2023年03月01日

寄ると触ると昔ばなし

高砂町下は新興住宅地と職人街

明治17年生まれ申年の祖父と昭和24年、丑年の僕
昭和26年春も宵。

最近は昔の仲間寄ると触ると「横丁の昔ばなし」に時を忘れる・・・・・

 日清製粉そして東小学校の入口、高砂町下は所謂「職人街」とでも言うのだろうか・・・・・

 戦後になって賑やかになって来たその頃の新興住宅地。まあ住宅地とは言っても裏通り、路地は戦後、横丁のことだ 建付けのあまりよろしくない二軒長屋や、建増し、建増しの、取って付けたようなアパートと言うよりは間貸しがそのほとんどだった。

 そんな、良くて六畳一間に、共同炊事場、共同便所の間貸し。下手をするとそこに親子七人、八人と言うのもけして珍しい話ではなかった。
 それはもう、五月蝿いの五月蝿くないのと来たら今の「ガキ連中」の比ではない。

 洋服の仕立職人、パチンコ屋の店員、繊維問屋の番頭さん、中には「県土木高崎出張所長」なんて言う総勢一〇人家族のような間借り人もいた。
 今では県職員、いわゆる公務員ともなれば「エリート」なのだろうが。

 そんな高砂町の横丁。表通りには高崎の近郷近在から高崎へ奉公に出て一人前に仕上がり、やがて独立し、店や細工場、工場を構えた明治後期から大正一桁世代が腕を競う、そんな職人街だった。

 そうだ―――

 そんな職人の中にも紫綬褒章かなんかは知らないが、お宮を作らせたら天下一と言った、そんな名人「匠」もこの横丁には居られた。今では、息子さんが跡を継いではいるが、はたしてどんなものか。お人柄のお噂は聞くが、その腕の実力のほどを耳にすることはない。
 もっとも、その跡取職人の兄さん、昭和20年生れで、僕らは町内野球などで随分と世話になった。
 まあ、商店街と言ったところで老舗は若い番地から戦時中は栄えたであろう旗屋、肥料屋、酒屋くらいのところだっただろうか。まぁなんてったって、九蔵町には農家、江木の方に田んぼのあった浦住さんなんて言うお宅があったくらいだから。

 高砂町を南北に分ける「長野堰」、その西側の末広町まで染物職人が忙しそうにしていた。この界隈、山田町、椿町、九蔵町と古くから商う紺屋が数軒あった。
 高砂町一番地は館林財閥の「日清製粉高崎工場」の正門通路と、高崎市立東小学校の裏門のところから始る。
 それは、そこ東二条通、辻角の「山田畳店」から始まるのだ。

 僕が小学生の頃は日清製粉テニスコートを覗く裏辻までイ草の匂いをさせながら工場は細長く畳表を織っていた。
 ここに云う、高砂町の横丁その「山田畳店」から東二条通りを五本辻へ凡そ、2百メートルほどのアヴェニュー、表通りと裏通り、路地をいっているのである。今はその畳屋の親方の面影は何処にも見えない。

 たしか、一男三女がいて長男が辻角で「山田歯科医院」を営んでいた。とっくの昔に閉院しているが。
 僕が小学生低学年の頃は大宮の方へ嫁いだ長女の息子が夏休みともなると「都会」の趣で、大宮だが何故かその頃は「東京の寛(カンちゃん)」と、呼ばれ近所の「ガキ」連中を羨望させていた。たしか、その親方の孫にあたる少年を「寛ちゃん」と呼んでよく遊んだ。
 次女は後に、僕等、東小学校の教師として赴任してくるのだが、「山田先生」と畏怖されていたような記憶がある。兎に角あの頃の先生は別に山田先生に限らず「怖かった」もんだ。

 詳細は知らないがその山田歯科医院と軒を並べ、一時だが一盃飲み屋があった、その隣も「大塚」さんと云う「赤提灯」があったのを憶えている。
 昭和30年前後のことだ、朝鮮戦争特需でかつての軍需工場だった「小島機械、水島鉄工所」それと高砂町五本辻の「魚市場」。夕方ともなると三々五々そこに働く、まあ「寅さん風」に言うなら「労働者諸君」だろう、肉体疲労を癒す為か、精神疲労を癒す為か、ひきも切らない酔客の喧騒が時代を映していた。

 その高砂町のとっつきも此度のバブルの崩壊とやらか、先の館林財閥、正田家の「日清製粉高崎工場」も移転、取壊し。そして市街地再開発とやらで、商社「丸紅」と「東京建物」合作の超高層マンション、それも三棟七百世帯と言った夢のような都市計画、哀れにも頓挫。
 結局、そこに生まれ育った僕らはお国のためじゃあないが「都市計画にご協力を」で追われるようにしてその横丁を出た。

