2008年11月15日
子は自分・・・・
子は自分・・・・・
僕はいつもそう思っています。
まあ、娘ばっかりの僕ですが、それでも「子は自分」。
だから、娘のことは心配したことがありません。
しがない、超零細ギター製作会社、収入は知れたもんですが・・・・・
長女は大学へ行きたいといった。
「ああいいよ」
入学金と授業料だけは何とかできるけど後は自分で出来るなら・・・・・
当時、バブルの終わりころだっただろうか、それでも今時にはない“苦学生”(笑)。
最初の一年は学校の近くのアパートに・・・・・
でもそのうち、家賃負担も厳しくなって、家から長距離通学。
3年になるとアルバイト漬で、自分でアパート借りて、4年になると授業もあまりないようでまた自宅から・・・・・
そう言えば長女も次女も三女も小さい時から「自分のことは自分で」。
そんなわけで、みんな親離れが早かった(笑)。
「子は自分」
そう思っているから、多分、娘ら、みんな頑固で、意固地で、自分勝手で、
僕もそうだけど「一人」を寂しいと思わない。いつも一人で何かを考えてている・・・・・
というか、いつも自分と付き合っている感じで、悪く言うと孤独癖(笑)。
末娘もそう・・・・・
「人に左右されない。自分の考えで行動する。自分の思ったことをちゃんと発言する。」
それが、今の担任の娘の評価です。
前にも書いたけど、次女は先天性内反足という、大げさに言えば五体不満足に生まれた。
それが親の心配を他所に・・・・・
<昭和54年の小春日和丸々と太ったわが娘次女>
「人に左右されない。自分の考えで行動する。自分の思ったことをちゃんと発言する。」
保育園の遠足で、電車に乗って上野動物園に行ったときのことでした・・・・・
その時電車の中の席で知らないおばちゃんに注意された優。
おばちゃんは・・・・・
「ダメでしょお靴のまま席に上がっては!」
「ゴメンなさい、でも優、足が悪くてこのお靴脱げないの」
そうはっきり言うと、優は「コンコン」と両足をそろえるようにしてその頑丈な“お靴”を鳴らして見せた。
僕らはいつも新聞紙を用意して席には座らせるんだけど・・・・・・
その時は子どもたちはしゃいでいて、たまたま新聞紙が少しずれていた。
そのおばちゃんには優の装具が上品なブーツかなんかに見えたみたいで・・・・・
小学校3年まで装具の上から包み込むような上履きをつけて学校でも家でも。
そんな優も、4年生になった時、お姉ちゃんもやっていたミニバスケットを始めた。
小学校3年を目安に装具を卒業することになっていたので、僕は優にとって生まれて初めての靴、バスケットシューズを買ってあげた。
僕は優に靴を買ってあげるのが夢だった・・・・・
このときの喜びは一生涯忘れない。
中学になるとバスケット部に。
もちろん、正選手にはなれるわけもないことは承知の上、それでも卒業まで・・・・・
僕らは心配した。本当に心配した。優の将来を。
でも成長するごとにその心配が少しづつ消えて行った・・・・・
そんな優、いや、長女も、末娘も僕や、ママ、母親のことをどう思ってるんだろうか(笑)。
末娘が言った。
今年の5月、ママチャリで東京まで行くことを僕に言ったときのことを・・・・・・
「友達に話したら、よく親反対しなかったねって・・・・・
友達のお母さん、危ないから止めなさいって反対した(笑)。
うちって、おかしいのかなぁ、パパなんでいつもなんでもダメって言わないの?」
「それはなぁ、お前がやりたいことはパパもやりたいからだよ」
長女の苦学の中の大学生活、カナダのホームステイも・・・・・
僕がやりたかったこと、僕がやりたくても出来なかったことをもう一人の僕がやっている。
次女の、同棲、出来ちゃった婚も、僕らもしたこと・・・・・
「赤ちゃんできた」
優からの電話に、嬉しさがこみ上げた・・・・・・
そんな優も、今は3人の子のお母さん。
そして長女も3週間前に息子の母親に・・・・・
カナダからの手紙――――
