2012年02月18日
「三丁目の夕日」という幻想。
「三丁目の夕日」という幻想。

昭和33年にタイムトリップ!不滅の名作誕生の舞台裏。東京タワーができた年、毎日は明るく輝いていた…。
>毎日は明るく輝いていた…。
まあ、アレだ。やたら昭和、昭和と懐かしがるが・・・・・
昭和33年ですか。僕が9歳、祖母が亡くなった年。享年73歳。
まっ、僕の父や母だって戦争で東京を焼け出されて、母の実家の高崎へ。
たまたま、祖母の弟が九蔵町で家具製造販売を手広くやってた、そのおかげか、
高砂町の材木置き場に古材をかき集めて家を建てた。
まあ、昭和33年ですから、雨露がしのげれば、その程度のもんだった・・・・・
ていうか、まあ、戦災で幸運にも命があってその高砂町界隈「長屋」で雑踏としていた。
まあ、その長屋だって6畳一間に家族6人とか、当然台所なんてない。
共同水道に、まあ、七輪でもあればいいほうだった。その長屋の多くは「共同便所」。
そら、夏ともなればちょくちょく洪水で、まっ、下水なんて無かったから、肥溜め、
つまり、ボットン便所で、大雨が降って床下浸水なんてしょっちゅうだったから、そら汚いのって、言ったらなかった。
水が引くと決まって役所の人間が街中を消毒に回る・・・・・
まあ、食生活って言ったら、まあ、戦後まだ13年、そんな年なわけだから、いいはずがない。
子供にしたって、ハタケに、タムシ、どういうわけか一年中アオンバナ垂らしていたやつもいたし、
着てるもんて言ったら、どこんちも兄弟が多いいんでお下がりのお下がり、っていうかその最初だって古着。
当然、仕事なんかまともな仕事、こんな田舎町にそうあるわけじゃあない。
ほとんどが、日雇いだったんだろう、工場勤めとか、あとは職人、そして店員とか・・・・・・
そんなわけ給料なんてしれていた。
オヤジが蒸発しちゃったやつとか、母ちゃんが逃げちゃってとっ変えひっ変え、知らないおばさんがとか。
そら、夫婦喧嘩だって、まあそんなわけだから、そら大変です。子供だったけど・・・・・・
「大人って大変だなぁ」と。
で、世の中と来たら、まあ、そろそろ「公害騒ぎ」とか、安中の東邦亜鉛、イタイイタイ病。
日本中でそんな騒ぎばっかりしていた。
東京、渋谷の叔母の家に行く途中、水道道路のところには未だその時代「バラック」があった。
なんでも東京オリンピックで、綺麗に片付けられちゃったとかだが、そこに住んでいた子供たちって、
今頃は60代、70代、いつの間にかかき消されてしまっていた時代の風景・・・・・・
まあ、「ノスタルジー」だろうか、それとも「無力感」じゃねぇの、それって。
今、この現状、現実を何とかしようってぇんじゃなくて、あの薄汚れた、公害だらけの、
まあ、果たしてあの当時の人間が「助け合っていたか」なんて怪しいもんだ・・・・・・
そうじゃァなければ、受験戦争とかだって起きなかっただろうし、自分だけがよけりゃあいい式の、
サラリーマンの出世競争。
「誰もがみんな優しかった」、そんなわけねぇだろう。差別、格差社会、典型的なそれだった。
もしあの時代が、ほんとにいい時代だったんなら、今こんなに苦しみはしない。
ほんのひとにぎりの人間の豊かさのために・・・・・・
「三丁目の夕日」という幻想。

昭和33年にタイムトリップ!不滅の名作誕生の舞台裏。東京タワーができた年、毎日は明るく輝いていた…。
>毎日は明るく輝いていた…。
まあ、アレだ。やたら昭和、昭和と懐かしがるが・・・・・
昭和33年ですか。僕が9歳、祖母が亡くなった年。享年73歳。
まっ、僕の父や母だって戦争で東京を焼け出されて、母の実家の高崎へ。
たまたま、祖母の弟が九蔵町で家具製造販売を手広くやってた、そのおかげか、
高砂町の材木置き場に古材をかき集めて家を建てた。
まあ、昭和33年ですから、雨露がしのげれば、その程度のもんだった・・・・・
ていうか、まあ、戦災で幸運にも命があってその高砂町界隈「長屋」で雑踏としていた。
まあ、その長屋だって6畳一間に家族6人とか、当然台所なんてない。
共同水道に、まあ、七輪でもあればいいほうだった。その長屋の多くは「共同便所」。
そら、夏ともなればちょくちょく洪水で、まっ、下水なんて無かったから、肥溜め、
つまり、ボットン便所で、大雨が降って床下浸水なんてしょっちゅうだったから、そら汚いのって、言ったらなかった。
水が引くと決まって役所の人間が街中を消毒に回る・・・・・
まあ、食生活って言ったら、まあ、戦後まだ13年、そんな年なわけだから、いいはずがない。
子供にしたって、ハタケに、タムシ、どういうわけか一年中アオンバナ垂らしていたやつもいたし、
着てるもんて言ったら、どこんちも兄弟が多いいんでお下がりのお下がり、っていうかその最初だって古着。
当然、仕事なんかまともな仕事、こんな田舎町にそうあるわけじゃあない。
ほとんどが、日雇いだったんだろう、工場勤めとか、あとは職人、そして店員とか・・・・・・
そんなわけ給料なんてしれていた。
オヤジが蒸発しちゃったやつとか、母ちゃんが逃げちゃってとっ変えひっ変え、知らないおばさんがとか。
そら、夫婦喧嘩だって、まあそんなわけだから、そら大変です。子供だったけど・・・・・・
「大人って大変だなぁ」と。
で、世の中と来たら、まあ、そろそろ「公害騒ぎ」とか、安中の東邦亜鉛、イタイイタイ病。
日本中でそんな騒ぎばっかりしていた。
東京、渋谷の叔母の家に行く途中、水道道路のところには未だその時代「バラック」があった。
なんでも東京オリンピックで、綺麗に片付けられちゃったとかだが、そこに住んでいた子供たちって、
今頃は60代、70代、いつの間にかかき消されてしまっていた時代の風景・・・・・・
まあ、「ノスタルジー」だろうか、それとも「無力感」じゃねぇの、それって。
今、この現状、現実を何とかしようってぇんじゃなくて、あの薄汚れた、公害だらけの、
まあ、果たしてあの当時の人間が「助け合っていたか」なんて怪しいもんだ・・・・・・
そうじゃァなければ、受験戦争とかだって起きなかっただろうし、自分だけがよけりゃあいい式の、
サラリーマンの出世競争。
「誰もがみんな優しかった」、そんなわけねぇだろう。差別、格差社会、典型的なそれだった。
もしあの時代が、ほんとにいい時代だったんなら、今こんなに苦しみはしない。
ほんのひとにぎりの人間の豊かさのために・・・・・・
「三丁目の夕日」という幻想。
Posted by 昭和24歳
at 20:06
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