2008年07月15日
「人を教え育む」と言う天職。
以下は2004/ 8/22の日記です。
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見えない統制の中の教育機関・・・・・
昭和30年代までの公教育には「自由」があった。
思想信条の自由というと誤解されるようだが・・・・・あった。
戦前の国家統制から解き放たれた「自由」。
それが、敗戦、GHQに齎されたものにしろ全体主義から開放された深層が覚醒したのかも知れない。
僕の小学校の担任も学徒出陣、南方戦線からの生還、復員。
一昨年の同窓会で初めて「自分の理由」を吐露した・・・・・・
時に82歳、そしてその学徒出陣の戦時19歳だったと。
戦後、教職に就き国家を懐疑し戦後の混乱、荒廃の社会に教員となる。
彼らが僕ら児童生徒を見たとき・・・・・言いようのない不安を覚えたという。
軍人であった彼ら。戦地で戦争とはいえ繰り返した殺人、戦友の屍を踏みつけての青春。
それを強いた「国家」とはなんなのか。
小学校の校門に鎮座した御真影、教室という教室に設えられた御真影。
その学徒出陣復員兵が教職に就いた時はその全てを覆い隠すがごとく・・・・・・
その時代、そのことの事実さえなかったかのように情景は墨塗りされていたと。
朝鮮戦争の勃発に怯えた復員兵、また徴兵かと。
その時代のほとんどの教師、教員が師範学校、大学の頃は学徒動員か、軍需工場での労働の女子挺身隊の世代。
それは封殺された言論と奪われた行動の自由・・・・・・
それはまさにこの国、日本そのものが「強制収容所」の時代だった。
その中に生きた20代前後の人生がいかなるものであったのかを・・・・・・
82歳のその恩師はとうとうと語った。
その中に、同級生、現役の校長、教頭もいた・・・・・・
2次会でのその教員のハシャギ振りを見るとその60年前の先輩教師、恩師の言葉が、
その校長、教師には残っているようには思えなかった。
学校で事件事故があると必ず校長がその生徒なりについて言う。
まず日常接するはずのない校長がその生徒の日常を口にする。
ありえるはずのない学校の日常を平然と口にする・・・・・・・
見ていない、聞いていない、話もしないのに事件、事故を評する。
国家の面接、口頭試問を受け教職免状を得る。
それが教職員組合系であれなんであれ学校、教育現場そのものが「秘密組織」の集合体に他ならない。
どの都道府県でも教育委員会ほど会計にまつわる不正は甚だしいという。
つまるところ、教職員も人間。
しかし、物を作ったり、売ったりの経営という生業とは全く感覚の異なる、
「人を教え育む」
と言う天職。
いつからか教師という職業を「労働者」に置き換えたところから、教育の現場が得体の知れないものになっている。
けして、民間を組み入れるようなことはしない一般社会とは隔絶し国家による統制の中での教育という行政。
政府、国家が公教育費の削減を言う・・・・・
荒廃の進む公教育機関の実態を全て承知の上でのことなのだろうが、既に、国家は国民を捨てている事実をそこに見える。
況や、社会保障費の削減・・・・・
このこと一つ見てもこの国の将来がどの方向に向かおうとしているのかがわかるというものだ。
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僕自身、頓着なしに過ごした長女、次女の就学時代。
その時代の子どもたちみんなが30代に差し掛かっています。
そんな時代の断片は両親の離婚があったり、家庭の崩壊、虐め、そこに悩み悲しむ子どもたちの・・・・・
その時は僕自身、日常に追われ、まるで他人事でした。
しかし今、小学校を見るとそのかかるべき日常がいかなるものかがよく分かるのです。
学校という社会の嘘、教職員の自信のなさ。
それは怯えているかのようにも見えます・・・・・・
何時ばれやしないかという教職員の日常が。
僕ら世代の責任は重い・・・・・・
実は、そんな時代なんです。今は。
2004年といえば、末娘が小学校4年・・・・・
今日の教育行政はその意味では社会の鑑。その社会の鑑が根底から崩れてしまっている。
繰り返される政治家官僚の汚職はとどまるところを知らないが、
末端の行政、そこに「縁故採用」、「情実採用」があるのは常に噂が現実。
でも、そこには縁故も、情実の余地もない一般国民はある種「アキラメ」で水に流してきた。
しかし、公教育だけは、「縁故」、「情実」は仕方ない、いや、仕方ないではいけないが、
まさか「加点」、「減点」があり、「合格者」を「不合格」にするという、それは「合格祈願」というように、ある意味「神の領域」に人間の手が入る。
しかも、「200万円」、「300万円」という高額の“ワイロ”で・・・・・・
「取り返しのつかないこと」とはまさにこのこと。
10年保存義務という採点用紙を「廃棄」は、収賄とあわせて「殺意ある計画殺人」と同じではないか。
一人の「合格受験生」の将来を抹殺しているのだから。
