グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2011年05月10日

菅直人首相と、ベクレルとシーベルト。

菅直人首相と、
ベクレルとシーベルト




「首相は、カイワレ大根を食べ風評被害を飛ばした魔力を持っている」
ソース:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110415/plc11041523540033-n1.htm


首相「食べて飲んで応援」=福島県産品の安全性アピール
時事通信 5月8日(日)17時49分配信

 菅直人首相は8日、東京・八重洲のアンテナショップ「福島県八重洲観光交流館」を訪れ、みそや日本酒を購入し、福島第1原発事故による風評被害を受けている同県産品の安全性をアピールした。
 「きょうは食べて飲んで応援する気持ちで来た」と首相。館内を試食しながら回り、みそ、日本酒、菓子など計8158円分を買った。その後、記者団にも「風評で売れないことがないよう、おいしくて安全なものはぜひ買ってほしい」と訴えた。
 首相官邸に戻った首相は、インターネット上でオンラインショップを取り扱うヤフーや楽天などの役員と懇談。「(東日本大震災の被災地の)応援はどこに住んでいても可能だ」と述べ、ネット通販を通じた復興支援への協力を求めた。 

<引用:時事通信 5月8日(日)17時49分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110508-00000046-jij-pol

まあ、65歳とか、前期高齢者、

直ちに健康に害はありませんから、どうってぇこたァないわけです。

まっ、ここから30年以内の死亡率100%ですから(^^ゞ

で、もう、ベクレルとかシーベルトの基準値とかですけど・・・・・・

産経ニュースとか↓

・・・・・いずれも暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出され、最大測定値はタケノコが伊達市で1820ベクレル、コゴミが桑折町で1460ベクレルだった。
ソース:http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110509/dst11050913030013-n1.htm

で、タケノコとかコゴミの基準値が1kgあたり500ベクレルとかなんだが・・・・・・・

コレ↓

4月26日に各地域で3か所ずつ計6か所で牧草を採取、1キロ・グラムあたり、前橋市富士見町で750ベクレル、高崎市箕郷町で530ベクレル、館林市で440ベクレルの規制値を上回る放射性セシウムがそれぞれ検出された。
ソース:http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20110506-OYT8T00881.htm

まあ、タケノコ、コゴミの規制値とかなんだが↓

・・・・・・国は精肉や牛乳が食品衛生法上の放射性物質の暫定規制値を超えないようにするため、牧草にも規制値を設定している。牧草1キロ・グラムあたり、乳牛用は放射性セシウム300ベクレル、同ヨウ素70ベクレルで、肉牛用はヨウ素は設けず、セシウム300ベクレルとしている。
ソース:http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20110506-OYT8T00881.htm

で、牛の食べる牧草の規制地はセシウムが300ベクレルだけど・・・・・・

人間の食べるタケノコとかコゴミのソレが、セシウムで1kg当たり「500ベクレル」っておかしくない ???

どう考えたって、牛の方が人間より大きいわけだし、まあ、胃袋は4つあるし(^^ゞ

それにしても、基準値とか、「直ちに健康には」とか情報が錯綜し放題です。

まあ、高齢者はいいんですけど、ハッキリ言って、子供はいい迷惑ですね、ホント。

で、コレなんだけど↓

川内村92人、一時帰宅 警戒区域初、滞在は2時間

 東京電力福島第1原子力発電所から半径20キロ圏内で、立ち入りが禁止されている「警戒区域」内に自宅がある住民の一時帰宅が10日、始まった。この日は福島県川内村の54世帯92人が帰宅。同区域に指定された9市町村で初の一時帰宅となった。滞在時間は約2時間で、持ち出し品は縦横約70センチのポリ袋1枚に入る分量に限定。原則、1世帯1人だが、多くが2人での参加を申請、認められた。
<引用:産経新聞 5月10日(火)15時26分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110510-00000133-san-soci

この、警戒区域の基準値って、どうなってんだろか ???

2011年4月21日、政府は福島第一原発から20キロ圏内の2市、5町、3村を警戒区域に指定して警戒区域への立ち入りを基本的に禁止することを発表した。今回指定された警戒区域へは、これまでの警戒勧告と異なり法律によって立ち入り禁止されています。もちろん、警戒区域に指定されている間は農業や酪農を行うことも出来ません。
<引用:2011年4月21日 農業ニュース>
ソース:http://www.nougyou-x.com/?p=493

で、20キロ圏でくくっちゃって大丈夫なのかと・・・・・・

21キロは、30キロはってぇ話になっちゃってるわけです。

福島第一原発3号機、圧力容器の温度上昇
< 引用:2011年5月7日 19:41 日テレニュース24>
ソース:http://www.news24.jp/articles/2011/05/07/07182309.html

菅直人首相と、
ベクレルとシーベルト


  


Posted by 昭和24歳  at 20:26Comments(1)

2011年05月10日

「復興の中のニッポン」。

「復興の中のニッポン」。



人生の深みと温かさが、心をゆるがす感動の物語。 かつて、ひとりの娼婦がいた。彼女の名前は"ハマのメリー"







