グンブロ広告
ビジネスライセンス料 3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告 1,600円/月

2011年10月05日
【柳家紫文】新宿末広亭で『鬼平市中見廻り日記を。
【柳家紫文】新宿末広亭で、
『鬼平市中見廻り日記を。

【新宿末広亭】
10月下席(21日~30日)
夜の部(17時~21時)
http://suehirotei.com/10gatsushimoseki/
何れかで・・・・・
ご都合のよろしい方、ご一緒しませんか?
予定日は近日中に。
東京・新宿末広亭 笑いを支えてきた粋「必要とされて続く」2011.10.4 12:37 (1/4ページ)
東京・新宿は、戦後日本の歩みそのまま、巨大に膨張し続けてきた盛り場だ。国内のみならず、さまざまな国の人たちが、この街の強烈な磁力に引き寄せられてきた。
欲望とエネルギーが充満する繁華街の一角に、そこだけ時間が止まったような建物がある。ちょうちんと手書きの看板。江戸時代の芝居小屋のような風情がある木造建築。寄席・新宿末広亭だ。
明治からの歴史を持つ建物は戦災で焼失。現在の末広亭は、1946年3月、「新宿の大旦那」と呼ばれた初代席亭の北村銀太郎(83年没)が建てた。最初は平屋だったが、客が殺到、数年後に2階を増築した。
<抜粋引用:2011.10.4 12:37 (1/4ページ)産経ニュース>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111004/ent11100412400011-n1.htm
まあ、「新宿末広亭」ですけど・・・・・・
初めて行ったのが、落語好きだた親父に連れられて、小学生3年のころだったか。
その親父、実は「落語好き」を通り越して、静岡、沼津から東京の浅草の酒屋に奉公に出て、
二十歳のころには二代目だったか三代目だったかの三遊亭金馬門下の通い弟子に。
で、満州事変のころに、兄貴の命で国鉄に。
おふくろと結婚したのが昭和18年、32のとき、まあ、大東亜戦争真っ只中・・・・・・
で、代々木上原を焼け出されておふくろの実家、高崎へ。
まあ、焼け出されてっていうか、おふくろの方は先に戦時疎開で実家に。
で、終戦で親父は東京駅勤務から、北高崎駅へ、多分転勤願いでも出したんだろうか。
まあ、そんなわけで、無類の酒好きだった親父は酔っ払うと落語をはじめる・・・・・・
で、そんな親父とご案内の「新宿末広亭」は未だ新宿にちんちん電車が走っていたころ。
おふくろの伯母の家が渋谷区本町にあったし、親父の姉さんちが大塚にあったこともあって、
親父、国鉄だったものでいわゆる「家族パス」とかで夏休み、春休みとかになると・・・・・
それから10年チョイほど経ったころだったろうか、まあ、バンドの仕事をしつつ、
バイトというか、結婚式のお仕事が、で、それが、ローカルなんだけど富岡市の「レストランすえひろ」。
で、そこのマスターがこれまた落語好きっていうか寄席が趣味で・・・・・・
まあ、昭和40年代のこと、富岡市商工会議所とかでの結婚披露宴となると、その「すえひろ」さんが仕出し。
で、そのマスターが「司会」をやったりして、余興にバンド演奏、そんな時代でした。
まあ、そんなわけで、そのマスターに連れられて、時に「新宿末広亭」通いです。
まっ、それが昂じて、バンドメンバーで、テナーサックスの狩野さん、コミックバンドに入っちゃいました。
で、あれよあれよというまに昭和60年代、東京恵比寿のギター工房で仕事をするようになって、
アレッ、と、気がつくと、得意先が新宿3丁目「石橋楽器」新宿店、まあ出張以外は毎日でした、営業。
で、そのほぼ真裏が、ご案内の・・・・・・
「新宿末広亭」
でしたから、まあ、否が応でも、通っちゃいました、平成8年まで。
で、その新宿末広亭、タタズマイっていうか趣きは親父に連れられて行ったときのまま。
木戸番には、どことなくそれらしき趣のあるオヤジさんが・・・・・・
で、僕はなぜか2階席が好きで、まあ、営業、仕事の合間ですからほとんどが昼席でした。
ですから、比較的空いてまして、まあ、今から30年近く前ですから、
柳家かえる、四代目柳家小せん、小三治、桂歌丸、米丸、 月の家円鏡 、三遊亭歌奴、etc
昭和50年代には”ツービート”も、あっ、ドンキーカルテットもありました。
で、時代は進んで21世紀、平成23年の今日、「新宿末広亭」。そのニュースに接して妙に懐かしく。
で、今や、新宿末広亭といって思い浮かべるのは、そうです!!
