2008年11月14日
麻生太郎に宰相の資格はあるのか・・・・・
麻生太郎に宰相の資格はあるのか・・・・・
当人が認めるとおりに「育ちが悪い」とすればその品格はおのずと知れたもののようだが、
西日本新聞、地元紙の通りだとすればその資格はない思わざるをえない。

<西日本新聞掲載を無断使用です>
西日本新聞引用開始――――
【連載】解剖 宰相・麻生太郎/2/ 「名門」、筑豊に光と影
2008年09月29日 18:26
「麻生本家の敷地にある裏山から、見渡す限りが麻生家の土地だった」。
麻生家を知る地元不動産業者は、昭和30年代当時を振り返る。
筑豊の炭鉱王と呼ばれた曾祖父・太吉が築いた麻生家の財。
麻生太郎の地元・福岡県飯塚市を歩くと、麻生グループ関連施設の多さに驚く。
市中心部のJR新飯塚駅近くには巨大な「飯塚病院」(1116床)があり、
「スーパーASO」は筑豊を中心に19店舗を展開。同市を貫く国道201号沿いには、同グループのボウリング場やゴルフ練習場などが並ぶ。
飯塚は、まさに「麻生」の企業城下町だ。
同市で飲食店を経営する寺戸茂子さん(58)は「ASOで買い物をして、飯塚病院に入院する高齢の母を見舞う。
『麻生』は生活になくてはならない存在」と話す。
炭鉱で財を成した麻生家は、医療や教育まで経営拡大しながら、筑豊で確固たる地位を築き上げた。その財は、政治家麻生の足元を支える。
■ ■
2001年7月、東京・永田町の衆院議員会館。筑豊から上京した数人が麻生事務所で秘書と向き合った。
「太郎さんに会わせてほしい」
10日ほど前、画期的な判決が出た。
炭鉱労働で「じん肺」を発症した患者が国と炭鉱企業を訴えた「筑豊じん肺訴訟」で、福岡高裁が初めて国の賠償責任を認めた。
上京した原告・弁護団は国に上告断念を求め、炎天下、首相官邸前でビラ配りを続けた。
頼りにした1人が、当時自民党政調会長の要職にあった麻生。
原告たちは事務所に三度足を運んだが、面会は実現しないまま国は上告に踏み切った。
約3年後の04年4月。最高裁で原告勝訴が確定した時点で、原告169人のうち144人が他界していた。
弁護団事務局長だった小宮学は振り返る。
「国は上告するか迷っていた。麻生さんが動いてくれていれば、という思いはある」
■ ■
じん肺訴訟で大手炭鉱会社が訴えられた中、「麻生」が被告とならなかったのには理由がある。
麻生太郎も取締役を務めた石炭会社の麻生産業(当時)は1969年6月30日に解散。
資産は解散前日、3年前に分離独立させた麻生セメントに譲渡された。
71年、麻生産業は旧通産省から「無資力認定」を受ける。
これにより、炭鉱で生じる地盤沈下を補償する鉱害復旧費を「麻生」は負担せず、国が肩代わりすることになった。
一連の動きには、
「時の首相、佐藤栄作から(太郎の父)太賀吉へのアドバイスがあった」
と証言する炭鉱関係者もいる。佐藤は、太郎の祖父・吉田茂の門下生でもある。
「麻生産業と麻生セメントを同1の法人格とすることは困難」。
じん肺訴訟弁護団も提訴前にぎりぎりの協議をしたが、「麻生」を被告に入れることを断念した。
じん肺と鉱害。炭鉱が残した2つの負を「麻生」はほとんど負っていない。
原告団の陳情に麻生太郎はあえて動かなかったのか、それとも動けなかったのか―。
筑豊にとって、名門「麻生家」には光と影が混在する。 (敬称略)
=2008/09/24付 西日本新聞朝刊=
引用終了
つまり麻生太郎という“政商”・・・・・
そこには明治維新という“政官財”、篤姫的にいうならば「公財合体」とでも言うのだろうか。
日本という国家そのものを“私物化”しつづけてきた明治維新以降の新興財閥、豪族。
「麻生太郎も取締役を務めた石炭会社の麻生産業(当時)は1969年6月30日に解散。資産は解散前日、3年前に分離独立させた麻生セメントに譲渡された。」
