2020年01月08日

アメリカ・カリフォルニア州でホームレスが急増

アメリカ・カリフォルニア州でホームレスが急増


アメリカ・カリフォルニア州ではホームレスの数がかつてないほど増え、危機的な状況だ。ロサンゼルスでは路上で生活する人が2019年に16%増加し、いまでは3万6000人にのぼる。シェルターでは2万7000人が生活を送っている。

この状況に苦しんでいるのは、ホームレスたちだけではない。「ロサンゼルス・タイムズ」の記者が地域の住民に取材したところ、想像以上にストレスフルな生活が垣間見えた。

https://courrier.jp/news/archives/187017/?ate_cookie=1578467598

僕がよく滞在したLAはパパ・ブッシュの湾岸戦争の頃だった...

忘れもしない1991年1月17日(18日未明)、サンタモニカのモーテルでテレビをつけるとやたら煩い。

早口の英語で、ま、アメリカなんだから当然なんだが「イラクを連合軍が空爆とブッシュパパの映像とともにCNNのアンカーがまくし立ててる。

アナハイムのNAMMの準備でクタクタなところモーテルのラウンジではアメリカ人が嬌声を上げながらなにかわめきたてていた。

たしか1991年アメリカの景気は良くなかったんじゃないかな、いわゆるホームレスが、それも家族連れのホームレスがスーパーのカートに子供を乗せて歩いていたり。

協会のところでは慈善団体が配るフードクーポンを貰うための列ができてたり。

デニーズなんかのファミレスではランチタイムの後のクローズ直前にいかにもといった風体のおじさんが必ずカウンター席に座って配給を待っていた。

↑の「アメリカ・カリフォルニア州でホームレスが急増」アメリカの格差社会の象徴なんだろうね。

日本もなんだが経済のグローバル化とかで金融資本だけが肥太る、つまり資本を武器に発展途上国の安い労働賃金で大量に生産し先進国市場にバラまく。

当然先進国の製造業、産業は崩壊する。市場にしたって低価格の輸入商品で溢れかえり結果、販売規模は低下し相対的経済は沈下の一途。その典型が日本で、中小零細の製造業、小売業は軒並み廃業する。

アメリカもそうで、たしかにトランプ大統領の減税効果でそれなりに経済成長、GDPはこれまで押し上げられた感はあるが、国内に流通物資のほとんどが輸入品、せいぞうぎょうは、製造産業はほとんど機能してない。

ま、唯一の景気対策、失業対策がここに至っては「戦争」、軍産複合体をフル稼働させるしかない、日本も巻き込んで。

まあ、アレです、腕力のあるアメリカはいいです。腕力のない日本はどうするんでしょうか。製造業を活発化させようにも名だたる経団連大企業、日立東芝、さらにトヨタを除く自動車産業までが低迷。

百貨店をはじめとする小売業も前年比二ケタ台の落ち込み。そらそうです、日本、GDPのお仕上げに消費税増税だって言うんですから(笑)。

ま、「アメリカ・カリフォルニア州でホームレスが急増」、アメリカがくしゃみしました。一週遅れでブルーテント、ダンボールハウスの花が...
高崎芸術劇場の周りに花開くかもしれませんね。


アメリカ・カリフォルニア州でホームレスが急増
  


Posted by 昭和24歳  at 18:16Comments(0)

2020年01月08日

【2070年】50年後の高崎

【2070年】50年後の高崎


50年後・・・2070年。

もちろん僕はいない。昭和の最後の年、昭和64年(平成元年)生まれの市民が80歳になる年だ。

今日、今、「オギャーッ」と生まれた赤ちゃんが50歳。その時、僕の長女は93歳、次女89歳、末娘75歳(笑)。

当然、元号は平成から“令和。現在の今上天皇陛下が健在ならば105歳。

そんな時代、一体全体、「わが街高崎」はどんな街になっているだろうか?

もちろん今の21階の市庁舎も老朽化で「建て替え」が市議会でもまれているころではないか...

