2014年01月20日
【九蔵寄席】24日金曜日は、話芸百般「柳家紫文」です!!
【九蔵寄席】24日金曜日は、
話芸百般「柳家紫文」です!!
【九蔵寄席】
突然ですが「柳家紫文」です!!
江戸情緒たっぷりの、粋な三味の音が~~~
高崎九蔵町の横丁から・・・・・・
♪ちとん、てんとしゃん♪
一昔前、いや、二昔、三昔まえなら、お向かいの柏屋さん。
そのお二階の欄干越しに、ご近所のサラリーマンだろうか・・・・・
そんな宴会客の賑わいが、手拍子と茶碗を叩いたチャンチキおけさが。
先だっても、とあるお客様が、懐かしそうに、
「学生の頃、コンパと言ったら、あそこ“柏屋”だった・・・・・
なんだい、ずいぶんと寂しくなっちまったもんだねぇ、この辺も」
まあ、その三昔なら、九蔵町、田町大通りの四角といえば・・・・・
そりゃァ、この高崎の「兜町」ですか、大袈裟に言えば、高崎の、アレ、
「ウォール街」だったねぇ。
その四角には商工会議所やら、証券会社やら銀行やらが建っていて・・・・・
ちょいと北へ先に行けば本町三丁目で金沢屋さんのお隣には「東京電力」が。
そして、その続きの横丁には小間物問屋やらが大きく商っていて・・・・・
やはり、その頃はまだ「電車通り」と呼んでいたところには、
乾物問屋の大店「平野屋」さんがあったり、やはり大店の「川崎家具店」。
たしか、今のセブンイレブンのところはその頃は証券会社だったような記憶が?
まあ、子供の頃の記憶、5、6才の頃のものだからあまり確かではないが・・・・・
その高崎商工会議所の、おそらく明治時代のものであろう建物には威厳を覚えたと記憶する。
もちろん、そこには東武「伊香保軌道鉄道」、いわゆる「ちんちん電車」が走っていた。
昭和31年が廃線と聞き覚えるから、僕の記憶の中にその「線路」があった・・・・・
昭和24年生まれの僕のそれはまんざらの、間違えでもないようだ。
母の話では、僕を背負って何度か乗ったことがあったとか、その「ちんちん電車」に。
まあ、この街「高崎」も近代都市として激変しようとしているが・・・・・・
こうした「軌道鉄道」、今で言うなら「モノレール」だろうか、そんなに急がなくてもいい、
「スローライフ」に高崎駅から、公共交通機関の脆弱な、玉村方面、箕郷、室田、群馬町方面等々、
多方面に、地上コミューターみたいなものを走らせたら過疎地、限界集落対策にもなるのではないかと(^ω^)
まっ、そんなことを思いつつ、ともあれ、この24日、金曜日は江戸情緒たっぷりの、
“柳家紫文”新春初笑い!!
いかがでしょうか!!???
紫文師匠終演後には「歌声喫茶タイムサービス」も企画しておりますから是非ご光来ください。
まあ、とにかく、街が殺風景です。人の数が足りない・・・・・
それは、駅前も一緒ですね。
駅あたりに「大規模集客施設」ができても、このままじゃあ野ざらしになるかも。
昨夜の「NHK特集」でも、このままではあと20年後、団塊世代が80代・・・・・
アルツハイマー病患者が1000万人にもとか、脅かしてました(笑)。
つまり、それは社会全体が「病む」ということです。
医学が進んだとしても莫大な医療費がかかる。社会保障費がかさむ・・・・・・
つまり、それには「病」にかからないことです。薬に頼らず医者に頼らず。
じゃあ、どうしたらいいかって?
それは「柳家紫文」で大笑いすることです!!
つまり、認知症の原因物質「アミロイドβ」の増加を抑えるには・・・・・・
既に、20代の頃からその物質の増加が始まり、物忘れなどの症状が。
僕も他人事ではありません(^^ゞ
昔のことは映像を見るように思い浮かびますが、ついさっきのことが、
アレ?なんだっけ・・・・・???
まっ、難しいことはともかく、アレです、
いっぱい人と話して、笑って、楽しんで、「ピンコロ人生」万歳!!
「笑う門には福が来る」
では、おあとがよろしいようで・・・・・・
【九蔵寄席】24日金曜日は、
話芸百般「柳家紫文」です!!
