2009年08月17日

アラカンの詩・・・・・




信仰

信仰ってなんだろう・・・
それは、限りなく慈悲深いはずなのに、
信仰は、その信仰でいとも簡単に人を殺す。
殺し合いをする。

同種族が殺し合いをする人間社会。

ライオンは、ライオンを殺しません。
虎は虎を殺しません。
自然界の摂理に従いこの星に生きています。
人間だけです。
人間が、人間を殺す・・・

そこに「信仰」が、どう関わるのでしょう。
ご教示ください。 


夫々の価値観

「働くこと」以外の価値観・・・

それは、「貯めない」ことです。

貯めるから欲が生まれる・・・
欲が生まれるから、他人のものも欲しくなる。
欲しくなれば、力ずくでも欲しくなる。
戦争がはじまる。

今朝、海で捕ってきた魚を食べる・・・
今朝、畑で収穫した野菜を食べる・・・
秋の収穫を待って、少しづつお米を食べる。
それがあまったら、不漁、不作の時ために塩に漬けたり、干したりして食べる。

人が人らしく生きる。

なのに自分の生命生活をもっとも怪しいと思われる強欲な人々に委ねざるを得ない・・・
こんな悲惨なことってあるのだろうか。

貯めないこと・・・
貯めると文句のひとつも言いたくなる・・・

便利な「冷蔵庫」が出来たお陰で「古い物」も食べさせられる。
便利な、涼しい「エアコン」のお陰で、他所の人は暑くて堪らない。
便利な乗り物「自動車」が出来たお陰で、息苦しくてならない。

人間て・・・やっぱり、勝手だ。
貯めることで他の動物にいつも迷惑かけている。

他の動物は貯めない。
自然に溶けて生きている。
摂理に逆らわず・・・・
それも、これも、夫々の価値観ということなのだろうか。


お伽の国

僕らはお伽の国の子どもたち・・・
戦争が終わって生まれたお伽の国の子どもたち。

父や母の心の曇りを僕らの笑顔がきっと晴らしたに違いない。
父や母は僕らの寝顔を見つめながら「この子たちにだけは」と、強く誓ったに違いない・・・

父や母の子守唄・・・
父や母のお伽噺・・・
僕はそんなお伽の国に「ずっと、ず~とっ」住んでいたい。

お伽の国へようこそ。


めだかの学校

めだか・・・
何処へ行っちゃったんだい・・・
めだか・・・
どうしちゃったのさ・・・
僕が嫌いになったんだね。

めだか・・・
君を見つけたよ・・・
みんなでお遊戯していたよ・・・
でも、ちっとも楽しそうじゃなかった。

そっと、そっと、のぞいて見たら・・・
君たちはみんなで哀しい眼をして僕を見ていた。

めだか・・・
ガラス越しの君たちは頑張ってるんだね。
もしかしたら、僕たちもガラスの中で・・・
ガラスの中の世界で生かされてるのかもしれないね。

めだか・・・
何処へ行っちゃったんだい・・・
めだか・・・
どうしちゃったのさ・・・
僕が嫌いになったんだね。


夏休み

何時から蝉が鳴くんだろうか・・・
小川はさらさら行くけど・・・灰色。
ペットボトルやら空き缶が気持ちよさそうに泳いでる。
どうやら・・・蝉の赤ちゃんには住みずそう。

そう云えば・・・
僕らも住みずらくなったみたい。
それでも・・・季節は模様を変えていく・・・
大分昔とは色合いが違うけど。

でも、それがわかる年になってしまった・・・
昔との違いが分かる年になってしまった。
さて来年はどんな夏休みになるのだろうか・・・


草の根っ子

僕は草の根っ子・・・
この星の「草の根っ子」。
遠い星の彼方から覗いたら・・・
ただの「草の根っ子」。

どんな嵐で、風に吹かれ水に流されそうになっても、
どんなに冷たく寒い冬にも・・・
雪に埋もれて、氷に閉ざされても。
いつかは・・・燦々と太陽の下、この星に根ざしながら・・・
ずっと、ずぅっとこの星にしがみついて生きている。

