2010年10月18日
「無縁社会」の現実。
「無縁社会」の現実。

・・・・・2030年以降の非婚率は30%を超えるであろうと予測されている。30代、40代ですでに社会から孤立する者が急速に増えている。これらは差こそあれ、日本に限らず先進国一般の風潮であり社会問題化している。
<Wikipedia抜粋引用>
おひとりさまの行く末には不安山積!
他人事ではない「無縁社会」の衝撃
先日、アルお方とこの「無縁社会」についてお話しさせていただく機会があった。
まあ、昨今の子殺し、親殺し、っていうか「死人」、100歳が戸籍上生存、年金目当てとか。
このところ急激に不況、貧困からかコレまでと全く異質な様相をソレラ事件は呈している・・・・・・
典型的なのがやはり、大阪の「下村早苗事件」だろう。
そしてその顛末も、普通では想像できないものとなって報道されている。
この、「下村早苗事件」の場合、その「下村早苗」の境遇はその意味ではけして、
「無縁」という環境ではない。
つまり、「放縁」から「棄縁」、「断縁」ということだろうか。
子どもの頃から現実、ネグレクトされつづけていた「下村早苗」は当然、両親も、姉妹もいたにもかかわらず、
実際、その両親からはそのネグレクトの延長線上で「棄縁」され・・・・・・
離婚した元夫、そしてその家族からは「離縁」、いや、「棄縁」されどこにもすがるところがなかった。
そのことは、「下村早苗」の言葉、供述とかではなく、実の父親の言動から放縁」されていたことが実証されている。
そして、その意味での「被害者」であるはずの「下村早苗」がわが子をネグレクトし、餓死させ、
さらに、その遺体すらも遺棄してしまっていた。
つまり、「家族」という普通の「縁」がありながら、それがメチャメチャに壊されていた・・・・・・
そしてまたこういう事件↓
父親を死体遺棄容疑で逮捕=アパート1歳女児遺体―茨城県警
時事通信 10月18日(月)13時26分配信
水戸市千波町のアパートで9月、1歳の女児の遺体が見つかった事件で、茨城県警水戸署は18日、死体遺棄容疑で、父親の無職斎藤剛志容疑者(31)を逮捕した。同署によると「隠したことは間違いない」と話しているという。
逮捕容疑などによると、斎藤容疑者は7月中旬ごろから9月24日までの間、三女杏奈ちゃんの遺体をタオルケットとビニール袋で包み、段ボール箱に入れて自宅アパートに遺棄した疑い。
なぜそういうことになってしまうのか ???
この記事の中には「母親」が見えない。
つまり、「家族縁」、「血縁」の背景も全く見えない・・・・・・・
「無縁社会」の現実。
人は一人では生きられない。
それがたとえ「無縁」だと思っていたとしても、必ずどこかで社会とはつながっている。
いや、つながらざるを得ない、ソレが地域であるだろうし、職域でもある。
しかし「行旅死亡人」とか。
今月10日発売の「文芸春秋」でもNHKの取材班特集としてそうした「行旅死亡人」の足跡をドキュメントしてたが、
結局その死に至る、相当の期間まで「社会」と関わっていた・・・・・・
当然そこには行政の保険とか年金とかそれらとの関係性の中から十分その「行旅死亡人」の存在は把握していた。
では、いつから、その行政も「行旅死亡人」の生存を無視しだしたのだろうか。
まあ、僕らの時代、昭和40年、50年代だろうか、夢を見て、そして結婚し子育てをして・・・・・・
そして子どもが成長して、結婚して、子育てをしている。
そういう「人生の循環」。
そして確実に訪れる「死」、それも人生のひとつの出来事。
まあ、幸いにしてか、「無縁社会」というものを今まで想像したこともなかった・・・・・・
ただ一つ言えることは「人とかかわって生きる」そういうことの変化だろうか。
人間、60年も生きてくるとその「友人環境」も大きく異なってくる。
子どもの頃、ホントに仲良かった友達ともその意味では「疎遠」、つまり「無縁化」だろう。
そして忙しくしていた仕事時代の、「友達」、仕事仲間も、思えばそれも「疎遠」というか「棄縁」だろう。
そして、還暦を迎えて、「家族」、長女、次女、三女、そして妻・・・・・・・
結局、つながっているのは「妻」だけである。
しかし、その妻とも「歴史的評価」の中だけのつながりのような気がしている(笑)。
それは、恋愛時代の彼女でもないし、新婚時代の可愛い女房でもないし、今は「母親」のような存在。
つまり、「口うるさい」母親。そしてそれは執拗に「縁」を要求しあう。
まあ、おそらく、このまま空気のような、時には窒息してしまいそうな「空気」・・・・・・
しかし、時には無くてはならない、息切れしそうな時にホッとするそんな「空気」のような。
まっ、いずれどちらかが先に逝く。まあ、年の順なら僕がだが。
今、高校一年生の末娘がいるが、おそらくあと2年ほどすれば僕らのもとを離れて行く。
その時が必ず来る「その時」が、「夫婦二人だけの生活」昔そうだったわけだから・・・・・・
どうっていうことはないことのようだけど、その「歴史」が迎える「その時」はどう動くのだろうか。
「アンタはいいよ、そうやってギターを弾いて歌を歌ってりゃあいんだから」
そういう自分は、職場の友達とディズニーランドや富士急ハイランドへ泊りがけで行ったり・・・・・・
日帰り温泉にはちょくちょく(笑)。
それでも確実にやってくる、「死」という「断縁」。今後10年はこのままとして45年間一緒に生活してきた、
その縁が途切れるその瞬間はどんなもんなんだろうか ???