 横丁の面影すらない僕の「そこ」―――

 しかし、そこにそんな「横丁」があったことすらもう誰も知らないかも知れない。それは「昭和の残像」。

 僕らが終われば、それを語る者もなく全てが終わるのだろうか。
いや、そこからまた新しい昔ばなしがっ始まるのかもしれない。


  


Posted by 昭和24歳  at 18:32Comments(0)

2023年03月01日

髙﨑、昭和の絶メシ

髙﨑、昭和の絶メシ


昭和の金華亭

違うんだよなぁ・・・・・・
なんつうか、煙でムンムンとしたホルモン焼き屋。


その昔、昭和50年です。北駅、大橋の旧佐藤学園の裏にあった、小汚い(失礼)ホルモン焼き屋。

それが「金華亭」でした。

最後に行ったのが昭和51年生まれの長女が3歳、54年生まれの次女が6ヶ月くらいの頃。

もっとも、その「金華亭」と「チョー飯」の関係ってよくわからないんだけど・・・・・・

本町3丁目にその「チョー飯」ありました。昭和43年ころ火事になっちゃったりして。

友達がそこでバイトしていて、初めて「豚足」なるゲテモノいただきました、「レバ刺し」も。


そんなわけで、たしか南町にも「金華亭」あったと思うんだけど、記憶が薄い。

まあ、なんたって「金華亭」のホルモン焼き、今のとは全然味が違います・・・・・・

どなたか、大橋の金華亭にお詳しい人いませんか、画像なんかアップしてくれたら嬉しいんだけどm(_ _)m

昭和、請地の「シャンゴ」


違うんだよなぁ・・・・・・

なんつうか、まあ、今まで高崎にはなかった趣のレストラン。

まあ、そもそも昭和の高崎に「レストラン」つったら、国道17号烏川沿いのカレー専門とかの「レストハウス」。

あとは、高崎駅東口の「パピルス」だっただろうか、八千代の「ファンタジー」は和田橋開通後だし・・・・・・

もちろん、ファミレスなんてありゃしない時代でしたし、まあ、子連れで行った藤五の「森永レストラン」とか「スズラン」のそれ。

昭和47年でした。バンドの先輩が・・・・・

「オマエ、スパゲッティって食ったことあるか、ないよなぁ」

って言うんで連れてってくれたのが、請地の四角にあった漆くい、白塗りで店構えからしてへんてこりんな店。

中に入ると照明は薄暗く、なんかマカロニウエスタン調の趣。

いかにもっていったふうな、マカロニウエスタンの出てくる悪役のような顔した怖そうなマスター・・・・・

まあ、顔、浅黒く、店内が薄暗いときてるから、そのマスターの純白の白衣とのコントラストがお見事(笑)。

で、無愛想、「なにしますか?」とも言わずに、黙々とカウンターの向こうの調理場をせっちょうしている。

多分、その先輩とは知った顔だったんだろう、マスター「おウッ」といったふうに顎で挨拶すると、注文は?といったような目配せ。

「あっ、オレ、ミートソース」

なにそれ?と思ったが、それが一体どんな代物なのか聞くわけにも行かず・・・・・・

「オマエは?」っていうから、まあ、言われてもいわゆる駅前ナポリで出てくる「ナポリタン」しか知らないから、

「じゃあ、ナポリタン」て言った。

まあ、「ミートソース」もすごかったけど、「ナポリタン」、ケチャップなんてかけてない。

たっぷりとマシュルーム、プリプリとした小エビに玉ねぎ、しかもそのボリュームたるや新田町の「もりや」の焼きそばに引けを取らない。

で、先輩がサラダもって言うんで頼むと、レタスは4分の一カット、それにトマトもぶつ切り・・・・・・

まあ、ドレッシングなんて知らなかったから、どうに食べていいかも分からず、先輩がせっちょうしてくれたやつを頂いた。

それから、事あるごとにシャンゴへ通った。しばらくして問屋町の田舎に移転するとか。

「遠くなっちゃうけど、来てくれよなぁ」

オスマンサンコンさんを日本人にしたような趣でニコっと笑ってそう言ったマスターの顔が忘れられない。

問屋町のお店は繁盛していた。マスターはカウンターの中からは姿を消していた。社長業にご多忙だったようだ。

ある用事で事務所を訪ねたときのことだ・・・・・・

「マスター、味、だいぶ変わっちゃったね」

オスマンサンコンを日本人にしたようなマスター、いや、社長は「うんうん」というように僕を見て困った顔した。

「マスターのフライパンでスパゲティ、もう一度食べたいね」


そう言うと・・・・・