名前なんて、あるようでない・・・
きっと図鑑にはあるのだろうけど・・・
それは僕を貶めたり、僕を枯らせようとするとき・・・
何処かで、誰かが「番号」で探すんだろう。

だったら名前なんてどうでもいい・・・
僕は僕で、僕以外の何でもないのだから。

僕は時には、虫に食われ、時には、薬を撒かれ、
もう終わりかな・・・と、思うこともあるけど・・・
いつも季節は巡ってきた。

そんな時僕は又ひとつ小さな草を作る。
そして・・・
そして土の中で、その小さな草の手を握りながら祈る・・・

「幸せになるんだよ」って。

僕の小さな草は未だ青々と元気・・・
僕の小さな草は、僕に幸せの寝息を、温もりをくれる。
それでいい・・・
それだけでいい。

僕は草の・・・そうさ・・・
この星の「草の根っ子」。


この星になりたい

僕が死んだら・・・
僕が死んだら・・・この星になりたい。
空っぽになった肉体は、燃やして灰にしてください・・・
そして、この星のどこかに・・・
この星のどこかに小さな穴を掘って埋めてください。
そして、その上に1本の「樹」を植えてください。
そうすれば、その樹も、その樹の周りの草も苔も・・・
僕になって・・・この星を「蒼く」輝かせることができるだろう。
そうすれば、僕は「胞子」になって、風に乗って、この星を旅して・・・
またどかかであなたと素敵な出会いができるかもしれない。

そんな僕を・・・
そんな僕を・・・僕の子々孫々が・・・
そんな僕の・・・そんな「樹」の下で、すやすやと寝顔を見せてくれたら・・・
少しばかり、陽をよけて・・・
少しばかり、爽やかな風ををあげよう・・・
僕を子守唄に・・・

それは、苔でも、草でも、樹でも何でもいい。
そして、僕なんか忘れればいい・・・
僕も、僕だったことをきっと、忘れるから。

だから僕は「この星になりたい」。


僕は、地球そのもの・・・

それが、虫けらであろうと、人間であろうと。
億光年の宇宙空間の時間で見れば、人間なんて蜻蛉のようなもの・・・
それは母の胎内に住むときが僕の一生で、生れ落ちた瞬間に死が待っている。

生命が宿ったと云うだけで十分なのかもしれない。
母の胎内で、宇宙の響きを聴きながら生きる。
それだけで幸せなのに、欲深くも人は僅か数十年の道を生きようとする。
却って、聖なる淵に、母の宇宙のまま、終われたほうが幸せなのかもしれないのに。

もうすぐ、母の宇宙に生還する日がくるかもしれない。
その時を楽しみに・・・辛いけど頑張ろう・・・・
そのときを楽しみに。


幼子を愛でて・・・

幼子がその幼子を愛でて・・・
その、幼子の幼子が幼子を愛でて・・・

それはこの銀河の片隅に繰返される営み・・・
それが何時始まったのかなんて云うことはどうでも良いこと。
それが何時終わるかなんて云うことも、どうでも良いこと。

目の前のこの「瞬きの歓び」を大事にしよう。
昨日のこと、明日のことより・・・
それよりも、今、目の前のことを・・・
今、目の前の、この「瞬きの歓び」を、大事にしよう。
そうすれば、少しでも、みんなが幸せにいられるような気がする・・・
誰も、貶めることも無く。

  


Posted by 昭和24歳  at 18:51Comments(1)

2009年08月17日

くノ一ショックで、福田危機!!

くノ一ショックで、福田危機!!




