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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年12月23日

戸倉ダムに隠された八ッ場ダムという組織犯罪

戸倉ダムに隠された八ッ場ダムという組織犯罪






「八ッ場ダムと同規模の戸倉ダムが6年前に消えたのはなぜ? 」
より抜粋引用。

「八ッ場ダムの隠された真実」

戸倉ダムは昭和47年ごろから計画が始まったもので、八ッ場ダムとはほぼ同時進行で推移してきたものです。

日本広しといどもこれほど条件が揃ったダムは他にはありません。
総貯水量9400万トン(八ッ場ダム10、700万トン)と9割ほど。湛水面積200ha(八ッ場310ha)と面積は3分の2で済みますし(その分深い)遜色ない規模です。

何よりもすばらしいのは、水没人家なし。土地の9割が東京電力所有地、群馬県片品村の住民こぞって完成を願ってました。勿論反対住民はほとんどなかったというものです。(当時私は片品村の住民でした)只、猛禽類の生息地域でその事は心配の種でしたが。

驚くべきはその費用です。戸倉ダム1230億円 これは取り付け道路数キロ一本と150mほどの橋梁一本のみで済み、ほとんどがダム本体の工事費で八ッ場と比較する上で多めに見積もったと言われてます。従って下流域の負担金は例えば埼玉の場合190億円、方や八ッ場ダム574億円と戸倉の場合3倍です。

同時進行の両ダムをしっかりと比較検討、精査したなら戸倉を採用せざるを得ない筈にも拘らず、八ッ場を選んだのは各都府県が如何に杜撰であったか、そうでなければ地元自民党政治家の犯罪の臭いすら感じさせるこのような一連の動きに加担したことになります。



戸倉ダム  1230億円
八ッ場ダム 4600億円


そして例えばとして・・・・・・

埼玉の場合、戸倉ダムなら190億円、方や八ッ場ダム574億円と3倍です。



戸倉ダム中止に関する、
平成17年12月_一般質問 白石孝一 議員


Q:思い起こせば、ちょうど二年前のことであります。平成十五年十二月定例会において、私は、本県の水需給の下方修正が必要ではないか、そして本県が参加している水資源開発施設についても見直しが必要ではないかと質問させていただきました。
・・・・・・・水需給の見直しを明らかにした上で戸倉ダムから撤退したことは、知事の大英断であったと考えております。
 しかし、ダム建設を中止したからといって、工事中で放置しておくわけにはいかないと思います。ダム建設中止後の対応には、いろいろ問題もあったかと思いますが、結果として今回の戸倉ダムからの撤退で埼玉県の負担はどのようになったのか、この点について総合政策部長にお伺いいたします。


A:・・・・・・・その結果、ダム本体事業費で比較すると、参画を継続した場合約241億円であるものが、撤退したことにより約58億円となり、約183億円の負担軽減となりました。
 次いで、財団法人利根川・荒川水源地域対策基金事業では、当初計画では約28億円の負担となっておりましたが、見直した結果約15億円となり、約13億円の負担軽減となりました。
 以上、合わせまして、本県といたしましては、約196億円の負担軽減が図られたものでございます。



「本県といたしましては、約196億円の負担軽減が図られたものでございます。」

嘘を言うなって・・・・・・

利水、水需給から八ッ場ダムがどうしても必要と574億円負担重増となってるではないか(笑)。
東京都も同じだ、どうしてカネも3倍もかかり、住民負担も比較にならないほどのしかかる八ッ場ダムから中止、撤退せず、
県民、都民負担の思い、カネ喰い虫の八ッ場ダム建設に執拗に迫るのか・・・・・・

これでは一都三県、そして国の公共事業がらみの組織犯罪ではないか!!???

どうしてもダムが必要というのなら、八ッ場ダムと比較して、
地元住民の負担もほとんどない、しかも建設費は八ッ場ダムの3分の1ですむ・・・・・・
戸倉ダムで良い!!!

これは、八ッ場ダム建設推進派知事の犯罪です!!!

  


Posted by 昭和24歳  at 17:13Comments(0)

2009年12月23日

僕の細道「大類里街道」

僕の細道「大類里街道」



昭和27年冬、三輪車に乗る昭和24歳、数えで3歳。


僕が3歳の頃の話である。

昭和27年・・・・・

それは八間道路を東に伸びた今では国道に出世したとかしないとかの、伊勢崎街道なんだろう。
その“大類里街道”は今はない。八間道路が盛んだったころまではそのひとつ辻、南にそれはあった。
その昔・・・・・その昔とはいっても、相当昔のことである。
NHK大河ドラマで言えば“風林火山”のころのチョイトあと。そんな時代の話だ。

