2020年01月17日
高崎「横丁物語」。
高崎「横丁物語」。
その横丁の始まりは弓町、九蔵町、高砂町が三つ巴で交差する東二条通り、日清製粉入口、そして東小学校裏門入口だった。
弓町側の角には「竹田文具店」があり、九蔵町角には「中村パン店」。そしてその向こうは八百屋が、高砂町角は山田畳店、その対面が「安藤自転車店」。そこから、高砂町、その昔は鮮魚市場のあった五本辻までと続く 凡そが、200メートル弱、そこはまさにショッピングモールだった。
横丁の西側には、安藤自転車店のつづきに「山盛模型店(駄菓子屋)」、そのお隣が「長井下駄店(駄菓子屋兼お好み焼き屋)」そして「野中鶏屋」、赤提灯の「メガネ」。そして高崎保育所で、そのお隣が「表具店」「広川建具職店」「杉山貸本屋」「長谷川文具店」「竹細工店」 「碓氷理容店」「製靴店」そして五本辻のタバコ屋、塩専売所、材木店と返って「渡辺薬局」、その先踏切方面には「田村製菓」「富所商店」「長井米穀店」「浦野米穀店」そして日清製粉社宅」を渡辺薬局まで戻って...
「深堀木工所」「井田酒店」「水島紙工場」「釜浅肥料店」「藤宮銅鉄加工所」 「藤巻箪笥店」「大工の棟梁」「佃煮屋」「有間米穀店」「山田畳店」「宮崎旗店」「赤提灯」と、
まあ、これだけ見ても横丁、ないものはない。ほんの数軒先には「豆腐屋」「荒物屋」「和菓子屋」、そして「電器店」「ミシン屋」に、弓町になるが「うなぎ屋」「中曽根歯医者」「寺田精肉店」、 「柳沢靴店」「風呂桶屋」「おりもたばこ店」「ドジョウ屋」「小高理容店」「牛乳屋」と、そんな町並みがこの高崎の街中津々浦々に賑わっていた。
そして昭和、その戦後生まれが「高齢者」と言われる今日、その「昔」のほとんどが再開発というマジックで消えた。
今、「横丁を考える」!!
街の活性化ってなんだろう?
それを考えたとき、やはり「人」が集まる、生活感の中に集う。「それこそが」それではないだろうか。
憑かれたように 再開発に明け暮れる「街づくり」で「旧市街地」は置いてきぼり。ましてや、その「横丁」までが「再開発」では(笑)。
その意味での既存の「横丁」はこの旧市街地にいくらでもあるのではないか。 つまりそれは...
「再開発」ではなくて「再利用」。
そうすることで人も集い、活性化する。もちろんそこには「若者」の新しい発想も中高齢者の経験則からのはっそうも大事だろう。
それは「即興演奏」のような街づくり、横丁演出、演奏するように。
↓松戸市「路上で楽しむ大宴会」↓
まあ、これも一つのアイディアだろう。
つまりは、「アイディア」とは練りに練ったものではない。その時の「ひらめき」。
↓メルボルンの横丁↓
↓ そして路地裏では、コレ↓
高崎にも「芸術家」はたくさんいるはず。
洋画家の第一人者を排出するくらいの街(箕郷町だけど)。
それに、デザイナーだって、イラストレーターだってイッパイいるはずです。
そういう「芸術性」に富んだ、老若男女にしがらみに縛られることなく、 街角、横丁を解放する。
そんなアートを表現するために日本中から、世界中からアーティスト高崎にやってくるかもしれません。
「音楽のある街」、申し訳程度の路上コンサート。せっかくプロ仕様のレコーディングスタジオがあるわけだから日本中、世界中からジャンルを問わずミュージシャンに来てもらってオーディション企画し優秀なミュージシャンにレコーディングのチャンスをプレゼントする。
といった、高崎の街、そのものをアートの「キャンバス」にしてみてはどうだろうか?
そうすれば、「廃墟」もアート、芸術、「寂れ」も表現しだいでは、 「わび」と「サビ」です。
つまり、ここまで時代が進んで、長い平和な時代が続いたその有難い、それらが「遺産」。
「世界遺産」ばかりがそれじゃあないはずです。
寂れた、廃れた横丁だって、立派なその輝かしい過去からの「遺産」です。
高崎にも街中に「横丁」がありました。毎週土曜日の夕方から...
東一条通り商店会「昭和横丁」とか。
旧市街地のど真ん中です。駿河大納言忠長公廟のある「大信寺」参道口。
開催はPM3:00~PM10:00
2018年4月21日(土)スタートでしたからもうすぐ丸2年ですか。東一条通り商店会、丹下会長、高木実行委員長、雨ニモマケズ風ニモマケズ、雪ニモマケズ街中活性化に粉骨砕身していられます。
どちら様も時には如何でしょうか...