民主 新** *44 三宅**雪子** 87547 当
自民 前06 *73 福田**康夫** 84020

和子夫人の予想より




Web選挙 敵か味方か…ネットユーザー大盛況
8月13日22時6分配信 産経新聞

 衆院選議席予想 「民主党 252」「自民党 168」

 今年5月、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」にこんなシミュレーション結果が書き込まれた。「民主の圧勝だな」「3分の2には届かないか」。ネットユーザーは思い思いのコメントを書き込み、投開票が終わったかのように盛り上がった。

 書き込みの主は、ネット界で“カリスマ予想屋”として名高い「和子夫人」なる人物。プロフィルは不明だが、7月の都議選では、独自の計算式に基づいて予想した候補者の当落や得票数が次々と的中。「プロ顔負け」と絶賛された。

 「競馬の予想と一緒ですね。血統や過去の結果から予想して、当たったとか、外れたとか。外野から無責任にワーワーいうのが楽しい」と話すのは、自らも予想を掲示板に投稿する筑波大学の男性講師(37)。野党のふがいない選挙対策に憤り、選挙関連の情報収集をするうちに当落予想にのめり込んだ。

 選挙情勢から議席数を予想する“同好の士”は少なくない。4年ぶりの総選挙とあり、2ちゃんねるの書き込みはすでに4万件を超えた。


和子夫人の当落予想

群馬04 民主 新** *44 三宅**雪子** 87547 当
1722⑪ 自民 前06 *73 福田**康夫** 84020
⑫⑮例 幸福 新** *38 森田**貴行** 603


まあ、今、記者クラブでの6党首討論をNHKで中継しているけど・・・・・

なんで麻生タロピーはああもテキヤの啖呵売なんだろうかと、可笑しくなる。
まあ、今や自民党総裁が「負けっぷり」を言うに及んではすでに白旗を上げている(笑)。

そんな中で、麻生タロピーは自民党政治とはの中で、

「子どもたちに夢を、若者に希望を、お年寄りに安心を」

と言ったが、まあ、なんと空虚な言葉だろうか・・・・・

少なくとも過去20年間の自民党政権で、その20年前に生まれた赤ちゃんが、
20年前に小学生だった子どもたちが、夢を持てず、希望を持てず、今、巷で刃物を振り回し・・・・・

「誰でもいいから殺したかった」

言わせたり、多くの若者が派遣切りという政策犠牲で路頭に迷い、
働けば働いたで、年間200万円以下のワーキングプアで、将来、明日をも知れぬ生活を強いられる。
そういう社会にしてしまった政治が、自民党政権だったのではなかったか。

まあ、今、NHKに映る麻生タロピー首相ですが、すでに敗軍の将の趣です(笑)。
まっ、ここまで来ては、その「負けっぷり」を拝見する以外にはありませんが・・・・・

で、どうやら民主党政権樹立は既成の事実のようです。

まあ、ハッキリ言って、国民が試されている。
それがこの総選挙であり、成立するであろう民主党中心の新政権です・・・・・

民主 新** *44 三宅**雪子** 87547 当
自民 前06 *73 福田**康夫** 84020

和子夫人の予想より


さて、群馬4区の有権者の覚悟は如何に!!???  

それにしても、日本共産党の「蟹工船」は何処へ???  


Posted by 昭和24歳  at 14:27Comments(1)

2009年08月17日

逆マニフェストを!!

逆マニフェストを!!




逆マニフェスト

消費税還付せよ!! 


総額約75兆円の景気対策、2年間で 米下院議長提示2009.1.16 08:28

【ワシントン=渡辺浩生】ペロシ米下院議長は15日、減税と公共投資などを柱とする景気対策案の概要を発表した。総額は2年間で8250億ドル(約75兆円)で、オバマ次期大統領が打ち出した景気対策の方針に沿ったもので、300万-400万人の雇用の維持・創出を目標とする。ペロシ議長は、今後2週間下院で審議したうえで、次期政権下で2月中旬までの成立を目指すとしている。

 オバマ次期大統領は声明で「この対策は、われわれの最も差し迫った課題における大きな頭金だ」と法案化への前進を歓迎した。

 景気対策案はまず、5500億ドルを、高速道路や鉄道の整備などインフラ投資、代替エネルギー増産、教育振興、医療などの分野に戦略的に投資する。

 残りの2750億ドルは減税措置にあてる。勤労世帯に夫婦で1000ドル、個人で500ドルの戻し減税を実施するほか、雇用を創出した民間企業への優遇税制など法人向け減税も盛り込んだ。

