2017年01月25日
205X年のわが街、高崎
205X年のわが街、高崎
およそ50年昔の高崎駅東口・・・・・・
<ジョニーさんからの頂きモノです>
つまり50年後のわが街“たかさき”である。
もちろんそのころには僕はいない。とうぜんお墓の中にもいない・・・・・
50年後と言えばわが末娘が72歳、
長女は90歳、次女が87歳・・・・・そんな時代の話である。
そうそう、去年、群馬県民の日に生まれた長女の長男が60歳、そして次男59歳。
次女の長女が65歳、次女が64歳、長男が60歳である。
2058年、厚生労働省予測では日本の人口は“8000万人台”とか。
さて、わが街“高崎”はいったいぜんたいどのくらいの人口になっているだろうか?
日本の人口、1億2千万人、それが30%以上減少するとかの予測だから、
わが街高崎もそれにならって30%減とすると今が34万人だから、≒21万人チョいということになろうか。
もっともその頃には高崎と前橋も近隣の町村を合併させて“上毛野市”とにでもなっているかも知れない・・・・・
そのころには天を突く絢爛なご自慢の21階建て“高崎市庁舎”も築後70歳になってしまう。
ところで、現在の庁舎、今のもてなし広場のところにあって取り壊しとなった旧庁舎が昭和29年4月に完成と言うことだから、
西暦なら1954年、そして新庁舎が1998年、なんと44年で老朽化を理由の新築だから、ソレを言えば、今の21階建ての絢爛豪華な庁舎もはたして70年も持つのだろうか?
“総工費343億6000万円”
70年ローンで毎月≒3800万円の返済の計算になる。
もちろん、大きくは高崎市と前橋市の合併で今の、地上21階、地下2階、高さ102.5m、
そこにはなぜか消防法とかで設置が義務付けられている“屋上へリポート”まであり、だが航空法では高層ビル火災等の緊急避難でしか離着陸が許されていないという摩訶不思議・・・・・・
そんな平成生まれの新庁舎も無用の長物になるかも知れない。
もっともその時代、当然今の、今上天皇は崩御、今の皇太子でさえ50年後と言えば、
いかに現人神のお孫さんとは言え、50年後と言えば102歳、その存命や如何にである・・・・はずである。
愛子様、女帝の時代か、今7歳だからその頃には57歳に。
どんな時代になっているやら・・・・・・
2058年のわが街、高崎・・・・・
ところで“わが街、高崎”もいいが、国債発行残高900兆円超、国と地方あわせて1200兆円強にもなるというわが日本国の台所事情。
50年後、人口が30%も減少して、それも限りなく高齢化が進む、なんてったって、わが娘の息子が高齢者になっちまうんだから(笑)。
国民の半数が“後期高齢者”なんていうことにもなりかねない・・・・
そんなときその、1200兆円にも上る国地方の借金はどうなってるんだろうか?
巷間言われていることは、戦争で解決するしかないとか、超インフレ策で借金をチャラにするしかないとか物騒な論調が。
しかし50年後、これから50年の間に一体全体どんなことが起こるか。
因みにわが群馬県の財政も“とんでも”な状態になっているとかなっていないとか・・・・・
その群馬県の負債は1兆円を突破。
大阪府が6兆4千億円であの頃橋下新知事泣いて見せたが、大阪府の人口が883万人。
その人口規模と経済基盤からしたら、わが群馬県は200万人チョい、
それにいくら大阪が東京と比べたらしょぼいからと言ったって大都会で大手企業は腐るほどある・・・・
大阪府6兆円にたいしてその人口比率から・・・・・・・
群馬県1兆円は“デカクナイかい”!??
そんなに、一体なにに使っちまったんだろう?
きっと何かに使っちまったことには違いはないが、その財政難の実態、実情、規模は大阪府並ということか。
しかも、経済基盤と規模は大阪の比ではなくショボイ・・・・・
205X年のわが街、高崎・・・・・
わが娘たちの息子の息子たち、きっと生まれているだろう、わからないけど特殊出生数1.29にしても(笑)。
そんな、子どもの子どもの子どもたちが20代にならんとする50年後のわが街高崎は一体どんな街に?