話芸百般「柳家紫文」です!!
【九蔵寄席】
突然ですが「柳家紫文」です!!
江戸情緒たっぷりの、粋な三味の音が~~~
高崎九蔵町の横丁から・・・・・・
♪ちとん、てんとしゃん♪
一昔前、いや、二昔、三昔まえなら、お向かいの柏屋さん。
そのお二階の欄干越しに、ご近所のサラリーマンだろうか・・・・・
そんな宴会客の賑わいが、手拍子と茶碗を叩いたチャンチキおけさが。
先だっても、とあるお客様が、懐かしそうに、
「学生の頃、コンパと言ったら、あそこ“柏屋”だった・・・・・
なんだい、ずいぶんと寂しくなっちまったもんだねぇ、この辺も」
まあ、その三昔なら、九蔵町、田町大通りの四角といえば・・・・・
そりゃァ、この高崎の「兜町」ですか、大袈裟に言えば、高崎の、アレ、
「ウォール街」だったねぇ。
その四角には商工会議所やら、証券会社やら銀行やらが建っていて・・・・・
ちょいと北へ先に行けば本町三丁目で金沢屋さんのお隣には「東京電力」が。
そして、その続きの横丁には小間物問屋やらが大きく商っていて・・・・・
やはり、その頃はまだ「電車通り」と呼んでいたところには、
乾物問屋の大店「平野屋」さんがあったり、やはり大店の「川崎家具店」。
たしか、今のセブンイレブンのところはその頃は証券会社だったような記憶が?
まあ、子供の頃の記憶、5、6才の頃のものだからあまり確かではないが・・・・・
その高崎商工会議所の、おそらく明治時代のものであろう建物には威厳を覚えたと記憶する。
もちろん、そこには東武「伊香保軌道鉄道」、いわゆる「ちんちん電車」が走っていた。
昭和31年が廃線と聞き覚えるから、僕の記憶の中にその「線路」があった・・・・・
昭和24年生まれの僕のそれはまんざらの、間違えでもないようだ。
母の話では、僕を背負って何度か乗ったことがあったとか、その「ちんちん電車」に。
まあ、この街「高崎」も近代都市として激変しようとしているが・・・・・・
こうした「軌道鉄道」、今で言うなら「モノレール」だろうか、そんなに急がなくてもいい、
「スローライフ」に高崎駅から、公共交通機関の脆弱な、玉村方面、箕郷、室田、群馬町方面等々、
多方面に、地上コミューターみたいなものを走らせたら過疎地、限界集落対策にもなるのではないかと(^ω^)
まっ、そんなことを思いつつ、ともあれ、この24日、金曜日は江戸情緒たっぷりの、
“柳家紫文”新春初笑い!!
いかがでしょうか!!???
紫文師匠終演後には「歌声喫茶タイムサービス」も企画しておりますから是非ご光来ください。
まあ、とにかく、街が殺風景です。人の数が足りない・・・・・
それは、駅前も一緒ですね。
駅あたりに「大規模集客施設」ができても、このままじゃあ野ざらしになるかも。
昨夜の「NHK特集」でも、このままではあと20年後、団塊世代が80代・・・・・
アルツハイマー病患者が1000万人にもとか、脅かしてました(笑)。
つまり、それは社会全体が「病む」ということです。
医学が進んだとしても莫大な医療費がかかる。社会保障費がかさむ・・・・・・
つまり、それには「病」にかからないことです。薬に頼らず医者に頼らず。
じゃあ、どうしたらいいかって?
それは「柳家紫文」で大笑いすることです!!
つまり、認知症の原因物質「アミロイドβ」の増加を抑えるには・・・・・・
既に、20代の頃からその物質の増加が始まり、物忘れなどの症状が。
僕も他人事ではありません(^^ゞ
昔のことは映像を見るように思い浮かびますが、ついさっきのことが、
アレ?なんだっけ・・・・・???
まっ、難しいことはともかく、アレです、
いっぱい人と話して、笑って、楽しんで、「ピンコロ人生」万歳!!
「笑う門には福が来る」
では、おあとがよろしいようで・・・・・・
【九蔵寄席】24日金曜日は、
話芸百般「柳家紫文」です!!
Posted by 昭和24歳
at 15:18
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