2012年03月15日

戦後復興、そして大震災復興・・・

戦後復興、
そして大震災復興・・・


戦後復興、そして大震災復興・・・

菅首相、死んだっていい俺も行く 福島原発危機的状況に
 水素爆発が相次ぎ福島第1原発事故が危機的状況に陥っていた昨年3月15日未明、菅直人首相(当時)が東京電力本店に乗り込んだ際の「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」などとの発言を、東電が詳細に記録していたことが15日、分かった。

 菅氏の東電訪問は政府の事故調査・検証委員会の中間報告などでも触れられているが、記録からは、東電が第1原発から全面撤退すると考えた菅氏が、かなり強い口調でできる限りの取り組みと覚悟を迫っていたことがうかがえる。

<引用:2012/03/15 08:54 【共同通信】>
ソース:http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012031501000935.html

まあ、東電という官僚組織。

「全面撤退」。

つまり、燃え盛る大火災を目前に・・・・・

「・・・・・死んだっていいんだ。俺も行く」

今になって、なんだが、当時の報道は?


「復興という名のもとに」

“終戦処理費”

当時の日本はアメリカ式編制による陸軍4個師団を筆頭とする占領軍経費を「終戦処理費」として負担しており、
初期には一般会計の50パーセントにも及んでいた。
昭和27年までの占領総経費は47億ドルとも言われ、各種朝鮮特需による売上の総計に匹敵する。
総額約五千百億円(1ドル360円固定以前の軍換算率により約四十七億ドル)
今の貨幣価値に換算すれば、51兆円規模の“思いやり予算”

占領軍受け入れに要した費用は一九四六年、一般会計の「三分の一」(!)で、名目は「終戦処理費」
一九六〇年出版の経企庁編「戦後経済史」
「占領政策」。アメリカの国策となったことへの「感謝」が国家予算三分の一の提供であり、
今にいたる日本の対米追従外交ではないか。

“終戦処理費に群がった連中”

立花隆の「田中角栄の研究」によれば・・・・・

当時の土建業者“田中角栄”はその占領軍のための住宅建設、道路建造で莫大な『新円』を手にしたとか。
当然、小佐野賢治はその雄で、占領軍バス、占領軍慰安施設(ホテル等)などの占領軍ビジネスで新興財閥となる。
もっとも小佐野賢治は戦中は軍需省民間無給委託ですでに軍需商人であった。
今日、政治の中枢にいる多くの政治屋、現在はその2世3世だがそれぞれが闇屋上がり、
『終戦処理費』に群がった連中である。
元衆議院議長の堤康次郎も農務官僚、五島慶太も戦前戦後を通じて“焼け太り”をした。
今もその延長線上にあることは言うまでもない。

一億総懺悔

戦争に負けて、一時「一億総懺悔」という言葉がはやった。
この言葉を最初に使ったのは、ポツダム宣言を受けて鈴木内閣が総辞職したあと、
敗戦処理のために登場した皇族の東久邇首相だった。

その意味は・・・・・

「私たち臣民の努力が足りなかったので、戦争に負けた。
天皇陛下に耐え難いご心痛をかけてしまった。
このことを国民すべてが懺悔しなければならない」


ということである。

さらにその言葉の意味は、

この言葉によって軍部や政府の戦争責任はひとまず国民全体に転嫁された。
もちろん天皇の戦争責任など論外である。
天皇は戦争の犠牲者であり、最後は耐え難きをしのんで、

国民のために「英断」を下されたのだった。

そういうことなのである(笑)。
“悪いのは国民”天皇陛下をこんな目に合わせてしまって。
これほどのブラックジョークがあるだろうか(笑)。

そして、日本政府は銀座に「新日本女性に告ぐ」という巨大な看板を立てた。

看板には・・・・・

「戦後処理の国家的緊急施設の一端として、
進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む」


と書かれていた。

その日本政府の言う「新日本女性に告ぐ」とした“新日本女性”とは一体何か?

これに呼応した「新日本女性」は東京だけで1360人もが登録を終え、
この「大事業」に参加することになった。
8月28日にはとりいそぎ皇居広場前で「特殊慰安施設協会」の発足式が行われた。

『宣誓』
「・・・我等は断じて進駐軍に媚びる者に非ず。節を枉げ心を売るものに非ず。
やむべからざる儀礼を払い、条約の一端の履行にも貢献し、社会の安寧に寄与し、
以て大にして之を言えば国体護持に挺身せむとするに他ならざることを重ねて直言し、以て声明となす」


この日、さっそく数百名の米兵達が施設の一つに赴いた。
そこに集められていたのはいずれも素人の娘たちで、
ある女性はその日、23人の米兵の相手をさせられたと回想している。
推計によれば、女性が施設で一日に相手にした米兵は、15人から60人に及んだという。
元タイピストの19歳の女性は、仕事を始めるとすぐに自殺した。
精神状態がおかしくなったり、逃亡する女性もいたという。

慰安施設の設置を依頼された東京都の防疫課長は与謝野光だった。
彼は歌人・与謝野晶子(1878~1942)の長男である。
すでに晶子はこの世の人ではなかったが、
女性解放論者であった彼女がこのことを知れば、嘆き悲しんだに違いない。
ちなみに与謝野光は自民党衆議院議員“与謝野馨”の伯父にあたる。
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』引用

戦後、日本軍の隠匿物資に群がり、終戦処理費(占領費)に群がり、
今もなお税金に群がり、特別会計に群がる一部官僚、政治屋、大企業。

まさに“一億総懺悔”悪いのは僕らです。知らなかったのだから。

そして21世紀の今日の東日本大震災と福一原発爆発事故。

復興庁なるものが立ち上げとかだが、そこに群がるのはやはり・・・・・

戦後復興、
そして大震災復興・・・





Posted by 昭和24歳  at 09:39 │Comments(0)

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