「たけぇぞ」と言って「オイっ」っていうような顔をして僕を睨んだ。

もう二度と食べられないそれだと思うと、どうしても食べたくなった。

中銀の「らっちゃん」


以前、その「らっちゃん」を書いたとき反響がかなりあった。

驚いたのは、高崎出身で現在(現在も)イギリス在住の方から「らっちゃん懐かしい」とのコメント。

そうなんです。高崎を離れた人たち、高崎へ帰ってくると必ずらっちゃんの「やきそば」と「餃子」を食べると。

それを食べないと高崎に帰った気がしないと・・・・・・

まあ、わかります。何が美味いのかって聞かれても「何が」というのが難しいけど、とにかく美味いんだから仕方がない。

やきそばなのにあのペッチャリとした平麺。それにシャキっとしたキャベツのモヤシ。

適当な量が入ってる豚の細切れ、細切れというのか薄いのではなくぶつ切りのちっちゃいやつ。

それに、僕はたっぷりのソースをかけて食べる、そのソースのしみた「やきそばライス」もオツなもんだった。

なんてったって、餃子だろう。マスターとママさんが暇に任せて餃子をこさえている・・・・・・

小ぶりで、カリっとした食感の「らちゃんの餃子」はもう食べることができない。

そう思うと無性に食べたくなる。らっちゃんの「やきそば」と「餃子」。マスター、ママさんはお元気だろうか。


未だ、飯塚に「とりせん」があった頃、御夫婦のお姿お見かけして、会釈させてもらったけど・・・・・・

平成10年頃だっただろうか、娘の運動会の帰りには必ず家族で「らっちゃん」を楽しんだ。

高崎でもう二度と食べられない本格的B級グルメ!!

  


Posted by 昭和24歳  at 16:59Comments(0)

2023年03月01日

新宿御苑に除染土計画、ここに三浦瑠璃は?

新宿御苑に除染土計画、国「安全性知って」 各地で反対、埋まらぬ溝

三浦瑠璃を探せ!!

 東京電力福島第一原発事故後の除染で出た除染土の再利用で、環境省が実証事業の候補地の一つとする新宿御苑(東京都新宿区)の周辺住民の一部らが24日、事業中止を同省に申し入れた。同省は「多くの人に安全性を知ってもらいたい。事業に住民同意が必要とは想定していない」との立場で、両者の溝は埋まっていない。
<抜粋引用:2023年2月24日 20時11分>
https://www.asahi.com/articles/ASR2S66V9R2SOXIE009.html

ま、選ばれし人々なんだが、宴の主は天国に召されちゃって成仏できたかどうだか未だ宴に彷徨ってるかどうだか。

そう言えば宴の主は賑やかなことが大好きであちらでも招待状を・・・・・

天国よいとこ一度はおいで
   酒はうまいしねえちゃんはきれいだ
     
 ってやてるかもしれない。

しかしだ新宿御苑といえば江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。

そこで不謹慎にもあれもこれも見境なくお呼びしちゃって善かったものかどうか、せめて首相官邸中庭で厳かに染谷かに、それとも渋谷区南平台、岸元首相公邸(統一教会元本部)ででも・・・・・

それにしてもだ東京電力福島第一原発事故後の除染で出た除染土の再利用で、環境省が実証事業の候補地の一つとする新宿御苑ってなんか環境省帰ってきたヨッパライじゃないかい。

三浦瑠璃を探せ!!  


Posted by 昭和24歳  at 09:11Comments(0)

2023年03月01日

政府紙幣では危険

政府紙幣では危険
アホウ首相、政府紙幣の検討表明

無利子国債・政府紙幣の検討表明=首相「いいことだ」
3月11日18時43分配信 時事通信

麻生太郎首相は11日夜、自民党の議員連盟が提言した政府紙幣や相続税免除特典付き無利子国債の発行による景気対策について、

「100年に1度(の経済危機)ということでいろいろなアイデアが出てくる。いいことだと思う」

と述べ、検討対象とする意向を明らかにした。首相官邸で記者団の質問に答えた。

全くアホウ首相だぜ!!トウシロウのこのオレでさえ去年あたりから言ってるって言うのに・・・・・

ついこの間までは「考えたこともない」とか言っていたんじゃあねえのか、アホウ首相!!

いや、「ついこの間までは『考えたこともない』ではなく」、『考えてはいけないこと』ほど恐ろしいことだった、いわゆる鬼門!?