そうさあねぇ・・・・・・
思えば、今から50年昔は昭和41年。敗戦、戦後干支がちょうど一回りの頃、ラーメン一杯60円したかしないか。
その時代に、僕らの祖父母は2017年をはたして想像しただろうか。
自分の子どもの子どもの子どもが小学生になっていて・・・・・・
つい昨日の出来事、陸軍高崎十五連隊から日露戦争に出征して、自分の子どもが大東亜戦争に出征して・・・・・
孫が、インターネットで・・・・・・
“205X年のわが街、高崎”なんて想像しているなんて、
想像していただろうか。わが祖父母たち。
さて、205X年のわが街、高崎は・・・・・
およそ50年昔の高崎駅東口・・・・・・
<ジョニーさんからの頂きモノです>
つまり50年後のわが街“たかさき”である。
もちろんそのころには僕はいない。とうぜんお墓の中にもいない・・・・・
50年後と言えばわが末娘が72歳、
長女は90歳、次女が87歳・・・・・そんな時代の話である。
そうそう、去年、群馬県民の日に生まれた長女の長男が60歳、そして次男59歳。
次女の長女が65歳、次女が64歳、長男が60歳である。
2058年、厚生労働省予測では日本の人口は“8000万人台”とか。
さて、わが街“高崎”はいったいぜんたいどのくらいの人口になっているだろうか?
日本の人口、1億2千万人、それが30%以上減少するとかの予測だから、
わが街高崎もそれにならって30%減とすると今が34万人だから、≒21万人チョいということになろうか。
もっともその頃には高崎と前橋も近隣の町村を合併させて“上毛野市”とにでもなっているかも知れない・・・・・
そのころには天を突く絢爛なご自慢の21階建て“高崎市庁舎”も築後70歳になってしまう。
ところで、現在の庁舎、今のもてなし広場のところにあって取り壊しとなった旧庁舎が昭和29年4月に完成と言うことだから、
西暦なら1954年、そして新庁舎が1998年、なんと44年で老朽化を理由の新築だから、ソレを言えば、今の21階建ての絢爛豪華な庁舎もはたして70年も持つのだろうか?
“総工費343億6000万円”
70年ローンで毎月≒3800万円の返済の計算になる。
もちろん、大きくは高崎市と前橋市の合併で今の、地上21階、地下2階、高さ102.5m、
そこにはなぜか消防法とかで設置が義務付けられている“屋上へリポート”まであり、だが航空法では高層ビル火災等の緊急避難でしか離着陸が許されていないという摩訶不思議・・・・・・
そんな平成生まれの新庁舎も無用の長物になるかも知れない。
もっともその時代、当然今の、今上天皇は崩御、今の皇太子でさえ50年後と言えば、
いかに現人神のお孫さんとは言え、50年後と言えば102歳、その存命や如何にである・・・・はずである。
愛子様、女帝の時代か、今7歳だからその頃には57歳に。
どんな時代になっているやら・・・・・・
2058年のわが街、高崎・・・・・
ところで“わが街、高崎”もいいが、国債発行残高900兆円超、国と地方あわせて1200兆円強にもなるというわが日本国の台所事情。
50年後、人口が30%も減少して、それも限りなく高齢化が進む、なんてったって、わが娘の息子が高齢者になっちまうんだから(笑)。
国民の半数が“後期高齢者”なんていうことにもなりかねない・・・・
そんなときその、1200兆円にも上る国地方の借金はどうなってるんだろうか?
巷間言われていることは、戦争で解決するしかないとか、超インフレ策で借金をチャラにするしかないとか物騒な論調が。
しかし50年後、これから50年の間に一体全体どんなことが起こるか。
因みにわが群馬県の財政も“とんでも”な状態になっているとかなっていないとか・・・・・
その群馬県の負債は1兆円を突破。
大阪府が6兆4千億円であの頃橋下新知事泣いて見せたが、大阪府の人口が883万人。
その人口規模と経済基盤からしたら、わが群馬県は200万人チョい、
それにいくら大阪が東京と比べたらしょぼいからと言ったって大都会で大手企業は腐るほどある・・・・
大阪府6兆円にたいしてその人口比率から・・・・・・・
群馬県1兆円は“デカクナイかい”!??
そんなに、一体なにに使っちまったんだろう?
きっと何かに使っちまったことには違いはないが、その財政難の実態、実情、規模は大阪府並ということか。
しかも、経済基盤と規模は大阪の比ではなくショボイ・・・・・
205X年のわが街、高崎・・・・・
わが娘たちの息子の息子たち、きっと生まれているだろう、わからないけど特殊出生数1.29にしても(笑)。
そんな、子どもの子どもの子どもたちが20代にならんとする50年後のわが街高崎は一体どんな街に?
そうさあねぇ・・・・・・
思えば、今から50年昔は昭和41年。敗戦、戦後干支がちょうど一回りの頃、ラーメン一杯60円したかしないか。
その時代に、僕らの祖父母は2017年をはたして想像しただろうか。
自分の子どもの子どもの子どもが小学生になっていて・・・・・・
つい昨日の出来事、陸軍高崎十五連隊から日露戦争に出征して、自分の子どもが大東亜戦争に出征して・・・・・
孫が、インターネットで・・・・・・
“205X年のわが街、高崎”なんて想像しているなんて、
想像していただろうか。わが祖父母たち。
さて、205X年のわが街、高崎は・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 19:29
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