2008年07月26日
青春とはなんだ
とある地方の高校を舞台としたいわゆる「学園モノ」の第一号が、この昭和41年日テレで放送の・・・・・・・
「青春とはなんだ」
だった。
原作は石原慎太郎。主役の先生に夏木陽介扮する“野々村健介”。
ラグビーを通じて町の古い体質とたたかう熱血教師役を「さわやかに」演じました。
のちに昭和46年の「これが青春だ」では“竜雷太”、昭和47年放送開始の「飛び出せ!青春」の“村野武範”へとつづいた・・・・・
そう、その「学園モノ」。
そしてこの「学園モノ」に刺激されるようにして大学に進学、ラグビー部と“熱血教師”を夢見た同級生、先輩も何人かいた。
しかし、そんな同級生や先輩がその“熱血教師”を成就した話は未だ知らない。
おそらく、その同級生や、先輩が念願成就していれば今ごろは・・・・・・
どこぞの市か県のご案内の『教育長』か県教育委員会ナンバー2の『教育審議監』にご栄達のことかも(笑)。
あに図らんや、それが挫折であったのか、それとも時は高度経済成長期、日本列島改造“今太閤”の時代もっといい話があったのかは知らないが、
今日、囚われの身となったその“ナンバー2”だか“ナンバー3”だか、いずれも教頭、校長上がりとのご案内だが・・・・・・
どう贔屓目に見ても今日日のそのお姿からはその“熱血教師”の趣は見えない。
そうなのだ!!
「青春とはなんだ」であり、「これが青春だ」であり、「飛び出せ!青春」
それが、「教育」の、いまさら“青い”と言われるかも知れないが、それは「汚れない」、聖域、然るになん人からも侵されてはならない、然るに、四方やその聖域に嘱する者がその聖域に嘱する者同士が「ワイロ」を贈ったり贈られたり・・・・・
しかもそれを当然のことと、反省すらなく、発覚するとなるや「証拠隠滅」を工作すると言った破廉恥極まりない所業。
さらに、つまりは聖域、登竜門の命綱を裁可するものが「地獄の沙汰もカネ次第」のさまで、
「コネ・カネ・縁故」のある子弟には落第でも手心、加点し、「コネ・カネ・縁故」のない子弟は合格しているにもかかわらず、
驚くことに神をも畏れぬ所業、誰も知らぬところで「減点」を工作し落第にする。
しかし、どうやら世間ではその「合格」を減点、「不合格」によることをあまり問題視していないようだ。
なぜだ、本丸の文科省からして全くと言っていいほどそこのところが聞こえてこない。
これは、明らかに「人権侵害」であるし、「人種差別」なのだ。
特定の「人種」でなければ、落第の特定の「人種」を合格させるためにそこに生じた確かな「権利」を抹殺する。
そのようなことが許されていいはずがない。このことはこの国の存在、存亡にも関わることなのである。
事の重大さは「公教育」を犯した、汚した、それ以上に「殺した」に等しい行為ではないのか。
なぜなら、そこでの過去における被害者は全くの「冤罪」で不合格とされ、いや、「冤罪」ではない、一人の強欲な愚かな人間によって・・・・・
そしてそれは「公権力」によって抹殺されたと言うことに他ならない。
だから、本丸の文科省も、本丸の本丸の政府も一切その「公権力犯罪」には言及しない。
なぜなら、それはなにも「教員採用試験」だけではなく、“科挙”・・・・・・
差別思想からの公権力による、一般国民の「差別」。その行為が日常事に行われているからだろう。
「アリの一穴」
根底から崩れ去る「公権力」と「公教育」・・・・・・
昨日までの「教育基本法」云々が、チャンチャラ可笑しい。
戦争に負けて60余年。
時の敗戦国、その国家権力は崩壊していた。占領軍との様々な工作、命乞いの売国、それも人情だろう。
見せしめの「A級戦犯の絞首刑」。もっともそこでは何の責任もないはずの、
ただ、上官の命令、天皇陛下の命令で捕虜虐待とかでMPに引っ括られて絞首刑なんていう哀れな帝国陸軍兵もいた・・・・・
そんな時代から、いつしか「六〇年安保世代」が終焉し今や「70年安保世代」が終わりかける時代。
あの、賄賂を贈って逮捕された元校長で義務教育家課長、教頭夫婦・・・・・・
笑えるのが不正を働いて長男長女をその親、52歳と50歳。ということは昭和31年生まれと、33年生まれだろう。
彼らが教職に就いたのがおそらく昭和54、5年。その意味ではこのニッポンは将来に向けて輝いていた時代だったと述懐する。
上越新幹線の開通、関越高速の全線開通と「日本列島改造」の総仕上げの時代・・・・・
後の“義務教育課長”の父親と“教頭”の母親が長男長女の「教員採用試験ワイロ工作」をしてしまうそんな時代を想像しただろうか。
ところで彼らは「ワイロ」をなんと心得ているのだろうか・・・・・・
「100万円」、「200万円」とそのために渡す行為を、そこに躊躇いはなかったのか。
察するに、夫婦で教職とあらばその年間家計所得は今日の国民平均の10倍近いはずである。
「バレルはずがない」「みんなやっている」「仲間内じゃあないか」
事の善悪をもっとも範とするべき教職者がその「最悪」になんの躊躇いもなかったとするなら、
この国は最早救いようのない、自浄作用のない亡国だとしか言いようがない。
教育界、自ら「自浄」しなければこのことの解決策は何処にもない。
あっただろう・・・・・・
「青春とはなんだ!!」
のそれが・・・・・・!!!
