2016年07月20日
大橋巨泉逝く。そして誰もいなくなった。
大橋巨泉逝く。そして誰もいなくなった。
トットちゃんは生きてますけど(82歳)。
タレントの大橋巨泉さん死去 82歳 がんで闘病
「11PM」などの人気番組の司会者として活躍し、がんで闘病していたタレント、大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名・克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため死去していたことが20日、分かった。82歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻、寿々子(すずこ)さん。後日、「しのぶ会」を開く予定。
東京都出身。早稲田大学在学中から、当時、ブームだったモダンジャズ・コンサートの司会者として活躍。大学時代は俳人としても活動し、芸名は当時の俳号から取った。
大学中退後、ジャズ評論家や放送作家を経て、テレビ司会者に転身。「巨泉・前武のゲバゲバ90分!」「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などの司会を務め、軽妙な弁舌で人気を集めた。「はっぱふみふみ」などの流行語も生んだ。
「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズは有名で、愛川欽也さん、長門裕之さんなど同じ昭和9年生まれの芸能人らと「昭和9年会」を結成。馬主でもあり、競馬評論でも知られた。
<抜粋引用:産経新聞 7月20日(水)9時28分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160720-00000510-san-ent
まあ、テレビの黎明期っていうか、当時は「マスコミ」あなんていう言葉はなかったけど・・・・・
元祖「テレビ」をつまらなくした「テレビ芸人」のハシリ、シャジケタ人でしたという印象しかないけど僕的には。
しかしです。僕ら戦後生まれにないあのバカげた戦争という原体験があるからこそその意味では国じゅうが貧乏な頃です。
確かに「大学は出たけれど」の氷河期でしたから、うまいこと泳いだんでしょうねぇ世の中。
まあ、「運」です。僕ら戦後生まれの連中より昭和一桁世代、敗戦時新制中学ですから、挙句が焼け野原。
お先に失礼された野坂昭如先生、「火垂るの墓」は、まっ、文才でしょうけど物の見事に人間模様の現実を描写してます。
それに比べると、ご案内の「永六輔先生、大橋巨泉先生の生き様はそれほど重くない。
まあ、永六輔先生は数々のヒット曲の作詞で世の中に多くの作品を遺したけど野坂昭之先生とはその趣は大きく異なる。
で、今日の大橋巨泉先生だが、まあ、言ったらタレント司会者のハシリで、世の中に遺る物は何もない。
しかし、最近僕ら同世代話すんだけど「俺たちはとんでもない時代に生まれたなぁ」つうことです。
まあ、比較には及ばないが阪神淡路、東日本大震災、今度の熊本と確かに大変なのには違いないが・・・・・・
一夜にして十数万人の国民が死んだ東京大空襲、広島長崎の原爆投下は全部で兵隊さん含めて300万人が殺されている。
チマチマしたことを言うつもりはないが、俺らよりひとつ世代上の兄弟姉妹はそうした恐怖に慄いた子供時代。
まあ、そうした兄弟姉妹がそろそろ80歳になる、言われるれる後期高齢者です。
で、戦後世代の俺等も紛れもない高齢者。で、金が掛かる高齢者っつう話なんだけど・・・・・
昭和40年代から働き始めておよそ40年、まあ下々だから高は知れてるだろうけど、99%が下々だから黙って徴税されてきた。
そら、年功序列がどうしたとか終身雇用がどうしたとかなんだが戦後無一文、いや莫大な借金からスタートした俺らの時代・・・・・
そしたら、その国に預けたお金がもうないんだという、それが社会保険庁とかグリーンピアとかなんだが。
挙句が、下層老人とか、貧困老人とか言われて邪魔者扱いなんだがそんな平民つうか、下々はその収入のほとんどを消費した。
それが、今日の日本経済、まあ平成一桁までだろうけど、ざっくり国内総生産500兆円。
そのうち、公共料金、税金を含めた個人消費がおよそ6割だから300兆円余りが世の中を回している。
で、残りの200兆円が政府経費、大まかに言えばそういうことです。
そのお金は世の中に回らずに政府の中をくるくる回ってるだけで、その1割くらいが政府関係者の懐に、余録です。
まあ、そんなわけで、大橋巨泉先生、「はっぱふみふみ」で「野球は巨人」じゃあねぇもんね、今時。合掌。
大橋巨泉逝く。そして誰もいなくなった。
トットちゃんは生きてますけど(82歳)。