“麻生産業”のその莫大な資産は解散前日に“麻生セメント”に譲度されセメントで固められたということか(笑)。
「71年、麻生産業は旧通産省から『無資力認定』を受ける。
これにより、炭鉱で生じる地盤沈下を補償する鉱害復旧費を「麻生」は負担せず、国が肩代わりすることになった。」
“国が肩代わり”とはフザケタ話ではないか・・・・・
つまり税金、公金で麻生家の財産は保たれているということになる。
「時の首相、佐藤栄作から(太郎の父)太賀吉へのアドバイスがあった」
つまり、法律を捻じ曲げて財産保全に走る。しかもそれが首相の差し金・・・・・
しかし麻生太郎、何も新宿早稲田のスーパーを見回らなくとも、19店舗もあるという自分のところの「スーパーASO」をお披露目すればいいものを・・・・・
おそらく、飯塚の「スーパーASO」では、“カップラーメン”が一個400円で売られているんだろうが(笑)。
その意味では、麻生太郎自民党総裁は時代の必然性に生まれたのかも知れない。
つまり、自民党とは戦後、敗戦によって失った旧財閥の国家という財産を再び、宗主国、米政府庇護の下に“私物化”しようと集団でしかなかった・・・・・
まあ、敗戦により占領軍に無理やり解体された“財閥”が再興を賭すのは想像似難くない。
閨閥なんだが、官僚機構のトップに身内を絡め、さらにそこから政界を絡め、司法界にも、産官学と。
西武もそうだった、東急もそうだった、東武も、阪急も戦前、戦中、そして戦後に軍属と絡み・・・・・・
創氏が衆議院議員、政治家となり、つまりは政商だが、法律を画策し国土、国家を山分け、私物化してきた。
実はその麻生太郎自民党総裁、西武鉄道グループの総帥だった“堤義明元JOC会長”とある意味重なる・・・・・
その“堤義明元JOC会長”だが、ご案内のように、一昨々年の05年に“証券取引法違反”で東京地検に起訴され、
一審の東京地裁にて懲役2年6月、罰金500万円、執行猶予4年(求刑懲役3年、罰金500万円)の判決を言い渡され、
義明側・検察側とも控訴せず、判決どおり有罪が確定した。
まあ、アノ天下の西武の総帥をお縄に出来るなんてえ十手持ちは占領軍の配下にしか出来ない芸当(笑)。
麻生太郎自民党総裁と堤義明西武総帥の違いは、皇族に閨閥していなかったことだけかも知れない。
まあ、その意味での歴史にも方や明治の元勲の血筋と、方や滋賀の豪農であったかどうかは知らないが、いわゆる“平民”の出自というそれ・・・・・

<麻生太郎自民党総裁の血筋:西日本新聞パクリ掲載のパクリ>
麻生家の財産形成と堤家のそれとどれほどの違いがあるというのだろうか・・・・・
その意味では、“西日本新聞”が言うように、麻生家のそれの方が、いわゆる「育ちが悪い」ように思えるのは僕だけだろうか。
つまり麻生太郎自民党総裁の持たんとする意味は、平成に蔓延る明治維新閥のこれからではないか・・・・・
この国の負債のほとんどが、それらの資産に化けているとしたら話は分かりやすい(笑)。
それはそうと、麻生総理の「公明党思いやり予算」政策の“定額給付金”なんだけど・・・・・・
それって、“定額給付金”じゃあなくて“消費税還付金”じゃあないのか・・・・・
その方が制度的にも分かりやすいし、国民、市民も堂々と還付請求できるし、国も数百億円なんていう事務手数料をかけなくてすむ。
国民、市民が役所の納税課で所得証明を請求して、それを元に負担した文の消費税の概算の数パーセントを還付する。
その所得証明基準数値を大まかに分けてもいい・・・・・・
所得のなかった人は、生活保護給付年間総額を基準に負担消費税を割り出せばいい。
手間をかけるのは還付を受ける国民市民で、行政の人的、事務的負担は最小限にとどめることが出来る。
つまり税金を還付するのに税金を使うなということだ!!