そんなとき、女は強いけど、男は弱いという。
やっぱり僕は先に逝こう(笑)。
「万事塞翁が馬」
その文芸春秋の記事だが、ものは考え方でどうにでも転がる・・・・・・
なにも自ら世間、社会を断つことはないと思うのだが。
まあ、こうやっての「ネット社会」それも新しい時代の「縁作り」なのかも知れない。
「無縁社会」の現実。

・・・・・2030年以降の非婚率は30%を超えるであろうと予測されている。30代、40代ですでに社会から孤立する者が急速に増えている。これらは差こそあれ、日本に限らず先進国一般の風潮であり社会問題化している。
<Wikipedia抜粋引用>
おひとりさまの行く末には不安山積!
他人事ではない「無縁社会」の衝撃
先日、アルお方とこの「無縁社会」についてお話しさせていただく機会があった。
まあ、昨今の子殺し、親殺し、っていうか「死人」、100歳が戸籍上生存、年金目当てとか。
このところ急激に不況、貧困からかコレまでと全く異質な様相をソレラ事件は呈している・・・・・・
典型的なのがやはり、大阪の「下村早苗事件」だろう。
そしてその顛末も、普通では想像できないものとなって報道されている。
この、「下村早苗事件」の場合、その「下村早苗」の境遇はその意味ではけして、
「無縁」という環境ではない。
つまり、「放縁」から「棄縁」、「断縁」ということだろうか。
子どもの頃から現実、ネグレクトされつづけていた「下村早苗」は当然、両親も、姉妹もいたにもかかわらず、
実際、その両親からはそのネグレクトの延長線上で「棄縁」され・・・・・・
離婚した元夫、そしてその家族からは「離縁」、いや、「棄縁」されどこにもすがるところがなかった。
そのことは、「下村早苗」の言葉、供述とかではなく、実の父親の言動から放縁」されていたことが実証されている。
そして、その意味での「被害者」であるはずの「下村早苗」がわが子をネグレクトし、餓死させ、
さらに、その遺体すらも遺棄してしまっていた。
つまり、「家族」という普通の「縁」がありながら、それがメチャメチャに壊されていた・・・・・・
そしてまたこういう事件↓
父親を死体遺棄容疑で逮捕=アパート1歳女児遺体―茨城県警
時事通信 10月18日(月)13時26分配信
水戸市千波町のアパートで9月、1歳の女児の遺体が見つかった事件で、茨城県警水戸署は18日、死体遺棄容疑で、父親の無職斎藤剛志容疑者(31)を逮捕した。同署によると「隠したことは間違いない」と話しているという。
逮捕容疑などによると、斎藤容疑者は7月中旬ごろから9月24日までの間、三女杏奈ちゃんの遺体をタオルケットとビニール袋で包み、段ボール箱に入れて自宅アパートに遺棄した疑い。
なぜそういうことになってしまうのか ???
