦災で焼け出されたのか、村下に先輩には両親の記憶はないと。
その、取手の農村で祖父母夫婦に育てられ、新制中学卒業と同時に都内の印刷会社に就職。
そしてその戦後という時代の荒波にもまれるようにしての青春時代・・・・・
「印刷会社の社長の温情で夜学に通わせてもらって、今思えばみんなが優しかったなぁ、厳しく叱責されたときは捨て鉢になって反抗したりしたけど、殴られて終わり。それでも寝起き、三食飯を食わしてもらって給料もらっていい時代だった、今思えば」
昭和20年8月15日、国民学校の一年生だった村上先輩、そんな村上先輩にも時代の波が・・・・・
東京下町の印刷工場だったが労働運動に併せていわゆる「60年安保」、誘われるままに「民青」でポケットに石ころを詰め込んで国会を囲んだとか。その時22歳。
「あっという間だったなっ、そんな安保騒動もかき消されるような仕事の忙しさ。とにかく高度経済成長前夜だったし、そんな政治情勢、社会環境だったし出版業界は好況沸騰、給料は上がるし、ボーナスはたんまり出るしで、政治も思想もヘチマもなかった」
そんな村上先輩、その高度経済成長にわく日本経済の真っ只中に結婚し子どもを育て明日を夢見て独立だったがいつしかご案内の「出版不況」で孫請け同然の零細な印刷工場はたたむことに。そして離婚、昭和51年、友達のつてを頼んで群馬県安中市の某大手「化学工場」に就職、定年退職。
やはり「いい時代」だったという。そんな、ある意味では激動と混乱の時代だったが今、御年75歳、「後期高齢者」の案内が役所からきて、愕然としたが年金はほぼ満額を受け取り・・・・・・
「ほんと、申し訳ねぇよなぁ、これだけ年金問題で騒がれているのに俺たちこのまんま毎年300万円からが振込まれる、長生きすればするほど現役世代の負担が増えちゃうってぇんだから」
毎月一度のペースで飲み会。仲間は75歳の村上さんと77歳の立花さんを筆頭に11名。
今回は都合で村上先輩、内田先輩、竹内先輩、そして僕の4名だったが、ひとつ、その飲み会の最中ひとつも話題にならないことがあった。
それは「参議院選挙」、その結果について誰一人として話題の俎上に載せようとする者がいなかった。
そのことすら、その最中には気づかなかった、今朝目が覚めて・・・・・
「そういえば」
いつもなら喧々諤々となる「政治問題」なんだが、全く「無視」。終わったばかりの選挙だったというのに。
自民党の圧勝、与野党のねじれ解消、消費増税問題、原発再稼働問題、東北復興問題、社会保障問題。等々・・・・・
それらは、まるでよその国の出来事のようで「生ビール祭り」の現に明け暮れていた。
その意味では、国会の「ねじれ」は解消されたが・・・・・
有権者、国民の生活に「ねじれ」が。
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!
海鮮居酒屋 北海亭「生ビール祭り」
恒例の「飲み会」・・・・・
生ビールジョッキ一杯が5円はその北海亭、年一回の行事だった。
「そういう時代だったんだなぁ」
村上さんが周りを見渡して、自分に言い聞かせるように「そう」つぶやく。
5時半の予約だったがすでに満席状態、20席はあろうかと思われる4人かけに仕切られたテーブル席ではそれぞれの宴が始まっていた。
隣のテーブル席には還暦過ぎと思しき夫婦が刺身の舟盛りに舌づつみを打ちながら一杯5円の生ビールを忙しく干している。
村上先輩のその「つぶやき」に誘われて周りを見渡すと、席という席には高齢の紳士淑女も白髪とハゲ頭が百花繚乱。
「こういう時代なんですね」
「まあいいやな。空けろ空けろ、2時間の時間制限だぞ」
村上先輩、そう言うとグッグイっと一杯目のそれを飲み干した。
昭和13年茨城県取手の生まれ、いや、「生まれ」というよりは育ちだったと言ったほうが。
その時、戦災で焼け出されたのか、村下に先輩には両親の記憶はないと。
その、取手の農村で祖父母夫婦に育てられ、新制中学卒業と同時に都内の印刷会社に就職。
そしてその戦後という時代の荒波にもまれるようにしての青春時代・・・・・
「印刷会社の社長の温情で夜学に通わせてもらって、今思えばみんなが優しかったなぁ、厳しく叱責されたときは捨て鉢になって反抗したりしたけど、殴られて終わり。それでも寝起き、三食飯を食わしてもらって給料もらっていい時代だった、今思えば」
昭和20年8月15日、国民学校の一年生だった村上先輩、そんな村上先輩にも時代の波が・・・・・
東京下町の印刷工場だったが労働運動に併せていわゆる「60年安保」、誘われるままに「民青」でポケットに石ころを詰め込んで国会を囲んだとか。その時22歳。
「あっという間だったなっ、そんな安保騒動もかき消されるような仕事の忙しさ。とにかく高度経済成長前夜だったし、そんな政治情勢、社会環境だったし出版業界は好況沸騰、給料は上がるし、ボーナスはたんまり出るしで、政治も思想もヘチマもなかった」
そんな村上先輩、その高度経済成長にわく日本経済の真っ只中に結婚し子どもを育て明日を夢見て独立だったがいつしかご案内の「出版不況」で孫請け同然の零細な印刷工場はたたむことに。そして離婚、昭和51年、友達のつてを頼んで群馬県安中市の某大手「化学工場」に就職、定年退職。
やはり「いい時代」だったという。そんな、ある意味では激動と混乱の時代だったが今、御年75歳、「後期高齢者」の案内が役所からきて、愕然としたが年金はほぼ満額を受け取り・・・・・・
「ほんと、申し訳ねぇよなぁ、これだけ年金問題で騒がれているのに俺たちこのまんま毎年300万円からが振込まれる、長生きすればするほど現役世代の負担が増えちゃうってぇんだから」
毎月一度のペースで飲み会。仲間は75歳の村上さんと77歳の立花さんを筆頭に11名。
今回は都合で村上先輩、内田先輩、竹内先輩、そして僕の4名だったが、ひとつ、その飲み会の最中ひとつも話題にならないことがあった。
それは「参議院選挙」、その結果について誰一人として話題の俎上に載せようとする者がいなかった。
そのことすら、その最中には気づかなかった、今朝目が覚めて・・・・・
「そういえば」
いつもなら喧々諤々となる「政治問題」なんだが、全く「無視」。終わったばかりの選挙だったというのに。
自民党の圧勝、与野党のねじれ解消、消費増税問題、原発再稼働問題、東北復興問題、社会保障問題。等々・・・・・
それらは、まるでよその国の出来事のようで「生ビール祭り」の現に明け暮れていた。
その意味では、国会の「ねじれ」は解消されたが・・・・・
有権者、国民の生活に「ねじれ」が。
「生ビール」ジョッキ一杯5円!!
Posted by 昭和24歳
at 07:50
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