2007年12月26日
“ベルツの日記”
エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz, 1849年1月13日 - 1913年8月31日)。
ドイツの医師で、お雇い外国人として日本に招かれ、27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。
また、草津・箱根を湯泉治療地として開発した。1905年には旭日大綬章を受賞。
(Wikipedia引用)
上州人なら一度や二度耳にしたと思われる、「草津の湯」のエルヴィン・フォン・ベルツ博士。
そのエルヴィン・フォン・ベルツ博士と初代総理大臣、伊藤博文(長州の農民、十蔵の長男として1841年10月16日生まれ、利助と命名)。
維新後、「伊藤博文」と改名。
「ベルツの日記」として、エルヴィン・フォン・ベルツ博士が当時の日本、大日本帝国憲法制定時のことを書いている。
その中の一述が・・・・・
「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、至るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」
と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをし、
話し相手、内閣総理大臣伊藤博文がしたことをその日記に紹介している。
そして、
「もし日本人が現在アメリカの新聞を読んでいて、
しかもあちらの全てを真似ようというのであれば、その時は、日本よさようならである。」
「不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。
それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。
“いや、なにもかもすべて野蛮でした。”、“われわれには歴史はありません。
われわれの歴史は今、始まるのです。”という日本人さえいる。
このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。
日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。
なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、
これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。」
<ベルツの日記抜粋引用>
「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ・・・・・」云々の項・・・・・
伊藤博文が、エルヴィン・フォン・ベルツに語ったという皇太子、天皇論(笑)。
明治維新に孝明天皇を暗殺し“玉”を担ぐ・・・・・・
権力闘争とは大衆には窺い知れぬ所だが、15歳の“少年”を「明治大帝」に作り上げる。
つまり、それは今日流行の「偽装」ではなかったか(笑)。
そして現代・・・・・
しかし今日の、この「日本の偽装」はどうしたことか。
食肉偽装、雪印食品の牛肉偽装、日本食品の牛肉偽装、日本ハムの牛肉偽装、
伊藤ハムの豚肉輸入に関する関税の脱税、そして今年のミートホープ食肉偽装・・・・・
その間、ヒューザーの耐震偽装、アパの耐震偽装、そして、白い恋人、赤福、御福、吉兆の偽装。
「政治とカネ」。
今日の「防衛省疑惑」。それ以前に、政治資金、事務所費問題で現役閣僚、農水大臣の自殺。
その後も、政治家のその政治資金のいかがわしさ・・・・・・
地方政治家も領収書の改竄、つまり偽装。そして談合、これも「契約の偽装」。
この国の為政者は一切の情報を開示しない。
明治維新からしてそうだ。
「勝てば官軍」で、歴史の捏造、偽装・・・・・・
その「帝国議会」のままが今日の日本政府の実態ではないか。
第91代内閣総理大臣「福田康夫」。
その始まりは、初代内閣総理大臣「伊藤博文」。
そのことをしても、長州に始まった「支配社会級」による「国家偽装」が今なお連綿としてこの国が、そこにある。
「もし日本人が現在アメリカの新聞を読んでいて・・・・・」云々。
これは、明治後期の『ベルツの日記』の表現だ。
今の政治がまさしくこの通りの・・・・・・
「――――しかもあちらの全てを真似ようというのであれば、その時は、日本よさようならである。」
世界がこの国を見たら、この通りではないか(笑)。
軍事占領され、裁判権も奪われ、警察権の介入は許されない。
つまり、ペリー提督の時代の「日米和親条約」の時代となんら変わらない。
一介の農民の倅が、尊皇攘夷の志士、暗殺者(テロリスト)が内閣総理大臣に。
くどいが「勝てば官軍」・・・・・
「笛を吹いて天皇を踊らせこの国を懐柔し国民を蹂躙する」。
全てを包み隠し「躍らせる」為政者・・・・・・
その踊りを見せられる「国民」。
まだ、たった百年ほどしかの昔の出来事に・・・・・
