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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2011年09月01日

♪のだぶのカンタービレ♪

♪のだぶのカンタービレ♪



ウナギイヌってぇのいたけど・・・・・・
どじょうブタ。





前原氏、また外国人献金 15年以上前から継続、計100万円

 民主党の前原誠司政調会長の政治団体が、在日韓国人が株の大半を保有する企業から平成8~15年、計約100万円の政治献金を受領していたことが31日、産経新聞の調べで新たに分かった。外国人献金問題で外相を辞任後、前原氏が行った内部調査からも漏れていた。15年以上前から継続して外国人から資金提供を受けていたことになり、改めて「政治とカネ」への甘い姿勢が露呈した格好だ。
<抜粋引用:産経新聞 9月1日(木)8時55分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110901-00000506-san-soci

まあ、前原とか・・・・・・

代表選出馬はかませっ、つーか賑やかしだったわけです。

まあ、こうも次から次へと、違法献金、半島からの。

つまり、「ノーサイド」とか、笑わせる・・・・・

はたして、今そんなことをいっているときなのかだ。

まあ、自民党が「確かな野党」になっちゃってるわけで、

日本共産党もパットしません(笑)。

で、国民大変なわけです。政治もこんな時だからこそドンパチやって欲しいんだが・・・・・

まあ、オレら世代からしてみると「野田」は次世代だから、ハッキリ言ってもうオシマイカモ(^^ゞ

戦後を知らない世代、「戦争を知らない」どころか、あの戦後を知らない。

もう後戻りはしないだろうなぁ、いや、角さんが54で内閣総理大臣だったけど・・・・・

一回り以上、上の福田さんを配していたし、8つ、9つ年上の大平正芳、鈴木善幸も。

まあ、政治の質が違っちゃったって言ったらそれまでだけど。

それにしても、世襲だの、培養(松下整形)だのの政治家が一端の昨今、金魚じゃない、ドジョウって話がちっさすぎる(笑)。

まあ、そういう問題じゃあないだろう・・・・・・

どうなんだ、原発の事故の今後は???

どうなんだ、円高は、年金問題は、そして更に国民所得が落ち込んでるってぇのに。

どこかでおかしくなった、そう、竹下政権、大蔵政権。

まあ、罠主党、コレで菅、野田と財務省政権、そして岡田が財相ですか(嗤う)。

3.11・・・・・・

何事もなかったかのようなこの空気は一体何なのか???

数千億円規模でのアレバ社とかの原発汚染水処理は失敗で、無駄ガネに。

で、今度は、東芝のサリーとか。

だって原発は東芝製じゃあないの、ライセンんスだけど・・・・・・

PL法はどこへ行っちゃったの???

小沢の復権はないと思うな、残念だけど、勝負どころ10年遅かったかも(^^ゞ

で、結局復興支援の予算は呑まれちゃったみたい(嗤う)。

しかし、なんで「のだぶのカンタービレ」なのかがさっぱりわからない。

菅政権の現職閣僚、財務大臣、あっ、そういうことですかとしか・・・・・

ドジョウっていうよりナマズ。

♪のだぶのカンタービレ♪

  


Posted by 昭和24歳  at 19:53Comments(0)

2011年09月01日

【温故知新】省線の時代と、どぜう政権を思ふ。

【温故知新】省線の時代と、
どぜう政権を思ふ。






ドジョウ宰相、父親が自衛官と外交心配する中国

 海外メディアは、自身を「ドジョウ」にたとえた野田新首相について「謙虚さの表れ」と好感しつつも、難局に直面する日本を率いる指導力がどれほどあるのか注視している。

 【北京=関泰晴】中国共産党機関紙「人民日報」(31日付)は「野田氏は『ドジョウ政治』を努力して実行する。低姿勢で一生懸命にやり、一歩ずつ進めると表明した」と報じた。

 野田氏の人柄について、「参考消息」(同)は「民主党内で多くの人が篤実で礼儀正しいという印象を持っている」と伝えた。

 民主党代表選挙で野田氏が勝利したことについて、中国では「ダークホースの当選」とする論評も多い。一方、野田氏の父親が自衛官だったことから、「外交について心配する世論が多数を占める」と指摘する報道もある。