もうひとつ、信じられないことですが、民間銀行であるにもかかわらず、決算は開示されていません。膨大な利益になっているはずです。為替介入というのがありますが、あれも相当の利益を生んでいます。さらに、FRBは債権の買取りも行います。アメリカ政府が発行する米国債を買い取るのです。要するにアメリカ政府が借金するのですが、それを買い取るFRBは紙代と印刷代だけのコストで、アメリカ国債を買い取り債権者になります。FRBに牛耳られているといっても過言ではないと思います。
引用:https://gentosha-go.com/articles/-/2635

こういうことは、機を見計らっちゃあだめなんで、ホントはアホウ首相、首相になったとき、即断行すべきだったんだが・・・・・

まぁ、それをチマチマ、定額減税だの、それじゃあ効き目がないって言うんで、定額給付金だとかで、それもいい大人に今時“12000円”なんて、子どものお年玉の方が上だっていうの!!

しかしエイブラハム・リンカーン大統領、JFK大統領がイレースされたのもそれが、という陰謀説も実しやかに。

そう言えば日本の元首相、エイブラハムも隈なく10万円づつ12兆円のピン札配ってイレースなんていう陰謀説も・・・・・

で、相続税免除の「無利子国債」だって、安全パイ。しかしなんでコイツラ、どこまでも金持ち感覚なんだね。何で相続税免除なんだよ!??

普通の庶民は少しくらいの財産残したって相続税の対象になんかならないし、ニッポンの個人金融資産が1400兆円とか言ってるけど、
これは全くのウソで、その金融資産っていうのは、例えば3000万円の住宅ローンとかの残金分もカウントされてるし、生命保険、損害保険のも・・・・・・
で、実際、現ナマでの「金融資産」は精々がその3割程度とかです。

まあそれにしても、1400兆円の3割っていうことは“420兆円”も現ナマ、現金があるっていう話だから、オバマさんもビックリしちゃうんだろうけど(笑)。

しかし、一般国民大衆の貯蓄はゼロ金利で目減りする一方です。

で、相続税免税ですって・・・・・・

なんでそんなややっこしいことをするんでしょうか!??

で、“政府紙幣”なんだけど、正直賛否両論です。ハイパーインフレ恐怖論とか。

しかし、「百年に一度の経済危機」を一体いつまで引きずらせるつもりなんでしょうか。

コイズミ首相は、「痛みに耐えて」といってそのままトン面です・・・・・

今、政府は金融機関、大企業救済のための“公的資金”「納税者のおカネ」を言い出しています。
しかし、今、企業に公的資金「納税者のおカネ」を投入しても、赤字の埋め合わせか事業再構築にしか使えない。
つまり、企業の延命策にしか使えない・・・・・・

結局国民は、痛みに耐えながら死んでゆくことになる。

要するに、在庫過多でモノが売れない。売れないから在庫調整、ひいては生産調整をする、したがってリストラをする。

結局、このままでは経済そのものが崩壊しかねない・・・・・・

そこでだ、それには、つまり内需拡大しかない!!

今、国民大衆に「おカネ」がない、小泉政権下で大衆増税が極めついた・・・・・

つまり、政府が国民から徴税した消費税なり、所得税なりをこの際、その失政を認めて「お返しします」と・・・・・・

消費税だけでも20年分なら“200兆円以上”になる。

早い話、「消費税」がなかったものとして、政府は国民に還付する・・・・・・
立派な大義名分ではないか!!


トヨタやキャノンには輸出の際にという理由で総額数兆円の消費税還付をしているではないか。

今度の、12000円の「定額給付金」だって、それは還付なのだ!!

たしかにインフレ懸念をするのはわかる。しかし、市場にカネがない・・・・・・
カネがないどころか、リストラ、首切りで否応なしに消費ができない経済環境になってきちまっている。

まあ、政府紙幣では危険だというなら、富裕層への資産増税・・・・・・・
現ナマの420兆円とその資産に課税する。
つまり貧困層には消費税還付をして、富裕層には課税強化をする。

結局、トヨタに公的資金を注入しても、国民大衆が“トヨタ”を買えなければ何にもならない。
イオンに公的資金を注入しても、モノが売れなければ意味がない・・・・・・
JAL、ANAに公的資金を注入しても、誰も飛行機に乗れないのでは全く意味がない。

無利子国債・政府紙幣の検討表明=首相「いいことだ」
「いいことだ」と思ったならすぐに実行に移せ!!
しかしその政府紙幣を、お前らで山分けすんなよ!!


  


Posted by 昭和24歳  at 02:14Comments(0)

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