もちろん、生活補助の観点からは、
たとえば所得証明が1千万円以上の人の場合は減税措置ということで現金還付の必要はないだろう。
税還付方式なら前例もあることだから特別に立法することはない。
やっぱり、クリスマス前に欲しいな・・・・・・
現実問題として。娘に“iPod”せがまれてるんです(笑)。
当人が認めるとおりに「育ちが悪い」とすればその品格はおのずと知れたもののようだが、
西日本新聞、地元紙の通りだとすればその資格はない思わざるをえない。

<西日本新聞掲載を無断使用です>
西日本新聞引用開始――――
【連載】解剖 宰相・麻生太郎/2/ 「名門」、筑豊に光と影
2008年09月29日 18:26
「麻生本家の敷地にある裏山から、見渡す限りが麻生家の土地だった」。
麻生家を知る地元不動産業者は、昭和30年代当時を振り返る。
筑豊の炭鉱王と呼ばれた曾祖父・太吉が築いた麻生家の財。
麻生太郎の地元・福岡県飯塚市を歩くと、麻生グループ関連施設の多さに驚く。
市中心部のJR新飯塚駅近くには巨大な「飯塚病院」(1116床)があり、
「スーパーASO」は筑豊を中心に19店舗を展開。同市を貫く国道201号沿いには、同グループのボウリング場やゴルフ練習場などが並ぶ。
飯塚は、まさに「麻生」の企業城下町だ。
同市で飲食店を経営する寺戸茂子さん(58)は「ASOで買い物をして、飯塚病院に入院する高齢の母を見舞う。
『麻生』は生活になくてはならない存在」と話す。
炭鉱で財を成した麻生家は、医療や教育まで経営拡大しながら、筑豊で確固たる地位を築き上げた。その財は、政治家麻生の足元を支える。
■ ■
2001年7月、東京・永田町の衆院議員会館。筑豊から上京した数人が麻生事務所で秘書と向き合った。
「太郎さんに会わせてほしい」
10日ほど前、画期的な判決が出た。
炭鉱労働で「じん肺」を発症した患者が国と炭鉱企業を訴えた「筑豊じん肺訴訟」で、福岡高裁が初めて国の賠償責任を認めた。
上京した原告・弁護団は国に上告断念を求め、炎天下、首相官邸前でビラ配りを続けた。
頼りにした1人が、当時自民党政調会長の要職にあった麻生。
原告たちは事務所に三度足を運んだが、面会は実現しないまま国は上告に踏み切った。
約3年後の04年4月。最高裁で原告勝訴が確定した時点で、原告169人のうち144人が他界していた。
弁護団事務局長だった小宮学は振り返る。
「国は上告するか迷っていた。麻生さんが動いてくれていれば、という思いはある」
■ ■
じん肺訴訟で大手炭鉱会社が訴えられた中、「麻生」が被告とならなかったのには理由がある。
麻生太郎も取締役を務めた石炭会社の麻生産業(当時)は1969年6月30日に解散。
資産は解散前日、3年前に分離独立させた麻生セメントに譲渡された。
71年、麻生産業は旧通産省から「無資力認定」を受ける。
これにより、炭鉱で生じる地盤沈下を補償する鉱害復旧費を「麻生」は負担せず、国が肩代わりすることになった。
一連の動きには、
「時の首相、佐藤栄作から(太郎の父)太賀吉へのアドバイスがあった」
と証言する炭鉱関係者もいる。佐藤は、太郎の祖父・吉田茂の門下生でもある。
「麻生産業と麻生セメントを同1の法人格とすることは困難」。
じん肺訴訟弁護団も提訴前にぎりぎりの協議をしたが、「麻生」を被告に入れることを断念した。
じん肺と鉱害。炭鉱が残した2つの負を「麻生」はほとんど負っていない。
原告団の陳情に麻生太郎はあえて動かなかったのか、それとも動けなかったのか―。
筑豊にとって、名門「麻生家」には光と影が混在する。 (敬称略)
=2008/09/24付 西日本新聞朝刊=
引用終了
つまり麻生太郎という“政商”・・・・・
そこには明治維新という“政官財”、篤姫的にいうならば「公財合体」とでも言うのだろうか。
日本という国家そのものを“私物化”しつづけてきた明治維新以降の新興財閥、豪族。
「麻生太郎も取締役を務めた石炭会社の麻生産業(当時)は1969年6月30日に解散。資産は解散前日、3年前に分離独立させた麻生セメントに譲渡された。」
“麻生産業”のその莫大な資産は解散前日に“麻生セメント”に譲度されセメントで固められたということか(笑)。
「71年、麻生産業は旧通産省から『無資力認定』を受ける。
これにより、炭鉱で生じる地盤沈下を補償する鉱害復旧費を「麻生」は負担せず、国が肩代わりすることになった。」