 総額は当初、7750億ドル規模で民主党と政権移行チームの間で調整されていたが、昨年12月の失業率が7・2%に上昇するなど雇用環境の悪化を受けて増額されたとみられる。



まあ、火の車の財政だとかのアメリカですらコレです戻し減税。つまり税金の還付です。
まあ、その財源ですが、まさか日本の郵貯簡保資金とか外為特会資金とかじゃあない事を祈りたいのですが(笑)。

つまり、戻し税、還付は国家からの施しではないということです。

麻生タロピーは12000円とかの給付金貰う奴は「サモシイ」とかほざいてましたが・・・・・・
「施し」てるとでも思っているんでしょうか?多分そうなんでしょうね。だから「サモシイ」とかが滑るんです。


で、さらに麻生タロピーなんですけど「安心・安全」とかいいつつ、「責任ある政党、自民党」とかも。
まあ、フザケタやつですね。ここまで国民生活を不信と不安に貶めておきながら・・・・・

「責任あるから消費税増税を」だとか。

まあ、麻生タロピーのせいとか、責任じゃあないことは当たり前なんですけど、まっ、自公政権ですか・・・・・
今、この状況で政治として何を一番先にやらなければいけないか!!???

それは国民大衆におカネを回すことですよ!!!

そこで、消えた年金5000万件とかですけど今度は、

消えた消費税213兆円のお話です。

つまり、まあ、国民全員なんですけど、消費税制度発足以来ほぼ20年間でその総額213兆円。
それがいったい何に、どこに使われたかです???

因みに、同時期期間で法人税が183兆円減収。さらに所得税率の度重なる改正で・・・・・・・
年収900万円以下のサラリーマン所得がこれまで、総額で20兆円減少している。

早い話、日本国内においては一定の経済成長率の中でその所得というパイは一つで、
そのパイの中で、それが「上に偏るか」、それとも「下の方に」、それは偏るというよりは、その税制、政策で、
所得再配分が正当に行われる。

つまり、現下の不況、消費低迷はそのおカネが上流のダムで大量にせき止められ・・・・・・
下流、川下が完全に干上がってしまっている状態からの、政策不況。

したがって今、緊急にやらなければイケない事は、そのダムの水門を開き、貯水、おカネを川下に放流することだ。
そのことで、川下、その流域が潤えばやがては経済の天候も晴れ、暑い日差しに照らされて・・・・・
それが雲になり、雨になり、雪になり、上流のダムを豊かにする。

今のそのダムの様子は満杯に貯水されているけど、水は澱み、
そこに棲む魚は異常に生命力の強い外来種ばかりで、昔から生息していたアユやマス、ヤマメといった魚は、
とうに死に絶えてしまい、そこに放流される魚は行き場の失ったいつでも斬り捨て御免の「派遣魚」の群れ。
そういう現実がj間の日本社会なのだ・・・・・・


消費税還付せよ!! 

政府はこれまでの政策の失敗を認めて、誤って徴税した消費税を還付するのです。
いや、国民はそれを堂々と要求すべきです。
そしてその政策を実行する政党を支持すべきです!!

わけのわからない、財源論は妄言です。

「あるけど使えない。コレはイザという時の・・・・・・」

今がそのイザではないのか!!???

誤った政策で取りすぎた税金を還付することは当たり前だ!!

明日公示の、この総選挙は戦後日本の総決算棚卸選挙と位置付けたい。

新政権、政府はその時、そこに明確な日本政府の貸借対照表を国民の前に示せ!!

いや、国民が示させるべきだ!!!

明日18日は公示日!! 
逆マニフェストを!!


  


Posted by 昭和24歳  at 08:31Comments(0)

2009年08月17日

僕の細道“八間道路”(改訂版)



喫茶もりえ。
僕が小学校3年(昭和33年)の頃にはすでにあった・・・・・・



僕の細道“八間道路”

それは僕の初めての外国だったのかも知れない・・・・・・

幼い頃、母に手を引かれて夕方の買い物はいつも八間道路だった。

それは昭和のその頃どこの横丁にもあった商店街の賑わい。
東小学校の通り、“東一条通”と“八間道路”の交差する角には天田自転車店、その辻向かいの小商い・・・・・
そして“神田菓子店”とたしか、ナントカ園とかいったお茶屋さんだったか?

