2011年06月28日

ギター工房再起動するⅡ

ギター工房再起動するⅡ

ギター工房再起動するⅡ

1992年、LAの工房で、Dave 社長と・・・・・

で、後ろにあるのが20年、30年とシーズニングされた木材。

ソレをデザインして行くのが至極の喜びです。




アニメ「けいおん!」“モデル”京都の楽器店 修学旅行の“聖地”に

 古都・京都に、関東などからの修学旅行の女子高生が訪れる“聖地”がある。京都市中京区にある楽器店「JEUGIA(ジュージヤ)三条本店」。店内のあちこちから、女子高生の携帯カメラのシャッター音が聞こえてくる。

 平成21年に放映された深夜アニメ「けいおん!」(TBS系)は、廃部寸前の軽音楽部を4人の女子高校生が立て直す物語。楽器に触れたこともないヒロインの一人がエレキギターを購入、バンド活動の第一歩を踏み出す場面に登場する店が「10GIA」だ。

<抜粋引用:2011.6.28 08:13 (1/2ページ)産経ニュース>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/life/news/110628/trd11062808140007-n1.htm

「けいおん」とかだけど・・・・・・

僕らの時代とは隔世です。当たり前だけど(笑)。

で、娘が高二で、「けいおん」です。

で、高校入学と同時に始めた「ベース」、ちょうど丸一年だけど、

まあ、親バカですけど、専門家のはしくれとしては、

「コイツ、イケます」。

まず、「耳」がいいってぇこと、&多少楽譜が理解できる・・・・・・

で、パパ(僕のこと)がドラム教室やってるってぇのに、ドラムじゃあなくて敢えてベースって、

つまり、僕に叱られるのがいやだから(嗤)。

たしかに、中学の時何度か教室でトレーニングしたんだけど、自分の娘だと怒っちゃう。

まあ、他所様のお子様は徹底的に誉めちぎりますけど、でも、「褒め殺し」ではありません。

誉めることによって、ものすごく上達が早くなります、個人差はありますけど。

そんなわけで、娘、始めて一年にしてはかなりの上達、練習を聴いてても、グッドです。

で、「ギター工房再起動」だけど・・・・・・

「ギター工房」っていうか、ギターの製作会社。

34歳から始めて48歳まで東京の某所でやってたわけです。

そのギター製作会社、元々はアメリカ人がオーナーで、で、イロイロあって、

つまり、アメリカ独特の「ビジネス」ってぇやつでしょうか、

オーナー、見切りつけるのが早くて、2年ほどでアウトで、そのギターメーカー・・・・・・

まあ、一世を風靡しましたね。でも、やっぱり浮き沈みが激しい世界ですから、

大量に在庫を抱えたまま休眠でしょうか。

でも、昭和64年に本格的に日本でのセールスを再起動させた、昭和24歳。

まあ、アメリカから送ったPUアッセンブリ―とかハードウエアを東京の某所で組み立てて、

ボディ、ネック部分はアメリカにもそうは在庫がありませんでしたから、

ソレでも、総数は200台分くらいはあったでしょうか、アメリカからギタービルダー職人を呼んで、

最初のセールス分は徹夜の連続でセットアップ。

で、その他のボディ、ネックの木地材はアメリカで買い付けたものを・・・・・・・

中信は松本の生地職人のところで、まあ、完成度100%を要求するわけです。

木取り、木工、磨き、そして塗装と、そんなわけですから当然、韓国製とかが増え始めた時代、

ギターの価格はどんどん下がってゆく中、僕んちだけはどんどん高くなって行く(笑)。

一番高価だったのは、それでも54万円のオールローズのオールオリジナルパーツ。

ってぇのも昭和60年、アメリカ製のオールローズのボディ、ネックは、

ボディが12万円(定価)、ネックも12万円で、テレキャスタータイプだったんですけど、

ハンドメイド、オリジナル、ピックアップアッセンブリ―がやはり12万円(HBPUx2)・・・・・・

それに、オイル仕上げにラッカー塗装、まあ、仕上げに1カ月はかかりますから。

そんなわけで、小売店卸値が、いわゆる65掛けですから、そんなわけでよく売れたなぁと(^^ゞ

まあ、僕んちの製品ですけど、アメリカで一世風靡していた頃は、っていうか、その頃はっていうか、

始まりは、「リプレースメントパーツメーカー」で、まあ、その時代の直前まで、アメリカのロックは終わってました。

