2010年08月29日
嗚呼っ、夏休み・・・・・
嗚呼っ、夏休み・・・・・
真っ黒に日焼けして、遊びに明け暮れた毎日。夏の終わりが近づくと、宿題や自由研究・絵日記を思い、決まって憂うつになった。―そんなあの頃の夏休み、思い出の旅に出てみよう。
今日で夏休みもお終いだとか・・・・・・
しかし、この頃はその夏休みにも子どもたちのにぎやかに騒ぎたてる声はどこにも聴こえない。
あの頃は、毎朝のラジオ体操、朝飯を食べると脱兎のごとく家を飛び出して、
三角ベースの草野球に、相撲をとったり、かくれんぼをしたり・・・・・
そこかしこの横丁、路地裏には子どもたちの嬌声、歓声がいつもわき上がっていた。
そしてまたこんな悲しい事件が↓
<小6死亡>17歳兄を殺人容疑で逮捕 愛知・岩倉
8月28日20時56分配信 毎日新聞
愛知県岩倉市の病院職員の女性(40)宅で28日、小学6年の次男(11)が刺されて死亡した事件で、県警江南署は同日、特別支援学校高等部2年の長男(17)を殺人容疑で逮捕した。同署によると、長男は駆け付けた警官に「けんかをして刺した」と話す一方、逮捕後の取り調べには「覚えていない」と供述しているという。長男には中度の知的障害があり、慎重に動機や経緯を調べる。
<以下本文>
“地域社会”だなんていうと大袈裟だが・・・・・・
僕が子どもの頃の近所“横丁”にはその地域社会というか“子ども社会”がはっきりとあった。
それは学校とは全く関係のない“子ども”だけの秩序というか“掟”というかそういった不文律の約束された社会があった。
僕らのガキ大将は“俊雄ちゃん”・・・・・・
米屋の次男坊でそのガキ大将でも頭の上がらない2つ年上の“幸雄ちゃん”ときかん坊で腕白の弟の“良雄ちゃん”。
双子の妹もいた。
そんなガキ大将の“俊雄ちゃん”を中心に7人ほどの悪ガキグループが僕の地域、横丁にはあった。
後々知るところだが、その俊雄ちゃん学校では体格もそれほど勝れているわけではなくどうやら目立たない存在だった。
しかし地域、横丁での俊雄ちゃんの存在はいわゆる“親分”である。
相撲は強い、喧嘩も他所の横丁の悪ガキとも突貫小僧よろしく先頭を切って戦った。
そんな俊雄ちゃんの子分、配下には僕をはじめに、“もっちゃん”ともっちゃんの弟の“ノリちゃん”・・・・・
もっちゃんちはその頃はお父さんは蒸発してしまっていて“母子家庭”でお父さんとお母さんは満洲帰り。
そして最近訃報を聞いたがとても野球の上手な“しゅうちゃん”と弟の“てっちゃん”と“まさみちゃん”。
お父さんは僕の親爺と同じポッポ屋で、なんでも組合活動に奔走していて、横丁では“アカ”と評判だった。
それに、俊雄ちゃんの家の前の鶏屋の“セーちゃん”と弟の“まもるちゃん”。
そうそうその俊雄ちゃんの兄貴分の鍛冶屋の“ひろしちゃん”先代のガキ大将とその従兄弟の“かっちゃん”。
まだまだいた・・・・・・山田の“マーちゃん”、越沢の“じゅんちゃん”田端の“マーちゃん”、
鈴木の“マーちゃん”、塚越の“マーちゃん”、尾崎の“マーちゃん”ととにかく“マーちゃん”だらけの横丁。
ミシン屋の“ひろしちゃん”、関根の“ケンチャン”、湯浅の“一郎ちゃん”夜泣きそばの“もりや”、額田の“たっちゃん”、
箪笥屋の“あきおちゃん”、樋口の“ケンチャン”、長井の“明ちゃん”、山盛の“としおちゃん”・・・・・
全部でほぼ同い年が20人からいた・・・・・・
まず、学校の同級生と遊ぶことはなかった。
ビー球、メンコ、ベーゴマ、相撲、かくれんぼう・・・・・
とにかく遊ぶことには欠く事はなかった。
兄弟のいなかった僕だったが、学校でのつまらないことなんかはそんな横丁の喧騒に何もかも忘れ思い切り遊びまくった。
時には喧嘩をし、それでもそのガキ大将の“俊雄ちゃん”が仲裁に・・・・・・
そしてあるとこはそんな俊雄ちゃんに食って掛かって殴られて(笑)。
たしかに学校ではイジメもあったし、あだ名をつけられたりつけたりとか、喧嘩をしたりとか。
それでもそんな一人一人の同級生が家に帰れば夫々に“横丁”があった。
不文律の“子ども”の“子ども”による“子どもの”ための地域社会が厳然と存在していた。
つまりあの頃の夏休みは人生のたたき台・・・・・・
子ども社会を通して、世の中を修行して時代。
まあ、少なからず、そうした時代の賜はいくらか僕らの心の中に残っているのかもしれない。
つづく・・・・・
嗚呼っ、夏休み・・・・・
