2011年12月21日
【ソース焼きそば】オリビアを聴きたくて(笑)。
【ソース焼きそば】
オリビアを聴きたくて(笑)。
中華屋さんのソース焼きそば@ラーメンハウス蘭蘭
何を頂いても美味しい『ラーメンハウス蘭蘭』さん、
今回は『ソース焼きそば』(500円)を頂いてきました。
<以下本文>
http://genki1ban.gunmablog.net/e211843.html
なぜか、「元気が一番」さんのブログ見てたら・・・・・・
「オリビア」が聴きたくなっちゃいました(笑)。
つまり、『ソース焼きそば』です。
まあ、なんで、『ソース焼きそば』が「オリビア」なんだか?
年のせいなんでしょうか、回顧でしょうか、30数年前のことがまさに走馬灯です。
『ソース焼きそば』
1979年、ひょんなことというか、香港を往復していたころのこと・・・・・・
香港で知り合った香港人、僕と同い年、30歳でした。
「王家昌」(ウォン・カーチョン)さん。
香港では僕のために楽器の買い付けに奔走してくれました。
そんな彼がある時、「日本に行きたい」と。
実は彼、30歳にして実業家というか、奥さんと「日本時装」・・・・・・
つまり、日本の洋服を専門に扱うブティックを経営していたわけです。
そんな彼が日本にやってきました。3か月滞在とのこと。
「おカネ、少しでいいから何か仕事ないか?」
ということで、僕が知り合いの「札幌ラーメン」を紹介、で、そこのマスターも快く。
「僕、日本語勉強したアルね」
まあ、「アルね」とは言いませんでしたけど(笑)。
で、三ヶ月もするとかなり日本語の会話も上達、で、いったん香港へ帰ることになり、
「中華料理が食べたいアルよ」
で、リクエストにお応えして、「らっちゃん」でした。
で、香港には普通、餃子っていえば飲茶の「蒸餃子」が定番で、
「焼き餃子」は「プアマンズマーケット」、つまり、夜店でしか売ってない・・・・・・
で、彼、「焼き餃子」は食べないわけです。
それではってぇんで、まあラーメンは「札幌ラーメン」でバイトでしたから毎日でした。
そんなわけで、コレ↓
「らっちゃんの焼きそば」
実は、香港にはこういう「焼きそば」はないんです。
まあ、餡かけとか、海鮮とかがたっぷりの、それも、飲茶ではない、チョットした食堂、レストランでしか。
で、もちろん僕も「らっちゃんの焼きそば」を注文・・・・・・
「それ、美味しいアルか?」
「ああっ、うんめぇぞ、食ってみる、アルね?」
で、彼、Mr.王家昌、らっちゃんの焼きそばを実食!!
僕のマネをして、ラー油をたっぷりかけて、ソースもたっぷり、でライスも。
「美味しい、美味しい、美味しいアルね、香港にはないアルね」
で、香港には日本のような「ソース」がないわけです。
「ヤップン・チャーミン、コレ、美味しいアル!!」
ヤップン(日本)チャーミン(焼きそば)。つまり、ソース焼きそば。
で、Mr.王家昌、一度香港に帰国して再来日するわけだけど・・・・・・
「ワタシ、香港で“ほか弁”商売したい」
まあ、Mr.王家昌、日本にいるときは僕の姉の家に下宿だったんだけど、
当時、高崎の町のあちこちに「ほか弁」がちらほらし始めてきて・・・・・
で、結構、実食していたらしい「のり弁」とか「シャケ弁」とか。
「ほか弁、香港で商売成功するアルね!!」
そんなわけで、もうすでに「ほか弁」開業を福建省ファミリーで決めていたらしい。
で、その「ほか弁」開業にあたって、僕に半年間手伝ってほしいと・・・・・・
まあ、そんなわけで半年間香港に行くことに。給料は日本円で30万円と売り上げ歩合。
とはいっても、僕がお店に出るわけではなく、日本からの輸入食材の仕分けとか、商品開発。
当然、「ヤップン・チャーミン」は、たしかインスタントのやつ。
ホントは蒸麺を輸入したかったんだけど、衛生局がうるさくて断念。
