2023年05月08日
Cerebral Infarction Anniversary
Cerebral Infarction Anniversary
それは2022年5月4日予期せぬ出来事として襲ってきた。
そうだ時間も丁度今頃だっただろうか、何するでもなくカミさんの小言に抵抗するでもなく何時ものようにうるせえなとカミさんに聞こえないようにして舌打ち...
あれおかしいぞ左手に全く力が入らない、立とうにも立てない左半身を下に横臥したまま意識はあるが身動きが取れない。「うん、もしかして?」と、30年前に亡くなった親父の「それ」が。
親父は脳梗塞だった。「俺もか」とえも言えぬ恐怖感に襲われながらカミさんを呼ぶがカミさんには届かないようだった。どうやら時間は二進も三進もいかない状態から2,3時間は経っているのだろうか、ようやく他ならぬ俺の異変を感じ取ったのか、でもカミさん、はっきりとはそんな俺の様子にただならぬものを感じながらも「何してるの?、なにしてるの?」を繰り返すばかり、ようやく俺の「救急車、救急車」という声に切羽詰ったものを感じ取ったのか慌てるようにしてケータイを手にした。
救急車がきたのは午後3時過ぎ救急隊員は搬送先を探すのに一苦労、高崎市内の救急病院は何処もコロナ発熱を危惧してか37度以上は受け入れられないとのこと、わりと近くの日高も群馬脳外ダメ、豊岡の榛名も、国立も井上もダメようやく前橋の済生会がPCR検査を条件に受け入れ、しかし済生会には脳神経科がないということでMRI検査の結果脳梗塞を診断、で済生会に一泊、翌朝前橋市大友町の老年研究所へ、そこでそこ済生会と老研で三日三晩の臨死、あれを臨死というのかどうかは分からないがそれはすでに救急車に運ばれたtころから始まっていた。
あれぇ、おかしいなぁ救急車なのに中が後光がさしてるようでものすごく明るくて眩しい、済生会のMRIも出口のないアレみたいで済生会の病室は物凄く奇麗で患者さんは病衣じゃなくて皆正装してるようなでも皆顔隠してるキラキラした布で...
それは2022年5月4日予期せぬ出来事として襲ってきた。
そうだ時間も丁度今頃だっただろうか、何するでもなくカミさんの小言に抵抗するでもなく何時ものようにうるせえなとカミさんに聞こえないようにして舌打ち...
あれおかしいぞ左手に全く力が入らない、立とうにも立てない左半身を下に横臥したまま意識はあるが身動きが取れない。「うん、もしかして?」と、30年前に亡くなった親父の「それ」が。
親父は脳梗塞だった。「俺もか」とえも言えぬ恐怖感に襲われながらカミさんを呼ぶがカミさんには届かないようだった。どうやら時間は二進も三進もいかない状態から2,3時間は経っているのだろうか、ようやく他ならぬ俺の異変を感じ取ったのか、でもカミさん、はっきりとはそんな俺の様子にただならぬものを感じながらも「何してるの?、なにしてるの?」を繰り返すばかり、ようやく俺の「救急車、救急車」という声に切羽詰ったものを感じ取ったのか慌てるようにしてケータイを手にした。
救急車がきたのは午後3時過ぎ救急隊員は搬送先を探すのに一苦労、高崎市内の救急病院は何処もコロナ発熱を危惧してか37度以上は受け入れられないとのこと、わりと近くの日高も群馬脳外ダメ、豊岡の榛名も、国立も井上もダメようやく前橋の済生会がPCR検査を条件に受け入れ、しかし済生会には脳神経科がないということでMRI検査の結果脳梗塞を診断、で済生会に一泊、翌朝前橋市大友町の老年研究所へ、そこでそこ済生会と老研で三日三晩の臨死、あれを臨死というのかどうかは分からないがそれはすでに救急車に運ばれたtころから始まっていた。
あれぇ、おかしいなぁ救急車なのに中が後光がさしてるようでものすごく明るくて眩しい、済生会のMRIも出口のないアレみたいで済生会の病室は物凄く奇麗で患者さんは病衣じゃなくて皆正装してるようなでも皆顔隠してるキラキラした布で...
Posted by 昭和24歳
at 23:04
│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。