今では都市計画とかですっかり新改築されて小洒落た自転車店の趣の“天田自転車店”だが、
その天田自転車店、先代がどちらかで自転車店修行ののちに戦後すぐ、そこに商いをはじめたとか聞いた。
で、その天田自転車店、店主の天田さんには東小のミニバスで長女次女が一方ならぬお世話になった。
長女のほうは高商のバスケでもインターハイやらなんやらで父兄会ではなにかにつけての酒席、そこではずいぶんと我侭を言わせてもらったが、
残念ながら、つい先だって黄泉の国へと旅立たれてしまった。心よりご冥福をお祈り申し上げたき候。

さて、神田菓子店だが、その神田は僕の娘たちも東小学校時代には結構お世話になった・・・・・
僕らの時代は神田菓子店といえば“高級菓子店”の趣で、
お使い物などに母が時々お邪魔するくらいでそれは高嶺の花だった。

お菓子といえば僕らの時代はそう、駄菓子屋が花盛りで、
戦後のそれは今日日の不況どころの騒ぎではない。それどころか食糧統制の時代で・・・・・・・
砂糖、塩、米が配給からようやく専売になった頃。そんな時代だ。

駄菓子屋のそれはその後に、大いに騒がれた人工甘味料の“サッカリン”、“チクロ”にまみれた、
今ならそれこそそんなものがスーパーに並ぼうものなら今日の“食品偽装”どころの騒ぎではないだろう(笑)。
しかし、そんなサッカリン、チクロまみれの駄菓子が楽しみで仕方がなかった。

そんな駄菓子の中で僕の“ベスト3”は、

第一位・・・・・・ソースイカ
第二位・・・・・・ボタンキョウ
第三位・・・・・・いもようかん

ご案内の、サッカリン、チクロまみれの駄菓子・・・・・・
それをたらふく喰らってきた僕らのジンバラはそう考えると相当に鍛え上げられているようだ(笑)。
ちっとやそっとのことではそう簡単にはくたばらない。
僕ら世代が言われる“後期高齢者”になった日にゃあ食いもんには鍛え上げられた爺婆がそこいら中に屯する。とにかく口は卑しいし、やかましい。
想像しただけでも恐ろしいというか可笑しいというか・・・・・


とにかく母に連れられ毎日のようにお使いに行った八間道路の魚屋。
それは八間道路というより今は珈焙屋とかいう小じんまりとした珈琲ショップになっているところの角をちょいと入った、
そう、実は旧道、“大類里街道”の角にあった魚屋、残念、屋号を失念してしまった「魚与」だったか・・・・・・
その魚屋さん、今は・・・・・あそこは旭町になるんだろうか、真町になるんだろうか、
都市計画で拡張された東一条通の一角に暖簾を構えている。

あの時代の夕飯といえばほとんどが旬の魚、僕は実は魚は好きだが食べるのが得意ではなかった。
さんまも実に美味しいのだがどうもあの骨が苦手、それとあのハラワタを上手くよけられず、
僕が食べたのは尻尾のほうばかり・・・・・

「頭のほうを食わねぇとエラクなれねえぞ!!」

と、いつも父に言われていたことを思い出すが、
頭のほうをいつも専門に食っていた父がそれほどエライ人になっていたとは当時も思っていなかったので、

「エラクなれなくてもいいもん」

と、僕はもっぱら母が上手い具合に骨を取り除いてくれた尻尾のほうを食っていた。

田村という屋号の畳三畳を横に並べたほどの八百屋が、その珈焙屋の対面、そこ、八間道路にあった。
野菜はいつもそこで買っていた・・・・・・

その先には江戸吉という鮮魚店、をざき文具店(どういうわけか“お”ではなく“を”)、松源自転車店、宗塚青果店、
路地をはさんで山口精肉、浦野履物店、春山豆店、すかや・・・・・

“すかや”

