2015年05月19日

貧乏を「笑っていいとも」の時代。

貧乏を「笑っていいとも」の時代。

貧乏を「笑っていいとも」の時代。

ピケティ『21世紀の資本』で話題沸騰の「格差問題」も、日本が直面する「史上最大の貿易赤字」も、マルクスを読めば、「からくり」が見えてくる。新たなマルクス像に光を当て、現代の諸問題を斬る意欲作。


国(資本家)が富めば富むほど・・・・・
国民が貧困化するニッポン。




まあ、高崎市高砂町のお話です。

で、川崎の簡易宿泊所がどうしたこうしたなんだけど・・・・・

僕ら、昭和24年生まれが小学生の頃はほぼ町全体が「簡易宿泊所」でした(笑)。
一番すごかったのが、屋台ラーメン屋の親子が住んでいたところ。
あれで、大家の宮崎さん家賃いくらとってたんだろうか?

まさに簡易宿泊所で全部「間貸し」です。あの時代ですから。で、二階建てで建築法もなにもあったもんじゃあありません。
二階に上がる階段下、畳、縦に2畳に半畳くらいの土間。そこに七輪おいてましたから、もちろん、ガスなんてないわけで、水道、便所は共同。
で、その屋台ラーメン屋のオヤジ、わけありなんでしょう、そんなおばさん連れ込んで、親子3人で2畳でした。

まあ、よそんちも似たか寄ったかで、6畳ひと間に親子4人とか5人とか・・・・・・
で、気が利いたところで長屋でした。2軒長屋ですね。長屋になると6畳と4畳半に土間がついて、まあそういうところを借りる家族は今で言うなら2世帯同居でした。
僕が小学生くらいまでは、明治生まれのおじいさん、おばあさんが同居していて、子供は最低3人はいましたね。

僕んちは、っていっても養子先だったんだけど一軒家でした、それも持ち家。養母の叔父が市内でタンス屋を大きく商っていて、その材木置き場に家を作ってくれて、もちろん、水道も、へっついも、風呂桶もありました。養父はポッポ屋。
養父母は昭和18年に東京豊島区の小料理屋で祝儀を挙げて、養母22歳、養父32歳。まあ、戦争中っていうか、戦況が厳しくなってきた頃でしたけど、東京駅に勤務していた養父、徴兵に引っかからなかったので目出度く結婚。
でも、東京大空襲で、代々木上原の借家に住んでいた養父母、昭和20年3月に焼け出されて養母と養母の姉とその子供3兄弟、命からがら豊岡に疎開。
で、終戦と同時に、養父は高崎駅勤務を願い出たけど、北高崎駅勤務でぽっぽや人生を全うしました。

で、養父母の高崎での新居はなんでも新田町の長屋だったそうです。その後しばらくしてご案内の叔父の世話で高砂町に新築。
まあ、新築ったって昭和22年の話ですから古材なんでしょう。僕が養子に来て物心着いた頃思ったんだけど「古い家」だなあという印象でした。
でも、あの時代、家に台所、炊事場、風呂場なんてある家はほとんどなかったので、mっ、隣んち、とその向こう三軒は商売してましたので結構な趣の家でした、古かったけど。
とにかくすごかったです。しょっちゅう停電してましたし、大雨が降れば洪水で玄関まで水浸し。下水もなにもありませんでしたから。

まっ、そんなこんなだったけど、そら、戦争で、アメリカ軍の空襲で逃げ惑うよりよっぽどいい時代だったようです。
で、僕が生まれた頃は粉ミルクは配給で、養母、おっぱいでませんからヤギを飼ってたんだとか。狭いけど庭ありましたし。
ヤギのおっぱいで大きくなったせいか、子供の頃から本は好きでしたね(笑)。
まあ、僕んちのところは高砂町1番地から始まるところで、日清製粉高崎工場の塀沿いにの路地裏でした。
で、そんな時代、僕んちのところの路地裏の奥まったところに別世界がありました。そうです、今で言うならハイソサエティでしょうか、大企業の「社宅」の走りです。
で、そこの社宅、昔の家だけど庭付き3DKでしょうかあすトイレ風呂付き。で、十数件あったそn社宅ですけどほとんどのお宅でニワトリを飼ってました。
聞いた話だけど、日清製粉高崎工場で粉を引いた後の麩が鶏の餌に持ってこだというので会社でも奨励していたようです。
僕も小さい頃よく買いに生かされました「卵かけご飯」好きだったし・・・・・たしか一個5円。
だって、紙芝居の水飴がひとつ5円だったからたしかそんなもんでしたね卵。物価の優等生です今も。

そんなわけ、どこんちも貧しかった。だけど「貧乏」とか「貧困」とかという感覚はなかった。
そんな路地裏の横丁に20人くらいの同い年の子供が毎日騒ぎ回っていました。
駄菓子屋も、山盛、長井、長谷川。そして貸本屋の杉山。もちろん米屋の有間屋、魚屋の持田、酒屋の井田、薬局の渡辺・・・・・
なぜか八百屋がなかった。そうです八百屋は引き売が来ましたから。豆腐、納豆も流し売りでしたね。
まさに、オンデマンドライフでした、必要なものを必要なとき必要なだけ。冷蔵庫なるものが出てきて食生活旬が消えました。

その頃の事を思えばちっとも苦労なんてないのに・・・・・・

貧乏を「笑っていいとも」の時代。




Posted by 昭和24歳  at 18:37 │Comments(0)

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