出店者募集中とか。条件:ショバ代無し、電気水道代無し、燃料は自前。
出店料は売上の5%だそうです。
高崎「横丁物語」。
その横丁の始まりは弓町、九蔵町、高砂町が三つ巴で交差する東二条通り、日清製粉入口、そして東小学校裏門入口だった。
弓町側の角には「竹田文具店」があり、九蔵町角には「中村パン店」。そしてその向こうは八百屋が、高砂町角は山田畳店、その対面が「安藤自転車店」。そこから、高砂町、その昔は鮮魚市場のあった五本辻までと続く 凡そが、200メートル弱、そこはまさにショッピングモールだった。
横丁の西側には、安藤自転車店のつづきに「山盛模型店(駄菓子屋)」、そのお隣が「長井下駄店(駄菓子屋兼お好み焼き屋)」そして「野中鶏屋」、赤提灯の「メガネ」。そして高崎保育所で、そのお隣が「表具店」「広川建具職店」「杉山貸本屋」「長谷川文具店」「竹細工店」 「碓氷理容店」「製靴店」そして五本辻のタバコ屋、塩専売所、材木店と返って「渡辺薬局」、その先踏切方面には「田村製菓」「富所商店」「長井米穀店」「浦野米穀店」そして日清製粉社宅」を渡辺薬局まで戻って...
「深堀木工所」「井田酒店」「水島紙工場」「釜浅肥料店」「藤宮銅鉄加工所」 「藤巻箪笥店」「大工の棟梁」「佃煮屋」「有間米穀店」「山田畳店」「宮崎旗店」「赤提灯」と、
まあ、これだけ見ても横丁、ないものはない。ほんの数軒先には「豆腐屋」「荒物屋」「和菓子屋」、そして「電器店」「ミシン屋」に、弓町になるが「うなぎ屋」「中曽根歯医者」「寺田精肉店」、 「柳沢靴店」「風呂桶屋」「おりもたばこ店」「ドジョウ屋」「小高理容店」「牛乳屋」と、そんな町並みがこの高崎の街中津々浦々に賑わっていた。
そして昭和、その戦後生まれが「高齢者」と言われる今日、その「昔」のほとんどが再開発というマジックで消えた。
今、「横丁を考える」!!
街の活性化ってなんだろう?
それを考えたとき、やはり「人」が集まる、生活感の中に集う。「それこそが」それではないだろうか。
憑かれたように 再開発に明け暮れる「街づくり」で「旧市街地」は置いてきぼり。ましてや、その「横丁」までが「再開発」では(笑)。
その意味での既存の「横丁」はこの旧市街地にいくらでもあるのではないか。 つまりそれは...
「再開発」ではなくて「再利用」。
そうすることで人も集い、活性化する。もちろんそこには「若者」の新しい発想も中高齢者の経験則からのはっそうも大事だろう。
それは「即興演奏」のような街づくり、横丁演出、演奏するように。
↓松戸市「路上で楽しむ大宴会」↓
まあ、これも一つのアイディアだろう。
つまりは、「アイディア」とは練りに練ったものではない。その時の「ひらめき」。
↓メルボルンの横丁↓
↓ そして路地裏では、コレ↓
高崎にも「芸術家」はたくさんいるはず。
洋画家の第一人者を排出するくらいの街(箕郷町だけど)。
それに、デザイナーだって、イラストレーターだってイッパイいるはずです。
そういう「芸術性」に富んだ、老若男女にしがらみに縛られることなく、 街角、横丁を解放する。
そんなアートを表現するために日本中から、世界中からアーティスト高崎にやってくるかもしれません。
「音楽のある街」、申し訳程度の路上コンサート。せっかくプロ仕様のレコーディングスタジオがあるわけだから日本中、世界中からジャンルを問わずミュージシャンに来てもらってオーディション企画し優秀なミュージシャンにレコーディングのチャンスをプレゼントする。
といった、高崎の街、そのものをアートの「キャンバス」にしてみてはどうだろうか?
そうすれば、「廃墟」もアート、芸術、「寂れ」も表現しだいでは、 「わび」と「サビ」です。
つまり、ここまで時代が進んで、長い平和な時代が続いたその有難い、それらが「遺産」。
「世界遺産」ばかりがそれじゃあないはずです。
寂れた、廃れた横丁だって、立派なその輝かしい過去からの「遺産」です。
高崎にも街中に「横丁」がありました。毎週土曜日の夕方から...
東一条通り商店会「昭和横丁」とか。
旧市街地のど真ん中です。駿河大納言忠長公廟のある「大信寺」参道口。
開催はPM3:00~PM10:00
2018年4月21日(土)スタートでしたからもうすぐ丸2年ですか。東一条通り商店会、丹下会長、高木実行委員長、雨ニモマケズ風ニモマケズ、雪ニモマケズ街中活性化に粉骨砕身していられます。
どちら様も時には如何でしょうか...
出店者募集中とか。条件:ショバ代無し、電気水道代無し、燃料は自前。
出店料は売上の5%だそうです。
高崎「横丁物語」。
Posted by 昭和24歳
at 11:11
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