それはすでにない。
しかし僕はなんといっても“そば”は『すかや』だった。
因みに、ラーメンは『成吉思汗』、餃子、焼きそばは『らっちゃん』、スパゲティは『シャンゴ』、やきとりは『ささき』だ(笑)。

実は、その“すかや”にアルバイトを高校生の頃やっていた知り合いがいた・・・・・
その知り合いが言うには、「“すかや”の漬け汁はそんじょそこらの漬け汁とは漬け汁が違う」と、たいそう自慢げに言っていた。
聴けば「たしかに!!」であった。“すかや”のそばの美味さはどうやらその漬け汁にあったようだ。
もちろん、あそこでおばさんたちが手際よく茹で上げるそばの美味さもあったのだろうけど・・・・・

そうそう、焼きそばといえば「オリタ」の焼きそばはなぜか、なぜか美味かった。
確か僕より3、4だろうか年下の息子がいた。どうやらその「オリタ」の焼きそばはおばさんでもっていたようで、今はそのおばさんどうしたか・・・・・
で、その「オリタ」は昔の店より数間田町通寄りのところで焼きまんじゅうをおじさんが商っている。


八間道路には同級生もかなりいた。

ざっと数えただけでも田口君(理容所)、春山さん(豆菓子店)、藤木君(喫茶もりえ)、浦野さん(下駄草履店)、柴田さん(葬祭店)、宗塚さん(八百屋)、田口君(御茶屋)、宮口君(豆腐店)、阿部君(鳶職)、
高橋君、武藤さん、新井君(クリーニング店・昨年逝去)、・・・・・・
まるで“ちびまるこ”の世界ではあるが、とにかく東小学校が1000人からいた時代の話なのだから・・・・・

その“1000人”からの小学生の数からも、その八間道路の賑わいが想像できる。

そうそう、その八間道路には当時ではハイカラな喫茶店“モリエ”なんていうのがあった。
僕が小学校3年の時(昭和32年)にはすでにあったのだから超ハイカラ、僕の同級生上記の藤木君の家が商っていた。

澤田模型店・・・・・・あの時代の僕らには夢の世界がそこにはあった・・・・・
エンジンつきの模型飛行機やら鉄道模型、まだプラモデルが出現する以前の話だから、
小学生だった僕らはその澤田模型店の前で指をくわえて立ち尽くすのが精々だった(笑)。

いつしかボクシングジムに変わっていた、なんと言ったか、そこには“銭湯”があった。
僕が通った銭湯は旭町の“東湯”、もっと小さい頃母と行ったのは椿町の“椿湯”だったが、いつしか知らぬ間に・・・・・・
煙突からは煙が消え、そして煙突も・・・・・今ではその面影すらない。

そうだ、“すかや”のチョイト先の“上野医院”はご案内だろうか。

その上野医院のご子息、僕よりも5つ、6つ上だったろうか、第一次小泉内閣のときの副官房長官だった・・・・・
東小-高崎二中-高高-東大-厚生省-参議院議員(福田系・現在落選中)。
ちなみに政治家といえば、福田康夫前内閣総理大臣独占選挙区にあっていつも悪戦苦闘する“中島正希”民主党候補。
このお方も東小(昭和28年生まれ)が母校、次期総選挙での健闘をご期待したところでしたが・・・・・・
その席は党内のというかなんというか、そこでのいろいろな確執とかで今般は由緒のめでたい「くの一」にお譲りとかで・・・・・
まあ、落下傘は落下傘です。次もあるし、次の次もあるでしょうから今は神輿の上でお囃子でも。


僕の細道“八間道路”

その先は電車通り(昭和28年廃線)、そして銀座通り・・・・・・・
えびす講には八間道路を抜けて電車通りから“うろころ”、銀座通りへ。

まさに八間道路は僕にとって“新世界”への入口だった。
エレキ人生を目指して初めて東京へ、一人で旅立ったのも八間道路の交差点・・・・・・
そこもすっかり変わってしまった。

平成21年度改訂版
  


Posted by 昭和24歳  at 06:29Comments(4)

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