<引用:読売新聞 8月31日(水)23時24分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110831-00000963-yom-int

父親が千葉の農家の9人兄弟の末っ子で、確か。

母親が富山の農家の12に兄弟の末っ子、確か。

で、結婚式は挙げてません・・・・・

まあ、あの時代昭和30年代、どこにでもあった話です。

そうですか、ご尊父様は「自衛官」とか。



子どもの頃・・・・・

父はそれを「省線」言っていた。

大塚の三業地で父の姉、伯母が旅館をやっていた。

旅館と言っても、後で知ることだが、それは「温泉マーク」。

その省線が、大塚の駅に近づくと伯母の家の「温泉マーク」がすぐに目に入った。

よく伯母に連れられて大塚駅から都電で池袋まで行った。

「ほら・・・あそこ、昔、刑務所だったのよ」

と、伯母は話してくれた。

「巣鴨プリズン」。

今は「サンシャインシティ」となっている。

西武鉄道、堤家が払下を受けたのか・・・・・・

元々が国有地、堤康二郎が代議士の時代ではなかったか。

その時代・・・・・戦後10年。

まさに「ホームレス」の時代・・・・・

当時、省線の駅と言う駅の路地裏は怪しげな「市場」に黒山の人、人、人。

そんな市場は停電はいつものことで、テント張りの露店はカーバイトのカンテラの灯り・・・

とても臭かったのを覚えている。

あれからもう50年からの時が過ぎた・・・・・

時々仕事で大塚に行くことがあるが、その面影を教えるものは・・・ない。

あるとすれば、都電荒川線の「線路」くらいだろうか・・・・・

チンチン電車は冷房完備のスマートな形になっている。

昔のそれを知る者は、もうそうは多くないのではないだろうか。

7人のA級戦犯が処刑された「巣鴨プリズン」。

その翌日、戦後史「自民党」の首魁が無罪放免になっている。

そして、その子、孫が、今尚「永田町」の雛壇を飾っている、この妖気さが・・・・・・

この国の本当の姿なのではないのだろうか。

中学生が母親を切りつける、小5の女の子が「家に帰りたくない」と、中年男と・・・・・

幼児虐待、子殺し、親殺し・・・失業、倒産、ホームレス、自殺。

精神的に未成熟な永田町の住人にはかつての「焼跡」は思い浮かぶことはないのだろう。

新宿のションベン横丁・・・・・

渋谷にも、新橋にも、有楽町にも・・・・そして上野には今もある。

西日暮里の「駄菓子屋横丁」等はその時のままにある。

山崎元幹事長がテレビで言っていた・・・・・

「北朝鮮と事前折衝は米国大使館にも話してあります」と。

米国も未だ、ホームレスは凄いと言う。

イラクの女性兵士・・・・・トレーラーハウス育ちの貧困層だと言う。

この時代、兵士になるのはそうした社会の歪に暮す人たち。

この国もそうだ・・・・・

今は、「自衛隊」は、隊員募集はしていないのだと言う。

徴兵でもしようと言うのだろうか・・・・・

枝葉末節の年金騒動。

国会議員・・・・国民年金にしろ、厚生年金にしろ、本人、秘書、運転手。

これは完全な「脱税」なのだ・・・しかし誰もそれを言わない。

政治不信、無力な政治家を俎上に上げて槍玉に・・・・・

国民への「ガス抜き」だろうか。

これで参議院選挙、前代未聞の体投票率なら「自民党圧勝」。

小泉首相は「国民に信任された」と言って憚らないでしょう。

戦後、占領軍、米国によって与えられた「憲法」と、「米国型民主主義」。

国民が闘争、汗と血で勝ち取った「それ」ではない。

「巣鴨プリズン」知る僕等世代、戦後のバラックを知る僕等世代・・・・・

今度の選挙は最後のチャンスかも知れない。

米国型、民主主義はこの日本国民に刃を向けるだろうか・・・・・

僕等の世代・・・・ひとりひとりが真剣に考える最期の時間かも知れない。

次世代が、飢え、苦しむ・・・・・・このままでは想像に難くない。

少なくとも僕等の子育ては憂鬱な時代ではなかった。


↑の日記は7年前に書いたものだが、今なお、政治は面妖である。

【温故知新】省線の時代と、
どぜう政権を思ふ。


  


