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2013年10月18日
ユニクロ売上高1兆円で、日本経済、景気はどん底(^^ゞ
ユニクロ売上高1兆円で、
日本経済、景気はどん底(^^ゞ

「ユニクロ」の驚異的成功の背景は、
「経済の衰退と若者の感性圧縮による消費文明の退化」にある。
ユニクロ売上高1兆円はそんなにすごいのか/グローバル視点で見る
ユニクロを展開するファーストリテイリングの売上高が衣料業界で初めて1兆円を突破しました。海外事業の拡大が売上げに大きく貢献しており、日本では数少ないグローバル企業ということなのですが、1兆円というのは果たしてスゴイことなのでしょうか?そして日本の企業は皆、ユニクロを目指すべきなのでしょうか?
GAP、H&Mより小さい
日本国内を基準にすればユニクロの売上げはやはりスゴイと言ってよいでしょう。ユニクロと並ぶ超優良企業といわれる「しまむら」ですら売上高は5000億円程度ですからユニクロの規模は突出しています。しかしグローバルという視点で見てみるとユニクロは大した企業ではありません。米GAPの売上高は約1兆5000億円、スウェーデンのH&Mは約1兆8000億円ですので、グローバル市場での競合他社には1.5倍から1.7倍もの開きがあります。
このような状況は他の業種でも当てはまります。日本の代表的グローバル企業と呼ばれるソニーは6兆8000億円の売上げがありますが、業界トップであるアップルの売上高は15兆円を超えます。小売大手のセブン&アイ・ホールディングスの売上げは約5兆円ですが、世界ナンバーワンのウォルマートの売上高はなんと47兆円です。ウォルマートは別格としても、日本のナンバーワン企業とグローバル企業には1.5倍から2倍の規模の開きがあるのが現実です。
ファーストリテイリングの柳井社長は、こうしたグローバル企業に追い付き、追い越すことを目標にしています。世界同一賃金をうたい「年収100万円も仕方ない」と言い切るのもこうした理念から来ていると考えられます。
バブル崩壊以後、日本以外の先進各国が経済規模を2倍から2.5倍に拡大させている中、日本は経済成長ゼロの状態が続いてきました。その理由はいろいろありますが、企業のグローバル化が不十分という考え方はかなり浸透しています。このため、ユニクロのような数少ないグローバル企業には大きな期待が寄せられているわけです。
しかし現実はなかなか厳しく、ユニクロがさらに業績を拡大するのはかなり大変です。ユニクロですらそうなのですから、他の日本企業が今からグローバル市場で成長していくのは至難の業といってよいでしょう。しかもユニクロは労働環境などにおいて、国内では批判が多い企業の一つでもあります。
<抜粋引用:THE PAGE 2013/10/18 09:56 >
ソース:http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20131018-00000001-wordleaf-nb
>世界同一賃金をうたい「年収100万円も仕方ない」と言い切るのもこうした理念から来ていると考えられます。
つまり、柳井の頭ん中は「発展途上」なんです・・・・・
田舎の古着屋です(笑)。
まあ、潰れたダイエーもそうでしたけど「安売り王」ですから、所詮。
GAP、H&M、を言うけど、じゃあ、その販売料的な部分はどうなんでしょうか?