ドイツの医師で、お雇い外国人として日本に招かれ、27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。
また、草津・箱根を湯泉治療地として開発した。1905年には旭日大綬章を受賞。
(Wikipedia引用)
上州人なら一度や二度耳にしたと思われる、「草津の湯」のエルヴィン・フォン・ベルツ博士。
そのエルヴィン・フォン・ベルツ博士と初代総理大臣、伊藤博文(長州の農民、十蔵の長男として1841年10月16日生まれ、利助と命名)。
維新後、「伊藤博文」と改名。
「ベルツの日記」として、エルヴィン・フォン・ベルツ博士が当時の日本、大日本帝国憲法制定時のことを書いている。
その中の一述が・・・・・
「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、至るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」
と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをし、
話し相手、内閣総理大臣伊藤博文がしたことをその日記に紹介している。
そして、
「もし日本人が現在アメリカの新聞を読んでいて、
しかもあちらの全てを真似ようというのであれば、その時は、日本よさようならである。」
「不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。
それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。
“いや、なにもかもすべて野蛮でした。”、“われわれには歴史はありません。
われわれの歴史は今、始まるのです。”という日本人さえいる。
このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。
日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。
なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、
これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。」
<ベルツの日記抜粋引用>
「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ・・・・・」云々の項・・・・・
伊藤博文が、エルヴィン・フォン・ベルツに語ったという皇太子、天皇論(笑)。
明治維新に孝明天皇を暗殺し“玉”を担ぐ・・・・・・
権力闘争とは大衆には窺い知れぬ所だが、15歳の“少年”を「明治大帝」に作り上げる。
つまり、それは今日流行の「偽装」ではなかったか(笑)。
そして現代・・・・・
しかし今日の、この「日本の偽装」はどうしたことか。
食肉偽装、雪印食品の牛肉偽装、日本食品の牛肉偽装、日本ハムの牛肉偽装、
伊藤ハムの豚肉輸入に関する関税の脱税、そして今年のミートホープ食肉偽装・・・・・
その間、ヒューザーの耐震偽装、アパの耐震偽装、そして、白い恋人、赤福、御福、吉兆の偽装。
「政治とカネ」。
今日の「防衛省疑惑」。それ以前に、政治資金、事務所費問題で現役閣僚、農水大臣の自殺。
その後も、政治家のその政治資金のいかがわしさ・・・・・・
地方政治家も領収書の改竄、つまり偽装。そして談合、これも「契約の偽装」。
この国の為政者は一切の情報を開示しない。
明治維新からしてそうだ。
「勝てば官軍」で、歴史の捏造、偽装・・・・・・
その「帝国議会」のままが今日の日本政府の実態ではないか。
第91代内閣総理大臣「福田康夫」。
その始まりは、初代内閣総理大臣「伊藤博文」。
そのことをしても、長州に始まった「支配社会級」による「国家偽装」が今なお連綿としてこの国が、そこにある。
「もし日本人が現在アメリカの新聞を読んでいて・・・・・」云々。
これは、明治後期の『ベルツの日記』の表現だ。
今の政治がまさしくこの通りの・・・・・・
「――――しかもあちらの全てを真似ようというのであれば、その時は、日本よさようならである。」
世界がこの国を見たら、この通りではないか(笑)。
軍事占領され、裁判権も奪われ、警察権の介入は許されない。
つまり、ペリー提督の時代の「日米和親条約」の時代となんら変わらない。
一介の農民の倅が、尊皇攘夷の志士、暗殺者(テロリスト)が内閣総理大臣に。
くどいが「勝てば官軍」・・・・・
「笛を吹いて天皇を踊らせこの国を懐柔し国民を蹂躙する」。
全てを包み隠し「躍らせる」為政者・・・・・・
その踊りを見せられる「国民」。
まだ、たった百年ほどしかの昔の出来事に・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 08:34
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