2014年11月08日
高崎にもうひとつの屋台村・横丁???
高崎にもうひとつの屋台村・横丁???
昭和の「屋台横丁」で復活 大雪被害の高崎市アーケード
2月の記録的大雪で屋根が崩落した群馬県高崎市中心街の中央銀座商店街アーケードの再建で、市は6日、昭和の風情漂う飲食店を集めた屋根付きの「屋台横丁」として再生させる方針を明らかにした。国庫補助などを含む約2億円を投入し、2016年度までに屋根や街路灯などの整備を終え、業者の理解を得ながら、数年かけて横丁を造り上げることを目指す。市は大きな打撃となった雪害をばねに、空洞化した中心街ににぎわいを取り戻す…
<引用:上毛新聞 2014年11月7日(金) AM 06:00>
ソース:http://www.jomo-news.co.jp/ns/4714152873698563/news.html
>昭和の風情漂う飲食店を集めた屋根付きの「屋台横丁」として再生
上毛新聞紙面には、今ある、その「横丁」との「相乗効果」とか言うが・・・・・・
そもそもが、その「飲食店」の市場規模、パイの問題じゃあないのか、と思うんだが。
その意味で果たして、現存する「横丁」と共存できるのか?
あるいは、それほど「昭和風情漂う」を演出できるのかが懸念される。
つまりそこは現在は風俗産業が席巻しているといっても過言ではない状況ではないか。
その、「彼ら」とも共存するというのか?
駅前開発ばかりが華々しく喧伝される今日この頃だが、取ってつけたような「昭和風情」はそう容易くはないのでは。
まあ、極度に「過疎化」してしまった「中銀」だが、オリオン座跡地などはまさに廃墟で・・・・・・
「電気館」にしたって、せっかく民間から市に寄贈されったっていうのにその後のスピード感は全くない。
まっ、行政としては莫大な予算をかける高崎駅「東西」の再開発で頭がいっぱいなんだろう(笑)。
いずれにしても、「それ」を「再開発」とは言わない、「新規開発」の類だ。
何度も書いて恐縮だが、昭和の戦前戦後を通して隆盛を極めた中銀を取り巻く商業地域・・・・・・
おそらく、その代替わりは3代、4代と変遷しているはずだ。
当然、中心市街地の過疎化に伴い「商業施設」としての存在する意味は消え失せた。
そして今、改めて、中銀の端っこに導線を敷いて誘客するというなら、そこまでの魅力ある商業施設の存在は不可欠だろう。
さらに、その中銀に構想する「横丁」にしたってそこには「飲食」だけではなく、それなりの「エンターテイメント性」も求められるはずだ。
正直、リアルタイムの「昭和人」の先行きはそうは長くはない現実がそこにある。
僕らは、まさにその最後の「昭和人」なんだが、そこに本当に「昭和風情」をというなら・・・・・・
まさに「ミュージアム的」な施設も考えなくてはならないだろう。
昭和50年前後生まれの僕らの子供たちの、その頃はもうかつての旧市街地の街並みは消えていた。
つまり、そんな「彼ら」に、僕らリアルタイム世代が感じるノスタルジックなものがそこに果たしてあるかは疑問の残るところだ。
再三いうようだが、それは「駅前イオン」より、中銀を中心とした平面的ショッピングモールを構想することだろう。
精々が二階建てでそこには保育施設、教育施設やら医療施設、高齢者介護施設等々を併設した田町通りをメインストリートにした本町からあら町までの。
まあ、それらが東西駅前に一極集中した場合の結果は「ワンストップ」でおそらく旧市街地へ足を運ぶことはまずないのではないかと危惧する。
ましてや、東口に「大規模集客施設」では、旧市街地は決定的なダメージになることはまず間違いない。
そのことから言えば、東口については商業施設ではなく文化施設に特化し、高崎駅を挟んだ東西が「棲み分け」できるような施策が必要なのではないか。
つまり、その間の移動距離、時間に物理的困難さはあっても「文化」と「商業」という異質なものであれば当然その目的意識からも行動問題は省かれる。
その意味でも、中銀を中心とした旧市街地の「大規模再開発」を希求する。
まさにそれは、少子高齢化社会のピーク、2050年に向けたひとつのヴィジョンではないだろうか・・・・・
高崎にもうひとつの屋台村・横丁???