高崎の古地図を見ると、その八間道路のところの、東二条通と交差する辺りでその地図ではどんづまりになっている。
そこの交差点のすぐ西にある寺、“法輪寺”はもともとが箕輪の長野氏の下にあり、秀吉の時代の高崎築城のおりにそこ、箕輪から移築されたとか・・・・・・
16世紀半ばの話だから、相当に古い話といえば、古い話には違いない。
で、その「八間道路」だが、法輪寺山門の一角は現在でもその「八間道路」を含めて(多分寄贈)、いわゆる昔あったとされる大類里街道までが法輪寺の所有である。

何もそんな古い話をしようというのではないが、思いつくままに書くものだから、話がどこでどういう風に転がっていくか自分でもわからない・・・・・・

その、国道に昇格したかも知れない伊勢崎街道の“大類里街道”・・・・・・

つい先だって、地域住民の宿願ともいうべき「開かずの踏み切り」が、地下トンネルになり「開いた」。
ぼくのいう、その大類里街道は、開かずの踏み切り以前の、まだ走る自動車もほとんどなく、もちろんそこには交通信号などもなかった時代の話だ。
その、開かずの踏み切り」のところには、上信越両毛線の踏切で、それこそ時間ともなれば行き交う電車の数は半端でなく、結果、「開かずの踏み切り」という名前になってしまったのだ。

で、その大類里街道だが・・・・・・

僕が3歳のころといえば、その踏切には、遮断機を上げ下げする鉄道員のオジサンがいて通行の整理をしていた。
そこばかりではない、ほとんどの踏み切りという踏切には、踏み切り番小屋があって、そこでオジサンが踏み切りの番をしていた。
その時代、その踏切から向こうには、今はパチンコ屋になっている古川鉱業、その対面は駐車場になっている高崎製紙工場・・・・・・・
そして、その東は「東三条通」になるのだが、そこから先には田んぼが見渡せたそんなのんびりしていた時代のことである。

実は僕の父は終戦直後まで勤めていた東京駅から戦災と言うこともあって母の実家・・・・・
当時は未だ“碓氷郡豊岡村字引間”だったがそここを頼りに、高崎新田町に転居。
そこから敗戦直後、転勤願いで父は“北高崎駅”に、そこで“ポッポ屋”の生涯を終えた。

3歳の頃の僕はどうやら、そんなポッポ屋の父を知ってか知らずか、
なにかとその“大類里街道”の踏切で汽車を眺めるのがこよなく好きだったとか・・・・・母が言っていた。

その豊岡村から祖父祖母が来ると必ずその“大類里街道”の踏切をねだったと言う。


「おまえはちょいと目を離すと踏切まで行って踏切番小屋でオジサンに抱っこされていたんだよ」

と、母がよく言っていた・・・・・ ・・・・・

どうやら、当時父に非番の時など北高崎駅の渋川県道踏切小屋の中で抱っこされながらいつも汽車を眺めていたので、
そんなこともあってだろうかとにかく“汽車”を見るのが好きな子どもだったようである。

家は、東小学校のすぐ北側、日清製粉の正門脇路地の中ほどにあったのだが、
そこから東小の校庭を抜け、時には三輪者を駆って賛光ネオン、東京ガス、田島ガラスの前を抜けそこ踏切で汽車見物を楽しんでいたとかいないとか・・・・・

もちろん当時は自動車はほとんどなく、自転車引きのリヤカーか大八車。
多分未だ舗装はされてなかったのではないだろうか昭和28年の八間道路“大類里街道”・・・・・・・

そう、その大類里街道の先は子どもの頃の僕らには“未開の地”であった。
弓町の交差点、天田自転車店、関口新聞店の隣には“中央バス”の車庫と営業所があった。
そこからは“伊勢崎行き”のバスが出ていた・・・・・

子どもながらに「伊勢崎って・・・・・どんな所なんだろう・・・・・」

って、いつも思っていた記憶がある。

小学校低学年の頃の僕らの探検地は“江木橋”界隈だった・・・・・
とにかくあの頃は“江木橋”まで行くと言うことは月面探検に行くほどの思いで、
少々大げさだが、死を覚悟するほどの思いで行ったものであった。

そうだ、何でもその辺りの“川”長野堰を大川といい『一貫掘り』とかいう場所があって、
そこへ泳ぎに行って水難にあった子どももいたので、親たちからはその『一貫掘り』には近づくなとよく言われていた。
でも台風の後の一貫掘り、怖いもの見たさに内緒で子どもたち同士よく行った・・・・・

ところでその“長野堰”は四、五世紀の古墳時代の稲作、水田の為の治水行政で整備されたとかされなかったとか。

その“大類里街道”は“いざ鎌倉!!”のそれにつながるとか・・・・・

そういえば、ここ西上州は古墳群がものすごい。
その数は、関西、畿内など問題じゃあないというではないか。

とにかく歴史は作られては壊され、時に捏造偽装・・・・・・・
つい最近知ったことなのだが、通町にある「大信寺」には徳川将軍の弟が高崎城に幽閉され、そこで自害させられたとかの、
将軍の弟、駿河大納言・・・・・
そんな御仁の廟が静かに眠っている。つまり水戸黄門さまの従兄弟の御墓である。

