2010年12月31日
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
昭和60年5月21日生まれ、A型。広島県福山市出身。趣味は、読書・映画鑑賞・美容グッズを集めること。
座右の銘は、『意志あるところに道あり』
みなさまへのコメント
今さえよければいい。自分さえよければいい。」そうした風潮が強すぎる、今の日本社会。
次世代に命を繋げる立場の女性として、現状を放っておけません。私は志ある仲間と、ここ吹田で出会いました。
大阪、吹田市とかです・・・・・・・
昭和24歳としては、彼ら、悲愴感がないです(-_-;)
何故なんでしょう、君たちに問いたい。
これだけの不況が叫ばれ、20代、30代の失業率・・・・・・
そして高校新卒者の求人の低下。
「少子高齢化社会」を危ぶむ論調はどこかに吹き飛んじゃってます。
で、「その」なぜ悲愴感がないかなんだけど・・・・・・
やっぱり、それって、これまでの教育行政のせいかもしれないと。
実は、今、このネット情報社会では、知ろうと思えばほとんどの情報が瞬時にして垣ま見える。
しかし、このような、20代、30代の若者が「ネットカフェ難民」とか言われたり、
「ホームレス」、路上生活に堕ちたり・・・・・・・
これは、けして、そういう皆さんのせいではない、それは社会構造の産物。
過去はそうではなかった。社会が、どんなに苦しくとも責任をとるという、いあわゆる「社会」に「世間体」があった。
なんで、こうなってしまたのか・・・・・・・・
で、なんでこうなってしまった社会に現状に晒されている若者は「怒らない」のか。
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
まずは、はじめの一歩のような気がする・・・・・・
しかし、ソコに「悲壮感」というか、「怒り」が見えないのはなぜか !!???
そしてそれは、いかに情報社会として、それぞれが知りうる権利を得たとしても、その「怒り」が見えない限り、
次の「選択」が見つからない。
それが今日の政治状況ではないだろうか。
「政権交代」という、まあ、過去にも一度、細川護煕の「日本新党」・・・・・・・
そしてそれにつながる、小政党の乱立、そして連合政権。
結局、その夢はつい破れ、大衆の味方、労働者の正統とかだった「日本社会党」の崩壊という現実。
あまりにも馬鹿馬鹿しい、そこでの「政治の選択」。
そしてそれとまったく同じことが、今行われようとしている・・・・・・・
そういえば、あのときも、「怒らなかった」。若者は怒らなかった。
それは、70年代安保世代だった「団塊世代」はすでに家族を持ち、その意味では安定を求めていた。
しかし、政治はといえば、防衛庁汚職とか、厚生省汚職とか、悪態を極めていた。
実はそれが、今日の「民主党」の前身である。
結果、政治は彷徨するばかりで、昨日の石原慎太郎じゃあないが、我利我欲に走り、
その後も、各自治体の裏金問題だの、政官財の癒着での汚職構造は極限に達した・・・・・・・
その結果、「政治とカネ」を云々して「小選挙区制」の導入、
そして、「政党交付金」制度の導入。ところがどうだ、その後も一向に止む気配のない「政治とカネ」問題。
今朝ふと目した・・・・・・
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
その意味では、確かにあの世代、時代から見たら少々不満だが・・・・・・・
ここ、群馬4区、5区は典型的なトリッキーな国政選挙区(-_-;)
あえて、僕はその意味での群馬、「龍馬プロジェクト」を提唱する !!
つまり、このまま、菅政権、民主党も何の解決策も見出せない、内政、外交。
もしかしたら、ホントに壊れちゃうかもしれないこの国の、この社会。
それは、今、10代、20代、30代の10年後、20年後の社会だ・・・・・・・
当然そのときには僕ら、団塊世代はもうこの世にはいない。
しかし、その10年後、20年後が、ぼくら世代からするとなんとなく想像できてしまうという現実。
もちろん、当然それへの手だてなんだが、それは君達の手の中にあるといっていい。
ぼくら世代はあまりにも恵まれすぎた・・・・・・・
しかし、僕らの父母世代はあまりにも悲惨だった。
そういう歴史の事実を、もう一度「確かめあう」、それは世代間闘争の中でももいい。
この年末、テレビ、ラジオの論調も、あまりにもミスボラシイ現政権批判に終始するばかり。
たしかに、グズグズだけど、コレカラが君らの時代であるということも・・・・・・・
これは否定することの出来ない現実なのだから。
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
昭和60年5月21日生まれ、A型。広島県福山市出身。趣味は、読書・映画鑑賞・美容グッズを集めること。
座右の銘は、『意志あるところに道あり』
みなさまへのコメント
今さえよければいい。自分さえよければいい。」そうした風潮が強すぎる、今の日本社会。
次世代に命を繋げる立場の女性として、現状を放っておけません。私は志ある仲間と、ここ吹田で出会いました。
大阪、吹田市とかです・・・・・・・
昭和24歳としては、彼ら、悲愴感がないです(-_-;)
何故なんでしょう、君たちに問いたい。
これだけの不況が叫ばれ、20代、30代の失業率・・・・・・
そして高校新卒者の求人の低下。
「少子高齢化社会」を危ぶむ論調はどこかに吹き飛んじゃってます。
で、「その」なぜ悲愴感がないかなんだけど・・・・・・
やっぱり、それって、これまでの教育行政のせいかもしれないと。
実は、今、このネット情報社会では、知ろうと思えばほとんどの情報が瞬時にして垣ま見える。
しかし、このような、20代、30代の若者が「ネットカフェ難民」とか言われたり、
「ホームレス」、路上生活に堕ちたり・・・・・・・
これは、けして、そういう皆さんのせいではない、それは社会構造の産物。
過去はそうではなかった。社会が、どんなに苦しくとも責任をとるという、いあわゆる「社会」に「世間体」があった。
なんで、こうなってしまたのか・・・・・・・・
で、なんでこうなってしまった社会に現状に晒されている若者は「怒らない」のか。
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
まずは、はじめの一歩のような気がする・・・・・・
しかし、ソコに「悲壮感」というか、「怒り」が見えないのはなぜか !!???
