2014年07月31日

少女猟奇殺人事件と現代社会

少女猟奇殺人事件と現代社会

少女猟奇殺人事件と現代社会


>母親に問題があった。

父親なんていうのは「モノのついで」でしかない・・・・・

僕には息子がいないからわからないが、僕が父に対する感情も「社会比較」の対象でしかなかった。
夢見る、そんな時代の頃は「夢」ことごとく否定する父親には嫌悪した。
まあ、父親のその人生での時代背景、当然理解しつつも、超現実を強制するその言葉は僕の全てを否定しているかのようにさえ思えた。

まあ、「音楽」で食おうなんていう僕の、息子のそれは父にしてみれば想像すらできなかったのかもしれない。

しかし父は沼津から15歳で上京し酒屋で丁稚奉公をしながら「噺家」になる嫁を見ていた。

昭和元年頃か、日中戦争も始まらんというそんな時代背景と公権力は15歳の少年の夢いとも簡単に打ち砕いていた。
そして、大戦、大空襲、敗戦。父は長兄の命令で「国鉄職員」に、それが徴兵検査寸前の時だったんだとか。
そして、父にしてみれば「青春」というそのものが「国家総動員」で剥奪された。
もっとも、終わってみたら、生きているだけで儲け物のそんな時代だったんだろうし、その敗戦の年には34歳になっていた。

まさに、失われた「20年」がそこかしこにあった、そんな「父」の時代だったのだが。

昭和18年に国鉄職員の父と結婚した母、22歳。母の姉の夫の紹介での見合いだったと。
まあ、「戦争」に行く心配はない、そんな父との結婚には母の父母も安堵していたという。
母の父母はちょうどその頃長男(僕の実父)を昭和18年に32歳で徴兵され、次男、次女、四女を、そして生まれて8ヶ月の孫娘を病で立て続けに失っていた。
そんなこともあって、母の父母は殊更に、そんな母の結婚を喜んだという。

>多分に育っていった環境だわ。

あれから70年、今年で71年目のその季節がすぐそこに。

僕の記憶の中に生きた、僕を育んでくれたほとんどの人、その時の環境は、もう今はない。
そして僕が創ってきたであろう、その「環境」も今やその必要性は失せている。

次女の長女が中学2年生、次女が中学一年生、そして長男が小学4年生。
長女の長男、5歳。次男が4歳。それぞれが僕の「環境」から遥か遠くで新たな環境の中で生きている。
まっ、今ここで僕のその「環境」と必死になって戦っているのが三女、末娘20歳、大学生

彼女の意識の中には既に「僕」はいない・・・・・

自分のことが精一杯だ。今まさにその「夢」と格闘している。
然したる援助もできない僕ができることといえば、せめて、そんな彼女を「邪魔」しないことだけ。
その。彼女の夢と現実には、奇しくも「母親」の障害が突如として起きた。
それでも、彼女はそんな母には極めて寛容で、そんな母の手助けを忌みすることなく優しい。

確かに「育った環境」かもしれないが、そこには生物、生命の持って生まれた「DNA」も大きく作用しているのではないだろうか。
どんな苦境に生まれようとも、立派に大成する人もいるわけだし、外見、実に豊かで恵まれた環境に育っていてもその真性の奥底では、その「環境」では計り知れない現実が創造されることも。

「父親を金属バットで殴る」

慕ってきた母が亡くなってから僅か一ヶ月ほどで再婚してしまった弁護士の父親。
まさか、娘に「金属バットで殴られた」とは言えなかったのではないかとは容易に想像する。
小学生の頃「カエルの解剖」、これは僕らも授業でやったが、中学生で「ネコを解剖」そして諸処の問題(事件)は少女心にもその報道によれば「面子」だったと。

おそらく想像するに彼女の家庭環境、とくに「両親」の異様な夫婦関係が「親子関係」に映っていたのではないだろうか。
結果、本来、彼女に潜んでいたそれが、普通なら本能的に無意識に抑制されるはずの「残虐性」が表層してしまった。

>母親って地面に這いつくばって、子育てするのですよね。これは体験から。

まあ、19歳で長女を産んだ僕のカミさんも「辞書」のない子育てだった。
母親に相談することも一切なかった。本能なんだろうか、その全てを知っていた。
やるべきことは全てやった。まだ紙おむつのない時代、自分でオムツを縫って、哺乳瓶は煮沸消毒をして。
長女の夜泣きは丸一年つづいた。母乳を拒絶した長女は医師のすすめで「ボンラクト」(豆乳)で半年位からみるみるうちに健康優良児に。
しかし、母乳が消費されないためにカミさんは「乳腺炎」の手術をする羽目に。

父親なんてモノのついで。

野良猫が僕の家で6匹子猫を産んだ。
そして、里親を探す間もなく、その6匹の子猫を一匹づつ加えてどこかの棲家へと。
そして一ヶ月、今でも餌を食べに、水を飲みに僕の家に。

「母猫は生きるために必死なんだから、子供におっぱいやるためにいっぱい食べなくちゃあね」

そう言って、カミさんはその野良母猫の躰をさすったり、目脂をとってやったり・・・・・
餌も飼い猫と同じものをそれぞれの器に。

それこそが「環境」というものではないだろうかと、教えられた思いが。

少女猟奇殺人事件と現代社会




Posted by 昭和24歳  at 10:13 │Comments(0)

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