Posted by 昭和24歳  at 16:48Comments(0)

2011年09月01日

レストラン“シャンゴ”

レストラン“シャンゴ”



高崎パスタのルーツは「シャンゴ」にあり

 ●スパゲティ専門店の草分け

 昭和45年に請地町で「シャンゴ」を創業。「当時、高崎市内でスパゲティをやっていたのは、連雀町にあったレストラン『かもしか』さんとうちだけ。ミートソースとナポリタンの時代でした」と関崎さんは笑う。

 モータリゼーションの時代を察知し、昭和47年に問屋町に移転。店舗はオープンキッチンで、丈の高いシェフハットにコックコート、ソムリエエプロンを身に着けた料理人たちの働く姿が斬新で活気があった。「今から約20年前頃は、個店として乾麺の消費量は全国一でした」という。「高経大のOBの方が、シャンゴのスパゲティが自分にとって初めてのご馳走だったと話してくれたときは嬉しかった」と、自身が築いた一時代を振り返った。


●日本初のスープスパゲティを考案した人


 関崎さんは職人として料理道を歩んできた。「料理人は勇気を持って料理を紹介していく義務がある」というのが口癖だ。当時人口約22万人の高崎という田舎で店を経営していけるか、不安がなかったといえばうそになる。しかし、群馬県の食は粉文化。スパゲティは必ず受け入れられると考えた。ボンゴレのスープスパゲティは関崎さんが発案者。辛口の“ベスビオ風”というのは他店でも定着しているが、これも関崎さんがベスビオ火山の名からとった。他に独特な甘いミートソースや、ロースカツの上にたっぷりミートソースでお馴染みのシャンゴ風スパゲティなど、ファンを引きつけた名品を誕生させた。

 シャンゴといえば大盛り。これが高崎のスパゲティの主流になった。関崎さんは昭和14年生まれで小学1年生で終戦を迎えた。日本中が腹をすかせ、腹いっぱい食べることが夢の時代だった。関崎さんのトラウマが、シャンゴの大盛りスパゲティを生んだ。

<抜粋引用:高崎商工会議所 『商工たかさき』2009年8月号>
ソース:http://www.takasakiweb.jp/toshisenryaku/article/2009/08/01.html


