2014年01月22日
未来選挙
未来選挙

問題は、誰が責任を持って、先が見える発言をするか。
二十歳で選挙権を得て早くも40年が過ぎようとしている僕ら世代。
そして次第次第に“攻め”の世代から“守り”の世代へ・・・・・
さらに“終焉”へと刻々と時間は迫り来る。
僕らは実に“特異な世代”の人種ではないだろうか・・・・・・
子供ながらに感じた戦後、敗戦と言う激動の時代。
その時代は、僕らには何一つ押し付けがましいものはなかったと僕は感じている。
あたかも彼の大戦で300万余の無辜の犠牲を恥じ入るかのように、
それまでの時代とは比べようのない寛容さで、ある意味僕ら世代を甘やかしてきた。
それは僕らの父母が同じで・・・・・・
この、自分たちの子供にはもうあの戦争体験はさせたくないとの思い。
そして戦中戦後の食糧難を、もうこの子供たちには味合わさせたくない・・・・・
そんな思いからか、僕らはその親たちからだけではなく、
“社会”、いや、“時代”そのものから甘やかされてきたように思えてならない。
高校進学が当たり前の時代・・・・・
敗戦後、たったの20年と待たずに他国の戦乱に乗じた奇跡的“経済復興”で。
そうしたその時代の子供、若者たちが時既に“高齢者”の時代。
そんな僕らが培ってきたものとは一体なんだったんだろうか・・・・・・
過日、NHKラジオ“私の戦争体験”と言うなかで、
“鶴見和子さん”(後藤新平の孫)という80を超えた社会学者、歌人のお話を聴いた。
とうとうと話される、その語りに僕は引き込まれた・・・・・・・
「憲法9条は米国が作った憲法ではないのよ。
あれは第一次世界大戦の反省から生まれた“平和思想”なの。
みなさん勘違いしていらっしゃるのね。
憲法9条は人類の“理想”なのよ・・・・・」
と。
「日本と言う国はそれを受け入れられる国なの・・・・・
日本と言う国は、仏教も、キリスト教も、イスラム教もヒンズー教もなにもかも包含してしまう国なの・・・・・
あなた、“曼荼羅”をご存知?」
聴き手のアナウンサーにそう問い掛ける鶴見さん。
自分が仏教徒でも、特別な信教を持つ人間ではないと断りながら、
「強いて言えば、“自然教”かしら・・・・・」
その鶴見和子さんは“南方熊楠”の研究者だと紹介されていた。
「戦争をしてはだめ。絶対にだめ・・・・・
でも愚かしいことに、ブッシュ大統領は己の正義だけを振りかざしてイラクを攻撃してるのね。
それを何の根拠もなく支持した小泉首相も私は許せないの・・・・・・
許してはいけないの。
私は日米開戦時米国に留学していたの・・・・・
だから“非国民”だって言われたのよ・・・・・・
なぜ戦争がいけないかをきちんと説明できる大人がいなくなったのね。
戦争体験なんてないほうが良いに決まってるわよ・・・・・
だから私は今も言い続けるの、戦争は絶対にだめだって。
それはね、今の子供たち、そしてこれから産まれようとしている子供たちへの“私の”責任なの・・・・・
でも、もうすぐ死んでしまうけどね・・・・・
ほら、半身不随の老婆よ。」
もうすぐ選挙です。しかし国民に選択肢がない。
そう思えてならない。
国政も、地方政治も、どれもこれも・・・・・
そのほとんどが「問題のすり替え」にこの30年間出くわし続けたので、
実はうんざりしている。
そういいつつも、僕ら国民は傍観するだけで、結果はご案内の通り。
その意味でそれは為政者の思うつぼ。
暴動さえ起こせない国民。
今、「タイ」で起きている国民的“暴動”は一体なんなんだろうか?
