2017年08月15日

72回目の“火垂るの墓”

72回目の“火垂るの墓”
72回目の“火垂るの墓”

「パパ・・・・・セツ子のドロップ買って」

サクマ式ドロップスは問屋町の「お菓子の川上」にある・・・・・・
毎週土曜日になるとわが家のセツ子たちとそのお菓子の川上へ行くことが習わしだった(笑)。
そんなわが家のセツ子たちも大学生高校生になってしまった。

そしてあの「お菓子の川上」も今はない。


昨夜の『火垂るの墓』をVTRで鑑賞した・・・・・・・

やっぱり、セツ子はその「サクマ式ドロップス」、
石ころの「サクマ式ドロップ」を握り締めたままホタルに守られるようにして死んでいた・・・・・

『火垂るの墓』は、原作:野坂昭如、不朽の名作である。

作者の「野坂昭如」さんも黄泉の圀へと旅立たれお隠れ遊ばされた
永六輔も永眠、「土曜ワイド」ではそのお手紙をアナウンサーの朗読でお聴きすることはない・・・・・
野坂昭如さん、あのシャイな感じでなんともお茶目な黒メガネで、吃音気味に話されるお姿が懐かしい。

♪マリリン・モンロー~ノーリタ~ン♪

なんて歌ってた、シャンソン歌手でもあるの野坂昭如さん、

♪アキユキ・ノサカ~ノーリターン♪

それが現実のものに、そして語り部は消えた。

「パパのお姉さんも2歳の時に、戦争に負けた年に死んじゃったんだよ」

「うそっ、初めて聞いた!!」

「なに言ってんだ、初めてなもんか、ほらお墓参りに行くと“松原美佐子、享年2歳、昭和20年9月・・・・・
パパがいつも話してるじゃあないか、パパのお姉さんだよって」

「うそ・・・・・聞いてないよ、聞いてない・・・・・今度よく見てみよ」


僕の実家の墓碑には昭和18年から20年の間に二十歳前に没した法名が3つ、伯父、叔母、そして姉・・・・・
幸いに“戦死者”は出なかったものの、父はその姉が生まれる年、昭和18年に出征し、シベリアから22年に復員。
出征中に、姉の死を知らず復員・・・・・

「戦争・・・・・パパが生まれる4年前に終わったんだ・・・・・」

「パパって、大変な時に生まれたんだね・・・・・
でも、あれって・・・・・テレビのあれって本当のことなの?“この物語はフィクションです”なんていってるけど・・・・・」

「いや、本当はもっと酷かったらしい。東京大空襲、広島、長崎の原水爆、とてもじゃあないが・・・・・
テレビだって、映画だって再現できるもんじゃあないよ。残忍で、残酷で」

「なんで戦争したの・・・・・ハワイのとりっこ、沖縄のとりっこ・・・・・」

「違う違う・・・・・そのうち学校で習うかな、歴史で」

「ふ~~~ん・・・・・」


僕にもその戦後の臭いが娘たちにはあるらしい・・・・・

「パパって・・・・・貰い子だったんだって?」

「えっ、誰が言ってた?」

「ママが・・・・・この間死んだ、小ちゃいおばあちゃんがパパの本当のお母さんなんだって。
小ちゃいおばあちゃん、パパを生むとすぐ病気になっちゃって・・・・・それで・・・・・って」


その意味では僕も戦後とはいえその“戦争”の中に生まれたのかも知れない。
しかし、そのことの事実を“時代”は急ぐようにして“墨塗り”してきた・・・・・

そして今、勇ましくも“普通の国になれ”だと言う。
自国で自国を守れないようでどうするとも言う

北朝鮮が弾道ミサイルが日本を火の海にするだとか、グアムをとか・・・・・・

さてそうだろうか・・・・・???

あの当時国家予算のほとんどを費やし、国民総動員しても守れなかった、
守れなかったどころか300万人も犠牲者を出して“破滅”の道を辿った事実を前にして、
戦争という手段で、どのようにして“守れ”というのだろうか。

国力にあった外交・・・・・
そして叡智ある外交、いかにして“戦争”をしないか、“和平”に徹するかという外交。

いつだったか、NHKであの平成の大勲位“中曽根康弘翁”が鄧小平の名言を紹介していた・・・・・・

「解決しない解決策というのも、ひとつの“解決策”である」と。

昭和の日華事変から太平洋戦争にいたる史実を学べばその戦争という愚かさ、
そしてそれは、その“欲望”のための殺し合いでしかない・・・・・

国のために殉じたというが・・・・・・それはまやかしで、
その“時”には、

「上官の命令は天皇陛下の命令!!上官の命令に叛くことは天皇陛下に叛くこと!!」

そう言って、戦争をし、挙句は発狂的“特攻”まで命令した“上官”。

その上官は・・・・・その上官に叛くことはと言い、無辜の若者を死地に強制した・・・・・・

そして散って逝った若い命。いかにこの国、国家が国民の命を軽んじていたか。

国を守る・・・・・???

そんなことで国を守れるわけがないじゃあないか!

そのことが、そのこと自体が本当は“フィクション”だったことは多くの国民は気づいていたはず・・・・・

「現人神」、そして「神国」という偽装を歴史は今、教えている。

野坂昭如の描く、清太とセツ子・・・・・
この国に、何千、何万といたであろう“清太とセツ子”。
お国のために戦った末の“清太とセツ子”・・・・・


その史実を消し去らない為にも僕らは語り続けなければいけない。

そして、「一国平和主義」とか、「平和ボケ」とかいわれる・・・・・・・
“異様”な“異常”な平和憲法をもってしまった国民として、その“異様”な“異常”な憲法9条を至高のものとして受止め、

二度と“清太とセツ子”をこの国に作らないためにも、
それを生きなければいけない。
 

戦争そのものが犯罪である・・・・・ 

72回目の“火垂るの墓”



Posted by 昭和24歳  at 11:42 │Comments(0)

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