真っ黒に日焼けして、遊びに明け暮れた毎日。夏の終わりが近づくと、宿題や自由研究・絵日記を思い、決まって憂うつになった。―そんなあの頃の夏休み、思い出の旅に出てみよう。
今日で夏休みもお終いだとか・・・・・・
しかし、この頃はその夏休みにも子どもたちのにぎやかに騒ぎたてる声はどこにも聴こえない。
あの頃は、毎朝のラジオ体操、朝飯を食べると脱兎のごとく家を飛び出して、
三角ベースの草野球に、相撲をとったり、かくれんぼをしたり・・・・・
そこかしこの横丁、路地裏には子どもたちの嬌声、歓声がいつもわき上がっていた。
そしてまたこんな悲しい事件が↓
<小6死亡>17歳兄を殺人容疑で逮捕 愛知・岩倉
8月28日20時56分配信 毎日新聞
愛知県岩倉市の病院職員の女性(40)宅で28日、小学6年の次男(11)が刺されて死亡した事件で、県警江南署は同日、特別支援学校高等部2年の長男(17)を殺人容疑で逮捕した。同署によると、長男は駆け付けた警官に「けんかをして刺した」と話す一方、逮捕後の取り調べには「覚えていない」と供述しているという。長男には中度の知的障害があり、慎重に動機や経緯を調べる。
<以下本文>
“地域社会”だなんていうと大袈裟だが・・・・・・
僕が子どもの頃の近所“横丁”にはその地域社会というか“子ども社会”がはっきりとあった。
それは学校とは全く関係のない“子ども”だけの秩序というか“掟”というかそういった不文律の約束された社会があった。
僕らのガキ大将は“俊雄ちゃん”・・・・・・
米屋の次男坊でそのガキ大将でも頭の上がらない2つ年上の“幸雄ちゃん”ときかん坊で腕白の弟の“良雄ちゃん”。
双子の妹もいた。
そんなガキ大将の“俊雄ちゃん”を中心に7人ほどの悪ガキグループが僕の地域、横丁にはあった。
後々知るところだが、その俊雄ちゃん学校では体格もそれほど勝れているわけではなくどうやら目立たない存在だった。
しかし地域、横丁での俊雄ちゃんの存在はいわゆる“親分”である。
相撲は強い、喧嘩も他所の横丁の悪ガキとも突貫小僧よろしく先頭を切って戦った。
そんな俊雄ちゃんの子分、配下には僕をはじめに、“もっちゃん”ともっちゃんの弟の“ノリちゃん”・・・・・
もっちゃんちはその頃はお父さんは蒸発してしまっていて“母子家庭”でお父さんとお母さんは満洲帰り。
そして最近訃報を聞いたがとても野球の上手な“しゅうちゃん”と弟の“てっちゃん”と“まさみちゃん”。
お父さんは僕の親爺と同じポッポ屋で、なんでも組合活動に奔走していて、横丁では“アカ”と評判だった。
それに、俊雄ちゃんの家の前の鶏屋の“セーちゃん”と弟の“まもるちゃん”。
そうそうその俊雄ちゃんの兄貴分の鍛冶屋の“ひろしちゃん”先代のガキ大将とその従兄弟の“かっちゃん”。
まだまだいた・・・・・・山田の“マーちゃん”、越沢の“じゅんちゃん”田端の“マーちゃん”、
鈴木の“マーちゃん”、塚越の“マーちゃん”、尾崎の“マーちゃん”ととにかく“マーちゃん”だらけの横丁。
ミシン屋の“ひろしちゃん”、関根の“ケンチャン”、湯浅の“一郎ちゃん”夜泣きそばの“もりや”、額田の“たっちゃん”、
箪笥屋の“あきおちゃん”、樋口の“ケンチャン”、長井の“明ちゃん”、山盛の“としおちゃん”・・・・・
全部でほぼ同い年が20人からいた・・・・・・
まず、学校の同級生と遊ぶことはなかった。
ビー球、メンコ、ベーゴマ、相撲、かくれんぼう・・・・・
とにかく遊ぶことには欠く事はなかった。
兄弟のいなかった僕だったが、学校でのつまらないことなんかはそんな横丁の喧騒に何もかも忘れ思い切り遊びまくった。
時には喧嘩をし、それでもそのガキ大将の“俊雄ちゃん”が仲裁に・・・・・・
そしてあるとこはそんな俊雄ちゃんに食って掛かって殴られて(笑)。
たしかに学校ではイジメもあったし、あだ名をつけられたりつけたりとか、喧嘩をしたりとか。
それでもそんな一人一人の同級生が家に帰れば夫々に“横丁”があった。
不文律の“子ども”の“子ども”による“子どもの”ための地域社会が厳然と存在していた。
つまりあの頃の夏休みは人生のたたき台・・・・・・
子ども社会を通して、世の中を修行して時代。
まあ、少なからず、そうした時代の賜はいくらか僕らの心の中に残っているのかもしれない。
つづく・・・・・
嗚呼っ、夏休み・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 07:58
│Comments(1)
上野行きの汽車が遠ざかって、そして
また一つの夏が終わりました。