2014年06月25日
サムライジャパン「負けちゃいました」
サムライジャパン「負けちゃいました」

サムライ・ジャパン
つまり、日本民族には「団体競技」は似合わない。
というか、江戸の昔よりその団体は「戦う」のではなく、精々が「競う」程度のものであった。
当然、その人口比にしても、江戸の泰平では日本の人口の8割超が農林漁民・・・・・
で、残りの2割が武士、僧侶、司祭、そして商工人であったと記録されている。
まあ、その1割に満たない武家(武装集団)が残りの9割方を「武力」によって支配していたわけです。
それにしたって、幕末に至るのは、その残りの9割が革命を起こしたわけではなく・・・・・
その「1割」の中での、重箱の隅の突っ付き合いで、頃合いを見計らった米欧資本が、
そこに「飛び道具」のない「武家」を焚きつけて熾したのが「明治維新」。
そら、欧米資本だってどっちに勝たせたほうがりにありつけるかを計算済みでしたから、
いわゆる「サムライ魂」の「徳川幕府」は高楊枝ですから、勝敗は決してました。
まあ、そんな武士ですら「平和」を希求して「戦のない社会」をでしたから、
約260年というもの、団体で戦う、いわゆる「戦法」には、その意識は次第に失せた。
で、日本民族にできることと言ったらあくまでも「個人競技」でした・・・・・
「相撲」とか「柔道」とか「剣道」とか、しかも、その決まり、仕来りは厳しく、
けして「反則」、卑怯な手は許されなかった。
どこかに、現代日本民族にもそういうDNA」はあるんでしょうか。
で、「団体競技」のように思われている「野球」でも、結局あれは「個人競技で、
「投手」と「打者」との一騎打ちで、他の8人はその後処理をするだけですから・・・・・
あの競技を生み出したとされる、アメリカ人っていうか西洋人の中にも変わった人がいたもんです(笑)。
野球の「3割ルール」。
野球は面白い。その全てが「3」という数字によって決定づけられる。
守る方としては、「3回」アウトを取ればよし、「3回」バットをカラ振らせればよし・・・・・
つまり、「3回」ストライクを取ればよしで、でも「3回」以上ボールを投げたらその投手の負け。
で、攻める方は「3人」まで負けなければよし、べースを「3つ」回れば1点得点。
で、打者は「3」の倍数「9回」まで、だいたい「3回」は打順が回ってくるから、
そのうち1回でもセーフになれば「3」割打者として優秀とされる。
で、総じて、その試合は「3」の倍数「9回」とされるから・・・・・
そこが面白い、西洋人というか、アメリカ人、野球を考えた人稀有っていうか、
「アメリカンドリーム」っていうか(笑)。
つまり、「野球とは人生ゲーム」だと。
「人生」、「前半、中盤、後半と「3回」に分けられる・・・・・
そして、そこでの失敗、「2回」までは許されるが「3回目」は「アウト」(^^ゞ
つまり、人生に「3回」チャンスがやってくる。
つまり、その「野球」でも「4割」を超えるバッターはまずいないしピッチャーも完全試合できる人はそうはいない。
その「3回」に一回をどう、人生の中で作るか・・・・・
だから野球は「人生ゲーム」なんだとか。
それにしても、サッカーにしても、ラグビーにしても、いわゆる野球以外の「団体球技」は過酷です。
「45分間」走りっぱなし、気が抜けない、過酷な競技ですねぇ(^^ゞ
野球のバッターはほとんど休みっぱなし、9回に一回(笑)。
野手なんて、自分のところに球が飛んでこなければ「開店休業」だし、
ピッチャーだって「3回」アウトを取れば休めるし、バッタ席に立っても無理しなくていい分けです。
そういうわけで、日本民族っていうか、農耕民族ですから「座して待つ」。
「種」蒔いて、芽を出させて、実らせてですから、それに桃だって、梅だって、りんごだって促成栽培は難しい(^^ゞ
まあ、狩猟民族は「座して待てない」。獲物逃げちゃいますから、で油断してると襲われちゃいますから・・・・・
逃げられちゃう前にとっ捕まえるか、襲われる前に襲うとかです。
それを思うと、占領軍は面白い憲法を授けましたね「専守防衛」って、まさに修行です。
「やられてからじゃないと、やり返せない」
じゃあ、やり返す前に完膚なきまでにやられちゃったらどうするんでしょうか・・・・・
やる方だって、真剣でしょうから、やり返されないほど徹底的にやるんじゃあないでしょうか。
つまり、「集団的自衛家」より必要なのは「個別的攻撃権」ですね。
やられそうになったら「やる」という・・・・・
まあ、今やそういう時代じゃあないでしょうけど、ホントは(笑)。
サムライジャパン「負けちゃいました」

サムライ・ジャパン
つまり、日本民族には「団体競技」は似合わない。