「青春とはなんだ」
だった。
原作は石原慎太郎。主役の先生に夏木陽介扮する“野々村健介”。
ラグビーを通じて町の古い体質とたたかう熱血教師役を「さわやかに」演じました。
のちに昭和46年の「これが青春だ」では“竜雷太”、昭和47年放送開始の「飛び出せ!青春」の“村野武範”へとつづいた・・・・・
そう、その「学園モノ」。
そしてこの「学園モノ」に刺激されるようにして大学に進学、ラグビー部と“熱血教師”を夢見た同級生、先輩も何人かいた。
しかし、そんな同級生や先輩がその“熱血教師”を成就した話は未だ知らない。
おそらく、その同級生や、先輩が念願成就していれば今ごろは・・・・・・
どこぞの市か県のご案内の『教育長』か県教育委員会ナンバー2の『教育審議監』にご栄達のことかも(笑)。
あに図らんや、それが挫折であったのか、それとも時は高度経済成長期、日本列島改造“今太閤”の時代もっといい話があったのかは知らないが、
今日、囚われの身となったその“ナンバー2”だか“ナンバー3”だか、いずれも教頭、校長上がりとのご案内だが・・・・・・
どう贔屓目に見ても今日日のそのお姿からはその“熱血教師”の趣は見えない。
そうなのだ!!
「青春とはなんだ」であり、「これが青春だ」であり、「飛び出せ!青春」
それが、「教育」の、いまさら“青い”と言われるかも知れないが、それは「汚れない」、聖域、然るになん人からも侵されてはならない、然るに、四方やその聖域に嘱する者がその聖域に嘱する者同士が「ワイロ」を贈ったり贈られたり・・・・・
しかもそれを当然のことと、反省すらなく、発覚するとなるや「証拠隠滅」を工作すると言った破廉恥極まりない所業。
さらに、つまりは聖域、登竜門の命綱を裁可するものが「地獄の沙汰もカネ次第」のさまで、
「コネ・カネ・縁故」のある子弟には落第でも手心、加点し、「コネ・カネ・縁故」のない子弟は合格しているにもかかわらず、
驚くことに神をも畏れぬ所業、誰も知らぬところで「減点」を工作し落第にする。
しかし、どうやら世間ではその「合格」を減点、「不合格」によることをあまり問題視していないようだ。
なぜだ、本丸の文科省からして全くと言っていいほどそこのところが聞こえてこない。
これは、明らかに「人権侵害」であるし、「人種差別」なのだ。
特定の「人種」でなければ、落第の特定の「人種」を合格させるためにそこに生じた確かな「権利」を抹殺する。
そのようなことが許されていいはずがない。このことはこの国の存在、存亡にも関わることなのである。
事の重大さは「公教育」を犯した、汚した、それ以上に「殺した」に等しい行為ではないのか。
なぜなら、そこでの過去における被害者は全くの「冤罪」で不合格とされ、いや、「冤罪」ではない、一人の強欲な愚かな人間によって・・・・・
そしてそれは「公権力」によって抹殺されたと言うことに他ならない。
だから、本丸の文科省も、本丸の本丸の政府も一切その「公権力犯罪」には言及しない。
なぜなら、それはなにも「教員採用試験」だけではなく、“科挙”・・・・・・
差別思想からの公権力による、一般国民の「差別」。その行為が日常事に行われているからだろう。
「アリの一穴」
根底から崩れ去る「公権力」と「公教育」・・・・・・
昨日までの「教育基本法」云々が、チャンチャラ可笑しい。
戦争に負けて60余年。
時の敗戦国、その国家権力は崩壊していた。占領軍との様々な工作、命乞いの売国、それも人情だろう。
見せしめの「A級戦犯の絞首刑」。もっともそこでは何の責任もないはずの、
ただ、上官の命令、天皇陛下の命令で捕虜虐待とかでMPに引っ括られて絞首刑なんていう哀れな帝国陸軍兵もいた・・・・・
そんな時代から、いつしか「六〇年安保世代」が終焉し今や「70年安保世代」が終わりかける時代。
あの、賄賂を贈って逮捕された元校長で義務教育家課長、教頭夫婦・・・・・・
笑えるのが不正を働いて長男長女をその親、52歳と50歳。ということは昭和31年生まれと、33年生まれだろう。
彼らが教職に就いたのがおそらく昭和54、5年。その意味ではこのニッポンは将来に向けて輝いていた時代だったと述懐する。
上越新幹線の開通、関越高速の全線開通と「日本列島改造」の総仕上げの時代・・・・・
後の“義務教育課長”の父親と“教頭”の母親が長男長女の「教員採用試験ワイロ工作」をしてしまうそんな時代を想像しただろうか。
ところで彼らは「ワイロ」をなんと心得ているのだろうか・・・・・・
「100万円」、「200万円」とそのために渡す行為を、そこに躊躇いはなかったのか。
察するに、夫婦で教職とあらばその年間家計所得は今日の国民平均の10倍近いはずである。
「バレルはずがない」「みんなやっている」「仲間内じゃあないか」
事の善悪をもっとも範とするべき教職者がその「最悪」になんの躊躇いもなかったとするなら、
この国は最早救いようのない、自浄作用のない亡国だとしか言いようがない。
教育界、自ら「自浄」しなければこのことの解決策は何処にもない。
あっただろう・・・・・・
「青春とはなんだ!!」
のそれが・・・・・・!!!
Posted by 昭和24歳
at 15:20
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