つまり、「70年代の終焉」です。まっ、並いるロックバンドは解散したり、休活したり・・・・・・

で、そんな中でも活動していた、ジェフ・ベック、リッチー・ブラックモア、

そしてフ―のピート・タウンゼントとかとか、で、日本ではまだいませんでしたね使ってる人。

たしか、1977年です。長女がちょうど10か月になった1月のLA、ウィンターNAMM。

アメリカに行ってた元バンドメンバーからの電話・・・・・・

「ユー、スッゲェーギターメーカーがデビューだぞ !! 」

で、そいつ、LAのハリウッドで、「リペアショップ」やってて、そのリペアショップ仲間が立ち上げたんだとか。

で、行きました、VG、アンカレッジ経由で、チケットRTで11万円(FIX)、今じゃあ信じられないけど・・・・・・

で、“NAMM”です。アナハイムコンベンションセンター。ディズニーランドのすぐ近くっていうか、

道を挟んでディズニーランド。で、その頃はまだ周りはストロベリーフィールドだらけ(笑)。

まあ、なんていうか、その時の“NAMM”は異様な雰囲気に包まれてました。つまり、時代はアメリカ、

戦後復興です。ベトナム戦争に負けちゃったわけですから。

たしかに、反戦で、「ロック」最高潮に達したのが“WOODSTOCK”1969年・・・・・・・

その意味では全てが終わったアメリカ。そしてベトナム戦争に徴兵されたアメリカ軍兵士は「団塊世代」。

まあ、そんな時です、アメリカのミュージック・ムーヴメントっていうか新たな萌芽です。

クロスオーヴァーとかフ―ジョンとかで、アースウィンド&ファイヤー(EWF)とかTOTO(東陶?)

で、LAが本場でしたその時代、で、まあ、フェンダーもギブソンも落ち目の三度傘でしたから(笑)。

作りの悪い、70年代のソレらは、まず「リペア」しないと使い物にならないとか、で・・・・・・

ボディ、ネックのリプレイスとか、ピックアップアッセンブリ―の、ハードウエアのリプレイスとか、

そんなわけで、LAを震源に、いわゆる「コンポーネントギター」の誕生です。

まあ、僕んちは元祖だったわけです。まっ、僕がソレに最初にかかわったのは1982年でしたから、

その元祖「コンポーネントギター」も本国では終わっちゃってました。

で、その間日本でも「スタジオミュージシャン」がバリバリの時代になってきたわけです。

で、日本でもフ―ジョンとかの大ブームで軽井沢でのスティーブ・ルカサーが使ってましたね。

「ルカサーー・レッド」(シー・スルー・レッド)のやつで、レッドブラスのピックガード。

あっ、ピックアップアッセンブリ―をリプレイスしたストラとをジェフ・ベックが使ってましたね。

まあ、僕んちでエンドースしていませんでした、当時の日本の代理店でした・・・・・

で、イロイロあって、代理店契約も終了して直接製造卸ですからそら大変なんてぇもんじゃあなかった。

もっとも、若かったけど、でも、34歳の秋でした。

で、エレキの行商ですけど、日本全国(沖縄以外)沖縄以外は全国行脚(笑)。

まあ、コレからはネットの時代ですから、まあ、歳だし全国行脚はないけど、

ユーザーの創りたい音とか、そのジャンルにあったサウンド創り、

ピックアップも、パーツもオリジナルで作っちゃいます。

で、まあ、工房直販ですので、時にはアウトレットも出しちゃいましょう・・・・・・・

まっ、相談事だけでも結構ですので、メールでもください。

あっ、仙台の“K”さん、あっ、K楽器のです。このたびは災難でしたね。

メールしようと思ってるんですけど、あのHPから検索できません。

それと、札幌の時計台ショップで主任だった“I”さん、なんでも仙台に転勤になって、

ご実家、石巻の駅の近くで雑貨屋さんだったとか・・・・・・

案じております。よろしかったらメールなどを、ぜひ。

ギター工房再起動するⅡ




Posted by 昭和24歳  at 14:17 │Comments(1)

この記事へのコメント
楽器を製作できるって、すごいですo(^▽^)o

僕はエレキ系の演奏は不調法です。何年か前にオヤジバンドとかで、ベースをかじりましたが…(フェンダー・ジャズベースは断捨離できません;)
Posted by 忠やん at 2011年06月29日 01:50
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