2008年08月12日
平和とは何か・・・・・
東条英機陸軍大将、首相の終戦直前の手記が・・・・・
戦争目的を「東亜安定と自存自衛」としたうえで、ポツダム宣言受諾を「敵側の隷属化に立つに至る」とつづっている。
また、敗戦理由を「敵の脅威におびえ簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」としながらも、
開戦に及んだ指導者としての責任に触れている。
その東条大将の言う「東亜安定と自存自衛」とはなんだったのか・・・・・
それは戦争という手段にうったえなければ得られないものだったのか・・・・・
しかし、国力の全てを使い果たして、戦争という手段にうったえても結果として「東亜安定と自存自衛」は得られなかった。
それどころか、たった4年間という短期間のうちに300万余人の国民の命を犠牲にし数千万の戦争罹災者を出し・・・・・
結局今にしてみればそこのところの歴史的検証はほとんど聞かれないが、
満州事変、日中戦争にはじまり、いわゆる「軍人の暴走」、その戦時中の大本営発表がその典型ではなかったか。
国力が数十倍の米国と「大和魂」、精神力だけで戦をするという馬鹿げているとしかいえない軍政。
最初から全く勝つ見込みのなかった戦争になぜ暴走したのか・・・・・
しまいには、国体護持に「一億総玉砕」という信じられない発想をした時の首相。
そして国民の全てが死しても天皇陛下を守り抜くといった国家神道思想・・・・・・・
そこには、戦後、国民に向けてのその戦争の総括は一切ないまま、その歴史を引きずりながら、
今日の日本国はその過去の歴史の中に、相変わらず外交的には右往左往しているだけ。
昨日今日の拉致問題の「日朝交渉」でも日本側には何一つ切り札がない・・・・・
領土問題でも竹島、尖閣諸島と何一つ切り札がない。
つまり日本の政治は結果予測が全くなく、そしてそこの結果責任をとるということも全くない・・・・・・
その昭和の大戦にしても「東亜安定と自存自衛」というが、それが数十倍もの国力のアメリカと戦争をすることによって、
「東亜安定と自存自衛」が得られると結果予測したのか・・・・・・
そしてもし、それでも「東亜安定と自存自衛」が得られなかった場合の政治責任はどうなるのかも言明したのか。
それが「神州不滅」とかの、「負けるはずがない」といった荒唐無稽な武士道精神・・・・・・
軍人、軍政のトップがそのような盲論を平気で口にしていた歴史的事実。
それを思うと、今この国で「平和」を云々することが滑稽に思えてならない。
8月15日・・・・・
なぜ、終戦に8月15日まで要したのか。
7月26日に、日本への降伏条件の盛られた「ポツダム宣言」がすでに発せられていた・・・・・・
よしんば、その時点でその「ポツダム宣言」を受諾していれば、ソ連参戦、満洲での悲劇もなかっただろうし、
当然、ヒロシマ、ナガサキもなかった・・・・・・
それどころか、ソ連が参戦、ヒロシマ、ナガサキへの原水爆投下にも「ポツダム宣言受諾」に右往左往していた・・・・・
何のためだったのか、国体護持のためとかいうが、その国体とは原水爆投下で数十万人の国民を犠牲にしても守らなければならないものだったのか・・・・・・
そして、その後「ポツダム宣言」を受諾したことによってその国体は守られたのか・・・・・・
守られたとしたら、どのような形で守られたのか・・・・・・
久間元防衛大臣は「原爆投下はしょうがなかった」と発言したが、
そもそも、対米宣戦布告という、あり得ない行動に出た時の政府こそ「どうしょうもない」ということではなかったのか。
敗戦後の45年9月11日東條はGHQによって逮捕される寸前にピストルで自殺、未遂に終わる。
その前日の10日アメリカの従軍記者の会見に応じて東條は、
「現在わしは百姓」との心境を述べたのち、「戦争犯罪者については」の質問に、
「戦争犯罪者?それは勝者が決定するものだ、日本的解釈だが私は、戦争犯罪者ではない、戦争責任者なのだ」
と語っていた(1945〔昭和20〕年9月13日付『読売新聞』--『新聞集成・昭和史の証言』第19巻336頁)。
「私は、戦争犯罪者ではない、戦争責任者なのだ」
その一文だが、戦争犯罪者ではないにしろ、その戦争責任者ならその戦争責任をどうとるつもりだったのか・・・・・
その意味では、その戦争責任者は他にも大勢いたはずではなかったか。
つまりは、極東軍事法廷で裁かれて、絞首刑になってすむ話ではなかったはずだ・・・・・
なぜなら、未だそれら全てのことにホオカムリを決め込みこの国の中枢にいる、戦争責任者、そしてその子孫。
全てがうやむやのまま次世代に繋がれる・・・・・・
そして、戦後世代でさえそろそろこの世から去らんとする今日、
革めてそこで言う「戦争責任者」を明らかにしておくときではないのか・・・・・・
戦争目的を「東亜安定と自存自衛」としたうえで、ポツダム宣言受諾を「敵側の隷属化に立つに至る」とつづっている。
