2009年06月08日

わが恩師・・・・・

上毛かるた60年「繁栄の願いを凝縮」

◇「ち」 力あわせる二百万

「養蚕農家は家族でカイコの世話をした。
子どもも労働力だから、兄弟が5、6人いるのが普通だった」


 高崎市出身で、群馬の歴史を研究している石原征明・前橋国際大学名誉教授(75)は、農業県から工業県へスムーズに移行できたことが、他県への人口流出を食い止めたと言う。製糸業が頭打ちになった昭和30年代、県は企業誘致を急ぐ一方で、既存の中小企業の設備投資を支援した。道路網が整備されると、工業団地が次々と建設され、広大な北関東工業地帯が形成された。

わが恩師・・・・・

昭和30年代にベストセラーとなったスクーター「ラビット」を懐かしむ石原教授。
後ろはスバル360(20日、高崎市の県立歴史博物館で)

(2007年12月24日 読売新聞より抜粋引用)


石原先生・・・・・・

昭和39年、高崎市立第二中学校、3年1組の時の担任でした。
まあ、すでに、ポール・アンカ、ニール・セダカとか、コニー・フランシスのアメグラに夢中になっていた・・・・・
できの悪い、勉強はサッパリの劣等生だった僕にはなぜか優しかった先生。

たしか、スラット背は高く、甘いマスクでテニス部の顧問でした。まあ、昭和39年ですからちょうど30歳くらいです。
まさにその趣は「テニスのプリンス」と言った感じでした・・・・・・
まあ、こう言っちゃあなんですが、他の先生たち、いわゆるまだ戦後20年とはいうものの、
どことなく軍隊の影をひそめた、猛者といった趣の先生が多いなか、大声を出すこともない物静な石原先生でした。

あれから40年だったでしょうか、昭和39年度卒高崎二中の同窓会があり石原先生も参加されました。
趣は昔と少しも変わらず、やはり物静かに、ニコっとして「元気そうだね」と・・・・・・

「先生の本読みました。図書館でですけど」

っていったら、やはり物静かに微笑みを湛えながら、

「へ~っ」

と、あの頃のままので、感心するように・・・・・・

とにかく、できの悪い生徒でしたから、まさか「あのとき」の「オマエがオレの本を?」みたいな、
そんな感じで僕を見つめて「フフッ」とお笑いになるのでした。

まあ、なにせたしか、ひとクラス45人ほどで10クラスでしたから、そりゃあ、生徒も先生も玉石混合です(笑)。
でも不思議と僕らの年代からは不良というか、ヤクザというかそういうやつはいませんでしたね。
約一人、二人・・・・・(笑)。

まあ、その後の「エレキ小僧」が僕です・・・・・・
髪の毛、ロングヘアーで、♪テケテケテケーーー♪でしたから、

「エレキ=不良」

そんな時代でしたから、高崎二中卒では珍しい一人だったようです。
まあ、他の中学も、一緒にバンドを組んでいたのが隣、三中卒の二級先輩でしたから、
つまり、「どうしょうもない」連中だったことは確かなようです(笑)。

「へぇ~、音楽やってるんだって?」

「エレキ作ってます。音楽は挫折しました」

って言うと、

「すごいじゃあないか、エレキ作ってるなんて」

「先生に初めてホメテもらえました・・・・・・56にして」


って言ったら、やっぱり、あの頃のままのもの静かさで、ニコッ・・・・・・

そんな石原先生、

記念講演会「高崎五万石騒動を考える)」
(電話申し込み先着順定員50名)

日時:平成21年6月14日(日)10時~正午
講師:前橋国際大学名誉教授 石原征明氏
会場:高崎市歴史民俗資料館
    参加費無料


もしまだ間に合うなら、必ず先生の授業を受けに行こうかと思っています。




Posted by 昭和24歳  at 19:16 │Comments(1)

この記事へのコメント
そうですか~!
しらなんだ、しらなんだ!
明日、申し込んでみますよ!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2009年06月08日 22:59
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