2016年05月06日

高崎Daydream(20XX年)

20XX年5月5日


さやモール「あすなろ」でもいいけど・・・・・
スタバくらい持ってこなくちゃあ。TSUTAYAもね。

 それは僕が想像していたあの“TAKASAKI“とはその趣は一変していた。

 そう、いっときは廃墟と化していた中央銀座通りとそこの一帯はだいぶ昔に行ったLAのMelrose Aveのように洒落た古着屋だったり、もう僕らにはさっぱりわからないが奇抜なファッションを並べた boutiqueなんだろう、そのほとんどの店が洋服からアクセサリー、中には靴屋までが50がらみの職人と思しき格好で仕事をしていた。
 変われば変わったもので、2020年頃から少子高齢化とかが著しくなり衣服から生活用品までそれらのほとんどがハンドメイド、いわゆる職人の手作りの一昔なら超高級品が20XX年、消費の主流となっているようだった。それは当然といえば当然で人口規模の縮小は大量生産、大量消費といった流通市場は既に終焉していた。かつてはスーパーとかコンビニとかというのがあって消費しきれないほど商品を製造生産するため余剰品が大量に発生し、結局それら余剰品も価格転嫁され次第に消費そのものが減少し、さらに余剰品がといったことで2020年頃から徐々に大型スーパーが撤退し始めたという。
 20XX年では生活用品から食品までありとあらゆるものが必要なとき、必要なだけ「製造・生産」され、店舗売り場面積が必要とされずそこの商品そのものがコンピュータ管理された状態のなかで全く無駄のないオンデマンド生産、消費市場が完成している。つまりそのことは製造、生産者側の労働、就労環境にも大きな改革をもたらすことととなりとくに食品工場での三交替勤務とかは今はそれがあったことすら知られていない。
 
 僕は空想の世界に迷い込んでしまったのではないかと少し不安になってきたがそこにある現実の素晴らしさに心が躍った。

 そうだ、ここはあの頃は「さやモール」とかいって僕が60半ばの頃にはほとんどの商店は撤退していてスズランデパートの裏口の趣で平日はもちろんのこと日祭日でも一通りはほとんどなかった。
 何なんだこの賑わいは、どうしたんだこれは僕らが子供だった、昭和と言われた1960年代の頃のように街は人でざわめいていた。
 おやっ、あったはずの「スズランデパート」が、そうそう、駐車場だったところが中層のマンションに、その1、2階が、かつては自転車置き場やパーキングだったところが正面入口になって、そう、その「さやモール」の核となっている。

つづく  


Posted by 昭和24歳  at 18:58Comments(0)

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