2015年09月21日

【10.03】山村健とニュー東京オールスターズ歌謡ショー

【10.03】山村健とニュー東京オールスターズ歌謡ショー


デザインド by 佐野研シロー

『キャバレーニュー東京』物語(上巻)

キャバレー「ニュー東京」は、バンマス(バンドマスター)が山村さん。

山村さんはなんでも出身は山口県の呉とか言っていた(?)。
山村さんはピアニストで、ちょうどあの頃は30代で、バリバリの威勢のいい「バンマス」だった。

当時のキャバレーといえば、連日「〇〇ショー」とかで、客の入りも、半端じゃあない・・・・・・・
まさに日本の戦後、高度経済成長を象徴していた、そこは「柳川町」ど真ん中。
その「柳川町」は戦前戦中と軍都「たかさき」、青線だったか赤線だったかの、まだその名残の漂う花街だった。

で、その頃の「ニュー東京」といえば高崎では一番のキャバレーで、バンマス、山村さんも相当気が入っていた。
最初の頃は、僕ら鼻タレ小僧にとってはソレはソレは近寄り難い存在、そんな趣であった。

この物語の設定は僕が21の時のことだから昭和45年、その翌年にたしかマンモスキャバレー「ニュージャパン」が高崎にオープン。
ニュージャパン、通称「ジャパン」僕らバンドマンはそう呼んでいて、本店は新宿、歌舞伎町の「風林火山」。
たしか、新潟、新発田市にも、その系列で「キャバレー香港」とかいうマンモス社交場があった。

まあ、全国津々浦々、キャバレー「百花繚乱」、そんな時代だった・・・・・・・・

もちろん高度経済成長波に乗り、土建業を中心に建設業華やか利子の頃の話である。
すでに、そのころにはその「柳川町」を中心に、いわゆる「中銀」界隈にはバンドの入った中規模のキャバレーがあった。
やはり僕らも何かとお世話になったキャバレー「貴族院」。そこのバンマス、金井さんも山村さんと一緒でその筋も一目置く存在だった。
もっともあの時代夜の街で身体を張って仕事をするにはそれなりの度胸は必要だったことは想像に難くない。
その金井さん、訳は聞いたことはなかったが額には刀傷の跡があって、旗本退屈男の趣だった。

「ニュー東京オールスターズ」、山村さんのバンドはナーテ(テナー)に高橋さん、アルトが当時の国鉄職員の長井さん・・・・・・
パツラ(ペット)がこれまた国鉄職員の絹川さん、スーベ(ベース)が僕とは同い年の加部だった。
ドラムが永井さんと同じく国鉄職員の秋山さんと、夫々が初見の譜面をこなす「音楽職人」、そんな面々だった。

そう、そしてチェンジのヤノピ(ピアノ)には本名は知らないが「ジョージさん」と呼ばれていたお兄さん。
なんでも熊谷から通いで来ていたなんとも面白いヤノピの先生だった。

そんな「山村健とニュー東京オールスターズ」に僕は時々ドラム、秋山さんの「ラート」(エキストラトラ)でゴトシ(仕事)をしていた。

「なべちゃん、シーチョーでいいからさ。シーチョーで。テンポだけ、テンポ」

〈シーチョー・・・ん、なにそれ?〉と、まだその業界に慣れていなかった僕は面食らっていた。

ギョーカイ用語、符丁とでも言うのだろうか、なんでもその意味は「調子がいいやつ」の調子。
それを「シーチョー」と言い、どうやら「適当に」と言う意味ので、まあ、テンポさえくるわなけりゃあいいよっていうことだと。

で、バンドマンの世界、何でもかんでも逆さまに言う、芸能界もそうで、今ではよくテレビで耳にするが。
それもただ逆さまに言うのではなく乗り良く、逆さまに言うのだそうだ。

例えばこんな具合にだ・・・・・

「今夜、ゴトシ、リーオワしたら、いつものセーミでパイイチ、ミーノする?」


翻訳するとこう言うことになる。

「今夜仕事が終わったらいつもの店で一杯飲む?」ってな具合に。


因みに、お金の勘定も「C、D、E、F、G、A、B、オクターブ」でそれに数字の単位をつけて言う。

例えば、一万二千四百七五円なら、こんな風になる・・・・・・・

「ツェーマン、デーセン、エフヒャク、ハージューゲー」


最初はなんとも厄介な話だったが慣れてくると面白かった。

「みんな・・・今日からドーヌ(ヌードショー)。曲だけ決めといてメンフ(譜面)、メモでいくから」


バンマス、山村さんはカットグラスのオンザロックを「カラン」っと鳴らしながらいつものように言った。

山村さん、朝から飲んでいる。

もっとも奥さんがこのニュー東京の近くで小さな止り木だけのバーをやっていて・・・・・・
そこで既にパイイチやっているのがいつものことのようだ。

あっ、この「朝」と言うのはこの業界では店のオープンの頃の時間のことで夕方の5時くらいからのことだ。
したがって、バンドマンの挨拶も夕方、夜だけど、

「おはよう」

と言うことになる。

〈ドーヌ、メンフ?〉僕がきょとんとしていると・・・・・・

「ここじゃあ大体が逆さまに言うんだ。まっ逆さまじゃあないけどね」



と、ナーテを抱えた高橋さんが目を細めながら教えてくれた。

ミュージシャンというか、バンドマン。楽士とでも言うのかみんなシャイで初対面は素っ気ない。
余計なことはほとんど喋らない。
みんなバンマスの話を聞きながらリードを削る長井さん、トランペットのバルブにオイルを点す絹川さん。
それぞれが他の人をてんで気にしていない。

「おはようございま~~~すっ」

「今日から一週間、ミレイさんね。みんなよろしくな」


とバンマス。

「よろしくお願いしま~~~~す」

「メンフは・・・・・・?」

「テンポとリズムだけですから。ラストは合図しますから、タイコさんお願いしま~~~~す」

「なべちゃん、合図もらったらバルシン(シンバル)、三つくれる」



バンマスの山村さんが平気な顔して僕に言う。

山村さんは僕のタイコを知っているには知っていたが、グループサウンズ上がりのドラム・・・・・
僕にしてみればキャバレーと言うかそう言うところで叩くのは16の時の、伊香保グランドホテルのホール以来だ。

「大丈夫だよなべちゃん。シーチョーでいいからさ、シーチョーで」

〈そんな簡単に言わないで下さいよ・・・と、僕は胸の中でつぶやいていた〉

それを察してか不安そうにしている僕に山村さんは「ニコッ」と・・・・・・

いつものように顎を引いて「カッ」と笑いながら、「カリン」っとオンザロックを鳴らした。

僕の不安を他所に、相変わらず他のメンバーはもくもくと楽器の手入れに余念がない。

つづく

そんなメンバーが一人も欠けることなく10月3日(土)シティギャラリー・コアホールに集合する。
平均年齢、75歳だが、秋山さんの前のドラムだった角田さんは85歳、バンマスの山村さんが82歳・・・・・
高齢化社会を云々するが、どっこい健在も健在で、未だ現役のミュージシャン。生涯「ミュージシャン」。

御用とお急ぎでない方は是非とも「山村健とニュー東京オールスターズ歌謡ショー」にご光来を!!
夜の部は、あの「ジャッキー吉川(ブルーコメッツ)さん」が特別ゲストでのコンサートです。

【10.03】山村健とニュー東京オールスターズ歌謡ショー
  


Posted by 昭和24歳  at 10:32Comments(0)

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