そのへんの情報が出ていませんけど・・・・・・
つまり、いくら「量」を売ったって客単が大衆食堂では売り上げ規模、額、行きませんね。
で、そもそもがそういう商品企画っていうか、いわゆる「消耗品」感覚ですから(^^ゞ
ユニクロ、デザインに多少の手を加えたところで、2、3度洗濯したらユルユルなんて・・・・・
まあ、ユニクロもだけど「gu」なんて、500円でも高い(笑)。
つまり、「使い捨て」なんですから、その意味では香港のプアマンズマーケットと一緒です。
まあ、日本の、本来の「商人魂」っていうか、モノ作り精神はそうじゃあなかった。
そして、経済が豊かなら「高くても良い商品が売れる・・・・・
おんなじジャケットでも、まあ、デザインはユニクロ、4000円とソックリだけど、作りが違う、
デザイナーズブランド、21000円。着た時の感触が全く違う。
つまり、ステータス感も全然、お話にならないくらい違う・・・・・・
まあ、購買層が違うって言っちゃったらそれまでだけど、その意味ではデフレを深刻化させたのも、
言ってみたら「ユニクロ」だった、「しまむら」もね。
やっぱり、日本経済の方向を「ユニクロ」、「しまむら」しか買えない方向にしちゃった。
で、「年収百万」でも仕方ないって・・・・・・
そしたら、「ユニクロ」も買えないかも、「しまむら」も無理かも。
まあ、「ユニクロ」と「しまむら」がいくら低価格戦略を極限までやったってアレ、
公共料金は世界一高いわけだし、つまり「年収100万円」なら、
公共料金がその所得に占める率、無茶苦茶高くなるわけだし、
ますます「ユニクロ」も「しまむら」低価格戦略に向かって猛突進しなくちゃァならないし、
まあ、衣料なんてそれでいいけど「食糧品」はそういうわけにはいきませんね。
「安かろう悪かろう」では、ハイっ!!
ところで、ユニクロで「野菜」とかっていう話、どうなっちゃったんでしょうか(笑)。
ユニクロ売上高1兆円で、
日本経済、景気はどん底(^^ゞ
日本経済、景気はどん底(^^ゞ

「ユニクロ」の驚異的成功の背景は、
「経済の衰退と若者の感性圧縮による消費文明の退化」にある。
ユニクロ売上高1兆円はそんなにすごいのか/グローバル視点で見る
ユニクロを展開するファーストリテイリングの売上高が衣料業界で初めて1兆円を突破しました。海外事業の拡大が売上げに大きく貢献しており、日本では数少ないグローバル企業ということなのですが、1兆円というのは果たしてスゴイことなのでしょうか?そして日本の企業は皆、ユニクロを目指すべきなのでしょうか?
GAP、H&Mより小さい
日本国内を基準にすればユニクロの売上げはやはりスゴイと言ってよいでしょう。ユニクロと並ぶ超優良企業といわれる「しまむら」ですら売上高は5000億円程度ですからユニクロの規模は突出しています。しかしグローバルという視点で見てみるとユニクロは大した企業ではありません。米GAPの売上高は約1兆5000億円、スウェーデンのH&Mは約1兆8000億円ですので、グローバル市場での競合他社には1.5倍から1.7倍もの開きがあります。
このような状況は他の業種でも当てはまります。日本の代表的グローバル企業と呼ばれるソニーは6兆8000億円の売上げがありますが、業界トップであるアップルの売上高は15兆円を超えます。小売大手のセブン&アイ・ホールディングスの売上げは約5兆円ですが、世界ナンバーワンのウォルマートの売上高はなんと47兆円です。ウォルマートは別格としても、日本のナンバーワン企業とグローバル企業には1.5倍から2倍の規模の開きがあるのが現実です。
ファーストリテイリングの柳井社長は、こうしたグローバル企業に追い付き、追い越すことを目標にしています。世界同一賃金をうたい「年収100万円も仕方ない」と言い切るのもこうした理念から来ていると考えられます。
バブル崩壊以後、日本以外の先進各国が経済規模を2倍から2.5倍に拡大させている中、日本は経済成長ゼロの状態が続いてきました。その理由はいろいろありますが、企業のグローバル化が不十分という考え方はかなり浸透しています。このため、ユニクロのような数少ないグローバル企業には大きな期待が寄せられているわけです。
しかし現実はなかなか厳しく、ユニクロがさらに業績を拡大するのはかなり大変です。ユニクロですらそうなのですから、他の日本企業が今からグローバル市場で成長していくのは至難の業といってよいでしょう。しかもユニクロは労働環境などにおいて、国内では批判が多い企業の一つでもあります。
<抜粋引用:THE PAGE 2013/10/18 09:56 >
ソース:http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20131018-00000001-wordleaf-nb
>世界同一賃金をうたい「年収100万円も仕方ない」と言い切るのもこうした理念から来ていると考えられます。
つまり、柳井の頭ん中は「発展途上」なんです・・・・・
田舎の古着屋です(笑)。
まあ、潰れたダイエーもそうでしたけど「安売り王」ですから、所詮。
GAP、H&M、を言うけど、じゃあ、その販売料的な部分はどうなんでしょうか?