あれは昭和30年頃だったろうか・・・・・

母に連れられて渋谷の伯母の家に行った時の話。

新宿駅からの京王線、「京王帝都鉄道」はまだ路面を走っていた。

今では超高層ビルの林立する副都心だが、あの頃は「淀橋浄水場」を囲むようにして・・・・・

「バラック」が土手にへばりついていた。

初台の駅を降りて甲州街道をまたぐ。

「水道道路」に向かって細い路地を行くとそこには無数の「バラック」が。

伯母の家はその「水道道路」を少し入った数分の所。

戦後復興で、タイル職人だった伯父は何人もの職人を使い進駐軍キャンプ・・・・・・・

横田とか福生の米軍住宅のタイル工事とかで滅法景気が良かった。

小学生だった僕は夏休みになるとそんな伯父の後について「アメリカ」を見るのが楽しみだった。

風呂場、いや、バスルームとか言ったんだろうか天井までがタイル張りで、

とにかく面白いと思ったのが、風呂と座式トイレがおんなじ部屋にあったこと。

「風呂桶と便所が一緒だなんて、アメリカ人って変だなぁ」

って、思わずにはいられなかった。

その昭和30年チョイといえば、それは東京大空襲の戦災で焼出され・・・未だ10年余。

今言われる「勝組」、「負け組」が可笑しいが・・・・・・

その時がまさに「それ」、勝組、負け組が背中合せに生きていた。

まあ、さしずめ、どんな理由かは知らなかったが、伯父はその羽振りからいって勝ち組。

しかし、僕の知ってる限り、当時、僕の父をはじめ、ほとんどが「負け組」。

父なんかは復員兵で、ポッポ屋で、年端もいかないMPに毎日どやされていたとか。

昔、母が話してくれた、新宿、水道道路・・・・・・

父も母も戦時中はそこに暮していたと言う。

子どものいなかった父母は、空襲の最中、防空壕には入らずに、炎火をくぐるようにして逃げ惑ったとか。

何のことはない、防空壕に逃込んだ人たちはみんな蒸し焼きにされてしまったと・・・・・

つまり、米軍の空襲から逃れるために、子どもを守るために防空壕に我先にと入った親子は不運にも。

つまり、人生って分からない。

防空壕に入れて、「ラッキー」と思っていたら、蒸し殺しされてしまって、

子どもがいないからと、防空壕を遠慮して生き延びることができた。

「人生って分からない」。

そして、そんなこんなの毎日、からがらに、母は実家、高崎まで逃げてこれたと言っていた。

父はその当時、東京駅に勤務していて、そのこともあってか、幸運にも母は汽車には乗れたらしい。

で、その水道道路の「バラック」だが、それは東京オリンピックまでには・・・・・・

そう、それは、まるで何事もなかったように記録から消された。

その水道道路の土手にへばりつくようにしてバラックに暮らしていた子ども達。

母も伯母も僕がそこに近寄ることを許さなかった。

かき消された記録・・・・・

でも、僕の記憶には今も鮮明にその光景は残っている。

そして、伯母も、伯父も、父も母も・・・・・もう、いない。

あの時のあの光景・・・・・

あの時代の言葉を借りれば「神」も「仏」もない。

幸いに僕はその記録がかき消された跡を生きている。

あの時の僕と同じくらいの年の子ども達は今・・・何処にいるのだろうか。

どこでどうしてるだろうか、初老を迎えながら・・・・・・

暗闇の地べたにへたりついていた、オジサン、オバサンたちのその後は。

記録とともに消されてしまったのか・・・・・




新宿淀橋浄水場、現在のの新宿副都心です。その向こうに水道道路がつながる・・・・・・


それとも、記憶の中のまま何処かで暮しているのだろうか。

「戦災孤児狩り」、「パンパン狩り」。

狩られた少年少女たち、お姉さん、お兄さんたち。

いったい何処へ行ってしまったんだろう。

阪神淡路大震災のときもそうだったが、それ以上の甚大な被害の東日本・・・・・・

50余年の時を経てテレビに映し出される被災地の被災された人たちのその姿。

一応に、「頑張れ東北」をいうが、もしかしたらもうすぐみんな、そのことを忘れてしまうのかもしれない。

そして、取り返しのつかない原発事故が起きてしまった今・・・・・・・

空気は、なぜか忘却を急いでいるかのように思えて仕方がない。

そんなことでいいのだろうかと、自問するが、悲しいかな答えが見つからないのは何故。

そして、浜岡原発停止とかだが、「経済」、そこには「福島」の教訓は懸念もない。

そしてそのことの記録は消されては塗り、塗っては消すを繰返すばかり。

でも、記憶は絶対に消すことは出来ない。

今、時代を違えて「水道道路」が東京の彼方此方に見える・・・・・・

「直ちに」とか「冷静に」とか、何万弁と虚言、妄言、そして強弁を繰返す為政者。

どうしようもねえな・・・・・

60年と生きてきて、つくづくそう思う。

何がどう変わっていくんだろうか、偽装されるかの事象の中に。

「復興の中のニッポン」。

  


Posted by 昭和24歳  at 18:51Comments(0)

< 2011年05>
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