で、あとは彼、Mr.王家昌が高崎祭りで覚えた、たこ焼きとか焼鳥とか・・・・・・
で、香港はほぼ一年中夏なので「かき氷」もぜひとかだったんだが、氷がアウト。
つまり、水の状態が悪くて衛生局から許可が出ず、かといってミネラルウォーターでは高くつきすぎで、断念。
合羽橋で「かき氷器」も仕入れたのに、サンプルも仕入れたのにアウト(涙)。
香港ではメイドさんを雇えるとこ以外は三食が外食。
普通の商店でも、食堂からの出前を店の中で、商品の上で平気で食事。
そんなわけで、日本の「ほか弁屋」・・・・・
「日本健康食」
それが大繁盛。場所は香港三越の地下鉄出口のすぐそばの四つ角。
僕が帰る最後の前の晩に彼Mr.王家昌が誘ってくれたのが・・・・・
「グリース」
http://youtu.be/7oKPYe53h78
今32歳の次女が1歳のとき・・・・・・
高崎駅で特急「あさま」に乗る僕を長女、次女とママと見送り。
発車のベル、「あさま」のドアが閉まると、次女が大声をあげて泣き始めた。
Mr.王家昌とはその時以来会っていない。
僕もそれを最後に香港へは行ってない。
後に知ったことだが、福建省ファミリーが日本人を嫌っていたとか。
僕が日本へ帰る時、Mr.王家昌夫婦はいなかった、連絡も取れなかった・・・・・
僕を啓徳国際空港まで送ったのはそのファミリーのおじさん、50歳ぐらいだったか。
抗日運動家だったとか。
【ソース焼きそば】
オリビアを聴きたくて(笑)。
オリビアを聴きたくて(笑)。
中華屋さんのソース焼きそば@ラーメンハウス蘭蘭
何を頂いても美味しい『ラーメンハウス蘭蘭』さん、
今回は『ソース焼きそば』(500円)を頂いてきました。
<以下本文>
http://genki1ban.gunmablog.net/e211843.html
なぜか、「元気が一番」さんのブログ見てたら・・・・・・
「オリビア」が聴きたくなっちゃいました(笑)。
つまり、『ソース焼きそば』です。
まあ、なんで、『ソース焼きそば』が「オリビア」なんだか?
年のせいなんでしょうか、回顧でしょうか、30数年前のことがまさに走馬灯です。
『ソース焼きそば』
1979年、ひょんなことというか、香港を往復していたころのこと・・・・・・
香港で知り合った香港人、僕と同い年、30歳でした。
「王家昌」(ウォン・カーチョン)さん。
香港では僕のために楽器の買い付けに奔走してくれました。
そんな彼がある時、「日本に行きたい」と。
実は彼、30歳にして実業家というか、奥さんと「日本時装」・・・・・・
つまり、日本の洋服を専門に扱うブティックを経営していたわけです。
そんな彼が日本にやってきました。3か月滞在とのこと。
「おカネ、少しでいいから何か仕事ないか?」
ということで、僕が知り合いの「札幌ラーメン」を紹介、で、そこのマスターも快く。
「僕、日本語勉強したアルね」
まあ、「アルね」とは言いませんでしたけど(笑)。
で、三ヶ月もするとかなり日本語の会話も上達、で、いったん香港へ帰ることになり、
「中華料理が食べたいアルよ」
で、リクエストにお応えして、「らっちゃん」でした。
で、香港には普通、餃子っていえば飲茶の「蒸餃子」が定番で、
「焼き餃子」は「プアマンズマーケット」、つまり、夜店でしか売ってない・・・・・・
で、彼、「焼き餃子」は食べないわけです。
それではってぇんで、まあラーメンは「札幌ラーメン」でバイトでしたから毎日でした。
そんなわけで、コレ↓
「らっちゃんの焼きそば」
実は、香港にはこういう「焼きそば」はないんです。
まあ、餡かけとか、海鮮とかがたっぷりの、それも、飲茶ではない、チョットした食堂、レストランでしか。
で、もちろん僕も「らっちゃんの焼きそば」を注文・・・・・・
「それ、美味しいアルか?」
「ああっ、うんめぇぞ、食ってみる、アルね?」
で、彼、Mr.王家昌、らっちゃんの焼きそばを実食!!