そのへんの情報が出ていませんけど・・・・・・
つまり、いくら「量」を売ったって客単が大衆食堂では売り上げ規模、額、行きませんね。
で、そもそもがそういう商品企画っていうか、いわゆる「消耗品」感覚ですから(^^ゞ
ユニクロ、デザインに多少の手を加えたところで、2、3度洗濯したらユルユルなんて・・・・・
まあ、ユニクロもだけど「gu」なんて、500円でも高い(笑)。
つまり、「使い捨て」なんですから、その意味では香港のプアマンズマーケットと一緒です。
まあ、日本の、本来の「商人魂」っていうか、モノ作り精神はそうじゃあなかった。
そして、経済が豊かなら「高くても良い商品が売れる・・・・・
おんなじジャケットでも、まあ、デザインはユニクロ、4000円とソックリだけど、作りが違う、
デザイナーズブランド、21000円。着た時の感触が全く違う。
つまり、ステータス感も全然、お話にならないくらい違う・・・・・・
まあ、購買層が違うって言っちゃったらそれまでだけど、その意味ではデフレを深刻化させたのも、
言ってみたら「ユニクロ」だった、「しまむら」もね。
やっぱり、日本経済の方向を「ユニクロ」、「しまむら」しか買えない方向にしちゃった。
で、「年収百万」でも仕方ないって・・・・・・
そしたら、「ユニクロ」も買えないかも、「しまむら」も無理かも。
まあ、「ユニクロ」と「しまむら」がいくら低価格戦略を極限までやったってアレ、
公共料金は世界一高いわけだし、つまり「年収100万円」なら、
公共料金がその所得に占める率、無茶苦茶高くなるわけだし、
ますます「ユニクロ」も「しまむら」低価格戦略に向かって猛突進しなくちゃァならないし、
まあ、衣料なんてそれでいいけど「食糧品」はそういうわけにはいきませんね。
「安かろう悪かろう」では、ハイっ!!
ところで、ユニクロで「野菜」とかっていう話、どうなっちゃったんでしょうか(笑)。
ユニクロ売上高1兆円で、
日本経済、景気はどん底(^^ゞ
2013年10月18日
10年ひと昔なら、50年は大昔です(^^ゞ
10年ひと昔なら、
50年は大昔ですから(^^ゞ

↑、コレ、だいたい50年昔です(笑)。
その50年昔は明治時代で、日露戦争してました・・・・・
その50年昔は、江戸時代でしたし。
ちょん髷結って、刀差して「士農工商」とか。
人間て、進歩してませんね(^^ゞ
「男尊女敬」
僕の父母もそうだったが・・・・・
父親、国鉄職員で安月給とはいえ毎月決まった給金と、年に二度の賞与。
たしかに、隣の家は戦後の復興ムードの中での「タンス製造業」、その羽振りは結構なものだった。
その隣は、大工、鍛冶屋、米屋、それらほんとんど僕と同い年くらいの子供が3人から5人はいた。
自営業のオカミさんは、それなりに大変だったようだが、
僕の母親なんかは、いわゆる「専業主婦」・・・・・
確かに世の中は忙しかったようだったが、フツウに家庭の主婦が今のように、
パートに出るなんっていう話はほとんど聞くことはなかった。
もっとも、どこの商店だって、大体が店員といえばあの当時は「男性」だった。