鉄筋コンクリートの寿命が60年~70年だというから、まあその威容もその時それは墓標のような趣かも知れない。

高崎「群馬音楽センター」が僕が13歳の時だから今現在53歳。

すでにその寿命がささやかれ補強改修工事もままならないとかで箱モノ屋さんが五月蠅い。

ところで、その2070年ころには日本の人口も8000万人台に落ち着いてる頃だろう。統計上。

まあ、戦争でもなければの話、天変地異がなければの話だけれど。

考えてみると、50年後って、そんな先の話ではない。なぜかと言えば、50年昔は僕が20歳はつい昨日のことのような話である。

しかし、その50年昔から比べると高崎の街も随分と面妖というか趣が変わってきた。その50年昔の「わが街高崎」は昭和44年。

まだデパートといえるほどのものはなかったが、それでも連雀町の四つ角に「高島屋ストア」と、銀座通りには「おしゃれデパート」。

そういえば本町三丁目に「フードセンター」が盛況したのもそのころではなかっただろうか。

映画館、「オリオン座」が出来たのは確か昭和34年のころだった。

町内というか横丁には魚屋、八百屋、肉屋、酒屋、米屋、饅頭屋、電器屋、小間物屋、荒物屋、豆屋、塩屋、薬局、煙草屋、乾物屋、豆腐屋、駄菓子屋、等々etc...

で、少し足を延ばして半径2、300メートルなら洋品店、帽子店、蕎麦屋、喫茶店、瀬戸物屋。そうそう、僕の家の3軒隣の表通りにはパチンコ屋まであった(笑)。

そして自転車屋、旗屋、建具屋、竹屋、鍛冶屋、下駄屋、畳屋、まあ、早い話が、横丁そのものが“ショッピングモール”みたいなもので、まさに「オンデマンド」です。


まあ、朝餉、夕餉には豆腐屋さん、納豆屋さん、卵屋さんがセールスに来る。八百屋さんも僕の隣んちが、その八百屋、おばさんが店番、おじさんは「引き売りに。

そんなショッピングモール、イオンのような横丁がいつの間にか「消えた」。あれだけ朝な、夕なに騒然としていた横丁から人も家も、突然のように消えた。

こんな地方都市にも、そう、高砂町という横丁にも高層マンションが2棟、3棟、4棟。街中にそんな「マンション」が今も数棟。で、このご時世です。その部屋の明かりも疎ら。

今、盛んに騒がれている高齢化社会だが、思えば当時、ほとんどの家には「おじいさん」と「おばあさん」がいた。

まあ、その意味では、あの戦争で20代、30代の男衆はほとんどが兵隊にとられたからまさにその戦争時代というか昭和10年代は「高齢化社会」そのものではなかっただろうか。

僕の家の両隣にもおじいさんおばあさんがいた、その向こうの家にも、そのまた向こうの家にも。

50年後の高崎...

市町村合併を繰り返し、人口を水増ししてもどんどん街は小さくなるという現実。

いわれる「右肩上がり」に政治も、経済も思考することの限界地に来ているのではないか。

「都市の寿命」

しかし、都市が消えてなくなるわけではない。たしかに「限界集落」とかの山間地の住居は消えてゆくだろうけど、都市そのものは人口収縮し変幻しながらもつねに「生まれ変わってゆく」。新しく、新しく。

おそらく50年後には医療技術も相当に発達し、その意味ではある程度「高齢社会」も落ち着いてきているのではないだろうか。

ただし、少子化と、最近言われていることは「独居」の中高年が激増しているとかの話、つまり、結婚しない男女。

その結婚しない男女がそのまま高齢化した時の問題...

それ自体が少子高齢化の問題でもあるのだが、かといって、結婚も、離婚も突き詰めれば個々人の問題で、そのことに社会が闇雲に強制できることではない。

つまり、配偶者のいない、子どものいない「独居者」がその少子高齢化社会の中に3割とか4割とか。

今現在でも40代、50代に限って言うと7人に一人の割合で「独居」だという。

実は、僕のカミさん4人姉妹で他の三人は60代の独身。僕の友人にもその「独居高齢者」は今数えただけでも、7、8人はいる。

50年後の高崎...