「柳家紫文」デス!!
「火付盗賊改方の長谷川平蔵が、何時ものように両国橋の袂を歩いておりますと…」と、ニヒルな風情で語る『鬼平市中見廻り日記(鬼平半可通)』が十八番。
<出典:wikipedia>
まっ、寄席で聴きたい見たい、あの雰囲気、空気でしか感じ取ることのできない・・・・・・
それも、「新宿末広亭」です。
あっ、末広亭、すぐそばの九州ラーメンだったか、とんこつ、時々食べました。
【柳家紫文】新宿末広亭で、
『鬼平市中見廻り日記を。
『鬼平市中見廻り日記を。

【新宿末広亭】
10月下席(21日~30日)
夜の部(17時~21時)
http://suehirotei.com/10gatsushimoseki/
何れかで・・・・・
ご都合のよろしい方、ご一緒しませんか?
予定日は近日中に。
東京・新宿末広亭 笑いを支えてきた粋「必要とされて続く」2011.10.4 12:37 (1/4ページ)
東京・新宿は、戦後日本の歩みそのまま、巨大に膨張し続けてきた盛り場だ。国内のみならず、さまざまな国の人たちが、この街の強烈な磁力に引き寄せられてきた。
欲望とエネルギーが充満する繁華街の一角に、そこだけ時間が止まったような建物がある。ちょうちんと手書きの看板。江戸時代の芝居小屋のような風情がある木造建築。寄席・新宿末広亭だ。
明治からの歴史を持つ建物は戦災で焼失。現在の末広亭は、1946年3月、「新宿の大旦那」と呼ばれた初代席亭の北村銀太郎(83年没)が建てた。最初は平屋だったが、客が殺到、数年後に2階を増築した。
<抜粋引用:2011.10.4 12:37 (1/4ページ)産経ニュース>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111004/ent11100412400011-n1.htm
まあ、「新宿末広亭」ですけど・・・・・・
初めて行ったのが、落語好きだた親父に連れられて、小学生3年のころだったか。
その親父、実は「落語好き」を通り越して、静岡、沼津から東京の浅草の酒屋に奉公に出て、
二十歳のころには二代目だったか三代目だったかの三遊亭金馬門下の通い弟子に。
で、満州事変のころに、兄貴の命で国鉄に。
おふくろと結婚したのが昭和18年、32のとき、まあ、大東亜戦争真っ只中・・・・・・
で、代々木上原を焼け出されておふくろの実家、高崎へ。
まあ、焼け出されてっていうか、おふくろの方は先に戦時疎開で実家に。
で、終戦で親父は東京駅勤務から、北高崎駅へ、多分転勤願いでも出したんだろうか。
まあ、そんなわけで、無類の酒好きだった親父は酔っ払うと落語をはじめる・・・・・・
で、そんな親父とご案内の「新宿末広亭」は未だ新宿にちんちん電車が走っていたころ。
おふくろの伯母の家が渋谷区本町にあったし、親父の姉さんちが大塚にあったこともあって、
親父、国鉄だったものでいわゆる「家族パス」とかで夏休み、春休みとかになると・・・・・
それから10年チョイほど経ったころだったろうか、まあ、バンドの仕事をしつつ、
バイトというか、結婚式のお仕事が、で、それが、ローカルなんだけど富岡市の「レストランすえひろ」。
で、そこのマスターがこれまた落語好きっていうか寄席が趣味で・・・・・・
まあ、昭和40年代のこと、富岡市商工会議所とかでの結婚披露宴となると、その「すえひろ」さんが仕出し。
で、そのマスターが「司会」をやったりして、余興にバンド演奏、そんな時代でした。
まあ、そんなわけで、そのマスターに連れられて、時に「新宿末広亭」通いです。