情報の発達により、国民が国内外の情報をつぶさに知る・・・・・・
そこに見えてきたのは、あまりにもも国民生活を無視し続けてきた政治。
その政治に国民の怒りが爆発した。それが今のタイ。
テレビの報道は控えめだ。そこで何が起きているのか・・・・・・
なんで、そういうことになっているのかの解説はほとんどない。
「タイ政府」は選挙の実施を言うが、国民はそれを拒否。
即刻、大統領の退任要求を突きつけている。つまり、選挙を信用していない。
未来選挙

問題は、誰が責任を持って、先が見える発言をするか。
二十歳で選挙権を得て早くも40年が過ぎようとしている僕ら世代。
そして次第次第に“攻め”の世代から“守り”の世代へ・・・・・
さらに“終焉”へと刻々と時間は迫り来る。
僕らは実に“特異な世代”の人種ではないだろうか・・・・・・
子供ながらに感じた戦後、敗戦と言う激動の時代。
その時代は、僕らには何一つ押し付けがましいものはなかったと僕は感じている。
あたかも彼の大戦で300万余の無辜の犠牲を恥じ入るかのように、
それまでの時代とは比べようのない寛容さで、ある意味僕ら世代を甘やかしてきた。
それは僕らの父母が同じで・・・・・・
この、自分たちの子供にはもうあの戦争体験はさせたくないとの思い。
そして戦中戦後の食糧難を、もうこの子供たちには味合わさせたくない・・・・・
そんな思いからか、僕らはその親たちからだけではなく、
“社会”、いや、“時代”そのものから甘やかされてきたように思えてならない。
高校進学が当たり前の時代・・・・・
敗戦後、たったの20年と待たずに他国の戦乱に乗じた奇跡的“経済復興”で。
そうしたその時代の子供、若者たちが時既に“高齢者”の時代。
そんな僕らが培ってきたものとは一体なんだったんだろうか・・・・・・
過日、NHKラジオ“私の戦争体験”と言うなかで、
“鶴見和子さん”(後藤新平の孫)という80を超えた社会学者、歌人のお話を聴いた。
とうとうと話される、その語りに僕は引き込まれた・・・・・・・
「憲法9条は米国が作った憲法ではないのよ。
あれは第一次世界大戦の反省から生まれた“平和思想”なの。
みなさん勘違いしていらっしゃるのね。
憲法9条は人類の“理想”なのよ・・・・・」
と。
「日本と言う国はそれを受け入れられる国なの・・・・・
日本と言う国は、仏教も、キリスト教も、イスラム教もヒンズー教もなにもかも包含してしまう国なの・・・・・
あなた、“曼荼羅”をご存知?」
聴き手のアナウンサーにそう問い掛ける鶴見さん。
自分が仏教徒でも、特別な信教を持つ人間ではないと断りながら、
「強いて言えば、“自然教”かしら・・・・・」
その鶴見和子さんは“南方熊楠”の研究者だと紹介されていた。
「戦争をしてはだめ。絶対にだめ・・・・・
でも愚かしいことに、ブッシュ大統領は己の正義だけを振りかざしてイラクを攻撃してるのね。
それを何の根拠もなく支持した小泉首相も私は許せないの・・・・・・
許してはいけないの。
私は日米開戦時米国に留学していたの・・・・・
だから“非国民”だって言われたのよ・・・・・・
なぜ戦争がいけないかをきちんと説明できる大人がいなくなったのね。
戦争体験なんてないほうが良いに決まってるわよ・・・・・
だから私は今も言い続けるの、戦争は絶対にだめだって。
それはね、今の子供たち、そしてこれから産まれようとしている子供たちへの“私の”責任なの・・・・・
でも、もうすぐ死んでしまうけどね・・・・・
ほら、半身不随の老婆よ。」
もうすぐ選挙です。しかし国民に選択肢がない。
そう思えてならない。
国政も、地方政治も、どれもこれも・・・・・
そのほとんどが「問題のすり替え」にこの30年間出くわし続けたので、
実はうんざりしている。
そういいつつも、僕ら国民は傍観するだけで、結果はご案内の通り。
その意味でそれは為政者の思うつぼ。
暴動さえ起こせない国民。
今、「タイ」で起きている国民的“暴動”は一体なんなんだろうか?
情報の発達により、国民が国内外の情報をつぶさに知る・・・・・・
そこに見えてきたのは、あまりにもも国民生活を無視し続けてきた政治。
その政治に国民の怒りが爆発した。それが今のタイ。
テレビの報道は控えめだ。そこで何が起きているのか・・・・・・
なんで、そういうことになっているのかの解説はほとんどない。
「タイ政府」は選挙の実施を言うが、国民はそれを拒否。
即刻、大統領の退任要求を突きつけている。つまり、選挙を信用していない。
未来選挙
タグ :選挙、統一地方選挙、都知事選挙
Posted by 昭和24歳
at 11:33
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