高崎中央銀座通りの洋品店とか雑貨屋とか、おもちゃ屋とか、
食堂とかで働いているオバさんほとんどが身内、家族。
ボッとかして、若い女性が見えるときは大ていが、縁石の娘とか、地方からの奉公、賄いさん。
つまり、あの時代、戦後は「オヤジ」、亭主一人の働きでほとんどの家庭が生活していた。
そのうちに、街中も変貌してきて、それを「経済発展」とでも言うんだろうか・・・・・
近所の、中卒のお姉さんが「沖電気」に就職したり、「専売公社」に就職したり。
昭和30年代半ばころになると、
隣のお姉さんが女子高を卒業して電電公社の「電話交換手」になったり「デパガ」になったり。
ちょうど、高崎にも初めてのエレベーター、エスカレーターの百貨店が2店、ほぼ同時に開店した。
今ではもう死語だが「エレベーターガール」、はたまた・・・・・
「エスカレーターガール」なる美しいお姉さんの姿がその時代を彩った。
こんな地方都市、昭和30年代後期、人口は12万人くらいだっただろうか。
中山道、その目抜き通りには「藤五百貨店」「八木橋百貨店」「スズラン百貨店」「中央デパート」、
中銀には「おしゃれデパート」、そして「十字屋」「田原屋」さらに、
月賦の「緑屋」「三和百貨店」が競って軒を並べた。
結果、極端な労働不足で「男性店員」だけではどうにもならない時代。
まさにこうで経済成長時代、沖電気工業、マックス工業、古河鉱業、高崎製紙、
そして、日清製粉、日本製粉が昼夜を違えずに操業、直に、日立製作所に、
キリンビール、第一パンなどが進出してきて人手不足もピークに差し掛かってきた。
そこへ持ってきて、労働力の中心だった「中卒」が全卒業生の数%にまで落ち込み、
やがれそうした工場群、流通業に高卒の新卒が吸収されていった。
もちろんそこには、「男」も「女」もない。
もともと繊維問屋で賑わっていた高崎市だったが・・・・・・
昭和41年高崎市北部に北関東初という広大な「問屋町」ができ、
そこには大小、百数十の、ありとあらゆる業種の問屋が社屋を構えた。
当然、問屋であるから「男子」は営業、「女子」は事務でワークシェアされ、
そこでの僕の友人の初任給が昭和44年、大卒で4万7千円、その翌年には9万円に届いていた。
工業系問屋だったが。
そして、平成25年の今、高崎の街に、その後にできた「ダイエー」「ニチイ」も姿を消し、
高島屋、スズラン百貨店を遺して、その全てが終わった。
その時代、新婚夫婦共稼ぎで二人分の所得があった・・・・・・
今の時代、結婚して、二人で働いても当時の一人分にもならない。
>つまらない世の中になりました。
つまり、経済至上主義とまでは言わないが、「カネ」に追われる毎日では心は荒みます。
母親は大変です。外で仕事をして、子育てをして、家事をして・・・・・
こんな世の中、社会にした自民党政権、ウワズミの1%階層は特権をほしいままにしている。
まっ、それで全てが幸せかとは思えないが、国会の施政方針演説のなんと蒙昧なことか。
「日本の成長する姿を世界に見せる」って、もう成長しきって熟しきってるのでは?
その熟した「果実」をどう分配するかを、見せるべきなのではないですか?
