2012年02月16日

ブルースな人生、そして・・・「雲助バンド」40年ぶりの再会

ブルースな人生、そして・・・
「雲助バンド」40年ぶりの再会

ブルースな人生、そして・・・「雲助バンド」40年ぶりの再会

昨年の暮れ、一本のメール。

「懐かしいねぇ、雲助バンド・・・・・
お末ちゃんとか、オトヤとか元気にしてる?
今度会いたいね」


拙ブログ、「70年代のロック」を検索中にヒットしたんだとか・・・・・

今から40年前のこと、ミュージシャンを夢見て東京でのバンド修行生活だった。

僕はと言えば、「渋谷ジャンジャン」のオーディションには合格したとはいえ、

なかなかステージには立たせてもらえない日々が続いていた。

そんな時、やはり高崎からバンド修行で上京していたお末ちゃんの誘いで「雲助バンド」を手伝うことに。

都内のライブハウス、学園祭、そしてイベント屋のコンサートとか、半年くらいだったろうか・・・・・

リーダーは「鈴木キサブロー」、ツインリードで、もう一人がその同郷のお末ちゃん。

そしてボーカルは二十歳になったばかりの志保君、で、ベースがその当時ちょっとは鳴らしていたとかの、

南阿佐ヶ谷ブルースバンドの丸山さん、そしてドラムが僕、昭和24歳。

レパートリーはブルースとはいっても、リーダー、「鈴木キサブロー」の作詞作曲のオリジナル楽曲。

何曲かはマディの楽曲もあったがほとんどがそれだった・・・・・・

そしていつの間にか、というか半年ぐらいの活動で解散、で、僕はお金になるキャバレーバンドに転向。

お末ちゃんは、同棲していた彼女(今のカミさん)と高崎に帰った。

あれは昭和61年だから、その雲助バンド解散からちょうど干支が一回りしたあたりか、

長女が東小学校3年、次女が高崎保育所の年長の頃だったから。

その年のレコード大賞受賞のテレビ中継、「ディザイヤー」中森明菜だった。

そしてテレビの画面には作詞「阿木燿子」、作曲「鈴木キサブロー」と、そしてその作詞、作曲者の姿も。

僕は思わずお末ちゃんに電話して「テレビすぐに見て、キサブローが出てるよ、しかもレコ大に」。

雲助バンド解散後、レコーディングスタジオで働いていたところまでは聞いていたが、まさか。

その後、「鈴木キサブロー」は数々のヒット曲に恵まれ、まあ、僕とは別世界の人に。

あれから40年、まあ、情報社会というか、このグンブロです。このグンブロの拙ブログを、

その鈴木キサブローが偶然にもヒット・・・・・・

僕の書いた青春時代の昔話に、懐かしくてメールをしたんだとか。

「今度、丸山にも、志保にも声かけるから、新宿で“雲助バンド”の飲み会しないか」

そんなこんなで、今月の20日、新宿で、「雲助バンド」40年ぶりの再会。

懐かしいなぁ、当時、みんな20代前半、当たり前だけど(-_-;)

どんな姿になってるんだろう、ストレートのロン毛だったキサブローさん、やはり背中までたらしたロン毛の志保君。

ロン毛にパーマネントをかけてまるで忠臣蔵の討ち入りみたいなヘアースタイルだった丸山さん(笑)。

まあ、僕も、お末ちゃんもロン毛だったけど、さて、今はどんな風になってるんだろうか・・・・・

お末ちゃんも、僕も、すでにお祖父ちゃん(-_-;)。

「セッションでもしようか、雲助バンド」
「う~ん、作曲の仕事始めてからギター弾いてないしなぁ、ブルースの、でもやりたいね」


ホント、人生いろいろあるけど、まさか40年ぶりに再会できるなんて・・・・・

正直、昭和24歳、「グンブロ」に感謝感激の今日このごろです。

ブルースな人生、そして・・・
「雲助バンド」40年ぶりの再会




Posted by 昭和24歳  at 16:31 │Comments(0)

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