まっ、それが昂じて、バンドメンバーで、テナーサックスの狩野さん、コミックバンドに入っちゃいました。
で、あれよあれよというまに昭和60年代、東京恵比寿のギター工房で仕事をするようになって、
アレッ、と、気がつくと、得意先が新宿3丁目「石橋楽器」新宿店、まあ出張以外は毎日でした、営業。
で、そのほぼ真裏が、ご案内の・・・・・・
「新宿末広亭」
でしたから、まあ、否が応でも、通っちゃいました、平成8年まで。
で、その新宿末広亭、タタズマイっていうか趣きは親父に連れられて行ったときのまま。
木戸番には、どことなくそれらしき趣のあるオヤジさんが・・・・・・
で、僕はなぜか2階席が好きで、まあ、営業、仕事の合間ですからほとんどが昼席でした。
ですから、比較的空いてまして、まあ、今から30年近く前ですから、
柳家かえる、四代目柳家小せん、小三治、桂歌丸、米丸、 月の家円鏡 、三遊亭歌奴、etc
昭和50年代には”ツービート”も、あっ、ドンキーカルテットもありました。
で、時代は進んで21世紀、平成23年の今日、「新宿末広亭」。そのニュースに接して妙に懐かしく。
で、今や、新宿末広亭といって思い浮かべるのは、そうです!!
「柳家紫文」デス!!
「火付盗賊改方の長谷川平蔵が、何時ものように両国橋の袂を歩いておりますと…」と、ニヒルな風情で語る『鬼平市中見廻り日記(鬼平半可通)』が十八番。
<出典:wikipedia>
まっ、寄席で聴きたい見たい、あの雰囲気、空気でしか感じ取ることのできない・・・・・・
それも、「新宿末広亭」です。
あっ、末広亭、すぐそばの九州ラーメンだったか、とんこつ、時々食べました。
【柳家紫文】新宿末広亭で、
『鬼平市中見廻り日記を。
2011年10月05日
【狩野英孝】涙の公開プロポーズ、ラーメンつけ麺、ボク・・・
【狩野英孝】涙の公開プロポーズ、
ラーメンつけ麺、ボク・・・

自称“イケメンナルシスト”狩野英孝がお送りする“イケてる”DVD。
狩野英孝、結婚へ!涙の公開プロポーズ
“ラーメン、つけめん、僕イケメン!”のギャグでブレークしたナルシスト芸人に、年貢の納め時がやってきた。
お相手は5年前に交際をスタートさせ、2008年9月に写真週刊誌に撮られて熱愛が発覚した3歳年上のアツコさん。現在同棲中で、茶色いボブが愛らしい小柄な色白美人、下積み時代から支えた“糟糠の恋人”だ。
「ロンドンハーツ」(火曜後9・0)といえば、狩野に数々のドッキリを仕掛けてきた。昨年秋には狩野に浮気させようと美女を送り込み、アツコさんへの愛を試すなど、過酷な試練を何度も与えてきたが、今回は最高の味方となる。
<抜粋引用:2011.9.27 11:08 (1/2ページ)産経ニュース>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110927/ent11092711110007-n1.htm
まあ、ユニークである”イケメン芸人”・・・・・・
実家は約1500年続いていると言われる櫻田山神社で、継いだ場合は39代目に当たる。
<出典:wikipedia>
で、昨夜の「テレビ朝日系バラエティー「ロンドンハーツ3時間スペシャル」(後7・0)」、見てました。
愛しのアツコさんの素顔や、スベり芸人の結婚がスベらないかどうかは番組で明らかになる!
まあ、歌、あんまり上手くないけど・・・・・・
なんか「狩野英孝」さん、「素」な人柄だったんだなぁ~と。
彼女、美人だし、どうなんだろ?
