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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2017年08月15日

【国民の休日】8.15“終戦記念日”を祝おう!!

【国民の休日】8.15“終戦記念日”を祝おう!!

なぜ、政府自民党は「終戦記念日」を、
国民の休日にしないの?
「憲法記念日」「建国記念日」ってあるのにね。
300余柱の御霊に鎮魂をささげるなら・・・


なぜ負けるとわかってた戦争をはじめたのか!??

当時、日本の経済力(工業力)から言って4年間にわたる米国との「太平洋戦争」。

「神国ニッポン」だの「神風が吹く」だのとわけのわかんないことを吹聴した政府。

もっとも、戦争、止めたくても止めさせてくれなかった。

明治維新、日清日露戦争で味をしめた欧米金融資本は第一次世界大戦で漁夫の利を得た成り上がり帝国ニッポンから。

その資本を回収するまで戦争を止めるつもりはなかった、樺太、満州、朝鮮半島、遼東半島、台湾と・・・・・

明治維新以降60年からかけて貯め込んだ日本の国富を全て略奪するまで。

昭和に入っての日中戦争、そこで日米開戦の昭和16年、その時点で日本の国際的位置付けはどうであったのか。
たしかに、明治来「日清戦争」「日露戦争」とこの欧米列強「白人至上主義」の国際社会にアジア地域における唯一独立軍事国家としてその将来を模索する時代だったが・・・・・
はたして“米国”を相手の開戦が日本の命運のカギであったかは今にして、多いなる疑問だし「なぜ」という疑問符が。

つまり、「米英」がいかなる思想の国家なのか・・・・・

当時は地球上のほとんどの民族を白人種、英米仏蘭西独伊が、その地を武力で侵略、略奪、虐殺を繰り返し、植民地、隷属化し、
さらにそこで、その侵略者である白色人種同士が、国家間で植民地の権益争奪戦を繰り返していたそんな時代だった。

当然、それはこの日本もその対象の例外ではなかった。それが江戸幕府崩壊から明治維新の流れとなっていったのだ。

その意味では、欧米にとってこの国、日本は「植民地にするほどの“価値”がなかった」。
それに、とりあえずは武士、武家が統治する「軍事国家」であったがためあえて侵略戦争を仕掛けて手間をかけるより、
内乱、内戦工作、つまり革命を惹起させその「革命政府」を隷属化させる政策を米英は画策した。

明治革命(維新)政府に莫大な戦費を貸与し、武器、弾薬、軍艦を売り「日清・日露戦争」を工作したのが米英。
つまりそれが、「日本の近代化」、文明開化の源泉であったわけだが、まもなく勃発した欧州の「第一次世界大戦」は遠く離れた極東、日本の産業、経済発展に大きく寄与し。
結果、そのことが日本の中国大陸侵略戦争へ道を開くこととなり、そもそも英国の「アヘン戦争」来、米欧の権益争奪の場であった中国大陸、
そこへ日本がその意味では「米英の子分」の存在であるにもかかわらず「辛亥革命」で没した清朝、最後の皇帝“愛新覚羅溥儀”(アイシンカクラフギ)を皇帝に仕立て昭和7年・・・・・
“大日本帝国”は関東軍を侵攻させ満州全土を占領し、挙句、欧米列強の策略にはまり中国全土、東南アジア侵略の帆を急いだ。

まあ、その満州国一帯は、欧米、とくに「米国の権益」・・・・・・つまり「親分のシマ」に「子分」が勝手に入り込んで賭場を開いてしまった。

当然、米英は日本政府に「満州から手を引くこと」迫り、そのためのあらゆる手段を講、決定的な最後通牒が、米国国務長官「ハル・ノート」。

それがアメリカ側から提示された交渉案である。

その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ、およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、
日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものであった。
概要は以下の10項目からなる。

1.アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
2.日本の仏印(フランス領インドシナ)からの即時撤兵
3.日本の中国からの即時撤兵 
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6.通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 –
10.本協定内容の両国による推進


つまり、大日本帝国はこの米国の通牒に従い中国(満州国は含まれず?)、欧アジアの欧米植民地からの即時撤兵し、英米に屈し隷属化(?)の道を行くか。
この通牒を無視し米英と開戦し将来への死活を探るか・・・・・・

現在の北朝鮮の核開発廃棄にからむ「米朝交渉」に似ているような似ていないような。まあ、米朝プロレスではなかったような気はするが。
そこでの大きな違いは、ありとあらゆる段階において、北朝鮮政府が「狡猾」であると言うことはいえまいか、舞台回し(笑)。
当然、当時の日本と英米の国力は、今日の“米朝”のそれほどではないにしても、そこには天と地ほどの差があった。

はっきり言えば、大日本帝国の“沽券”でしかなかった・・・・・・

「交渉力」の貧困、つまりは「外交力」が無力だということ。

それにしても米英相手に4年間も戦争をするとは狂気でしかない。

もっとも、実質戦争をしたのは日本政府ではなく「日本国民」だけだった・・・・・・

「天皇陛下の命令」「天皇陛下のため」

そのために死んでいった無辜の命300万余・・・・・・

それは、その姿は今も変わらない日本国政府の国民無視。

今日の戦没者慰霊の式典も、アベちゃんのお言葉はあまりにも白々しい。

財政再建のためと消費税10%を言うアベちゃん政府。

しかし、今や「戦争」する時代ではないことを、北朝鮮が教えている(笑)。

「愚かな米の行動を見守る」(金正恩)。

【国民の休日】8.15“終戦記念日”を祝おう!!
  


