2010年08月31日
夏の思い出、食いモン・・・・・・
夏の思い出、食いモン・・・・・・

当然、賛成があれば反対もある。
もちろん利害の対立があればなおさらのことではないだろうか。
で、食いモンの話です・・・・・・・
「クジラが美味しい」
なんていうと世界から叱られちゃいますけど・・・・・・・
まあ、クジラは魚じゃありません。哺乳類ですからやっぱり「お肉」です。
クジラの肉。
僕のそれは小学校の給食で食べたクジラの“竜田揚げ”の美味しさが忘れられないわけです。
で、昭和30年代です・・・・・・・
僕らが子供のころは豚肉なんてとても高かったし、トンカツなんて田舎では売るところさえなかった。
牛肉などはなおさらのことで・・・・・・
そういえば、高崎神社へ行く途中、綿貫病院の手前に「牛肉専門店」があった。
まあ、「お肉」はそうは簡単に庶民の口に入るものではなかった。
だいたい、「ホルモン焼き」が御馳走だった、そんな時代です。
そんな時代、しかし給食には“クジラ”が出た。
なんと美味しかったことかそのクジラの“竜田揚げ”
魚だってそうは出るもんではなかった・・・・・・・
まあ、海なし県の内陸ですから、群馬県高崎市。
精々が練り製品の“チクワの竜田揚げ”で、もちろん家で食べる塩引きは鮭などではなく、
それは鱒の塩引き・・・・・秋刀魚なんてご馳走中のご馳走。
魚といえばあとは鰹ナマリの煮つけとか鯵の開きの干物が精々だった。
当然、冷蔵庫などがあるわけじゃないし夏場の朝飯はナス、キュウリ漬物に納豆に味噌汁。
あとは日持ちのいい小女子の佃煮とか豆の佃煮・・・・・・
納豆と卵は決まって朝には引き売りのオバサンが、
「なっとなっと~~~っ、たまご~~~」
と来た。
夕飯時には、
「パ~プ~、パ~プ~」
と豆腐やさんが・・・・・・
夏場は冷奴、冬場は湯豆腐。もちろん親父の酒の肴にもなる、実に便利な食材が豆腐だった。
そうだ、夕飯と言えばほとんどが“手打ちのうどん”か夏は冷麦。
そんなわけで、とにかく学校へ行くとクジラが食えると楽しみでたまらなかった。
そうそうあの頃の食いモン・・・・・・
“数の子”正月には当たり前のように食えたけど、その数の子もスルメもいつしか高嶺の花。
詳しく知らないくせに書くと叱られるが、日ソ漁業交渉あたりから魚が高いものになっていったんだろうか。
それを境にいつの間にかクジラは食えなくなり・・・・・・・・
田舎町でも豚肉の細切れやコロッケ、ハムカツ、トンカツなどがリーズナブルな価格になり、
カレーなどにも“豚のコマ”が見え隠れするようになってきた。
昭和42年ころから東京で生活するようになると・・・・・・
銀座三越の“マクドナルド”でのハンバーガーや、新宿ガード下、たしかションベン横丁と言ったか、
そのあたりで自前で焼き鳥(モツ)を食ったり持つ煮込みを食ったりした。
クジラの資源が枯渇しているとかなんとかは実はよくは知らない。
へそ曲がりな僕としては豚や、牛を食わせるためのどこかの食糧政策かと思えてしまう。
「米を食うと馬鹿になる」
なんていってパン食がもてはやされたが・・・・・・
結局はたしかに占領政策としての食糧援助の一環としてのパン食ではあった。
日本経済が発展するにあたりどこかの国の食糧産業に大きく寄与させられてしまっていることも事実ではないか・・・・・
酪農で肉食を勧め、減反で輸入穀物を推進し、
それが今日では“食糧輸入大国”・・・・・・
これにも賛成もあれば、反対もある。
原発しかり、高速道路、空港、ダム・・・・・・反対もあれば賛成もある。
いわば自然の成り行きっていうやつ。
僕にはどうしてもそうは思えないだけ。できれば中庸に居たいが・・・・・・
長い夏の今、どうしても、あの頃の夏の食いモンを思い出してしまう。
夏の思い出、食いモン・・・・・・

当然、賛成があれば反対もある。
もちろん利害の対立があればなおさらのことではないだろうか。
で、食いモンの話です・・・・・・・
「クジラが美味しい」
なんていうと世界から叱られちゃいますけど・・・・・・・
まあ、クジラは魚じゃありません。哺乳類ですからやっぱり「お肉」です。
クジラの肉。
僕のそれは小学校の給食で食べたクジラの“竜田揚げ”の美味しさが忘れられないわけです。
で、昭和30年代です・・・・・・・
僕らが子供のころは豚肉なんてとても高かったし、トンカツなんて田舎では売るところさえなかった。