どうして、高崎も案外面白い・・・・・

まあ、和田氏300年、徳川300年、そして明治、大正、昭和、平成はまだ200年に届かない。
しかし、最近その法輪寺界隈を通ってみたが、昭和の頃の道は跡形もなくなっている。区画整理とかで。
なんの都合で、どうしてそうなってしまったのか・・・・・・
そしてそうしなければならない理由がどこにあったのかどうしても知りたくなった。

  


Posted by 昭和24歳  at 15:57Comments(1)

2009年12月23日

「JIN」最終回25・3%

「JIN」最終回25・3%





大ブーイング!ぐだぐだ最終回「JIN」映画化?TBS意外な反応
12月22日16時57分配信 夕刊フジ

 20日に最終回を迎えたTBS系日曜劇場「JIN-仁-」の終わり方に、一部の視聴者から戸惑いの声が上がっている。謎を解かぬまま、続編がありそうだと思わせる内容だったが、続編や映画化の噂にTBSは意外な反応を示した。

 ドラマは、連載中の漫画が原作。現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁を大沢たかお(41)が好演、医療器具も満足に無い時代に江戸の町人たちを救おうとする歴史SF。

 回を追うごとに反響を呼び、最終回の平均視聴率は25.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)と、今年放送されたすべての民放ドラマで最高の数字を記録した。とくに、中谷美紀(33)演じる花魁・野風の乳がんの手術を終えた仁が、地中に埋めていた現代の恋人・未来(中谷=2役)の写真を取り出すシーンは瞬間最高視聴率29.8%をマーク。ここまでは、良かった。

 ところが、物語は、さまざまな謎が放置されたままラストへ。これまでの回や番組宣伝で、その正体が思わせぶりに紹介された包帯で巻かれた男や、内野聖陽(41)演じる坂本龍馬のその後など、視聴者が気になる部分は手つかずのまま。最後は「えっ?」という仁のせりふで終わったのだが、放送直後から「見ているこっちが『えっ?』だよ!」というツッコミがネット上にあふれた。

 毎回、放送を楽しみにしていたという時代劇ライターのペリー荻野氏も「えーっ!」とあぜんとした1人。「これは映画かスペシャル番組があるのだろうと思わざるを得ない」と言う。



実は最終回は見過ごしてしまっていたのでした。

見ていた、カミさんも娘も・・・・・

「なにアレ!??」

「どうせ続編があるんじゃあねえか・・・・・」
「多分ね。学校でもみんな言ってる」


そうか、結構子どもっていうか中学生ぐらいが見ても面白いドラマ・・・・・・
丁度、歴史、日本史にも出てくる「緒方洪庵」とか「勝海舟」、そしてなにより面白いのが、
「坂本龍馬」の、ホントにそうだったんじゃあないかと思わせるその情景描写が良くできていた。
そろえに、一人ひとりの役者がいい演技をしていたねぇ・・・・・・

「『野風』・・・・・アレってヤフー(Yahoo)じゃあねえのか?」

って僕がいうと、カミさんも娘も・・・・・

「なにソレ?」
だって(笑)。


<テレビドラマ>

2009年10月11日より、TBSの日曜劇場枠で放送。主演は大沢たかお。全11話。

主演の大沢たかおは8年ぶりの連続ドラマ出演。ヒロインのひとり[3]である中谷美紀は7年ぶりの連続ドラマ出演となる。ドラマの提供ナレーションは遠藤憲一が担当。

キャッチコピーは「幕末の歴史は、脳外科医に委ねられた。」、「誰もが笑った 輝いた あの江戸へ」。

原作との大きな相違として、現代に野風と瓜二つの仁の恋人・友永未来というドラマオリジナルの人物を登場させ、咲を加えた3人による恋愛要素を盛り込んでいる。また、自らの手術の失敗で恋人を植物人間にしてしまったことで、仁が心にトラウマを抱えているという設定になっている。他にも、歴史の変化を示すものとして仁と未来の写真が使われている。




『JIN-仁-』(じん)は、村上もとかによる日本の漫画作品。およびこれを原作とするテレビドラマ作品。

『スーパージャンプ』2000年9号より連載開始。当初は半年1回の頻度で2〜3話連続掲載されるシリーズ連載形式だったが、2006年13号より毎号連載となった。2009年12月現在も連載中。

現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁が、過去の人間の運命を変えていることを自覚しつつも、抗生物質や近代的な医療器具の無い時代に20世紀末の医療技術を用いて江戸の人々を救おうと努力する歴史SF作品。



それにしても、よくできたTVドラマだったなぁ・・・・・・
2009年12月現在も連載中。
漫画も見てみよっと!!

  


Posted by 昭和24歳  at 08:37Comments(0)

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