また、敗戦理由を「敵の脅威におびえ簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」としながらも、
開戦に及んだ指導者としての責任に触れている。
その東条大将の言う「東亜安定と自存自衛」とはなんだったのか・・・・・
それは戦争という手段にうったえなければ得られないものだったのか・・・・・
しかし、国力の全てを使い果たして、戦争という手段にうったえても結果として「東亜安定と自存自衛」は得られなかった。
それどころか、たった4年間という短期間のうちに300万余人の国民の命を犠牲にし数千万の戦争罹災者を出し・・・・・
結局今にしてみればそこのところの歴史的検証はほとんど聞かれないが、
満州事変、日中戦争にはじまり、いわゆる「軍人の暴走」、その戦時中の大本営発表がその典型ではなかったか。
国力が数十倍の米国と「大和魂」、精神力だけで戦をするという馬鹿げているとしかいえない軍政。
最初から全く勝つ見込みのなかった戦争になぜ暴走したのか・・・・・
しまいには、国体護持に「一億総玉砕」という信じられない発想をした時の首相。
そして国民の全てが死しても天皇陛下を守り抜くといった国家神道思想・・・・・・・
そこには、戦後、国民に向けてのその戦争の総括は一切ないまま、その歴史を引きずりながら、
今日の日本国はその過去の歴史の中に、相変わらず外交的には右往左往しているだけ。
昨日今日の拉致問題の「日朝交渉」でも日本側には何一つ切り札がない・・・・・
領土問題でも竹島、尖閣諸島と何一つ切り札がない。
つまり日本の政治は結果予測が全くなく、そしてそこの結果責任をとるということも全くない・・・・・・
その昭和の大戦にしても「東亜安定と自存自衛」というが、それが数十倍もの国力のアメリカと戦争をすることによって、
「東亜安定と自存自衛」が得られると結果予測したのか・・・・・・
そしてもし、それでも「東亜安定と自存自衛」が得られなかった場合の政治責任はどうなるのかも言明したのか。
それが「神州不滅」とかの、「負けるはずがない」といった荒唐無稽な武士道精神・・・・・・
軍人、軍政のトップがそのような盲論を平気で口にしていた歴史的事実。
それを思うと、今この国で「平和」を云々することが滑稽に思えてならない。
8月15日・・・・・
なぜ、終戦に8月15日まで要したのか。
7月26日に、日本への降伏条件の盛られた「ポツダム宣言」がすでに発せられていた・・・・・・
よしんば、その時点でその「ポツダム宣言」を受諾していれば、ソ連参戦、満洲での悲劇もなかっただろうし、
当然、ヒロシマ、ナガサキもなかった・・・・・・
それどころか、ソ連が参戦、ヒロシマ、ナガサキへの原水爆投下にも「ポツダム宣言受諾」に右往左往していた・・・・・
何のためだったのか、国体護持のためとかいうが、その国体とは原水爆投下で数十万人の国民を犠牲にしても守らなければならないものだったのか・・・・・・
そして、その後「ポツダム宣言」を受諾したことによってその国体は守られたのか・・・・・・
守られたとしたら、どのような形で守られたのか・・・・・・
久間元防衛大臣は「原爆投下はしょうがなかった」と発言したが、
そもそも、対米宣戦布告という、あり得ない行動に出た時の政府こそ「どうしょうもない」ということではなかったのか。
敗戦後の45年9月11日東條はGHQによって逮捕される寸前にピストルで自殺、未遂に終わる。
その前日の10日アメリカの従軍記者の会見に応じて東條は、
「現在わしは百姓」との心境を述べたのち、「戦争犯罪者については」の質問に、
「戦争犯罪者?それは勝者が決定するものだ、日本的解釈だが私は、戦争犯罪者ではない、戦争責任者なのだ」
と語っていた(1945〔昭和20〕年9月13日付『読売新聞』--『新聞集成・昭和史の証言』第19巻336頁)。
「私は、戦争犯罪者ではない、戦争責任者なのだ」
その一文だが、戦争犯罪者ではないにしろ、その戦争責任者ならその戦争責任をどうとるつもりだったのか・・・・・
その意味では、その戦争責任者は他にも大勢いたはずではなかったか。
つまりは、極東軍事法廷で裁かれて、絞首刑になってすむ話ではなかったはずだ・・・・・
なぜなら、未だそれら全てのことにホオカムリを決め込みこの国の中枢にいる、戦争責任者、そしてその子孫。
全てがうやむやのまま次世代に繋がれる・・・・・・
そして、戦後世代でさえそろそろこの世から去らんとする今日、
革めてそこで言う「戦争責任者」を明らかにしておくときではないのか・・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 16:44
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