牛肉などはなおさらのことで・・・・・・
そういえば、高崎神社へ行く途中、綿貫病院の手前に「牛肉専門店」があった。
まあ、「お肉」はそうは簡単に庶民の口に入るものではなかった。
だいたい、「ホルモン焼き」が御馳走だった、そんな時代です。
そんな時代、しかし給食には“クジラ”が出た。
なんと美味しかったことかそのクジラの“竜田揚げ”
魚だってそうは出るもんではなかった・・・・・・・
まあ、海なし県の内陸ですから、群馬県高崎市。
精々が練り製品の“チクワの竜田揚げ”で、もちろん家で食べる塩引きは鮭などではなく、
それは鱒の塩引き・・・・・秋刀魚なんてご馳走中のご馳走。
魚といえばあとは鰹ナマリの煮つけとか鯵の開きの干物が精々だった。
当然、冷蔵庫などがあるわけじゃないし夏場の朝飯はナス、キュウリ漬物に納豆に味噌汁。
あとは日持ちのいい小女子の佃煮とか豆の佃煮・・・・・・
納豆と卵は決まって朝には引き売りのオバサンが、
「なっとなっと~~~っ、たまご~~~」
と来た。
夕飯時には、
「パ~プ~、パ~プ~」
と豆腐やさんが・・・・・・
夏場は冷奴、冬場は湯豆腐。もちろん親父の酒の肴にもなる、実に便利な食材が豆腐だった。
そうだ、夕飯と言えばほとんどが“手打ちのうどん”か夏は冷麦。
そんなわけで、とにかく学校へ行くとクジラが食えると楽しみでたまらなかった。
そうそうあの頃の食いモン・・・・・・
“数の子”正月には当たり前のように食えたけど、その数の子もスルメもいつしか高嶺の花。
詳しく知らないくせに書くと叱られるが、日ソ漁業交渉あたりから魚が高いものになっていったんだろうか。
それを境にいつの間にかクジラは食えなくなり・・・・・・・・
田舎町でも豚肉の細切れやコロッケ、ハムカツ、トンカツなどがリーズナブルな価格になり、
カレーなどにも“豚のコマ”が見え隠れするようになってきた。
昭和42年ころから東京で生活するようになると・・・・・・
銀座三越の“マクドナルド”でのハンバーガーや、新宿ガード下、たしかションベン横丁と言ったか、
そのあたりで自前で焼き鳥(モツ)を食ったり持つ煮込みを食ったりした。
クジラの資源が枯渇しているとかなんとかは実はよくは知らない。
へそ曲がりな僕としては豚や、牛を食わせるためのどこかの食糧政策かと思えてしまう。
「米を食うと馬鹿になる」
なんていってパン食がもてはやされたが・・・・・・
結局はたしかに占領政策としての食糧援助の一環としてのパン食ではあった。
日本経済が発展するにあたりどこかの国の食糧産業に大きく寄与させられてしまっていることも事実ではないか・・・・・
酪農で肉食を勧め、減反で輸入穀物を推進し、
それが今日では“食糧輸入大国”・・・・・・
これにも賛成もあれば、反対もある。
原発しかり、高速道路、空港、ダム・・・・・・反対もあれば賛成もある。
いわば自然の成り行きっていうやつ。
僕にはどうしてもそうは思えないだけ。できれば中庸に居たいが・・・・・・
長い夏の今、どうしても、あの頃の夏の食いモンを思い出してしまう。
夏の思い出、食いモン・・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 21:01
│Comments(8)
最初から賛成、反対に集約するのは民主主義の基本でしょうね
1人の今を生きる人間として増税に賛成を言うのは無理ですね、誰でも
で、借金返済で景気が回復するにも結局1人のそれとしてはリスキーな選択ですよね。
不確実性が高まっているからそもそも国家としては安定的な選択すら1人のそれとしては背反する、こういうこともあるわけだからなかなか厳しい、これはありますね。
つまり言われているほど変革は求められていない。
これは確実です。
申し訳ない話ながら(汗)
確かに評論家にもなれないんでしょうね(汗)
朝も夜も暑い!
でも季節はめぐる・・・★
・・・9月11日(土) 19:00開演
JAZZ LIVE 伺います♪
チケットを予約いたしますので
当日受付にて3000円お支払いにて授受おねがいいたします。
名前・・・えちこママ あてでOKです♪
なつかしい良き時代のJAZZ ナンバーでですね。
少しはすっきりと過ごせそうです♪
楽しみにしてますね!
では当日! そうそう1枚です・・・。