2023年02月01日

昭和42年(1967)トヨタ2000GT&トヨハチ

【団塊世代の記憶遺産】
昭和42年(1967)トヨタ2000GT&トヨハチ


昭和42年(1967)トヨタ2000GT&トヨハチ

2000GTは、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハへの生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで限定生産されたとか・・・・・

当時の2000GTの価格は238万円で、トヨタ自動車の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高価であった。1967年(昭和42年)当時の日本における大卒者の初任給がおおむね2万6000円前後であったから、21世紀初頭における1500万円から2000万円程度の感覚にも相当する、一般の人々にとっては高嶺の花の超高額車であった。

それでも生産に手間がかかり過ぎてコスト面で引き合わない価格設定であり、この事から常に赤字計上での販売であった。トヨタ自動車にとっては「高価な広告費」とも言うべきものであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%

昭和42年(1967)トヨタ2000GT&トヨハチ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84800

もちろん当時「ダットサン・フェアレディ」はありました。フェアレディZの前身だったでしょうか。ヨタ8も(笑)。

昭和42年3月、僕が初めて「普通自動車免許」を取得して公道を走ったとですき。

実は、17歳の時「城東教習所」で軽四輪の免許を取ってマツダのオート三輪(軽)を運転しました。

教習車は「三菱360」。冬だったけど当然暖房装置なんてありませんでしたから寒かった・・・・・

免許取得費、シメテ、7000円くらいだっただろうか。昭和40年です。

で、普通車の免許、その2年前ほど前までは警察署で申請すると自動的に「普通運転免許証」に切り替えできたんだけど。

昭和42年ころから、あの時は教習所で6時間の実地教習が条件となって、それでも5000円くらいで「普通免許証」に。

まあ、なにせ、団塊世代がこぞって自動車教習所へ押しかけ始めた、そんな時代でした。


あっ、因みに「トヨタ2000GT」と言ったら、ボンドカーで浜美枝でした(笑)。

昭和42年、乗ってましたねぇ、バンドの富岡先輩たち、ヨタ8とかいすゞベレットのシャコタンとか・・・・・・

まっ、モノがなんでも飛ぶように売れました。で、それら全てが「団塊世代の記憶遺産」です。

【団塊世代の記憶遺産】
昭和42年(1967)トヨタ2000GT




Posted by 昭和24歳  at 15:04 │Comments(0)

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