関崎社長に最後にお会いしたのは・・・・・・

一昨年の、「どっと楽市」だった。

「おうっ、元気か、たまには遊びに来いよ!!」

お孫さんを連れて上機嫌のご様子。

アレは僕がキャバレーニュージャパンでドラムを叩いてた頃・・・・・・

休憩時間によく、請地の“シャンゴ”へ食べに行った。

まあ、その“シャンゴ”へは同級生の経大生がバイトをしていたので、

「へぇ~、コレがスパゲッティか・・・・・」

まあ、いろんな種類があったんだけど、僕が注文したのはいつも、

「ナポリタン」

で、「ナポリタン」とはいっても、“シャンゴ”のそれはトマトケチャップのそれじゃあない。

プリンプリンした、エビとマシュルームたっぷりのソレ。

「おいっ、たまには違うの食ってみろよ」

そういうマスター(当時)、関崎社長。

キッチンは奥さんと二人で、そのキッチンの裏では赤ちゃんの鳴き声。

で、ホールtかいっても、確かテーブル数は4、5つで、カウンターが4、5人・・・・・・

で、とうとう、その請地の“シャンゴ”では僕はずっと、ナポリタン+野菜サラダだった。

「今度、問屋町に移転するんだけど、来てくれよなぁ」

昼休み時に行くと、ちょくちょく隣の砂盃米穀の若旦那となにやら謀議(笑)。

まあ、当時のことだから、“シャンゴ”、問屋町、郊外への移転は可也の冒険だったのかもしれない。

「あっ、畠山がヨロシク言ってました」

高経を卒業して、上野の酒田貿易に就職していた郡山出身の面白い奴・・・・・・

その“シャンゴ”では2年間バイトをしていた。

時々、そんな畠山君とも上野で飲んだりしてたので、よく、“シャンゴ”の話となって、

「マスターによろしく言っといて」

そんな畠山君も、“シャンゴ”が問屋町移転の話を聞いて・・・・・・

「あそこ、なんにもねぇところだろ」

そう言って心配していたが、確かに高前バイパスが開通したかのちょうどその頃であった。

問屋町に移転した“シャンゴ”、しばらくはマスターがオープンカウンターの厨房で、

数人のコック見習いさんを怒鳴り散らしながら、忙しくしていた。

「おいっ、これ食ってみろよ・・・・・・」

ソレは、「マーレートマトソース」とかいうパスタ。

当時の「マーレートマトソース」はスープ仕立てで、現在は“シルクロード”がそのまんまだと思う。

で、その「マーレトマトソース」はいつしかスープ仕立てではないものに変わってしまっていた。

「ペスカトーレ、食ってみるか?」

まあ、マーレトマトとペスカトーレじゃあ麺の太さが違うし、スープも違う・・・・・・

「マスター、あの、マーレ、もうやんないの?」

「アアッ」

どうやらその頃から、マスター、社長業が忙しくなったと見えて、

厨房にその姿を見ることもほとんど無くなった。

そんなマスター、昭和50年代初め、従業員、社員を連れて僕が出ているクラブへ時々遊びに来た。

「今度お前のバンドでうちの店でパーティーでもやるか」

アレから30年、とうとうその夢、僕にとっての夢だったが、それは叶わぬまま幕は閉じた・・・・・

“シャンゴ”のスパゲッティー。

ソレは、ここ高崎だけの味である、間違いなく。

仕事で、札幌、釧路、大阪、博多と全国で“イタメシ”なるものをいただくが・・・・・・

この“シャンゴ”の味に勝るものを知らない。

平成23年8月17日、合掌。

レストラン“シャンゴ”



  


Posted by 昭和24歳  at 14:14Comments(0)

2011年09月01日

【島田紳助】マル暴容認発言で、小倉智昭「クビ」 !!???

【島田紳助】マル暴容認発言で、
小倉智昭「クビ」 !!???




まあ、なんでも書けちゃう、
「東スポ」ですけど・・・・・(^^ゞ




紳助擁護発言の小倉智昭「クビ」

島田紳助を擁護した小倉智昭キャスターの舌禍騒動が、最悪の結末を迎えそうだ。24日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)で、マル暴との交際を擁護する発言で物議を醸し、その後釈明したものの、騒動は政界にまで波及。事態を重く見たフジ側は小倉氏の降板だけでなく、番組打ち切りの方向で話を進めている。
<引用:2011年09月01日(木)付 東京スポーツ>
ソース:http://www.tokyo-sports.co.jp/touspo.php



「みなさんの周辺でも、闇社会の人が解決してくれるってことは起こるはずなんです」

まあ、経験者は語る、だけど・・・・・・ 

↑ やっぱり、小倉さん、無茶苦茶な発言(^^ゞ




↑ やっぱり小倉さん、補足説明って!!???

で、コレ↓、小倉さん補足説明して・・・・・

>ありがとうございます!感謝です。二郎さんと会長に守られていると思うと心強いです!これからもずーとがんばります
>なんか凹みますわ!気よわいですわ!あんまり上いくとあきませんね。なんやかんわ言われて、ヤカラですわ!今日は大阪の自宅です。秋から寿司屋やろうと、昼から会議です。二郎さんは今日は大阪ですか?

>保釈されればいいのに
>どれくらい求刑するんでしょうか
>会長に心配していましたという前に、伸助、心配しとったんやといわれました!
>今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。橋本会長には、くれぐれも、くれぐれもよろしく、お伝えください
>会長心配です!ほんま警察むかつきますね!昨夜山下頭の夢見ました。会われたらよろしくお伝えください

<週刊朝日【紳助→渡辺メール】抜粋引用>


【島田紳助】マル暴容認発言で、
小倉智昭「クビ」 !!???



  


Posted by 昭和24歳  at 07:50Comments(1)

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