「父の死後一人になった母に優しい言葉をかけてやればよかった。
思いやりもなく、自分勝手だった私、自分自身に恥ずかしい限りです。
あの世で父母に会ったら何と言い訳をしたらよいのかと思う今日この頃です。」
>あの世で父母に会ったら何と言い訳をしたらよいのかと思う今日この頃です。
きっと、「よくやった」と誉めてくれますよ。
「実はなっ、オレもそうしたかったんだ、オマエと同じ年のころは・・・・・」
そう言って、お父さん、抱きしめてくれますよ・・・・・
>父の死後一人になった母に優しい言葉をかけてやればよかった。
あなたのお母さんは、生まれたばかりのあなた、幼いころのあなた、
ヤンチャでキカン坊だったころのあなた、甘ったれで、お母さんのおっぱいをまさぐっていやころのあなた・・・・・
いつも、そんなあなたといつも一緒にいたのです。
だから、あなたが遠いカナダにいても、あなたの母さんは少しも寂しくなかった・・・・・
あなたのお母さんは、あなたという子を産んで育てたことだけ、その思い出だけで、
お母さんはきっと、いつも幸せだったのです。
「子は自分」
僕はいつもそう思っています。
まあ、娘ばっかりの僕ですが、それでも「子は自分」。
だから、娘のことは心配したことがありません。
しがない、超零細ギター製作会社、収入は知れたもんですが・・・・・
長女は大学へ行きたいといった。
「ああいいよ」
入学金と授業料だけは何とかできるけど後は自分で出来るなら・・・・・
当時、バブルの終わりころだっただろうか、それでも今時にはない“苦学生”(笑)。
最初の一年は学校の近くのアパートに・・・・・
でもそのうち、家賃負担も厳しくなって、家から長距離通学。
3年になるとアルバイト漬で、自分でアパート借りて、4年になると授業もあまりないようでまた自宅から・・・・・
そう言えば長女も次女も三女も小さい時から「自分のことは自分で」。
そんなわけで、みんな親離れが早かった(笑)。
「子は自分」
そう思っているから、多分、娘ら、みんな頑固で、意固地で、自分勝手で、
僕もそうだけど「一人」を寂しいと思わない。いつも一人で何かを考えてている・・・・・
というか、いつも自分と付き合っている感じで、悪く言うと孤独癖(笑)。
末娘もそう・・・・・
「人に左右されない。自分の考えで行動する。自分の思ったことをちゃんと発言する。」
それが、今の担任の娘の評価です。
前にも書いたけど、次女は先天性内反足という、大げさに言えば五体不満足に生まれた。
それが親の心配を他所に・・・・・
<昭和54年の小春日和丸々と太ったわが娘次女>
「人に左右されない。自分の考えで行動する。自分の思ったことをちゃんと発言する。」
保育園の遠足で、電車に乗って上野動物園に行ったときのことでした・・・・・
その時電車の中の席で知らないおばちゃんに注意された優。
おばちゃんは・・・・・
「ダメでしょお靴のまま席に上がっては!」
「ゴメンなさい、でも優、足が悪くてこのお靴脱げないの」
そうはっきり言うと、優は「コンコン」と両足をそろえるようにしてその頑丈な“お靴”を鳴らして見せた。
僕らはいつも新聞紙を用意して席には座らせるんだけど・・・・・・
その時は子どもたちはしゃいでいて、たまたま新聞紙が少しずれていた。
そのおばちゃんには優の装具が上品なブーツかなんかに見えたみたいで・・・・・
小学校3年まで装具の上から包み込むような上履きをつけて学校でも家でも。
そんな優も、4年生になった時、お姉ちゃんもやっていたミニバスケットを始めた。
小学校3年を目安に装具を卒業することになっていたので、僕は優にとって生まれて初めての靴、バスケットシューズを買ってあげた。
僕は優に靴を買ってあげるのが夢だった・・・・・
このときの喜びは一生涯忘れない。
中学になるとバスケット部に。
もちろん、正選手にはなれるわけもないことは承知の上、それでも卒業まで・・・・・
僕らは心配した。本当に心配した。優の将来を。
でも成長するごとにその心配が少しづつ消えて行った・・・・・