そしてそれは、いかに情報社会として、それぞれが知りうる権利を得たとしても、その「怒り」が見えない限り、
次の「選択」が見つからない。
それが今日の政治状況ではないだろうか。
「政権交代」という、まあ、過去にも一度、細川護煕の「日本新党」・・・・・・・
そしてそれにつながる、小政党の乱立、そして連合政権。
結局、その夢はつい破れ、大衆の味方、労働者の正統とかだった「日本社会党」の崩壊という現実。
あまりにも馬鹿馬鹿しい、そこでの「政治の選択」。
そしてそれとまったく同じことが、今行われようとしている・・・・・・・
そういえば、あのときも、「怒らなかった」。若者は怒らなかった。
それは、70年代安保世代だった「団塊世代」はすでに家族を持ち、その意味では安定を求めていた。
しかし、政治はといえば、防衛庁汚職とか、厚生省汚職とか、悪態を極めていた。
実はそれが、今日の「民主党」の前身である。
結果、政治は彷徨するばかりで、昨日の石原慎太郎じゃあないが、我利我欲に走り、
その後も、各自治体の裏金問題だの、政官財の癒着での汚職構造は極限に達した・・・・・・・
その結果、「政治とカネ」を云々して「小選挙区制」の導入、
そして、「政党交付金」制度の導入。ところがどうだ、その後も一向に止む気配のない「政治とカネ」問題。
今朝ふと目した・・・・・・
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
その意味では、確かにあの世代、時代から見たら少々不満だが・・・・・・・
ここ、群馬4区、5区は典型的なトリッキーな国政選挙区(-_-;)
あえて、僕はその意味での群馬、「龍馬プロジェクト」を提唱する !!
つまり、このまま、菅政権、民主党も何の解決策も見出せない、内政、外交。
もしかしたら、ホントに壊れちゃうかもしれないこの国の、この社会。
それは、今、10代、20代、30代の10年後、20年後の社会だ・・・・・・・
当然そのときには僕ら、団塊世代はもうこの世にはいない。
しかし、その10年後、20年後が、ぼくら世代からするとなんとなく想像できてしまうという現実。
もちろん、当然それへの手だてなんだが、それは君達の手の中にあるといっていい。
ぼくら世代はあまりにも恵まれすぎた・・・・・・・
しかし、僕らの父母世代はあまりにも悲惨だった。
そういう歴史の事実を、もう一度「確かめあう」、それは世代間闘争の中でももいい。
この年末、テレビ、ラジオの論調も、あまりにもミスボラシイ現政権批判に終始するばかり。
たしかに、グズグズだけど、コレカラが君らの時代であるということも・・・・・・・
これは否定することの出来ない現実なのだから。
吹田「龍馬プロジェクト」とか。
Posted by 昭和24歳
at 09:06
│Comments(3)
幼稚なシミュレーションなら結構ですし、鼻で笑い返すだけですしいくらでもお返ししますからね、もちろん祟られてもかまいません、たぶん今までも祟られていたし┐('〜`;)┌
まぁ申し上げたように今後もなっていくだけでです
それは
・大衆増税(正確にはこんな仕組みはありません
・年金支給額減少
・法人税率引き下げ
・交付金カット
・PB赤字縮小
すべて将来世代のための話ですし失業者を軽減するための話にも繋がります
別に公平な仕組みに近づいて困っちゃったとか知りません
いい話0ですが雰囲気にやがて現れるから心配していません
カンダタだとか海老蔵だとか暴走云々と言ったことを後悔させて差し上げます(笑)
元気な日本ですから
菅さんは一つも間違えた約束はしていないのによくもあんな言われるもんだとしか思いませんでしたから
まぁ下心じゃあしょうがなかったですね┐('〜`;)┌
だが、日本語には時制はなく、未来時制もない。
日本人には意思がなく、未来 (非現実) の姿を脳裏に描くことが難しい。
意思のあるところに方法がある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思がないので、問題が生じても無為無策でいる。
理性がないが、感性がある。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
「民の感情を無視した、、、、」と言いつつ、あたかも自分の反対にはリーズン (理性・理由・適当) があるかのごとく思い込んでいる。
感情は現実の内容であり、理想は非現実の内容である。
二者は、同次元の内容として語ることはできない。
だが、その区別にも気づいていない。
通常は、現実を自分の都合の良いように解釈して、太平の眠りにふけっている。
「感情を抑えて、理性的になれ」と諭す指導者がこの国にはいない。
始めから終りまで国民は理性・理由を等閑視しているから、問題を解決する能力は得られない。
かくして、我々は自らの願いに反して危機に陥る民となっている。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812