実家に戻って、1500年続いている神社の「39代目」に。
まっ、キャラも固定しちゃってるし、中年になって「イケメン」もないだろうし・・・・・・
で、狩野英孝さんのご実家の宮城・栗原市っていったら、
ボクの友人の故郷です。そういえばチョット、似てるかも、20代のころなら(汗)。
まあ、それにしても、「島田紳助」引退後のテレビっていうか、バラエティー、
なんか、フツーに見てられます、仕切に嫌味がないです。つうか、チャンネル回さなくなりました。
もっとも、地デジで、あの顔って、チョット食傷が・・・・・・
元タレント、島田紳助さん(55)が電撃引退して1カ月以上が経ち、テレビ界は秋の改編期まっただ中。「視聴率王」といわれた紳助さんだが、早くもそのメッキは剥がれたようだ。看板番組は終了が相次ぎ、残る番組も司会交代後でかえって視聴率が跳ね上がっているのだ。
<抜粋引用:2011.10.04 zakzak>
まあ、どこを切っても「紳助」でしたから、高視聴率っていうか・・・・・
自然の流れでそうなってたのかもしれませんね。
つうか、総体的な視聴率低下って、テレビ離れかもしれません。
でも、「地デジ」って、つうか、テレビ、これ以上解像度よくなっちゃってどうするんでしょうか。
女優さんとか、それも往年の、あの人、この人、チョット(汗)。
【狩野英孝】涙の公開プロポーズ、
ラーメンつけ麺、ボク・・・
ラーメンつけ麺、ボク・・・

自称“イケメンナルシスト”狩野英孝がお送りする“イケてる”DVD。
狩野英孝、結婚へ!涙の公開プロポーズ
“ラーメン、つけめん、僕イケメン!”のギャグでブレークしたナルシスト芸人に、年貢の納め時がやってきた。
お相手は5年前に交際をスタートさせ、2008年9月に写真週刊誌に撮られて熱愛が発覚した3歳年上のアツコさん。現在同棲中で、茶色いボブが愛らしい小柄な色白美人、下積み時代から支えた“糟糠の恋人”だ。
「ロンドンハーツ」(火曜後9・0)といえば、狩野に数々のドッキリを仕掛けてきた。昨年秋には狩野に浮気させようと美女を送り込み、アツコさんへの愛を試すなど、過酷な試練を何度も与えてきたが、今回は最高の味方となる。
<抜粋引用:2011.9.27 11:08 (1/2ページ)産経ニュース>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110927/ent11092711110007-n1.htm
まあ、ユニークである”イケメン芸人”・・・・・・
実家は約1500年続いていると言われる櫻田山神社で、継いだ場合は39代目に当たる。
<出典:wikipedia>
で、昨夜の「テレビ朝日系バラエティー「ロンドンハーツ3時間スペシャル」(後7・0)」、見てました。
愛しのアツコさんの素顔や、スベり芸人の結婚がスベらないかどうかは番組で明らかになる!
まあ、歌、あんまり上手くないけど・・・・・・
なんか「狩野英孝」さん、「素」な人柄だったんだなぁ~と。
彼女、美人だし、どうなんだろ?
実家に戻って、1500年続いている神社の「39代目」に。
まっ、キャラも固定しちゃってるし、中年になって「イケメン」もないだろうし・・・・・・
で、狩野英孝さんのご実家の宮城・栗原市っていったら、
ボクの友人の故郷です。そういえばチョット、似てるかも、20代のころなら(汗)。
まあ、それにしても、「島田紳助」引退後のテレビっていうか、バラエティー、
なんか、フツーに見てられます、仕切に嫌味がないです。つうか、チャンネル回さなくなりました。
もっとも、地デジで、あの顔って、チョット食傷が・・・・・・
元タレント、島田紳助さん(55)が電撃引退して1カ月以上が経ち、テレビ界は秋の改編期まっただ中。「視聴率王」といわれた紳助さんだが、早くもそのメッキは剥がれたようだ。看板番組は終了が相次ぎ、残る番組も司会交代後でかえって視聴率が跳ね上がっているのだ。
<抜粋引用:2011.10.04 zakzak>
まあ、どこを切っても「紳助」でしたから、高視聴率っていうか・・・・・
自然の流れでそうなってたのかもしれませんね。
つうか、総体的な視聴率低下って、テレビ離れかもしれません。
でも、「地デジ」って、つうか、テレビ、これ以上解像度よくなっちゃってどうするんでしょうか。
女優さんとか、それも往年の、あの人、この人、チョット(汗)。
【狩野英孝】涙の公開プロポーズ、
ラーメンつけ麺、ボク・・・