この記事の中には「母親」が見えない。
つまり、「家族縁」、「血縁」の背景も全く見えない・・・・・・・
「無縁社会」の現実。
人は一人では生きられない。
それがたとえ「無縁」だと思っていたとしても、必ずどこかで社会とはつながっている。
いや、つながらざるを得ない、ソレが地域であるだろうし、職域でもある。
しかし「行旅死亡人」とか。
今月10日発売の「文芸春秋」でもNHKの取材班特集としてそうした「行旅死亡人」の足跡をドキュメントしてたが、
結局その死に至る、相当の期間まで「社会」と関わっていた・・・・・・
当然そこには行政の保険とか年金とかそれらとの関係性の中から十分その「行旅死亡人」の存在は把握していた。
では、いつから、その行政も「行旅死亡人」の生存を無視しだしたのだろうか。
まあ、僕らの時代、昭和40年、50年代だろうか、夢を見て、そして結婚し子育てをして・・・・・・
そして子どもが成長して、結婚して、子育てをしている。
そういう「人生の循環」。
そして確実に訪れる「死」、それも人生のひとつの出来事。
まあ、幸いにしてか、「無縁社会」というものを今まで想像したこともなかった・・・・・・
ただ一つ言えることは「人とかかわって生きる」そういうことの変化だろうか。
人間、60年も生きてくるとその「友人環境」も大きく異なってくる。
子どもの頃、ホントに仲良かった友達ともその意味では「疎遠」、つまり「無縁化」だろう。
そして忙しくしていた仕事時代の、「友達」、仕事仲間も、思えばそれも「疎遠」というか「棄縁」だろう。
そして、還暦を迎えて、「家族」、長女、次女、三女、そして妻・・・・・・・
結局、つながっているのは「妻」だけである。
しかし、その妻とも「歴史的評価」の中だけのつながりのような気がしている(笑)。
それは、恋愛時代の彼女でもないし、新婚時代の可愛い女房でもないし、今は「母親」のような存在。
つまり、「口うるさい」母親。そしてそれは執拗に「縁」を要求しあう。
まあ、おそらく、このまま空気のような、時には窒息してしまいそうな「空気」・・・・・・
しかし、時には無くてはならない、息切れしそうな時にホッとするそんな「空気」のような。
まっ、いずれどちらかが先に逝く。まあ、年の順なら僕がだが。
今、高校一年生の末娘がいるが、おそらくあと2年ほどすれば僕らのもとを離れて行く。
その時が必ず来る「その時」が、「夫婦二人だけの生活」昔そうだったわけだから・・・・・・
どうっていうことはないことのようだけど、その「歴史」が迎える「その時」はどう動くのだろうか。
「アンタはいいよ、そうやってギターを弾いて歌を歌ってりゃあいんだから」
そういう自分は、職場の友達とディズニーランドや富士急ハイランドへ泊りがけで行ったり・・・・・・
日帰り温泉にはちょくちょく(笑)。
それでも確実にやってくる、「死」という「断縁」。今後10年はこのままとして45年間一緒に生活してきた、
その縁が途切れるその瞬間はどんなもんなんだろうか ???
そんなとき、女は強いけど、男は弱いという。
やっぱり僕は先に逝こう(笑)。
「万事塞翁が馬」
その文芸春秋の記事だが、ものは考え方でどうにでも転がる・・・・・・
なにも自ら世間、社会を断つことはないと思うのだが。
まあ、こうやっての「ネット社会」それも新しい時代の「縁作り」なのかも知れない。
「無縁社会」の現実。
Posted by 昭和24歳
at 17:55
│Comments(2)
もう冬なんですけど(汗)
祖父はいつも祖母の墓参りでぼろぼろ
泣くんですよね、はばかる様子は全く
ないんです、未だに80年以上前のこと
もしっかり憶えているのですが(;¬¬)
僕は祖母の記憶を得る前には彼女が
亡くなっているのですが…
それが辛かったことも全くなかったとも
限らなかったわけですから、涙の意味
も複雑なものと思わなないということも
なかったんです(;¬¬)
それが僕が6歳くらいのときに親戚一同
の前で
「早く嫁もらえぃ」
僕も誤まって誰からと知れず、食前酒を
頂戴していたらしいのですが、そんなふ
うに祖父にいったそうです。
その場では祖父もみんなと大笑いしてい
たそうなんですけど、後でえらく怒られた
記憶があります(;¬¬)
感謝しているんでしょう(;¬¬)
たぶん痛いくらい身に染みてくるんでしょ
う(;¬¬)
本当のところ、僕には全然わかりません
が(;¬¬)w