2011年10月08日
【小沢一郎】夕陽の政治、北風でもなく太陽でもなく。
【小沢一郎】夕陽の政治、
北風でもなく太陽でもなく。

戦後の日本が拠り所としてきたものが根本から崩れつつある今、ぶれず、流されず、こわばらずに続ける定点観測が教えてくれる抵抗のかたち。月に一度の『朝日新聞』への寄稿を、2001年から2003年まで3年分収録。
加藤周一講演会
老人と学生の未来-戦争か平和か
http://www.eizoudocument.com/0106katou.html
「誰が小沢一郎を殺したか」
民主党を政権の座につけたのは、日本の政治システムの問題を修復するという同党の約束を信じた日本の有権者たちである。つまり日本の有権者は、民主党と小沢氏に、日本が世界の先進大国となったあと何十年にもわたって続けられてきたやり方を変えてほしいと望んだのである。
本書のなかで私は、日本のシステムは超法規的であると記した。これは、そのようなシステムを真に民主的なやり方で制御する手段が、日本国民の手中にはないということを意味している。そしていま、このような超法規的なシステムを維持しようとする人々は、小沢氏が犯罪者であるかのように喧伝することで、国民を欺こうとしているのだ。
ソース:http://www.kadokawa.co.jp/wolferen2011/
熟読して、「小沢論」は確かにそうなのだが・・・・・・
「贔屓の引き倒し」という言葉もある。
僕が最初に読んだ氏の著書は「日本/権力構造の謎」。
もう20年くらい前だろうか。
外国人ジャーナリストというか、外国人から見た日本の深層は実に興味深かった。
この国の「アドミニストレーター」の正体。
つまり支配者だが、結局あの敗戦も「天皇」を玉(ギョク)に据え、まんまと占領軍も欺いた。
未だ、徳川政権の方が「天皇」の実権はあった。まあ、一般国民にはその存在を知らしめはしなかったが。
そこにある、「朝廷」という存在・・・・・・
まっ、摩訶不思議なこの国のシステム、つまり、「統治する」武家と、
その「統治」を支配する「朝廷」。
つまりは、「官僚」という行政、「支配システム」と、「政治家」という立法の「統治システム」。
つまり、そこにいう「支配システム」に「統治システム」の介入を赦さない、
官僚「役人」、つまり国家権力を以ってそこに「危惧」があれば、「政治」を殺す。
まあ、明治維新のそれは「官僚国家」、つまりは「朝廷政治」で、それは後付けの・・・・・・
「勝てば官軍」
結局、欧米列強の策謀に乗っかり、つまり、「革命政府」だが、その意味での真の改革者は葬られた。
もとい、民主党政権だが「カレル・ヴァン・ウォルフレン氏」の著書にはこうある。
>日本が世界の先進大国となったあと何十年にもわたって続けられてきたやり方を変えてほしいと望んだのである。
まあ、森、小泉、安倍、福田、そして麻生と、「自民党末期症状」に、小沢民主党の勢いは勝った・・・・・
コレまで投票行動を起こさなかった派遣社員とか、日雇いアルバイトの若者たちとかが民主党へと投票場になだれ込んだ。
「派遣村」には菅元代表も、鳩山由紀夫元代表も出かけ、「政権交代したら最低賃金は1000円超」とか、
ガソリンの特租税は廃止するとか、一に雇用、二に雇用、三四がなくて五に雇用とか。
沖縄米軍基地問題では「最低でも県外」とか、「年金通帳」とか・・・・・
まあ、リーマンショックに東日本大震災、福島第一原発事故、放射能汚染はあるにせよ、
どうだろう、今の「どぜう政権」は、公務員給与2割カットも、公務員宿舎建設も、八ッ場ダム建設も反故。
そして、挙句が「復興増税」だとか。
で、国会では仮免許のまま終わっちゃった菅総理、沖縄基地問題では何の手立てもなくたったの8ヶ月の鳩山総理。
そして出てきたのが、「何でこうなるの」の野田総理。
コレは、まったく違うところに「支配者」がいるとしか思えない、つまり「朝廷」をご真影の官僚。
そして小沢裁判は始まってしまった・・・・・
おそらくこの裁判はどちらに有利な判決が出たとしても長期化することは目に見えている。
「こんなむちゃくちゃな裁判、公訴は取り下げるべきだ」
小沢一郎元民主党代表からはそのような発言があった。
つまり、このままでは10年、20年「被告・小沢一郎」のままだ、そして最高裁まで・・・・・
つまり、この「起訴すべし」という、国家権力、検察さえもが二度にわたって「不起訴」としたものを、
「検察審査会」というところの二度の「起訴議決」、それが民意だとか。
まっ、それが「民意」、国民感情というなら、まさしくコレは「人民裁判」、「魔女狩り」でしかない。
つまり、「終わった」ということである。
夕陽の政治、北風でもなく太陽でもなく。
僕は夕陽が好きだ。
朝陽のように眩しくはなく、真昼の太陽のように熱くはなく・・・・・・
沈み行く大きな夕陽を見つめていると体の中から暖かくなる。
遠くにいるときは家族を思い浮かべ、過ぎ去った今日に感謝の気持ちが過る。
そして、「明日は何をしようか」、そんな希望さえ沸々と湧いてくる。
おそらくこの国は「夕陽の時代」。
もちろん、「落日」のそれではなく、暗闇ではない暖かな夕べ。
そして、静かに寝静まり、また、朝日を迎える・・・・・・
【小沢一郎】夕陽の政治、
北風でもなく太陽でもなく。
北風でもなく太陽でもなく。