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見えない統制の中の教育機関・・・・・
昭和30年代までの公教育には「自由」があった。
思想信条の自由というと誤解されるようだが・・・・・あった。
戦前の国家統制から解き放たれた「自由」。
それが、敗戦、GHQに齎されたものにしろ全体主義から開放された深層が覚醒したのかも知れない。
僕の小学校の担任も学徒出陣、南方戦線からの生還、復員。
一昨年の同窓会で初めて「自分の理由」を吐露した・・・・・・
時に82歳、そしてその学徒出陣の戦時19歳だったと。
戦後、教職に就き国家を懐疑し戦後の混乱、荒廃の社会に教員となる。
彼らが僕ら児童生徒を見たとき・・・・・言いようのない不安を覚えたという。
軍人であった彼ら。戦地で戦争とはいえ繰り返した殺人、戦友の屍を踏みつけての青春。
それを強いた「国家」とはなんなのか。
小学校の校門に鎮座した御真影、教室という教室に設えられた御真影。
その学徒出陣復員兵が教職に就いた時はその全てを覆い隠すがごとく・・・・・・
その時代、そのことの事実さえなかったかのように情景は墨塗りされていたと。
朝鮮戦争の勃発に怯えた復員兵、また徴兵かと。
その時代のほとんどの教師、教員が師範学校、大学の頃は学徒動員か、軍需工場での労働の女子挺身隊の世代。
それは封殺された言論と奪われた行動の自由・・・・・・
それはまさにこの国、日本そのものが「強制収容所」の時代だった。
その中に生きた20代前後の人生がいかなるものであったのかを・・・・・・
82歳のその恩師はとうとうと語った。
その中に、同級生、現役の校長、教頭もいた・・・・・・
2次会でのその教員のハシャギ振りを見るとその60年前の先輩教師、恩師の言葉が、
その校長、教師には残っているようには思えなかった。
学校で事件事故があると必ず校長がその生徒なりについて言う。
まず日常接するはずのない校長がその生徒の日常を口にする。
ありえるはずのない学校の日常を平然と口にする・・・・・・・
見ていない、聞いていない、話もしないのに事件、事故を評する。
国家の面接、口頭試問を受け教職免状を得る。
それが教職員組合系であれなんであれ学校、教育現場そのものが「秘密組織」の集合体に他ならない。
どの都道府県でも教育委員会ほど会計にまつわる不正は甚だしいという。
つまるところ、教職員も人間。
しかし、物を作ったり、売ったりの経営という生業とは全く感覚の異なる、
「人を教え育む」
と言う天職。
いつからか教師という職業を「労働者」に置き換えたところから、教育の現場が得体の知れないものになっている。
けして、民間を組み入れるようなことはしない一般社会とは隔絶し国家による統制の中での教育という行政。
政府、国家が公教育費の削減を言う・・・・・
荒廃の進む公教育機関の実態を全て承知の上でのことなのだろうが、既に、国家は国民を捨てている事実をそこに見える。
況や、社会保障費の削減・・・・・
このこと一つ見てもこの国の将来がどの方向に向かおうとしているのかがわかるというものだ。
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僕自身、頓着なしに過ごした長女、次女の就学時代。
その時代の子どもたちみんなが30代に差し掛かっています。
そんな時代の断片は両親の離婚があったり、家庭の崩壊、虐め、そこに悩み悲しむ子どもたちの・・・・・
その時は僕自身、日常に追われ、まるで他人事でした。
しかし今、小学校を見るとそのかかるべき日常がいかなるものかがよく分かるのです。
学校という社会の嘘、教職員の自信のなさ。
それは怯えているかのようにも見えます・・・・・・
何時ばれやしないかという教職員の日常が。
僕ら世代の責任は重い・・・・・・
実は、そんな時代なんです。今は。
2004年といえば、末娘が小学校4年・・・・・
今日の教育行政はその意味では社会の鑑。その社会の鑑が根底から崩れてしまっている。
繰り返される政治家官僚の汚職はとどまるところを知らないが、
末端の行政、そこに「縁故採用」、「情実採用」があるのは常に噂が現実。
でも、そこには縁故も、情実の余地もない一般国民はある種「アキラメ」で水に流してきた。
しかし、公教育だけは、「縁故」、「情実」は仕方ない、いや、仕方ないではいけないが、
まさか「加点」、「減点」があり、「合格者」を「不合格」にするという、それは「合格祈願」というように、ある意味「神の領域」に人間の手が入る。
しかも、「200万円」、「300万円」という高額の“ワイロ”で・・・・・・
「取り返しのつかないこと」とはまさにこのこと。
10年保存義務という採点用紙を「廃棄」は、収賄とあわせて「殺意ある計画殺人」と同じではないか。
一人の「合格受験生」の将来を抹殺しているのだから。
Posted by 昭和24歳
at 09:14
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