僕のマネをして、ラー油をたっぷりかけて、ソースもたっぷり、でライスも。
「美味しい、美味しい、美味しいアルね、香港にはないアルね」
で、香港には日本のような「ソース」がないわけです。
「ヤップン・チャーミン、コレ、美味しいアル!!」
ヤップン(日本)チャーミン(焼きそば)。つまり、ソース焼きそば。
で、Mr.王家昌、一度香港に帰国して再来日するわけだけど・・・・・・
「ワタシ、香港で“ほか弁”商売したい」
まあ、Mr.王家昌、日本にいるときは僕の姉の家に下宿だったんだけど、
当時、高崎の町のあちこちに「ほか弁」がちらほらし始めてきて・・・・・
で、結構、実食していたらしい「のり弁」とか「シャケ弁」とか。
「ほか弁、香港で商売成功するアルね!!」
そんなわけで、もうすでに「ほか弁」開業を福建省ファミリーで決めていたらしい。
で、その「ほか弁」開業にあたって、僕に半年間手伝ってほしいと・・・・・・
まあ、そんなわけで半年間香港に行くことに。給料は日本円で30万円と売り上げ歩合。
とはいっても、僕がお店に出るわけではなく、日本からの輸入食材の仕分けとか、商品開発。
当然、「ヤップン・チャーミン」は、たしかインスタントのやつ。
ホントは蒸麺を輸入したかったんだけど、衛生局がうるさくて断念。
で、あとは彼、Mr.王家昌が高崎祭りで覚えた、たこ焼きとか焼鳥とか・・・・・・
で、香港はほぼ一年中夏なので「かき氷」もぜひとかだったんだが、氷がアウト。
つまり、水の状態が悪くて衛生局から許可が出ず、かといってミネラルウォーターでは高くつきすぎで、断念。
合羽橋で「かき氷器」も仕入れたのに、サンプルも仕入れたのにアウト(涙)。
香港ではメイドさんを雇えるとこ以外は三食が外食。
普通の商店でも、食堂からの出前を店の中で、商品の上で平気で食事。
そんなわけで、日本の「ほか弁屋」・・・・・
「日本健康食」
それが大繁盛。場所は香港三越の地下鉄出口のすぐそばの四つ角。
僕が帰る最後の前の晩に彼Mr.王家昌が誘ってくれたのが・・・・・
「グリース」
http://youtu.be/7oKPYe53h78
今32歳の次女が1歳のとき・・・・・・
高崎駅で特急「あさま」に乗る僕を長女、次女とママと見送り。
発車のベル、「あさま」のドアが閉まると、次女が大声をあげて泣き始めた。
Mr.王家昌とはその時以来会っていない。
僕もそれを最後に香港へは行ってない。
後に知ったことだが、福建省ファミリーが日本人を嫌っていたとか。
僕が日本へ帰る時、Mr.王家昌夫婦はいなかった、連絡も取れなかった・・・・・
僕を啓徳国際空港まで送ったのはそのファミリーのおじさん、50歳ぐらいだったか。
抗日運動家だったとか。
【ソース焼きそば】
オリビアを聴きたくて(笑)。
Posted by 昭和24歳
at 17:11
│Comments(2)
ソース焼きそばからオリビアまで、びっくりしました。(笑)
らっちゃんは未食なんです。
中央小の前の焼きそばは聞いたことがあります。
砂賀町の三明の焼きそばが平打ち麺だったような記憶があります。
ほか弁もいたる所にありました。
今のオールディーズさんの一階もほか弁でした。(一時期バイトしてました。)
懐かしいです。
>らっちゃんは未食なんです。
それは残念でした・・・・・
まあ、三明とも似てましたけど。
まあ、どちらかというと三明は大連系でした。
中央小の焼きそば。もちろん南小校門前にも、多分昭和30年代(笑)。