Posted by 昭和24歳  at 19:33Comments(0)

2017年08月15日

72回目の“火垂るの墓”

72回目の“火垂るの墓”


「パパ・・・・・セツ子のドロップ買って」

サクマ式ドロップスは問屋町の「お菓子の川上」にある・・・・・・
毎週土曜日になるとわが家のセツ子たちとそのお菓子の川上へ行くことが習わしだった(笑)。
そんなわが家のセツ子たちも大学生高校生になってしまった。

そしてあの「お菓子の川上」も今はない。


昨夜の『火垂るの墓』をVTRで鑑賞した・・・・・・・

やっぱり、セツ子はその「サクマ式ドロップス」、
石ころの「サクマ式ドロップ」を握り締めたままホタルに守られるようにして死んでいた・・・・・

『火垂るの墓』は、原作:野坂昭如、不朽の名作である。

作者の「野坂昭如」さんも黄泉の圀へと旅立たれお隠れ遊ばされた
永六輔も永眠、「土曜ワイド」ではそのお手紙をアナウンサーの朗読でお聴きすることはない・・・・・
野坂昭如さん、あのシャイな感じでなんともお茶目な黒メガネで、吃音気味に話されるお姿が懐かしい。

♪マリリン・モンロー~ノーリタ~ン♪

なんて歌ってた、シャンソン歌手でもあるの野坂昭如さん、

♪アキユキ・ノサカ~ノーリターン♪

それが現実のものに、そして語り部は消えた。

「パパのお姉さんも2歳の時に、戦争に負けた年に死んじゃったんだよ」

「うそっ、初めて聞いた!!」

「なに言ってんだ、初めてなもんか、ほらお墓参りに行くと“松原美佐子、享年2歳、昭和20年9月・・・・・
パパがいつも話してるじゃあないか、パパのお姉さんだよって」

「うそ・・・・・聞いてないよ、聞いてない・・・・・今度よく見てみよ」


僕の実家の墓碑には昭和18年から20年の間に二十歳前に没した法名が3つ、伯父、叔母、そして姉・・・・・
幸いに“戦死者”は出なかったものの、父はその姉が生まれる年、昭和18年に出征し、シベリアから22年に復員。
出征中に、姉の死を知らず復員・・・・・

「戦争・・・・・パパが生まれる4年前に終わったんだ・・・・・」

「パパって、大変な時に生まれたんだね・・・・・
でも、あれって・・・・・テレビのあれって本当のことなの?“この物語はフィクションです”なんていってるけど・・・・・」

「いや、本当はもっと酷かったらしい。東京大空襲、広島、長崎の原水爆、とてもじゃあないが・・・・・
テレビだって、映画だって再現できるもんじゃあないよ。残忍で、残酷で」

「なんで戦争したの・・・・・ハワイのとりっこ、沖縄のとりっこ・・・・・」

「違う違う・・・・・そのうち学校で習うかな、歴史で」

「ふ~~~ん・・・・・」


僕にもその戦後の臭いが娘たちにはあるらしい・・・・・

「パパって・・・・・貰い子だったんだって?」

「えっ、誰が言ってた?」

「ママが・・・・・この間死んだ、小ちゃいおばあちゃんがパパの本当のお母さんなんだって。
小ちゃいおばあちゃん、パパを生むとすぐ病気になっちゃって・・・・・それで・・・・・って」


その意味では僕も戦後とはいえその“戦争”の中に生まれたのかも知れない。
しかし、そのことの事実を“時代”は急ぐようにして“墨塗り”してきた・・・・・

そして今、勇ましくも“普通の国になれ”だと言う。
自国で自国を守れないようでどうするとも言う

北朝鮮が弾道ミサイルが日本を火の海にするだとか、グアムをとか・・・・・・

さてそうだろうか・・・・・???

あの当時国家予算のほとんどを費やし、国民総動員しても守れなかった、
守れなかったどころか300万人も犠牲者を出して“破滅”の道を辿った事実を前にして、
戦争という手段で、どのようにして“守れ”というのだろうか。

国力にあった外交・・・・・
そして叡智ある外交、いかにして“戦争”をしないか、“和平”に徹するかという外交。

いつだったか、NHKであの平成の大勲位“中曽根康弘翁”が鄧小平の名言を紹介していた・・・・・・

「解決しない解決策というのも、ひとつの“解決策”である」と。

昭和の日華事変から太平洋戦争にいたる史実を学べばその戦争という愚かさ、
そしてそれは、その“欲望”のための殺し合いでしかない・・・・・

国のために殉じたというが・・・・・・それはまやかしで、
その“時”には、

「上官の命令は天皇陛下の命令!!上官の命令に叛くことは天皇陛下に叛くこと!!」

そう言って、戦争をし、挙句は発狂的“特攻”まで命令した“上官”。

その上官は・・・・・その上官に叛くことはと言い、無辜の若者を死地に強制した・・・・・・

そして散って逝った若い命。いかにこの国、国家が国民の命を軽んじていたか。

国を守る・・・・・???

そんなことで国を守れるわけがないじゃあないか!

そのことが、そのこと自体が本当は“フィクション”だったことは多くの国民は気づいていたはず・・・・・

「現人神」、そして「神国」という偽装を歴史は今、教えている。

野坂昭如の描く、清太とセツ子・・・・・
この国に、何千、何万といたであろう“清太とセツ子”。
お国のために戦った末の“清太とセツ子”・・・・・


その史実を消し去らない為にも僕らは語り続けなければいけない。

そして、「一国平和主義」とか、「平和ボケ」とかいわれる・・・・・・・
“異様”な“異常”な平和憲法をもってしまった国民として、その“異様”な“異常”な憲法9条を至高のものとして受止め、

二度と“清太とセツ子”をこの国に作らないためにも、
それを生きなければいけない。
 

戦争そのものが犯罪である・・・・・ 

72回目の“火垂るの墓”
  


Posted by 昭和24歳  at 11:42Comments(0)

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