というか、江戸の昔よりその団体は「戦う」のではなく、精々が「競う」程度のものであった。
当然、その人口比にしても、江戸の泰平では日本の人口の8割超が農林漁民・・・・・
で、残りの2割が武士、僧侶、司祭、そして商工人であったと記録されている。
まあ、その1割に満たない武家(武装集団)が残りの9割方を「武力」によって支配していたわけです。
それにしたって、幕末に至るのは、その残りの9割が革命を起こしたわけではなく・・・・・
その「1割」の中での、重箱の隅の突っ付き合いで、頃合いを見計らった米欧資本が、
そこに「飛び道具」のない「武家」を焚きつけて熾したのが「明治維新」。
そら、欧米資本だってどっちに勝たせたほうがりにありつけるかを計算済みでしたから、
いわゆる「サムライ魂」の「徳川幕府」は高楊枝ですから、勝敗は決してました。
まあ、そんな武士ですら「平和」を希求して「戦のない社会」をでしたから、
約260年というもの、団体で戦う、いわゆる「戦法」には、その意識は次第に失せた。
で、日本民族にできることと言ったらあくまでも「個人競技」でした・・・・・
「相撲」とか「柔道」とか「剣道」とか、しかも、その決まり、仕来りは厳しく、
けして「反則」、卑怯な手は許されなかった。
どこかに、現代日本民族にもそういうDNA」はあるんでしょうか。
で、「団体競技」のように思われている「野球」でも、結局あれは「個人競技で、
「投手」と「打者」との一騎打ちで、他の8人はその後処理をするだけですから・・・・・
あの競技を生み出したとされる、アメリカ人っていうか西洋人の中にも変わった人がいたもんです(笑)。
野球の「3割ルール」。
野球は面白い。その全てが「3」という数字によって決定づけられる。
守る方としては、「3回」アウトを取ればよし、「3回」バットをカラ振らせればよし・・・・・
つまり、「3回」ストライクを取ればよしで、でも「3回」以上ボールを投げたらその投手の負け。
で、攻める方は「3人」まで負けなければよし、べースを「3つ」回れば1点得点。
で、打者は「3」の倍数「9回」まで、だいたい「3回」は打順が回ってくるから、
そのうち1回でもセーフになれば「3」割打者として優秀とされる。
で、総じて、その試合は「3」の倍数「9回」とされるから・・・・・
そこが面白い、西洋人というか、アメリカ人、野球を考えた人稀有っていうか、
「アメリカンドリーム」っていうか(笑)。
つまり、「野球とは人生ゲーム」だと。
「人生」、「前半、中盤、後半と「3回」に分けられる・・・・・
そして、そこでの失敗、「2回」までは許されるが「3回目」は「アウト」(^^ゞ
つまり、人生に「3回」チャンスがやってくる。
つまり、その「野球」でも「4割」を超えるバッターはまずいないしピッチャーも完全試合できる人はそうはいない。
その「3回」に一回をどう、人生の中で作るか・・・・・
だから野球は「人生ゲーム」なんだとか。
それにしても、サッカーにしても、ラグビーにしても、いわゆる野球以外の「団体球技」は過酷です。
「45分間」走りっぱなし、気が抜けない、過酷な競技ですねぇ(^^ゞ
野球のバッターはほとんど休みっぱなし、9回に一回(笑)。
野手なんて、自分のところに球が飛んでこなければ「開店休業」だし、
ピッチャーだって「3回」アウトを取れば休めるし、バッタ席に立っても無理しなくていい分けです。
そういうわけで、日本民族っていうか、農耕民族ですから「座して待つ」。
「種」蒔いて、芽を出させて、実らせてですから、それに桃だって、梅だって、りんごだって促成栽培は難しい(^^ゞ
まあ、狩猟民族は「座して待てない」。獲物逃げちゃいますから、で油断してると襲われちゃいますから・・・・・
逃げられちゃう前にとっ捕まえるか、襲われる前に襲うとかです。
それを思うと、占領軍は面白い憲法を授けましたね「専守防衛」って、まさに修行です。
「やられてからじゃないと、やり返せない」
じゃあ、やり返す前に完膚なきまでにやられちゃったらどうするんでしょうか・・・・・
やる方だって、真剣でしょうから、やり返されないほど徹底的にやるんじゃあないでしょうか。
つまり、「集団的自衛家」より必要なのは「個別的攻撃権」ですね。
やられそうになったら「やる」という・・・・・
まあ、今やそういう時代じゃあないでしょうけど、ホントは(笑)。
サムライジャパン「負けちゃいました」
タグ :サッカー、サムライ、団体競技
Posted by 昭和24歳
at 09:34
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