2014年01月17日
元陸軍少尉の小野田さん死去
元陸軍少尉の小野田さん死去
小野田/寛郎
大正11年(1922)3月、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)春、旧制海南中学を卒業。貿易会社に就職、中国・漢口(現在の武漢)支店勤務。昭和17年(1942)12月、和歌山歩兵第61連隊入隊、昭和19年(1944)1月、久留米第一予備士官学校入校。同年9月、陸軍中野学校二俣分校で訓練の後、同年12月フィリピン戦線へ。以後30年、作戦解除命令を受けられないまま任務遂行。昭和49年(1974)2月、鈴木紀夫氏と遭遇、同年3月、祖国に生還。昭和50年(1975)春、ブラジルに渡り、牧場を開拓、経営。昭和59年(1984)「自然と人間の共生」をテーマに、子供たちのキャンプ(小野田自然塾)を開く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
元陸軍少尉の小野田さん死去=30年ジャングル生活-「自然塾」で青少年育成
フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした後に帰国した元陸軍少尉で「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎さんが16日午後4時29分、心不全のため都内の病院で死去した。91歳だった。自宅は東京都中央区佃。葬儀は家族で行う予定。
<抜粋引用:時事ドットコム 2014/01/17-11:27>
ソース:http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2014011700265
この現実を「現代」はどう見る・・・・・・
そろそろ僕らも終わる時代だ。
そこで僕らが見る「現代」は陽炎のように揺らめく。
一人ひとりが考えるべきことなんだろうが・・・・・・
すでに、そういう教育はなされていない「現代」。
その意味では「社会」の役割は大きい。
元陸軍少尉の小野田さん死去
小野田/寛郎
大正11年(1922)3月、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)春、旧制海南中学を卒業。貿易会社に就職、中国・漢口(現在の武漢)支店勤務。昭和17年(1942)12月、和歌山歩兵第61連隊入隊、昭和19年(1944)1月、久留米第一予備士官学校入校。同年9月、陸軍中野学校二俣分校で訓練の後、同年12月フィリピン戦線へ。以後30年、作戦解除命令を受けられないまま任務遂行。昭和49年(1974)2月、鈴木紀夫氏と遭遇、同年3月、祖国に生還。昭和50年(1975)春、ブラジルに渡り、牧場を開拓、経営。昭和59年(1984)「自然と人間の共生」をテーマに、子供たちのキャンプ(小野田自然塾)を開く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
元陸軍少尉の小野田さん死去=30年ジャングル生活-「自然塾」で青少年育成
フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした後に帰国した元陸軍少尉で「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎さんが16日午後4時29分、心不全のため都内の病院で死去した。91歳だった。自宅は東京都中央区佃。葬儀は家族で行う予定。
<抜粋引用:時事ドットコム 2014/01/17-11:27>
ソース:http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2014011700265
この現実を「現代」はどう見る・・・・・・
そろそろ僕らも終わる時代だ。
そこで僕らが見る「現代」は陽炎のように揺らめく。
一人ひとりが考えるべきことなんだろうが・・・・・・
すでに、そういう教育はなされていない「現代」。
その意味では「社会」の役割は大きい。
元陸軍少尉の小野田さん死去
Posted by 昭和24歳
at 13:46
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