“国が肩代わり”とはフザケタ話ではないか・・・・・
つまり税金、公金で麻生家の財産は保たれているということになる。
「時の首相、佐藤栄作から(太郎の父)太賀吉へのアドバイスがあった」
つまり、法律を捻じ曲げて財産保全に走る。しかもそれが首相の差し金・・・・・
しかし麻生太郎、何も新宿早稲田のスーパーを見回らなくとも、19店舗もあるという自分のところの「スーパーASO」をお披露目すればいいものを・・・・・
おそらく、飯塚の「スーパーASO」では、“カップラーメン”が一個400円で売られているんだろうが(笑)。
その意味では、麻生太郎自民党総裁は時代の必然性に生まれたのかも知れない。
つまり、自民党とは戦後、敗戦によって失った旧財閥の国家という財産を再び、宗主国、米政府庇護の下に“私物化”しようと集団でしかなかった・・・・・
まあ、敗戦により占領軍に無理やり解体された“財閥”が再興を賭すのは想像似難くない。
閨閥なんだが、官僚機構のトップに身内を絡め、さらにそこから政界を絡め、司法界にも、産官学と。
西武もそうだった、東急もそうだった、東武も、阪急も戦前、戦中、そして戦後に軍属と絡み・・・・・・
創氏が衆議院議員、政治家となり、つまりは政商だが、法律を画策し国土、国家を山分け、私物化してきた。
実はその麻生太郎自民党総裁、西武鉄道グループの総帥だった“堤義明元JOC会長”とある意味重なる・・・・・
その“堤義明元JOC会長”だが、ご案内のように、一昨々年の05年に“証券取引法違反”で東京地検に起訴され、
一審の東京地裁にて懲役2年6月、罰金500万円、執行猶予4年(求刑懲役3年、罰金500万円)の判決を言い渡され、
義明側・検察側とも控訴せず、判決どおり有罪が確定した。
まあ、アノ天下の西武の総帥をお縄に出来るなんてえ十手持ちは占領軍の配下にしか出来ない芸当(笑)。
麻生太郎自民党総裁と堤義明西武総帥の違いは、皇族に閨閥していなかったことだけかも知れない。
まあ、その意味での歴史にも方や明治の元勲の血筋と、方や滋賀の豪農であったかどうかは知らないが、いわゆる“平民”の出自というそれ・・・・・

<麻生太郎自民党総裁の血筋:西日本新聞パクリ掲載のパクリ>
麻生家の財産形成と堤家のそれとどれほどの違いがあるというのだろうか・・・・・
その意味では、“西日本新聞”が言うように、麻生家のそれの方が、いわゆる「育ちが悪い」ように思えるのは僕だけだろうか。
つまり麻生太郎自民党総裁の持たんとする意味は、平成に蔓延る明治維新閥のこれからではないか・・・・・
この国の負債のほとんどが、それらの資産に化けているとしたら話は分かりやすい(笑)。
それはそうと、麻生総理の「公明党思いやり予算」政策の“定額給付金”なんだけど・・・・・・
それって、“定額給付金”じゃあなくて“消費税還付金”じゃあないのか・・・・・
その方が制度的にも分かりやすいし、国民、市民も堂々と還付請求できるし、国も数百億円なんていう事務手数料をかけなくてすむ。
国民、市民が役所の納税課で所得証明を請求して、それを元に負担した文の消費税の概算の数パーセントを還付する。
その所得証明基準数値を大まかに分けてもいい・・・・・・
所得のなかった人は、生活保護給付年間総額を基準に負担消費税を割り出せばいい。
手間をかけるのは還付を受ける国民市民で、行政の人的、事務的負担は最小限にとどめることが出来る。
つまり税金を還付するのに税金を使うなということだ!!
もちろん、生活補助の観点からは、
たとえば所得証明が1千万円以上の人の場合は減税措置ということで現金還付の必要はないだろう。
税還付方式なら前例もあることだから特別に立法することはない。
やっぱり、クリスマス前に欲しいな・・・・・・
現実問題として。娘に“iPod”せがまれてるんです(笑)。
Posted by 昭和24歳
at 10:09
│Comments(3)
金持ちのボンボンで言いたい放題やりたい放題 我が侭ガキ大将と言う意味でしょう
買い物に行っても自分のところの店、金など
払うことも無かったろうし
金持ちボンでイジメなんて遭う事もないだろう
傲慢な嫌な育ちから=育ちが悪い
だとおいらは思ってました(^^;
いやぁ、全くその通りですね。
小学校も麻生太郎のための小学校・・・・
それも3年で閉鎖したようです。
その後は大磯から学習院だとか(笑)。