タレントの大橋巨泉さん死去 82歳 がんで闘病
「11PM」などの人気番組の司会者として活躍し、がんで闘病していたタレント、大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名・克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため死去していたことが20日、分かった。82歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻、寿々子(すずこ)さん。後日、「しのぶ会」を開く予定。
東京都出身。早稲田大学在学中から、当時、ブームだったモダンジャズ・コンサートの司会者として活躍。大学時代は俳人としても活動し、芸名は当時の俳号から取った。
大学中退後、ジャズ評論家や放送作家を経て、テレビ司会者に転身。「巨泉・前武のゲバゲバ90分!」「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などの司会を務め、軽妙な弁舌で人気を集めた。「はっぱふみふみ」などの流行語も生んだ。
「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズは有名で、愛川欽也さん、長門裕之さんなど同じ昭和9年生まれの芸能人らと「昭和9年会」を結成。馬主でもあり、競馬評論でも知られた。
<抜粋引用:産経新聞 7月20日(水)9時28分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160720-00000510-san-ent
まあ、テレビの黎明期っていうか、当時は「マスコミ」あなんていう言葉はなかったけど・・・・・
元祖「テレビ」をつまらなくした「テレビ芸人」のハシリ、シャジケタ人でしたという印象しかないけど僕的には。
しかしです。僕ら戦後生まれにないあのバカげた戦争という原体験があるからこそその意味では国じゅうが貧乏な頃です。
確かに「大学は出たけれど」の氷河期でしたから、うまいこと泳いだんでしょうねぇ世の中。
まあ、「運」です。僕ら戦後生まれの連中より昭和一桁世代、敗戦時新制中学ですから、挙句が焼け野原。
お先に失礼された野坂昭如先生、「火垂るの墓」は、まっ、文才でしょうけど物の見事に人間模様の現実を描写してます。
それに比べると、ご案内の「永六輔先生、大橋巨泉先生の生き様はそれほど重くない。
まあ、永六輔先生は数々のヒット曲の作詞で世の中に多くの作品を遺したけど野坂昭之先生とはその趣は大きく異なる。
で、今日の大橋巨泉先生だが、まあ、言ったらタレント司会者のハシリで、世の中に遺る物は何もない。
しかし、最近僕ら同世代話すんだけど「俺たちはとんでもない時代に生まれたなぁ」つうことです。
まあ、比較には及ばないが阪神淡路、東日本大震災、今度の熊本と確かに大変なのには違いないが・・・・・・
一夜にして十数万人の国民が死んだ東京大空襲、広島長崎の原爆投下は全部で兵隊さん含めて300万人が殺されている。
チマチマしたことを言うつもりはないが、俺らよりひとつ世代上の兄弟姉妹はそうした恐怖に慄いた子供時代。
まあ、そうした兄弟姉妹がそろそろ80歳になる、言われるれる後期高齢者です。
で、戦後世代の俺等も紛れもない高齢者。で、金が掛かる高齢者っつう話なんだけど・・・・・
昭和40年代から働き始めておよそ40年、まあ下々だから高は知れてるだろうけど、99%が下々だから黙って徴税されてきた。
そら、年功序列がどうしたとか終身雇用がどうしたとかなんだが戦後無一文、いや莫大な借金からスタートした俺らの時代・・・・・
そしたら、その国に預けたお金がもうないんだという、それが社会保険庁とかグリーンピアとかなんだが。
挙句が、下層老人とか、貧困老人とか言われて邪魔者扱いなんだがそんな平民つうか、下々はその収入のほとんどを消費した。
それが、今日の日本経済、まあ平成一桁までだろうけど、ざっくり国内総生産500兆円。
そのうち、公共料金、税金を含めた個人消費がおよそ6割だから300兆円余りが世の中を回している。
で、残りの200兆円が政府経費、大まかに言えばそういうことです。
そのお金は世の中に回らずに政府の中をくるくる回ってるだけで、その1割くらいが政府関係者の懐に、余録です。
まあ、そんなわけで、大橋巨泉先生、「はっぱふみふみ」で「野球は巨人」じゃあねぇもんね、今時。合掌。
大橋巨泉逝く。そして誰もいなくなった。
Posted by 昭和24歳
at 12:41
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