昭和の「屋台横丁」で復活 大雪被害の高崎市アーケード
2月の記録的大雪で屋根が崩落した群馬県高崎市中心街の中央銀座商店街アーケードの再建で、市は6日、昭和の風情漂う飲食店を集めた屋根付きの「屋台横丁」として再生させる方針を明らかにした。国庫補助などを含む約2億円を投入し、2016年度までに屋根や街路灯などの整備を終え、業者の理解を得ながら、数年かけて横丁を造り上げることを目指す。市は大きな打撃となった雪害をばねに、空洞化した中心街ににぎわいを取り戻す…
<引用:上毛新聞 2014年11月7日(金) AM 06:00>
ソース:http://www.jomo-news.co.jp/ns/4714152873698563/news.html
>昭和の風情漂う飲食店を集めた屋根付きの「屋台横丁」として再生
上毛新聞紙面には、今ある、その「横丁」との「相乗効果」とか言うが・・・・・・
そもそもが、その「飲食店」の市場規模、パイの問題じゃあないのか、と思うんだが。
その意味で果たして、現存する「横丁」と共存できるのか?
あるいは、それほど「昭和風情漂う」を演出できるのかが懸念される。
つまりそこは現在は風俗産業が席巻しているといっても過言ではない状況ではないか。
その、「彼ら」とも共存するというのか?
駅前開発ばかりが華々しく喧伝される今日この頃だが、取ってつけたような「昭和風情」はそう容易くはないのでは。
まあ、極度に「過疎化」してしまった「中銀」だが、オリオン座跡地などはまさに廃墟で・・・・・・
「電気館」にしたって、せっかく民間から市に寄贈されったっていうのにその後のスピード感は全くない。
まっ、行政としては莫大な予算をかける高崎駅「東西」の再開発で頭がいっぱいなんだろう(笑)。
いずれにしても、「それ」を「再開発」とは言わない、「新規開発」の類だ。
何度も書いて恐縮だが、昭和の戦前戦後を通して隆盛を極めた中銀を取り巻く商業地域・・・・・・
おそらく、その代替わりは3代、4代と変遷しているはずだ。
当然、中心市街地の過疎化に伴い「商業施設」としての存在する意味は消え失せた。
そして今、改めて、中銀の端っこに導線を敷いて誘客するというなら、そこまでの魅力ある商業施設の存在は不可欠だろう。
さらに、その中銀に構想する「横丁」にしたってそこには「飲食」だけではなく、それなりの「エンターテイメント性」も求められるはずだ。
正直、リアルタイムの「昭和人」の先行きはそうは長くはない現実がそこにある。
僕らは、まさにその最後の「昭和人」なんだが、そこに本当に「昭和風情」をというなら・・・・・・
まさに「ミュージアム的」な施設も考えなくてはならないだろう。
昭和50年前後生まれの僕らの子供たちの、その頃はもうかつての旧市街地の街並みは消えていた。
つまり、そんな「彼ら」に、僕らリアルタイム世代が感じるノスタルジックなものがそこに果たしてあるかは疑問の残るところだ。
再三いうようだが、それは「駅前イオン」より、中銀を中心とした平面的ショッピングモールを構想することだろう。
精々が二階建てでそこには保育施設、教育施設やら医療施設、高齢者介護施設等々を併設した田町通りをメインストリートにした本町からあら町までの。
まあ、それらが東西駅前に一極集中した場合の結果は「ワンストップ」でおそらく旧市街地へ足を運ぶことはまずないのではないかと危惧する。
ましてや、東口に「大規模集客施設」では、旧市街地は決定的なダメージになることはまず間違いない。
そのことから言えば、東口については商業施設ではなく文化施設に特化し、高崎駅を挟んだ東西が「棲み分け」できるような施策が必要なのではないか。
つまり、その間の移動距離、時間に物理的困難さはあっても「文化」と「商業」という異質なものであれば当然その目的意識からも行動問題は省かれる。
その意味でも、中銀を中心とした旧市街地の「大規模再開発」を希求する。
まさにそれは、少子高齢化社会のピーク、2050年に向けたひとつのヴィジョンではないだろうか・・・・・
高崎にもうひとつの屋台村・横丁???
Posted by 昭和24歳
at 15:04
│Comments(2)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
最近、中銀のお弁当屋や老舗の食堂が閉めています。
祝日のとき、慶州苑に行きましたが キヤバクラさえも営業していない中銀は、寂しいシャッター通りですね。
屋台横丁は、もう高崎市内 飽和状態です。
若い大学生が、アルコール飲料を嫌っている現実を、老人は理解していない。