独り占めしていては熟した果実、乱熟、やがて腐って落ちて、肥やしにもなりません・・・・・・
30年で消費期限切れの原発がその象徴ではないでしょうか。
10年ひと昔なら、
50年は大昔ですから(^^ゞ
50年は大昔ですから(^^ゞ

↑、コレ、だいたい50年昔です(笑)。
その50年昔は明治時代で、日露戦争してました・・・・・
その50年昔は、江戸時代でしたし。
ちょん髷結って、刀差して「士農工商」とか。
人間て、進歩してませんね(^^ゞ
「男尊女敬」
僕の父母もそうだったが・・・・・
父親、国鉄職員で安月給とはいえ毎月決まった給金と、年に二度の賞与。
たしかに、隣の家は戦後の復興ムードの中での「タンス製造業」、その羽振りは結構なものだった。
その隣は、大工、鍛冶屋、米屋、それらほんとんど僕と同い年くらいの子供が3人から5人はいた。
自営業のオカミさんは、それなりに大変だったようだが、
僕の母親なんかは、いわゆる「専業主婦」・・・・・
確かに世の中は忙しかったようだったが、フツウに家庭の主婦が今のように、
パートに出るなんっていう話はほとんど聞くことはなかった。
もっとも、どこの商店だって、大体が店員といえばあの当時は「男性」だった。
高崎中央銀座通りの洋品店とか雑貨屋とか、おもちゃ屋とか、
食堂とかで働いているオバさんほとんどが身内、家族。
ボッとかして、若い女性が見えるときは大ていが、縁石の娘とか、地方からの奉公、賄いさん。
つまり、あの時代、戦後は「オヤジ」、亭主一人の働きでほとんどの家庭が生活していた。
そのうちに、街中も変貌してきて、それを「経済発展」とでも言うんだろうか・・・・・
近所の、中卒のお姉さんが「沖電気」に就職したり、「専売公社」に就職したり。
昭和30年代半ばころになると、
隣のお姉さんが女子高を卒業して電電公社の「電話交換手」になったり「デパガ」になったり。
ちょうど、高崎にも初めてのエレベーター、エスカレーターの百貨店が2店、ほぼ同時に開店した。
今ではもう死語だが「エレベーターガール」、はたまた・・・・・
「エスカレーターガール」なる美しいお姉さんの姿がその時代を彩った。
こんな地方都市、昭和30年代後期、人口は12万人くらいだっただろうか。
中山道、その目抜き通りには「藤五百貨店」「八木橋百貨店」「スズラン百貨店」「中央デパート」、
中銀には「おしゃれデパート」、そして「十字屋」「田原屋」さらに、
月賦の「緑屋」「三和百貨店」が競って軒を並べた。
結果、極端な労働不足で「男性店員」だけではどうにもならない時代。
まさにこうで経済成長時代、沖電気工業、マックス工業、古河鉱業、高崎製紙、
そして、日清製粉、日本製粉が昼夜を違えずに操業、直に、日立製作所に、
キリンビール、第一パンなどが進出してきて人手不足もピークに差し掛かってきた。
そこへ持ってきて、労働力の中心だった「中卒」が全卒業生の数%にまで落ち込み、
やがれそうした工場群、流通業に高卒の新卒が吸収されていった。
もちろんそこには、「男」も「女」もない。
もともと繊維問屋で賑わっていた高崎市だったが・・・・・・
昭和41年高崎市北部に北関東初という広大な「問屋町」ができ、
そこには大小、百数十の、ありとあらゆる業種の問屋が社屋を構えた。
当然、問屋であるから「男子」は営業、「女子」は事務でワークシェアされ、
そこでの僕の友人の初任給が昭和44年、大卒で4万7千円、その翌年には9万円に届いていた。
工業系問屋だったが。
そして、平成25年の今、高崎の街に、その後にできた「ダイエー」「ニチイ」も姿を消し、
高島屋、スズラン百貨店を遺して、その全てが終わった。
その時代、新婚夫婦共稼ぎで二人分の所得があった・・・・・・
今の時代、結婚して、二人で働いても当時の一人分にもならない。
>つまらない世の中になりました。
つまり、経済至上主義とまでは言わないが、「カネ」に追われる毎日では心は荒みます。
母親は大変です。外で仕事をして、子育てをして、家事をして・・・・・
こんな世の中、社会にした自民党政権、ウワズミの1%階層は特権をほしいままにしている。
まっ、それで全てが幸せかとは思えないが、国会の施政方針演説のなんと蒙昧なことか。
「日本の成長する姿を世界に見せる」って、もう成長しきって熟しきってるのでは?
その熟した「果実」をどう分配するかを、見せるべきなのではないですか?
独り占めしていては熟した果実、乱熟、やがて腐って落ちて、肥やしにもなりません・・・・・・
30年で消費期限切れの原発がその象徴ではないでしょうか。
10年ひと昔なら、
50年は大昔ですから(^^ゞ