戦後の日本が拠り所としてきたものが根本から崩れつつある今、ぶれず、流されず、こわばらずに続ける定点観測が教えてくれる抵抗のかたち。月に一度の『朝日新聞』への寄稿を、2001年から2003年まで3年分収録。
加藤周一講演会
老人と学生の未来-戦争か平和か
http://www.eizoudocument.com/0106katou.html
「誰が小沢一郎を殺したか」
民主党を政権の座につけたのは、日本の政治システムの問題を修復するという同党の約束を信じた日本の有権者たちである。つまり日本の有権者は、民主党と小沢氏に、日本が世界の先進大国となったあと何十年にもわたって続けられてきたやり方を変えてほしいと望んだのである。
本書のなかで私は、日本のシステムは超法規的であると記した。これは、そのようなシステムを真に民主的なやり方で制御する手段が、日本国民の手中にはないということを意味している。そしていま、このような超法規的なシステムを維持しようとする人々は、小沢氏が犯罪者であるかのように喧伝することで、国民を欺こうとしているのだ。
ソース:http://www.kadokawa.co.jp/wolferen2011/
熟読して、「小沢論」は確かにそうなのだが・・・・・・
「贔屓の引き倒し」という言葉もある。
僕が最初に読んだ氏の著書は「日本/権力構造の謎」。
もう20年くらい前だろうか。
外国人ジャーナリストというか、外国人から見た日本の深層は実に興味深かった。
この国の「アドミニストレーター」の正体。
つまり支配者だが、結局あの敗戦も「天皇」を玉(ギョク)に据え、まんまと占領軍も欺いた。
未だ、徳川政権の方が「天皇」の実権はあった。まあ、一般国民にはその存在を知らしめはしなかったが。
そこにある、「朝廷」という存在・・・・・・
まっ、摩訶不思議なこの国のシステム、つまり、「統治する」武家と、
その「統治」を支配する「朝廷」。
つまりは、「官僚」という行政、「支配システム」と、「政治家」という立法の「統治システム」。
つまり、そこにいう「支配システム」に「統治システム」の介入を赦さない、
官僚「役人」、つまり国家権力を以ってそこに「危惧」があれば、「政治」を殺す。
まあ、明治維新のそれは「官僚国家」、つまりは「朝廷政治」で、それは後付けの・・・・・・
「勝てば官軍」
結局、欧米列強の策謀に乗っかり、つまり、「革命政府」だが、その意味での真の改革者は葬られた。
もとい、民主党政権だが「カレル・ヴァン・ウォルフレン氏」の著書にはこうある。
>日本が世界の先進大国となったあと何十年にもわたって続けられてきたやり方を変えてほしいと望んだのである。
まあ、森、小泉、安倍、福田、そして麻生と、「自民党末期症状」に、小沢民主党の勢いは勝った・・・・・
コレまで投票行動を起こさなかった派遣社員とか、日雇いアルバイトの若者たちとかが民主党へと投票場になだれ込んだ。
「派遣村」には菅元代表も、鳩山由紀夫元代表も出かけ、「政権交代したら最低賃金は1000円超」とか、
ガソリンの特租税は廃止するとか、一に雇用、二に雇用、三四がなくて五に雇用とか。
沖縄米軍基地問題では「最低でも県外」とか、「年金通帳」とか・・・・・
まあ、リーマンショックに東日本大震災、福島第一原発事故、放射能汚染はあるにせよ、
どうだろう、今の「どぜう政権」は、公務員給与2割カットも、公務員宿舎建設も、八ッ場ダム建設も反故。
そして、挙句が「復興増税」だとか。
で、国会では仮免許のまま終わっちゃった菅総理、沖縄基地問題では何の手立てもなくたったの8ヶ月の鳩山総理。
そして出てきたのが、「何でこうなるの」の野田総理。
コレは、まったく違うところに「支配者」がいるとしか思えない、つまり「朝廷」をご真影の官僚。
そして小沢裁判は始まってしまった・・・・・
おそらくこの裁判はどちらに有利な判決が出たとしても長期化することは目に見えている。
「こんなむちゃくちゃな裁判、公訴は取り下げるべきだ」
小沢一郎元民主党代表からはそのような発言があった。
つまり、このままでは10年、20年「被告・小沢一郎」のままだ、そして最高裁まで・・・・・
つまり、この「起訴すべし」という、国家権力、検察さえもが二度にわたって「不起訴」としたものを、
「検察審査会」というところの二度の「起訴議決」、それが民意だとか。
まっ、それが「民意」、国民感情というなら、まさしくコレは「人民裁判」、「魔女狩り」でしかない。
つまり、「終わった」ということである。
夕陽の政治、北風でもなく太陽でもなく。
僕は夕陽が好きだ。
朝陽のように眩しくはなく、真昼の太陽のように熱くはなく・・・・・・
沈み行く大きな夕陽を見つめていると体の中から暖かくなる。
遠くにいるときは家族を思い浮かべ、過ぎ去った今日に感謝の気持ちが過る。
そして、「明日は何をしようか」、そんな希望さえ沸々と湧いてくる。
おそらくこの国は「夕陽の時代」。
もちろん、「落日」のそれではなく、暗闇ではない暖かな夕べ。
そして、静かに寝静まり、また、朝日を迎える・・・・・・
【小沢一郎】夕陽の政治、
北風でもなく太陽でもなく。
Posted by 昭和24歳
at 19:32
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