そんな優、いや、長女も、末娘も僕や、ママ、母親のことをどう思ってるんだろうか(笑)。
末娘が言った。
今年の5月、ママチャリで東京まで行くことを僕に言ったときのことを・・・・・・
「友達に話したら、よく親反対しなかったねって・・・・・
友達のお母さん、危ないから止めなさいって反対した(笑)。
うちって、おかしいのかなぁ、パパなんでいつもなんでもダメって言わないの?」
「それはなぁ、お前がやりたいことはパパもやりたいからだよ」
長女の苦学の中の大学生活、カナダのホームステイも・・・・・
僕がやりたかったこと、僕がやりたくても出来なかったことをもう一人の僕がやっている。
次女の、同棲、出来ちゃった婚も、僕らもしたこと・・・・・
「赤ちゃんできた」
優からの電話に、嬉しさがこみ上げた・・・・・・
そんな優も、今は3人の子のお母さん。
そして長女も3週間前に息子の母親に・・・・・
カナダからの手紙――――
「父の死後一人になった母に優しい言葉をかけてやればよかった。
思いやりもなく、自分勝手だった私、自分自身に恥ずかしい限りです。
あの世で父母に会ったら何と言い訳をしたらよいのかと思う今日この頃です。」
>あの世で父母に会ったら何と言い訳をしたらよいのかと思う今日この頃です。
きっと、「よくやった」と誉めてくれますよ。
「実はなっ、オレもそうしたかったんだ、オマエと同じ年のころは・・・・・」
そう言って、お父さん、抱きしめてくれますよ・・・・・
>父の死後一人になった母に優しい言葉をかけてやればよかった。
あなたのお母さんは、生まれたばかりのあなた、幼いころのあなた、
ヤンチャでキカン坊だったころのあなた、甘ったれで、お母さんのおっぱいをまさぐっていやころのあなた・・・・・
いつも、そんなあなたといつも一緒にいたのです。
だから、あなたが遠いカナダにいても、あなたの母さんは少しも寂しくなかった・・・・・
あなたのお母さんは、あなたという子を産んで育てたことだけ、その思い出だけで、
お母さんはきっと、いつも幸せだったのです。
「子は自分」
Posted by 昭和24歳
at 15:15
│Comments(4)
昨日デビューしたマリリンといいます。
『子は自分』・・・そうですね。。。
私の両親は健在ですが、この年になっても
素直に言葉を掛けてあげる事が出来ずにいます。
この記事を読んで、本当に涙が止まりませんでした。正直ブログを読んでここまで涙を流したのは初めてです。
何だか両親に会いたくなりました。
素敵なお話しありがとうございました。
また遊びに来させて頂きます。
これからヨロシクお願いします。
「東京でバンドやりたい」っていってサッサと決めて出て行った時、たくさんの友達から「よく許したねっ!」って言われました!
許すも許さないも娘の人生!ダメっ!って言ったところであきらめる娘でもないし・・・^_^;
でもこれ又不思議で・・・娘のやってきた行動を振り返るとまさに自分ができなかったことをやってくれちゃっているから・・・^^
ある意味、娘の行動が楽しみで・・・^^(のんきな母で・・・)
「子は自分」これからもどんどん応援したいと思います!
ちなみに、息子も・・・^^
お父さんとお母さんに思い切り甘えてあげてください(笑)。
お父さんもお母さんも、マリリンさんの一番可愛いかった時のその瞬間の目でいつもマリリンさんを見ているのですよ・・・・・
今日、七五三で次女が、次女を連れてやってきました。
もちろん、次女の娘も可愛かったけど、その着物姿の次女の次女に次女優が重なって揺れてました(笑)。
「孫が可愛い」ということは、そこに自分の幼子を見ているJからです。
>何だか両親に会いたくなりました。
お父さんもお母さんもきっとそう思っています・・・・・
コメントありがとうございました。
娘さんも、息子さんもけしてひまわりさんの期待を裏切ることはありません。
だって、あなたの娘、息子ですもの・・・・・