社会構造が全く今のこの環境と変わろうとsているのに政治、行政がその「右肩上がり」の虚構の「明るい街」しか想像しない。

そうした中で、財政だけはさも深刻そうに「将来にツケを残すわけにはいかない」とかで増税を言っている。

たしかに、少子高齢化は大きな社会問題、いや、環境問題である。

さらに、財政でいえば今日のこの莫大な負債を、人口そのものが半滅しようというのにどうしてそれを賄い、解決できるというのだろうか。

しかし、街が小さくなる、国が小さくなるということは必ずしも悲観することではない。

その意味では、日本以外の先進国のほとんどが米国を例外にすれば東西統合のドイツ連邦共和国でさえ8,231万人、フランス、英国、イタリアも6,000万人台。

つまり、人口構造の差はあるとしても50年後の日本、というか「高崎」は欧州並みの都市環境になるということではないか。北欧に至っては大きいスウェーデンでも1,000万人弱、

そこから考えなければならないことは既得権益保護の土建行政、箱モノ行政には終止符を打つことです。


人権保護の見地からの行政。そして都市環境は暮らしとしてのコミュニティの充実と景観としての森、公園都市の創造。

当然家族と暮らす、生活するということは理想ですが、「独居」を視野に入れた生活環境づくり...

その意味での、社会、コミュニティが充実してくればその環境の中での家族も生まれるはずです。

十数年前、自民党「麻生政権」の時代に「100年に一度の危機」というのがあった。いい機会かもしれません。

それは景気回復ではなく「人間らしい生活、社会の回復」を目指すべきです。

50年後の「わが街高崎」のためには、今、20代、30代のそこのあなた、これは、あなた自身の問題なのです。

僕らのいない「わが街高崎」は...

2011年3月11日、東北大震災と福島第一原発事故が起きた。
そのことでこの先どう変わるかは予測はできないが想像はできる。


ここ毎日高崎駅西口の閑散とした大通りを歩くと一通りも少ない、もちろん交通量も少ない、一体何のための「再開発」だったのか。

なのに、現行政はこの「西口」を捨てて、ゴーストタウン化させて、東口に500億円を投じ、「大規模集客施設」という高層ビルを中心に、その栄町一帯の「再開発」をという。

それは「スクラップ&ビルド」ではなく、スクラップはそのままにしてのニュータウン構想ではないか。

50年後の高崎...

そんな先の話ではない。50年前20歳だった僕らからすればこの街の変容はその50年後を十分占える。

人の消えた街。映画館(封切り館)は一軒もなくなった、喫茶店も、本屋さんも文開堂、天華堂を残してほぼ消えた。

昭和40年ころから50年経った高崎の街は人肌の感じられない寒々としている。

戦後すぐは本町が、そして八間道路、田町通り、中央銀座通り、人が住む街に「盛衰」は望ましくない。しかし、行政は捨て去る。

それは「再開発」ではなく、実はいつも「新開発」。

つまり、「再開発」の名の下に「新開発」された周辺は過疎化し、廃墟化するか消滅。

それにしても、銀座通りの「オリオン座」、あの廃墟の様はおぞましい限りだ。

栄町「新開発」の前にすることがあるだろうに。

お笑い「都市循環バス」(高崎市)だが、最近高崎駅西口の医療センター間を頻繁に利用。

高崎駅=市役所=公園前=医療センター=東電前、連雀町経由高崎駅西口を循環。

まあ、僕にとっては100円で便利で安上がりだが...

いつも貸し切り状態の「都市循環バス」。

人の消えた街を創り出した行政が多額の出費(税金)しての交通網ってぇのも、まあ、笑えます「ぐるりん」「グルタク」。

【2072年】50年後の高崎



  


Posted by 昭和24歳  at 09:09Comments(0)

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